和歌の浦旅行記(ブログ) 一覧に戻る
和歌浦(わかのうら)は玉津島(たまつしま)と片男波(かたおなみ)を結ぶ砂嘴(さし)と周辺一帯の古くからの景勝地で聖武天皇(しょうむてんのう701−756年)が行幸の折に、お供をしていた山部赤人(やまべ のあかひと・生年不詳−736)が「万葉集」に <br />「 若の浦に 潮満ちくれば潟をなみ 葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」( 若の浦に潮が満ちてきて干潟が見えなくなってしまい餌を漁っていた鶴は次の餌を求めて葦辺の方に向かって鳴きながら飛んでゆく)<br /><br />と詠んでいる。「片男波」という地名は、山部赤人の歌の「潟をなみ」から生まれたとされており、玉津島の西側に発達した砂嘴(さし)に現在は植物が見当たらないが、昔は葦などの水生植物が生い茂る湿地帯であったようだ。<br />その後「万葉集」に歌われた玉津島は歌枕の地として知られ玉津島神社は詠歌上達の神として知られるようになり小野小町(おの の こまち)も参拝しているそうだ。<br />玉津島神社の東隣にある県内最古の三断橋を渡ると、小さな島・妹背山(いもせやま)があり中腹には徳川頼宣(とくがわ よりのぶ1602−1671年)が1653年に母の養珠院((ようじゅいん1580−1653年=お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔、水辺には紀三井寺の拝殿として建てられたという観海閣(かんかいかく)がある。<br /> 妹背山は、周囲250mの小島だがかつては相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だったそうだ。<br />三断橋の欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。<br />古代の人たちがいかに和歌浦の美しさにあこがれ、誇りにしてきたかが良くわかる。<br />(写真は妹背山周辺の光景)<br /><br />

日本の旅 関西を歩く 和歌山市、和歌浦周辺1

22いいね!

2010/03/27 - 2010/03/27

30位(同エリア90件中)

0

61

さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

和歌浦(わかのうら)は玉津島(たまつしま)と片男波(かたおなみ)を結ぶ砂嘴(さし)と周辺一帯の古くからの景勝地で聖武天皇(しょうむてんのう701−756年)が行幸の折に、お供をしていた山部赤人(やまべ のあかひと・生年不詳−736)が「万葉集」に 
「 若の浦に 潮満ちくれば潟をなみ 葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」( 若の浦に潮が満ちてきて干潟が見えなくなってしまい餌を漁っていた鶴は次の餌を求めて葦辺の方に向かって鳴きながら飛んでゆく)

と詠んでいる。「片男波」という地名は、山部赤人の歌の「潟をなみ」から生まれたとされており、玉津島の西側に発達した砂嘴(さし)に現在は植物が見当たらないが、昔は葦などの水生植物が生い茂る湿地帯であったようだ。
その後「万葉集」に歌われた玉津島は歌枕の地として知られ玉津島神社は詠歌上達の神として知られるようになり小野小町(おの の こまち)も参拝しているそうだ。
玉津島神社の東隣にある県内最古の三断橋を渡ると、小さな島・妹背山(いもせやま)があり中腹には徳川頼宣(とくがわ よりのぶ1602−1671年)が1653年に母の養珠院((ようじゅいん1580−1653年=お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔、水辺には紀三井寺の拝殿として建てられたという観海閣(かんかいかく)がある。
 妹背山は、周囲250mの小島だがかつては相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だったそうだ。
三断橋の欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。
古代の人たちがいかに和歌浦の美しさにあこがれ、誇りにしてきたかが良くわかる。
(写真は妹背山周辺の光景)

PR

  •  和歌の浦周辺の光景。

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。<br />

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。

    和歌の浦周辺の光景。

  •  和歌の浦周辺の光景。<br />

    和歌の浦周辺の光景。

  • 和歌の浦の小さな島・妹背山(いもせやま)。

    和歌の浦の小さな島・妹背山(いもせやま)。

  • 和歌の浦の小さな島・妹背山(いもせやま)。中腹には徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔、水辺には紀三井寺の拝殿として建てられたという観海閣(かんかいかく)が見える。<br />

    和歌の浦の小さな島・妹背山(いもせやま)。中腹には徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔、水辺には紀三井寺の拝殿として建てられたという観海閣(かんかいかく)が見える。

