2008/07/20 - 2008/07/27
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mas98765さん
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バチカンを訪ねました。地下鉄のオッタビアーノ駅が最寄り駅です。わたしの場合は、ここからちょっと(かなりかも)北にあるユースホステルに泊まっていたので、歩いて来ました。ローマにありながら、ここはもはやイタリアではなく、バチカンという独立国です。この大聖堂は、世界中のカトリックの総本山です。西暦64年頃、このあたりでキリストの一番弟子ペトロがネロ帝によって逆さ十字に架けられました。後にキリスト教を公認したコンスタンティヌス帝が最初の聖堂を建てましたが、時代とともに老朽化し、ミケランジェロの設計により再建されました。手前広場の中心にはオベリスクがあり、広場の周りをたくさんの柱が取り囲むモダンなデザインです。
(注意)最新の旅行ではありません。行き当たりばったりで旅行に出かけていた頃の写真をまとめたもので、ガイドブック程度の写真と説明しかありませんが、よかったら参考にどうぞ。
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サンピエトロ広場は、このような柱にずらりと丸く囲まれています。暑い最中なのでたくさんの観光客が柱の下の辺りで休んでいました。
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大聖堂の建物には、大きなドームがあります。
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サンピエトロ大聖堂のドーム(クーポラ)の内側です。モザイクが描かれています。
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クーポラの下の通路です。上の丸天井を見上げ、下の大聖堂を見下ろす事が出来ます。脇にはクーポラへ上る階段の入口があります。
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大聖堂の中を見下ろしたところです。
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クーポラのテラスから、サンピエトロ広場を眺めることができます。1本のオベリスクを多数の円柱が丸く取り囲んでいる様子がよく分かります。朝早くテラスに上ったので、風も涼しく人も少なくて快適でした。でも逆光で、何もかもが反射して白く見えてしまいました。
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テラスはこんな感じです。
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バチカン宮殿も眺められます。宮殿の一部は博物館になっています(後で行きます)。
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クーポラのテラスへと続く階段です(写真の順番がバラバラですね)。ちょっとした山登りの感覚でテラスへ行けます。人1人がやっと通れる部分がある上、丸屋根に合わせて通路も傾いていたりして、体を傾けて通らなければなりませんでした。階段も一方の側だけが磨り減っていたりしました。
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ファサード(表から見た建物)の上部を裏側から見たものです。ここには、ヨハネとペテロを除く使徒の像が立っています。
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これがファサード(表の広場から見た建物)です(写真の順番がバラバラですね)。
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サンピエトロ大聖堂の内部です。あちこちに彫刻や彫像があります。奥の方にねじれた4本の柱で作られた「ブロンズの天蓋」がかろうじてみえます。その下の地下に聖ペテロの墓があります。(当時、地球の歩き方の解説さえも頭に入っていなかったので、何がみどころかよく分かっていなかったのです。旅行に行くときは、ちゃんと予習をしましょうね。)
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聖ペテロの椅子です。実際は9世紀に皇帝カールから法王ヨハネ8世に贈られたものです。
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奥の祭壇の下にペテロの墓があります。ピンボケになってしまいました。大聖堂の地下には歴代法王の墓があって一部公開されているらしいのですが、予習不足で見逃してしまいました。
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ピエタ像です。正面から大聖堂に入った場合は、入ってすぐ右側にあります。わたしの場合は先にクーポラに上ってきたので、別の方から大聖堂に入りました。最初探しましたが、人がたくさん集まっていたので分かりました。キリストの死を悼む聖母像で、ミケランジェロが作ったものです。ここにある彫刻で一番有名な作品ですが、小さい上に遠くにあるため、あまりよく見えませんでした(当時持っていたカメラは3倍ズームが限界でしたので、このような写真しか撮れませんでした)。大聖堂には他にもあちこちに、もっと大きな彫像がいくつもあって、芸術を解さないわたしには、この像の何がいいのか分かりません。
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夜の大聖堂も訪れてみました。ライトアップは意外に控えめでした。
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バチカン博物館に行きました。開館直後でしたので、あまり並ばずに入れました。中にはたくさんの絵画や彫像がありました。ここはたしか地図のギャラリーです。
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歴代のローマ教皇が趣味で集めた膨大な美術品があります。でも、芸術をあまり理解しないわたしは、予習不足ということもあり、システナ礼拝堂とラファエロの間だけにしぼりました。何とも勿体無いことをしました。
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あれ、何でこの写真がこんなところにあるんだ(写真の順番がバラバラですね)。これは、オッタビアーノ駅からサンピエトロ大聖堂に向かって歩いていると右側に見えるバチカンの入口です。大聖堂や博物館へ行く時は、国境も何もなくて、いつの間にか別の国に入ってしまうわけですが、それ以外のところでは、バチカンは周囲から閉ざされています。衛兵は伝統的にスイス人だそうです。
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バチカン博物館に戻ります。見所の一つであるラファエロの間に行きました。ユリウス2世がラファエロに依頼して自分の部屋に大きな絵を描かせたものです。全部で4部屋あり、写真は第3の部屋(署名の間)にある「アテネの学堂」という作品で、中央左がプラトン、中央右がアリストテレスであり、他にもラファエロ自身を含め多数の有名人が登場しています。
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これは同じくラファエロの「署名の間」にある「聖体の論議」という作品です。
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これは、ラファエロの「火災の間」にある「ボルゴの火災」という作品です。ここでわたしが撮影した写真は以上です。今のわたしなら、徹底的に写真を撮ってガイドを作るのですが、実に勿体無いことをしました。
バチカン博物館では、一番有名なシスティナ礼拝堂にも行きました。カトリックのお偉いさんたちが閉じこもってローマ法王を決めるコンクラーベの場所として有名で、2005年にヨハネ・パウロ2世が亡くなった時も、ここで新法王ベネディクト16世が選出されました。こんな神聖な部屋も、普段はおびただしい数の観光客でごった返していてむさ苦しいです。ここの壁には、ミケランジェロの「最後の審判」という有名な絵が描かれています。中央のキリストが閻魔大王のようにお裁きをしていて、右側のよい人は天に上り、左側の悪い人は地獄に落ちていきます。さて、わたしはここで罪深いことをしました。この部屋は写真撮影禁止なのですが、周りに写真を撮っている人がいたので便乗して1枚撮ってしまいました(でも、よくない写真ですから公開はしません)。 -
サンタンジェロ城に行きました。バチカンではありませんが、すぐ近くです。もともと2世紀の初めにハドリアヌス帝が自分自身と後の皇帝の墓として建造したもので、カラカラ帝までの歴代皇帝が埋葬されました。しかし、その後アウレリアヌス帝の時代には要塞になってしまいました。また、ローマにペストが流行していた590年のある日、法王グレゴリウス1世がここにさしかかったところ、大天使ミカエルが突然現れて「ペストの流行はそのうち終わるよ」と予言し、実際その通りになったので感謝して「サンタンジェロ(聖なる天使)」の名がついたそうです。その後、一部が牢獄として使われたこともあります。ヨーロッパにはこのように使い道がコロコロ変わる建物があって面白いです。
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サンタンジェロ城のてっぺんには、聖なる天使ミカエルの像があります。
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サンタンジェロ城の前の風景です。
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サンタンジェロ城からは、すぐ近くのサンピエトロ大聖堂が見えます。
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サンタンジェロ城の前には、サンタンジェロ橋という橋があります。この橋は、テヴェレ川という川にかかっています。両側には、ベルニーニが作った天使像のコピーが配置されています。本物は別の場所にあるそうです。
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