2010/04/05 - 2010/04/07
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mogu miyauchi さん
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・先月、常盤新平さんの「山の上ホテル」という本を読みました。・・・
【好きな旅館にはふるさとのなつかしさがある。
ホテルはサッパリした後味を残す。
両方の良さを残せば、日本ノホテルが出来るでせう】吉田俊夫
【幾分古びた、くすんだ、ホテルです。静けさと、味のお求めに応じる文化人のホテルです。】
・・・・・次の東京宿泊はここと決めていました
何時までも 変わらない ホテルです。
・一方 「現在の歌舞伎座」は今月で終わります。
いよいよ変わるのですね・・・
最後に 会いに行きます。
そして いざ・・・路は・・・・ 「兵六」へ
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山の上ホテルは東京・神田駿河台で1954年の創業以来、現在も営業を続けています。客室数75のこぢじんまりとしたホテルですが、その趣は他のホテルとは一線を画す独特の個性を持っています。
最大の特徴は志の高さでしょう。規模の拡大を望まず、徹底して「良いサービスとうまい食べ物」を提供する経営方針が徹底されているのです。
・・・説明できませんが 何となく・・感じました。
池波正太郎、山口瞳、高見順、三島由紀夫など昭和文壇のそうそうたる顔ぶれが常宿としていたことでも知られるこのホテルを一代で創り上げた吉田さんは、サラリーマンから転身した異色の創業者です。
本では独自の経営姿勢と人柄が、親子関係にも似た強い絆で結ばれた社員達の口から熱く語られています。山の上ホテル 宿・ホテル
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山の上ホテルを語るときに、創業者である吉田俊男のエピソードは欠かせません。彼は経営者であると同時に、山の上ホテルそのものといってよかった。彼が目指したのはサービスと安心とが行き届いた良質な「小さなホテル」でした。「もし、人が他人に与へられる最高のものが誠意と真実であるなら、ホテルがお客様に差し上げられるものもそれ以外にはないはず」と吉田は本に記しています。その理想を実現するために、吉田は従業員たちに多くを求めました。そのために辞める者が絶えなかったといいます。彼が求めたのは「誠実さ」に裏打ちされた職人気質でした。しかも、山の上ホテルの理想を実現するのにかなった職人気質でした。本ではそれを「ホテル屋」という言葉で表現されています。山の上ホテル 宿・ホテル
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使い込まれた椅子の質感が
我が家のように、旅先で安心感を与えてくれます。
自然な ホスピタリテイ・・
変えないでください・・・ -
巨大なルームキーの質感・重量感
恐れ入ります。
変わって欲しくない物です。
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今でも文人たちの間では、芥川賞、直木賞受賞後の第1作はここのホテルで書く、ということがいわばジンクスのようになっているそうで、受賞後ここに宿泊しながら筆を進める人も多いそうです
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4月5月の山の上ホテルが好きだと言うお客が多い。
ドアを開けると制服を着た、ホッペのまだ赤い少女が緊張して立っていて、注文をきく。その言葉遣いがじつに初々しく、この春に入社した少女だとわかる。
それから2,3ヶ月すると、彼女の顔の赤みも消えて、垢抜けしてくる。けれども、客に接する態度は変わらない。これも山の上ホテルの伝統であろう。
「山の上ホテル物語」 P194より
部屋にお茶を持ってきてくれた少女を見て、
この子を見て書いたのだろうか?と感じた
そんなはずないか・・・
頑張れ 頑張れ
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止まる時の
「ガッシャン♪」が
「人が乗っていなくても
それなりの重量があると思われる質感」が
たまりません!
省エネを考えれば、変えたほうがいいのでしょうが、
変わらないでほしい。 -
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神田駿河台の小高い丘の上に山の上ホテルが誕生したのは、1954(昭和29)年1月のことである。以来このホテルは作家など多くの文化人たちの常宿として、あるいは憩いの場としてずっと愛されつづけてきた。本書はそんな山の上ホテルの創業からの50年を、従業員へのインタビューも交えて描いたノンフィクションです。著者は翻訳家でもあり直木賞作家。自らもこのホテルに深い愛着を持っています。
山の上ホテル 宿・ホテル
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初めて飛び込むこの店
結構厳しい顔して飲んでいたと思う
昔から 作家・出版社などの人が多く通う、
常連さんでいっぱいの小さいこの店
少しピリピリした感覚は、
いつもと違う酔いを誘います。
「先代の出身の鹿児島から出張で来ました。」・・
とだけ告げました。
帰りがけ「出張はいつまでで?・明日はどこか?」と 聞かれました。
「又 飲みにいこう・・} -
今回のもう一つの目的地ホテル近くの「兵六」
戦後から続く銘店。酒は薩摩焼酎「無双」か地酒二級酒。冷暖房なし・電話なし、乱れた客には激が飛ぶ。薩摩出身の先代が作った、一種独特な雰囲気を保ちつづけるなんとも男らしい酒場。常連の目当ては料理にもある。上海帰りの先代夫妻のレシピによる、餃子・炒豆腐・炒麺は食さずして帰れない程の逸品。
兵六
東京都千代田区神田神保町1-3-20
改めて 電話無し
冷暖房もなし 変わるな〜 -
東京のホテルで一番最初にてんぷらを始めたのが昭和30年のこと。以来、文壇の大物や文化人らが通いつめる
「てんぷらと和食の山の上」もあります。
今回は常盤さんが、最後の晩餐に食べたい物に選んだ
「天丼」を・・
・旨い!
変わるな〜 -
ホテルのバー「モン・モン」では
カウンターに着くなり
隣りの 老夫婦の前におかれた「SUZU]のボトルが気になり、「何のカクテル、作りました?」と聞くと、サービスですと・・「スーズのトニック・ソーダ割」がでてきました。
ピカソが愛飲したスーズは、1889年にフランスのフェルナン・ムローが友人のアンリー・ボルトと共同で開発したビター・アペリティフで、主原料はゲンチアナ(Gentiane)、野生りんどうの一種です。
フランスの中央部オーヴェルニュ地方の火山台地を主に、ジュラやノルマンディ地方の高地に自生し、成長には、20年もの月日を要するもので、収穫は初秋の時期だけとのことです。
鹿児島の池田バーの新作「クロワッサン」でも使われており、・・・マイ・ブームです。
本日は
オリジナル「ザ・ヒル・トップ」
「ネバダ」
「SUZUダイキリー」
バーテンダー オナブタさんとの会話を肴に
美味しく・楽しく・・いい時間すごせました。
ア〜酔っ払った。 -
歌舞伎座(東京都中央区)が、4月の公演を最後に建て替えられます。(あと25日)
古き良きものが失われる中、また一つ、大きな「歴史」が消えようとしています。
本当に変わらないといけなかったのでしょうか?歌舞伎座 名所・史跡
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第一部
一、御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)
悪七兵衛景清 三津五郎
典侍の局 芝 雀
工藤祐経 染五郎
曽我十郎 菊之助
曽我五郎 海老蔵
鬼王新左衛門 獅 童
小林朝比奈 勘太郎
片貝姫 七之助
秩父庄司重忠 松 緑
大磯の虎 孝太郎
小林舞鶴
人気若手 勢ぞろいです。 -
一谷嫩軍記
二、熊谷陣屋(くまがいじんや) 熊谷直実 吉右衛門 白毫弥陀六 富十郎 藤の方 魁 春 亀井六郎 友右衛門
会いにきました
なんとか 間に合った・・・ -
三、連獅子(れんじし)
狂言師後に親獅子の精 勘三郎 狂言師後に仔獅子の精 勘太郎 狂言師後に仔獅子の精 七之助 僧蓮念 橋之助 僧遍念 扇 雀
ただただ 素晴らしい!
ブラボー!
ブラボー! -
昭和16年当時に書かれた本
ホテル近くの神保町の古本屋で購入
戦争の空気の中で、こんなに自分の意見を言えていたのが・・・新鮮でした。
変わらないものです。 -
サソリが猛毒を有するなら、これを多数に繁殖させ、そして敵の陣地にばらまいたら、相当に敵を苦しめえるだろう。牛の角にたいまつをつけたよりももっと有効な戦争に・・・・
サソリはいかに恐ろしくても余りに眼につき易い。
関東大震災後慰問品として外国から来た毛布に附着していたため、大いに繁殖するようになったといふイヘダニのやうなものの方が遥かに恐ろしい。ゲリラ戦術では、この方が一枚上である。
イナゴの類を、敵地にたくさん落として、その食料を食ひつぶさせようといふ策略もこれに似ていて、たいした効果は望まれない、却って美しい草花についてくる害虫の方が駆除が一層困難である。
とかく人間は小さい物、眼につき難いもの、眼に見えぬものをおろそかにし、取り返しのつかぬことになり易い。
P88・89
・・面白い・・ -
寺尾 新
「魚・海・人・」
科学者らしい発想で漁業資源の保護の方法も
戦時下のたんぱく質確保の為に・・・
・・・後半は・・今でも講演で使えます。相撲茶屋 寺尾 グルメ・レストラン
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今は当たり前のように使われる言葉「マニフエスト」
初めて意識したのはこのアルバム名でした。
政府のマニフエストはすぐ変わります
しかし
何時までもブライアンフエリーは変わりません
明大近くで衝動買い
ロキシーミュージック「MANIFESTO]
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この旅行記へのコメント (4)
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- josanさん 2010/05/05 09:43:23
- 学生時代の思い出のホテルです。
- こんにちはmogu miyauhiさん、この「山の上ホテル」は私の1歳上の兄が明治大学に通って居たので、学園際に同行した際に、ー緒にお茶を飲みに行きました。
しかし40年前の当時の私達大学生には、少し敷居が高いホテルでした、でも当時から趣のある人気のホテルでしたね〜。(笑)
歌舞伎座も、あのー角だけが別世界の様でしたので、時代の流れで仕方ないのでしょうね、しかし高層ビルの中で見る歌舞伎は如何な物なのでしょうか?。(涙)
御殿場よりJOSAN。
- mogu miyauchi さん からの返信 2010/05/08 14:23:01
- RE: 学生時代の思い出のホテルです。
>
> JOSANさん こんにちは
確かに 学生時代には 「少し・・いえ大分敷居が高いホテル」でしたね
そのころから 少しも変わっていないということ
凄いことです。
人も本当はかくあるべし・・なのでしょうか?
・・でも・元が悪ければチエンジしなければならないし、進化もないし
まあ 人それぞれですね・・
歌舞伎も・・音楽などもそうですが・・その場所・時間が
感動の記憶とSETになってしまいますから・・
感動の瞬間のシュチエーションは大事なことですね。
それを求めにウロウロしているのですが(笑)
mogu miyauchi
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- 前日光さん 2010/04/25 01:08:35
- 私も大好きです!
- こんばんは!
そして、たぶんはじめまして、ですよね?
山の上ホテル、機会があって二度ほど宿泊しました。
評判に違わぬ上等のサービス、落ち着いた雰囲気に癒されました。
伝統あるホテルにありがちな、宿泊する方が萎縮してしまうような威圧感が、まずありませんよね。
確かに部屋の調度品などは、今時の新しいホテルのようにきらびやかではありませんが、その使い込まれた感じがまたよくて、変わってほしくないと私も思います。
明治大学の屹立する建物の間で、健気にスックと立つこのホテル、いつまでもこのままでと、私も心から思いました。
前日光
- mogu miyauchi さん からの返信 2010/04/26 08:17:12
- RE: 私も大好きです!
>
> 前日光 さん おはようございます!
たぶん 初めてです。
でも 時々 旅行記をのぞいている中で、
リタイヤをどこかで待ち望んでいたり、資格取得の話、
娘さんでしたか、進学・就職の話で 共感したり、
(私の娘も音楽・作曲という、お金もいっぱいかかり、それでいてちゃんと した就職もできず・・でも 応援したいし・・・)
勝手に 前日光 さんと会話していたりしたので、
初めてではないような気もしますが。・・・
山の上ホテルについても、共感できる方がいらっしゃって
よかったです。
これからも宜しくお願いします。
mogu miyauchi
>
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