  •  和歌の浦の海の光景。<br />

    和歌の浦の海の光景。

  •  妹背山(いもせやま)。周囲250mの小島で、相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だった。<br /><br />

    妹背山(いもせやま)。周囲250mの小島で、相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だった。

  •  三断橋。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

    三断橋。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

  •  妹背山(いもせやま)周辺の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)周辺の光景。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の光景。<br />

      妹背山(いもせやま)周辺の光景。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の光景。<br />

      妹背山(いもせやま)周辺の光景。

  •  妹背山(いもせやま)に隣接する玉津島神社の光景。<br />

     妹背山(いもせやま)に隣接する玉津島神社の光景。

  •  玉津島神社の由緒。<br />

    玉津島神社の由緒。

  •  妹背山(いもせやま)に隣接する玉津島神社の光景。<br />

     妹背山(いもせやま)に隣接する玉津島神社の光景。

  •  玉津島神社の拝殿前の光景。<br />

    玉津島神社の拝殿前の光景。

  •  玉津島神社の拝殿前の光景。<br />

    玉津島神社の拝殿前の光景。

  • 小野小町(おの の こまち、生没年不詳)が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。<br />

    小野小町(おの の こまち、生没年不詳)が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。

  •  小野小町が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。<br />

     小野小町が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。

  •  小野小町が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。<br />

     小野小町が参拝の時に上掛けをかけたと言う「小野小町袖掛けの塀」。

  • 玉津島神社の拝殿前の珍しい根上がり松。<br />

    玉津島神社の拝殿前の珍しい根上がり松。

  • 玉津島神社の拝殿前の珍しい根上がり松。<br />

    玉津島神社の拝殿前の珍しい根上がり松。

  •  玉津島神社の境内の光景。

    玉津島神社の境内の光景。

  •   玉津島神社の境内の光景。

      玉津島神社の境内の光景。

  •   玉津島神社の境内の光景。

      玉津島神社の境内の光景。

  •   玉津島神社の境内の光景。

      玉津島神社の境内の光景。

  • 玉津島神社の鳥居前の光景。<br />

    玉津島神社の鳥居前の光景。

  •   玉津島神社の境内の光景。

      玉津島神社の境内の光景。

  •  三断橋の光景。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

    三断橋の光景。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

  •  妹背山(いもせやま)の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)の光景。

  • 三断橋の光景。

    三断橋の光景。

  •   妹背山(いもせやま)の光景。<br />

      妹背山(いもせやま)の光景。

  • 三断橋の光景。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

    三断橋の光景。欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。

  •  妹背山(いもせやま)の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)の光景。

  •  妹背山(いもせやま)の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)の光景。

  • 三断橋の光景。

    三断橋の光景。

  • 三断橋の光景。

    三断橋の光景。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

      妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •  観海閣(かんかいかく)前の光景。<br />

    観海閣(かんかいかく)前の光景。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

      妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •  妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

    妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •   観海閣(かんかいかく)の説明。<br />

      観海閣(かんかいかく)の説明。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

      妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •  妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

    妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •  妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •  妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。<br />

    妹背山(いもせやま)周辺の海の光景。

  •   観海閣(かんかいかく)から見る光景。

      観海閣(かんかいかく)から見る光景。

  •  三断橋前の海の光景。<br />

    三断橋前の海の光景。

  •  三断橋前の海の光景。<br />

    三断橋前の海の光景。

  •   妹背山(いもせやま)周辺の光景。<br /><br />

      妹背山(いもせやま)周辺の光景。

  •   観海閣(かんかいかく)から見る光景。

      観海閣(かんかいかく)から見る光景。

  •   観海閣(かんかいかく)から見る光景。

      観海閣(かんかいかく)から見る光景。

  •   観海閣(かんかいかく)から見る光景。

      観海閣(かんかいかく)から見る光景。

  •   観海閣(かんかいかく)から見る光景。

      観海閣(かんかいかく)から見る光景。

  • 徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔。<br />

    徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔。

  •  徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔。<br />

    徳川頼宣が1653年に母の養珠院(お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔。

  •  海禅院(かいぜんいん)多宝塔の由緒説明。<br />

    海禅院(かいぜんいん)多宝塔の由緒説明。

  •  岩の上に建てられた海禅院(かいぜんいん)の建物。<br />

     岩の上に建てられた海禅院(かいぜんいん)の建物。

この旅行記のタグ

22いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP