2010/02/02 - 2010/02/06
2462位(同エリア3477件中)
明石DSさん
2010年2月3日、9:06:10:撮影
正面の島:テニアン島
左斜め前方:サイパン国際空港(アスリート飛行場)
右斜め前方:チャランカノアの市街地
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これは旅行記にあらず。わが能書き也。今までのも同じだ。
思いのままを書き連ねる。同じ事を百篇でも千篇でも。
公開する以上見てもらいたい読んでもらいたいのは山々だが。
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2010年2月3日、8:49:18
タポチョ山山頂にて
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サイパン/テニアンの旅で思うこと
一昨年の平成20年10月にぺリリュー島へ旅をしたのが太平洋戦跡巡りの初回だった。その時は分からなかったことが、今回の旅を前にしての勉強で少し知識は増えたのは確かだ。
でも、まだまだ断片的で乏しい知識に基づいての理解にしか過ぎないので、今後、あらたに自分の知識が増えることによって太平洋での日本軍の戦いを自分なりにどのように今後評価し理解し得るのか?
未だ知らないことばかりが多すぎるが、今の時点での自分の思いを以下に記す。
まず、つい最近今年1月半ば頃に{チャネル桜『報道ワイド日本』米人から見た「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか? − 茂木(もてぎ)弘道氏に聞く}を見て目から鱗が落ちた。
まず茂木さんは『日本は太平洋戦争に負けたが、大東亜戦争に勝った』と言われた。結果はアジア解放に繋がり白人列強の植民地支配を終焉に導いた。
日本に白人列強と違って聊(いささ)かの野心もなく掲げた大儀と正義が全て純粋だったとは思わないが、それでも結果は日本の掲げた大儀を実現させる大いなる要因になたことは確かであり、私も心底そう思っている。
米人が書いた本を翻訳された茂木さんの話を興味深く聞いた。そして茂木さんの話しを聞きながら日本の敗戦の原因が自分なりにはっきりした。それは帝国陸軍と海軍との戦略眼の違いであり、海軍の戦略眼の無さによって太平洋の戦いでの惨敗を招き日米決戦に敗れた。
話しを聞けば頷くことばかりだった。
東条英機を代表とする陸軍は東南アジアでの緒戦の圧倒的勝利に、そこでの日本の地盤を固めそれ以上の南への戦線拡大の戦略を持っていなかった。そして、インド洋を押さえ英米からの蒋介石援助ルートを封鎖し、支那戦線での勝利を含め堅実な戦略を持っていた。
海軍の稚拙な戦略性なき戦線拡大が、逆に米壕からの戦場に近く日本から遥か遠くなり、その結果、日本は不利な戦いの場に自らの身を置く嵌めになり、なし崩し的に日本軍は敗走の道を辿った。そのことを著者である米人も見抜き、茂木さん自信もそう考えているようだ。
聞けば聞くほど成る程と思う。私もペリュリューに行き、今度サイパン・テニアンに行くにあたって太平洋の戦いのことを少しは知り、今は海軍の無策無謀が苛立たしく思うようになっている。
恥ずかしながら、最近になって“ラバウル”があんなに遠いところにあると初めて知った。ガダルカナル・ポートモレスビーがあんなに遠いところにあると初めて知った。
パラオ・サイパン・グアムを含む南洋諸島を要塞化し防備を固めていさえすれば、容易に米壕に負けることもなく常に優位に戦えただろうということは地図を見れば分かる。
南洋諸島は浮沈空母だらけであり、ここを強固な要塞島としておけばである。ああ無念なり、当初の陸軍の戦略の方が海軍が行った戦法よりも遥かに的を得たものであり現実的に勝利への道でもあった。
そして茂木さんが最後言ったのは↓
『反省と言うのは“すみません”と言うのはもう一度謝っているだけで、毎年負け続けているだけのことだ。謝ることではなく、どうやったら勝てたのか?と、考えることである』
詳しくは以下のチャネル桜『報道ワイド日本』を見ていただけば分かる。
【茂木弘道】「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?
http://www.youtube.com/watch?v=LdkEdHzvKCc
地球史探訪:「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか?
