2010/03/17 - 2010/03/17
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ちゃおさん
先日読んだ内田康夫氏の小説「地の日・天の海」に出てきた主人公・随風の建立になる上野寛永寺。
家康亡き後の寛永年間、家光の代になって、日光東照宮、駿府東照宮と共に、この地に建立された。
当時随風は名を改め天海僧正と号し、この地に東の比叡山に比すべき、一大仏教聖地を設立し、仏教思想による戦のない、平和な国土を夢みていた。
その東叡山・寛永寺の五重塔が遠くの林の影に朱色の堂屋を見せている。足が自然にそちらの方向に向かい、知らず、東照宮の石の鳥居を潜っていた。
上野東照宮。東照神君、大権現家康公を祀る神社として全国各地の親藩譜代の藩地に建立されたが、この上野は日光、駿府と並び称せられる徳川家にとって最重要な場所であった。
隣の寛永寺同様、寛永年間に家光により建立されたが、徳川17代、270年の太平の世はこの3代将軍家光の頃が最高潮を迎えていたのだろう。
この巨大な石鳥居は親藩前橋の酒井雅楽守の寄進によるもの。参道に数百も並ぶ大きな石灯篭は、それぞれ全国の大名・小名が競って寄進したものであり、それぞれに従4位○○藩主、○○守と麗々しく掘り込まれている。
今から450年前、この宮、この寺の上棟式はさぞや華やかなものであったろう。石に堀込まれた寄進者の、薄く消えかかった名前から江戸初期の当時の、華やかな伊吹を感ずるものだった。関が原の戦いが終わってから30年、大阪夏の陣が終わって15年、人々は漸く訪れた平和の世を心から喜んでいたに違いない。
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上野動物園の横には寛永寺、東照宮の二つの寺社が鎮座している。
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上野東照宮の参道からは直ぐ横に東叡山・寛永寺の五重塔が真近に見える。
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東照宮本殿に向う参道には、数多くの石灯篭が寄進されている。
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石灯篭、石鳥居には当時の寄進者の名前が誇らしげに彫りこまれていた。
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神君公に仕える喜びがその書体に表れているようだった。
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参道の正面には東照宮本殿が見える。
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権現造り。江戸期に流行った華麗な権現造りは、伊勢のシンプルな神明造りと対照的なものだった。
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この場所に最初に建立された大石灯篭。
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お化け灯篭とも言われ、佐久間大膳の寄進によるもの。
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佐久間大膳。父を信長から排された佐久間盛次、母を秀吉に敗れた柴田勝家の姉に持ち、戦国の世に生きる難しさを身に染みて感じていたに違いない。
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