http://archive.mag2.com/0000000699/20100207080000000.html
↑国際派日本人養成講座:伊勢雅臣氏が解説されている。これを読めば日本人なら「目から鱗が落ちる」こと間違いない。是非、必読あれ! -
2010年2月3日、8:47:46
タポチョ山より北(バンザイクリフ)方向を写す
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サイパン玉砕と「戦陣訓」に思う
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず、死して罪禍(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」
「戦陣訓」は、上記の一節が軍人・民間人とわずに戦時中の日本人の「無駄死・犬死」に繋がったかのように非難の象徴ともなっているが、私は「戦陣訓」は上記の一節を含め日本人として肝に銘じる内容だと思っている。
戦後に生まれ今を能天気に生きる私に、残念ながらその実践は不可能だが、当時、それを成した日本人は軍人・民間人問わず偉かった。ただただ彼らの崇高なる行為に万感の敬意を表す。
当時を想像すれば、当然だが今とは違う世界があり日本があった。
世界人口の40%である白人列強が世界を牛耳り、60%の有色人種国家の大部分は白人列強の植民地国家として搾取され続けていた。それが世界の道理であり、日本以外の有色人種国家は、その世界の体制が転覆できるなど夢想だにしなかっただろう。
生まれた時からそうであり、大人になってもそうであり、過去もそうであったなら・・・民族自立・独立国家への道など考えようもない。そんな時代に、日本は明治維新を経て白人列強国家に割り込むように台頭して来た。そして白人相手に人種差別撤廃を訴えた。
その現実を想像すれば、大東亜戦争に繋がる運命は世界の歴史の宿命の如く、避ける事が出来ない必然だったろう。そして、日本人はその白人列強相手に立ち上がった。米英蘭豪などの連合国を相手に怯むことなく戦端を開いた。
確かに戦争は「精神主義」だけでは勝利は覚束無い。そんなことは当時の日本人の誰もが我々以上に知っていて当然だ。何故なら、彼等は戦争を行う当事者達だからだ。当事者と戦後に生まれた者との間には、想像を絶する意識の乖離があると思う。何故なら戦争には言葉で言い尽くせない凄惨な現実があるからだ。
子供でも大人でも、ちょっとした想像力を働かせれば、大東亜戦争が如何なる戦いだったのか?その物凄さに驚愕するはずだ。一体全体、日本は白人列強の何ヶ国相手に戦いを臨んだのか?
ドイツ・イタリアとの三国同盟は何ら日本に大きな助けをもたらさなかったのは事実だろう。そして日本もそんなものを頼りに火蓋を切ったのではない。一体先人達は、どれくらい大きな事を成し遂げたのか?成し遂げようとしたのか?
今の愚かな日本人には想像力も英知もなく、ただ敗戦を恨み自虐史観に埋没し、先人を敬うことなく己が醜い身勝手な主張を述べているだけだ。
そんな空前絶後の戦いに望んで「戦陣訓」は自分の行動を自ら律し、心を奮い立たせる糧でもあり、その当時の軍人・国民・ようするに大多数の日本人がそれを素直に当然のこととして受け入れた。私はそう信じている。
そして、それをサイパンでもテニアンでも、その他全ての戦場で実践した。これほど立派なことはない。サイパンの邦人たちの死も、「自殺」などと矮小化し、犬死にかのように今の日本人は言う者がいるが、「戦陣訓」を実践した自決であり戦死である。
いずれ日本が再生する時は、彼らの死は誇り有る行為として評価され、度々の苦難を乗り越えたどんな時代のご先祖にも優るとも劣らない高貴な日本人としての評価が定着するはずだ。そして未来永劫日本人の宝としてその精神は受け継がれて行く。
百年・二百年後の世界史で、日本が白人たちと戦った第二次世界大戦は有色人種の金字塔として世界を変えた。くだらぬ近隣三ヶ国は除いても、誰しもが評価せざるを得ない。そんな燦然と輝く世界史の一頁になることを確信している。
「戦陣訓」
http://www.cebc.jp/data/law/jp/senzen/senjin.htm -
2010年2月3日、8:13:30
ハファダイ・ビーチ・ホテル
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2009.平成21年11月18日(水)
■サイパンへ行く
来年は、我が家に行事があり例年の5月頃の一人旅は難しいので、2月か3月頃にサイパンの戦跡を訪ねる旅にした。
短期間の旅で費用も掛からず・・・と言うのが一番の選択の理由だ。「サイパン島の玉砕」と漠然と知っていたが、ちょっと調べて見ただけでも、いつものように知らない事ばかりだった。
関係する本を地元の図書館の検索サイトで調べて、「サイパン肉弾戦」「南の島の悲劇」「語りつごう:アジア・太平洋戦争」を電話で頼んだ。その時、電話口の男性に「語りつごう・・と言うのは児童図書ですが・・・」と言われたが、それも借りたいと頼んだ。
案の定「語りつごう:アジア・太平洋戦争」という子供向けの本の内容は酷かった。
以下要約抜粋↓
『日本の軍隊の新兵を人間扱いしないしごきは、兵士を凶暴に育てて、その不満と凶暴性を敵に向けさせるのだ』
『こうして育てられた日本軍の兵隊は、世界最強の軍隊を作り上げましたが、同時に「南京の虐殺」のようなむごいことも平気でやれる軍隊にもしたのだ、と北村がわかったのは、戦争が終わって故郷へ帰り、労働組合の運動をするようになってからのことでした』
上記の一文が、この本の最後の二行として締めくくられている。
こんな内容の本が戦後50年経った1995年/平成7年に6名の編集者によって児童書として発行されている。南京のことについても新たな事実が次々と証明されているにも係わらず、それを無視しての一方的な内容には愕然とする。
それに「労働組合の活動をするようになってから・・・」という一文に唖然とするしかない。子供に労働組合こそが正義の味方であるかのような文言に、今の子供への教育が如何に歪んでいるかが分かる。
国土を削られ国民多数が犠牲になっても国は滅びないが、精神の崩壊は国を滅ぼすと言うのが良く分かる。一体今の日本人はどこまで先人を蔑み、日本悪しを子供に植え付けることを是としているのか、異常としか言いようが無い。 -
2010年2月3日、8:51:26
タポチョ山山頂に展示されている大場榮大尉以下47人の投降時の写真(昭和20年12月1日)
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2009.平成21年11月27日(金)
■ツアーを申込む
【アシアナ航空で行くお得なサイパン4日間♪♪】
★ハファダイビーチホテル●本館眺望指定なし▼送迎/シャトルバス乗り放題券付
サイパンなら安いだろうと思っていたが、中国旅行に比べると断然?高い。
日時を自由に選べるので一番安い時を選択して電話したが、「¥40,500円」は二人一組の価格で、一人なら¥61,100円、延泊1日¥14,000円で計75,100円。
その他、空港利用税:関空¥2,650円、サイパン¥1,000円、燃油サーチャージ ¥4,000。総計¥82,750円也
その他、サイパン周遊とテニアン一日観光、そしてレンタカーを1日借りたら・・・。
一体総額幾らになるのか? -
2010年2月3日、10:55:52
今のサイパンは中国・韓国人の進出が凄い
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サイパンからグアムに移駐して、敵前逃亡をした卑怯者「横田正平」の書
2009.平成21年11月27日(金)
■一円の中古本
サイパンに関しての本を探していて「玉砕しなかった兵士の手記」というタイトルの本がアマゾンの中古書で「一円」とあった。送料¥340円で計¥341円で買った。
送られて来た本は定価¥1800円で帯も付いた立派な本である。新品は¥2,548円と言う値段もついていたりするが、何故?中古書は¥1円、その理由がすぐに分かった。
この著者:「横田正平」は全員突撃の前に米軍に投降した卑怯者であり、戦後、朝日新聞で支局長を歴任した人物だった。まだ最後まで読んでいないが、反軍反戦の名の下に世間で評価され大きな顔して生きてきたのだ。
その本が1円で恥ずかしくもなく売られている。これは日本の再生への兆しなのか?それとも他に意味があるのか?卑怯者として歴史に断罪されることを祈る。
まだ半分しか読んでいないが・・・。これが売国新聞:戦後の朝日新聞の実態だろう。
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2009.平成21年11月29日(日)
■一円の中古本:No2
全員突撃の前日、敵前逃亡し米軍に投降した卑怯者の手記を読み終えた。
この横田正平なる人物は、手記を家族にも見せず隠していたそうだ。亡くなる数ヶ月前に家族が書斎で見つけたのがこの本になった。彼は、「敵前逃亡」と言う行為を「純粋なもの、良心に恥じないもの」と言いながら・・・。
日本に帰還後も戦争の事は触れず話さず死に至った。そして、この手記も自分の行為を正当化する為に日本軍の愚かさ、上官の無能をつぶさに書き記している。横田兵長(上智大学新聞科卒)は逃亡に辺り、仲間を募った。自分と同じ大学卒のインテリで星野上等兵(大阪外大)である。
星野は逃亡に成功し捕虜になったあと、横田を敬遠し自らの卑怯な振る舞いに自責の念を募らせたようだ。しかし、横田はその手記の中に自責の念もなく、艱難辛苦を共にした戦友や上官の玉砕死のことには触れていない。
こんな卑怯者の本がこのように堂々と世に出て良いのか?
本人は社会から、どう思われても仕方がないが、この手記には逃亡兵である横田に散々無能呼ばわりされる上官が沢山登場する。実名であるならこんなことが許されるのか?
敵前逃亡の卑怯者に一言の反論も出来ず、戦死した上官、兵士の方々、そしてご遺族のお気持ちは心中察するにあまりある。仮名とは書いていない。
1988年に発行されている。彼が73歳で病没した二年後、昭和60年のことだ。誰がこんな手記を世に送り出したのか?横田は自業自得だが横田の一族、先祖も子孫もこれほどの痛恨の極みはないだろう。
横田が私の親族で無かったのが幸いだ。 -
2010年2月3日、15:09:40
アスリート飛行場傍に残る戦車のキャタピラ
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2010.平成22年1月7日(木)
■提督「角田覚治の沈黙」横森直行(著)
テニアンで戦死した悲運の猛将の生涯を身近に居た元部下が綴った本だ。横森氏もテニアンで玉砕戦を戦ったが生き延びている。
その中に驚くべき以下の記述があった。
152頁
『サイパン戦で自信を付けた米軍は、グアムとテニアンと同時に攻撃を開始した。テニアン上陸戦の準備は、例によって艦砲射撃と爆撃とを連続し、その抵抗組織を根こそぎ破壊して、サイパン戦よりも迅速かつ容易に占領しようとした。ところが、これに協力した日本陸軍誉四十三師団参謀・平櫛孝少佐がいたとは後に米軍将校から聞いたが、ただ彼が米軍サイパン上陸後、まもなく捕虜となったことは事実で、他の捕虜とは別扱いでピカピカの軍靴をはいていたのを見た目撃者は多くいる。
彼は一時は大本営の報道部員として国民に広く知られた人だけに特別の待遇をされ、米軍情報将校の話題になったことは信じられない事実だ。南洋興発の中島文彦氏の記録によれば、十九年六月八日、平櫛少佐は、誉四十三師団長:斉藤義次中将、備三十一軍参謀長:井桁敬二少将と、サイパンからテニアンに飛来し、玉砕戦の始まる三日前のテニアンの防備を完全に調査している。帝国陸軍にもひどい参謀がいたものだ。』
↑この記述に驚愕した。
平櫛孝元参謀は『サイパン肉弾戦』:玉砕戦から生還した参謀の証言という本の著者であり、その本によれば玉砕戦を最後まで戦い抜き、南雲中将・斉藤中将・井桁少将の三名が十九年七月七日の前日の六日に自決した現場に立ち会っている。
その時の模様も詳細に本に書かれている。そして平櫛参謀自身も翌七日の総攻撃に参加し、敵弾の炸裂により負傷、気が付いた時には米海軍艦艇のベッドであったそうだ。
あまりに違うこの双方の記述は驚きであり、一体真実はどうなのか?ネットで検索しても今のところ分からない。
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2010年2月5日、8:57:32
セスナから写したテニアン
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2010.平成22年1月13日(水)
■「悲惨・テニアン島」伊藤孝治(著)
今日この本を読み終えた。
このテニアンも玉砕と言われていているが多くの兵士が生き延び戦争終結以後に洞窟から出て来て生還を果たしている。
この伊藤氏(本文中では村上)も関東軍の精鋭師団(第29師団)から満期除隊の11日前に南方行きの編成に加わった。そして昭和19年2月19日に満洲の遼陽を出発し、宇品を経由してグアム島を経てサイパンに着いたのは3月5日、その数日後にテニアンに上陸している。
それから米軍のサイパン上陸が6月15日で、サイパン玉砕七月七〜九日。そしてその後にテニアンへの米軍上陸が七月24日、玉砕8月3日頃。関東軍が上陸後3〜4ヶ月で米軍の上陸となる。
その間に、どれだけの準備が可能だったのか?あまりの準備不足に言葉も無い。マリアナ諸島が日本の生命線であるなら、何故もっと当初から堅固な要塞を築き兵を集め防衛強化を図らなかったのか・・・。
やはり南に伸ばしすぎた戦線拡大が敗因の最大の原因だと思う。十分に満を持し迎え撃つ体制をとれていた。攻撃は最大の防禦だが、あまりに間延びしては元も子もない。
満洲から転戦してきた精鋭部隊もほとんど米軍上陸部隊と交戦も叶わないまま敗残兵の如く落ち延びるしかない。村上兵長もそんな境遇の中、投降もせず准尉の下でまとまり本隊の玉砕後も洞窟で一年以上も生活した。
その間、何度も米軍の攻撃を受け洞窟の中に手榴弾を投げ込まれたり、重油を注がれ火を点けられたり、ガス攻撃を受けたり、洞窟出口で執拗に待ち伏せをされ仲間を何人も失いながら、諦めず生き抜いた。そして最後には食糧逼迫し投降を決意し、准尉を先頭に白旗を掲げ出て行った。
米軍に収容されたその日は昭和20年8月18日だったそうだ。その時も彼らのグループの内、投降を拒否した二人が洞窟に残っている。その他も彼方此方でまだ生き延びている日本軍兵士がいたようだ。
サイパン・テニアン・グアム玉砕というのは知っていたが、こんなにも多くの日本軍兵士が玉砕とされて以降も当地で生き残っていたことは知らなかった。グアムで横井さんが終戦27年後の1972年に日本帰国したのも頷ける。
どこかしこでも多くの日本軍兵士は生き延びていた。あんな小さなテニアン島でさえも・・・沢山のグループが洞窟に潜んで生きていた。
この本はその洞窟での生活模様が詳しく書かれているので当時の状況が良く分かった。在留邦人との共生も書かれてある。究極のサバイバル生活だが、見事なまでに統率がとれ協力し合って生きている。これも日本人の美徳と誇れる。兵士はそのほとんどが20代である。
「日本軍兵士良く戦えり」
その敢闘精神は子々孫々に勇気と誇りを与えてくれる。感謝しかしない。 -
2010年2月3日、16:03:20
アギガン岬にて
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2010.平成22年1月16日(土)
■サイパン玉砕
「サイパン特派員の見た玉砕島」高橋義樹(著)を読んだが、昭和19年3月ころでもまだサイパンはのんびりしていた。笑い話のような話がゴロゴロしている。
日露戦争時代の砲台砲があり、急遽作った飛行場も使い物にならないものだったり・・・と。島内の要塞化などほど遠くである。その三ヵ月後に米軍は上陸し玉砕する。
知れば知るほど海軍の無策が分かる。そして陸海軍との連係の悪さは同じ国の軍隊とは思えない。別々の軍隊が違う目的と意識、情報によってなどでは、米軍とまともに戦える訳がない。
戦略戦術によっては、本当は十分に勝てる、いやあんなに簡単に負けるはずがない日本帝国陸海軍の中味があったのに。残念無念なり。 -
2010年2月5日、16:34:54
アスリート飛行場からタポチョ山を写す
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2010.平成22年1月29日(金)
■サイパンへの旅を前にして思うこと
タッポーチョ「敵ながら天晴れ」大場隊の勇戦512日:ドン・ジョーンズ(著)
サイパンで戦った米軍海兵隊員だった方が書いた本が日本で翻訳されている。タッポーチョというのはサイパン島の最高峰(473m)の山の名前だ。
大場榮大尉は昭和19年7月7日の万歳突撃の後も生き延び、戦友と共にタッポーチョ山周辺を根城に米軍の掃戦から逃れ、時には戦い昭和20年12月1日までサイパンで同士47人と共に帝国軍人として生き抜いた。
最後も天羽少将の命令書によって山を降りることを決意し、彼らの戦いの幕は終戦の三ヵ月半後にやっと終わりを告げた。日章旗を掲げ、身だしなみを整え「歩兵の本領」を歌いながら行進し、米軍兵士の居並ぶ所に向ったそうだ。
元海兵隊兵士の著者である「ドン・ジョーンズ」の、以下↓のあとがきは日本人として大いに考えさせる一文である。
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『私は今日の日本で、1945年(昭和20年)以降に生れた人たちの間では、日本にあった戦争についてあまりにも知られていないことが残念で、この本を書きました。
これを書く前に、私は、そういう年代の人たちに、戦争についてどういうことか知ってるか尋ねて、個人的に調べてみました。ほとんどの人たちは、私は何も知らないとか、日本が敗けたことを知っているというだけでした。もっと重要なことは、多くの人たちの間に、戦争のことを言うのに恥じる感覚があるということでした。
そして、その恥の感覚は、事実に基づいたものではなく、知識の欠如に基づいたものでした。
この人たちは、自分たちの父や祖父や叔父たちが、自分たちの国を守るために戦った精神について、何も知りませんでした。もっと驚いたことは、その人がしたことになんの尊敬の念も払っていないことです。
私は、このことをとても残念に思います。日本の兵隊は、よく戦ったのです。彼らは、世界の戦士たちの中でも、最も優れた戦士たちでした。彼らは、自分たちの国のために生命を捨てることを恐れませんでした。私は、そのことを、こういう兵士たちと三年戦いましたから、よく知っています。
しかしこの本は戦争の物語ではありません。日本とアメリカとの双方で、多くの人たちは自分が作ったわけでもない恐ろしい状況に、どのように反応したか、と言うことを書いた物語です。双方の人たちは、それぞれ信じていたことをしたのです。
私はここで、一人の日本の兵士のことを書きました。大場大尉は、どんな国でも誇りに思うに違いない人です。しかし、彼は、そういう大勢の人たちの一人に過ぎません。
この小説が、ほかの作家たちがほかのヒーローの物語を書くのを刺激することになるのが、私の望みです。そうなれば、事実によって、現在の知識の真空状態は埋められることになるでしょう。また、先述の恥じる感覚は誇りに変わるでしょう。
そして、それは、日本の歴史のこれまで書かれていないページを埋めることになるでしょう。そして、それらのページは、今日の若い日本の人たちにとってだけでなく、その人たちの子供や孫にとっても、誇りの源泉になるでしょう。
それが、私がもっとも強く持っている願いです。
1982年11月 ドン・ジョーンズ』
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敵ながら良くぞ書いて下さったと感謝しかない。
彼が言うように大場大尉はあの戦争を通じて輩出された大勢のヒーローの一人にしか過ぎない。日本は先の大戦において世界中で誇れる英雄を無尽蔵とも言えるくらい生み出したと私は思っている。
到底、今の日本人にも将来の日本人にも覚束無い立派な日本人が、その一時期に山ほど存在したのは確かだ。テニアンにも同じような物語がある。サイパンでもまだまだ沢山の事実として英雄が存在した。戦場の至るところ全てにある。
私に言わせれば、先の大戦は東洋の小さな島国、有色人種国家の日本が、白人列強相手に一対多数で戦ったのだ。世界史上未曾有とも言える戦いである。大儀の下に・・・。それは、白人からの独立でもあった。
残念ながら日本が戦いに敗れ、未だ世界は白人国家が席巻するといっても過言ではないかも知れないが、あの戦いが無ければと思うと、誰しも今とは違った状況を想像することくらい出来るだろう。
我大東亜戦争を賛美して止まない。良くぞ戦ってくれた。戦後に生き延びて反戦反軍を語る元兵士は卑怯者であり日本人の恥さらしだ。戦後生まれで、先の戦争と大日本帝国を非難する日本人は性根の腐った日本人だ。
今の国家でも日本社会でも拉致被害者のことを忘れたかのように放置している。そんな卑怯者で性根の腐っているのが今の日本人であり、日本国であるのは間違いない。みんな腐ってしまった。生活保護を弱者の権利とばかりに思うくらい・・・恥を無くした。つまらん。 -
マッピ山
スーサイドクリフ
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2010.平成22年1月31日(日)
■未だ準備不足のまま
サイパン・テニアンの旅、正味三日間だが、決まっているのはテニアン日帰りの旅だけだ。初日は、私が行きたいオプショナルツアーは2名に満たず成立しない。二人分の費用を出せば良いけれど・・・。
タポチョ山の山頂にはどうしても登りたい。行って見ないと分からないから、行ってから決める。天気も分からないし。
「Mt.Takpochao」は「タポチョ山」「タッポーチョ山」「タッポチョ山」などなど様々に書かれているが、今のガイドブックなどはタポチョ山と書かれているので、今の所、そう書くとする。現地の人がどんな発音で話すのかを聞いてみたい・・・。
又動画を撮ろう、自作自演の映画のつもりで語りを入れて・・・。でも、その準備も出来ぬままぶっつけ本番で。今一集中力なし。
サイパン・テニアンはペリリューなどと比べても準備不足のまま米軍上陸を迎えてしまった。日本は先にパラオ・フィリピン方面に米軍が来ると想定していたから・・・。関東軍精鋭たちの悔しさを思う。
何が何だか分からぬ内に、戦闘が始まり、何も出来ないまま押されに押されて突撃を繰り返し指揮官・上官・戦友たちを失った。そして随所で、バラバラの兵士たちが孤立し取り残された。それでも大方は投降せず過酷な戦場で生き抜いた。
良くぞ戦い抜いた。帝国陸海軍兵士たち、子々孫々未来永劫の誇りなり。万感の敬意を表す。 -
2010年2月4日、9:42:14
ラスト・コマンド・ポストにある日本政府建立の慰霊碑
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2010.平成22年2月1日(月)
■明日の夕刻サイパンへ出発
今回の旅は諸般の事情により集中力に欠け、そのための準備不足で、とりあえず行くという旅になった。
でもそれでもしぶとい私は、やはり「タポチョ山」と「戦跡案内」のオプショナルツアーに二人分の料金を払って申し込んだ。まあ、ツアーが成立したことによって、急遽私以外の一人の参加者が出れば、半額になる期待を持って・・・。
自分のケチ臭さがしみじみ分かる・・・けど、最後は一人でも申し込んだ。次回行くこともないだろうし、二人分といっても3時間:半日コースが二つで、1万円が2万円になる程度のものだけど(泣)これでもギリギリまで申し込めない貧乏人根性の情けなさか。
日本では明日、真の日本人足らんとする者達が日本再建の為に東京の日比谷公園に集う大イベントが開催される。
「頑張れ日本!全国行動委員会」
その場に集った多くの日本人と一緒に「天皇陛下万歳!」を唱和したかった。きっと胸が一杯になる・・・今、思うだけでもそうだから。
平成の「草莽堀起」:そんな歴史的な日に立ち会いたかった・・・が。
あの腐った鳩山は「いのちを守る」と、散々喚いたそうだが、「いのちより大切な物を、我が命に代えても守る」のが日本人の真骨頂だ。
命・命・と命を強調すればするほど、命を守る為には何をしても許されると言う恥を知らぬ性根が幅を利かせ、道徳や道義は霧散する。
あんな奴が首相とは、ホンマ醜い日本と日本人になったものだ。
命が大切なのではない、命より大切なものが日本人には山ほどあるはずだ。その第一は「恥」だ。「恥を知る」心だ。それが無い奴の命など、世に害毒をもたらすだけだ。恥を知れ! -
2010年2月4日、15:07:50
日本時代の病院跡(北マリアナ博物館)の展示品
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旅を前に読んだ本
■以下の本を読み、ネットでその他の情報を得た。
「サイパン肉弾戦」平櫛孝(著)
「南の島の悲劇」石上正夫(著)
「語りつごう:アジア・太平洋戦争」
「サイパン特派員の見た玉砕島」高橋義樹(著)
「悲惨・テニアン島」伊藤孝治(著)
提督「角田覚治の沈黙」横森直行(著)
タッポーチョ「敵ながら天晴れ」大場隊の勇戦512日:ドン・ジョーンズ(著)
「玉砕しなかった兵士の手記」横田正平
「サイパン戦車戦」下田四郎(著)
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