2010/02/02 - 2010/02/06
2179位(同エリア3482件中)
明石DSさん
8:06:16
4階エレベーターホールから見えるタポチョ山。
終始どこにいてもタポチョ山が気になった
私にとってサイパン戦とタポチョ山は切り離されない
この山の山頂から見れば島の全てが見渡され
刻一刻と陣地を前進させる米軍の動きも手に取るように分かる
何が見えていたのか、想像するだけで身体に力が入る
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4日目:テニアン島へ行く(午前の部)
2月5日(金)晴れ
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2010.平成22年2月5日(金)
■テニアン島へ行く朝
今日も良い天気のようだった。来る前に日本でサイパンの天気予報をネットで見た時は、4日は雨になったていたが3日,4日,5日と晴天続きで雨に降られたことは一度も無かった。そして風もなく晴天が続くこれ以上ない旅日和に恵まれ最高だった。
ホテル一階集合は8時15分、迎えに来たマイクロバスにはすでに家族連れが乗っていた。6歳と3歳の長男長女と若い夫婦の四人連れだった。Mさん(仮名)家族である。
Mさん(ご主人)のお祖父さんがこテニアン島で学校の先生をしていて、家族でテニアンに赴任されていたそうだ。そして戦局が逼迫し家族は内地に送還された。その時Mさんのお父さんは、まだ3歳くらいの時でテニアンのことはあまり記憶にないそうだ。
そしてMさんのお祖父さんは、日本軍と共に現地に残りテニアン玉砕戦の中で亡くなった。その慰霊に今回家族を伴い来られていた。この四人家族と途中又二組の夫婦?を乗せ、計9名でアスリート飛行場に向った。
サイパン国際空港とは少し違う場所に国内線の乗り場があった。
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8:18:06
ビーチロードを空港へ向う
今日も快晴だった、バンザイ!
戦跡巡りで雨に困ったことは思い出さない
いつも見えざる力を感じながらの旅になる -
8:33:02
前方がアスリート飛行場
セスナが離発着するほうの飛行場
テニアン島:100平方キロメートル:伊豆大島とほぼ同じ
サイパン島⇔5km⇔テニアン島 -
8:44:20
このセスナに乗ってテニアンに、操縦士は日本人
元航空学生・航空自衛隊のパイロットの方でした
今後のご活躍を祈ります!
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■テニアンに発つ
小さなセスナ機が何機も駐機してあった。申し込むときに体重を聞かれたが重量制限があるのだろう。9人が二機に別れて乗った。私は四人家族と一緒に先の便だった。
最後部座席に私ともう一人(空港で出会ったテニアン行きの客)が座り、前に奥さんと子供二人、そして操縦席の横の座席にMさんが坐った。パイロットを含め大人5名、子供二人、計7名の搭乗である。
そしてパイロットは意外にも日本人の男性パイロットだった。まだ30代後半か40代初めくらいの若い方である。実はこのパイロットは元航空自衛隊の方だった。
テニアン到着後に彼と少し話しをしたのだが、航空学生として入隊し戦闘機乗りの操縦士になったのに、何を思ってか「大学に行きます」と言って自衛隊を辞めたそうだ。
私が「その後、後悔はしなかったですか・・・」と聞いたら「凄く後悔しました。若気の至りで、もう一度大学に行ってなどと思ったけど、卒業後営業マンをしたりしながら、もう一度、航空自衛隊に戻りたいと思って上官に頼んだら、“いつでも戻って来い、でも学科試験に合格しないと戻せないよ”と言われて、試験に挑戦しましたが合格は無理でした」
そして今、このサイパン⇔テニアンのセスナ機のパイロットとして空を飛んでいるようだ。元自衛官と聞いて、私も二男が自衛官として北海道に駐屯していると言ったら、彼は「そうですか、私も北海道で、名寄です」と言っていた。
私はイラクPKOの自衛隊の日の丸の付いた帽子を被っているし、昔の上官に似ていると言われて彼に親近感を覚えた。最後は挙手の礼で見送ってくれた。好感の持てる人だった、彼の今後の活躍と成功を祈る。
聞けば、このセスナは40年前の飛行機だそうだ。エンジンは常にメンテナンスをしているそうだが耐用年数もなかなかのものだ。飛行機は車より速い速度?で加速しあっけなく飛び上がった。
そしてサイパン海峡をあっけなく飛び越え、平らな台地広がるテニアンに着陸した。正味10分足らずのフライトだ。 -
8:45:28
これならちょっと練習すれば飛べそうに思うけど
でも、そんな簡単ではないのでしょうね
これで空中戦は出来るのか?
乗れるものなら零戦に乗って見たいなあ
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アスリート飛行場から飛び立つ
http://www.youtube.com/watch?v=TPynpdyOaY4&feature=player_embedded
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離陸しテニアンへ
http://www.youtube.com/watch?v=GvualN1_9SU&feature=player_embedded -
8:56:48
飛び上がればすぐそこにテニアン島が
上から見れば平な島のように見えますが
陸に降り立てば結構起伏もありそうでした
ラッソー山やカロリナス台地があるし -
8:58:22
テニアン空港見ゆ!
とうとうやって来たぞ、テニアンへ
ちょっとあっけないですが
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テニアンに着陸
http://www.youtube.com/watch?v=twJw_oK0mKk&feature=player_embedded -
9:03:38
かっこいいYさん(仮名)
別れの際は挙手の礼で送って頂きました -
9:10:26
テニアン空港
テニアンはサイパンと随分雰囲気は違った
田舎だった -
9:34:42
古代チャモロ王朝のプライベートビーチ。ふ〜ん。
ゴート・アイランド(山羊島=アギグアン=アグイガン)が見える
東西約5km:南北約2.5km、島の周囲はすべて断崖絶壁
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■テニアン島巡りツアー
テニアン空港からダイナスティー・ホテルに向った。そこで一旦全員車を降りて、再度ここからのテニアン島巡りツアーの集合時間を言われた。ホテル到着後しばらく時間があったので、それまで歩いてすぐのタガ・ビーチに行った。
行く途中、韓国人経営のようなレンタ・バイクの店があったので、後から借りようと思って値段等を聞いた。タガ・ビーチの海の色も美しいが、見慣れるとここではそれが当たり前になってくる。
南方向にアグイガン島(Aguijan・Island)が見える。Web頁参照↓
テニアン島他の作戦
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi1/sensi-tyubu24.html
『昭和19年4月21日 歩兵第50聯隊第2中隊の山田少尉の指揮する約40名が派遣されていた。艦砲射撃によって若干の死傷者をだしたが、主として夜間耕作によって芋を栽培、これを主食にして終戦に至った。終戦時の兵力は隊長以下60名で、テニアンからの脱出者、補給要員等で20名増加していた。』
今は無人島だが沖縄人が持ち込んだヤギが繁殖し山羊島と呼ばれているそうだ。現地の人はゴート・アイランド(Goat・Island)と呼んでいる。山羊(ヤギ)島なのだ。
出発の時間になったのでホテルに戻った。結局私と一緒にテニアン島を巡るツアーに参加するのは、Mさん家族だけだった。他の四人はカジノでもするのだろうか?それともマリンスポーツなのか?別行動だった。
空港に迎えに来てくれて今日、テニアン島を案内してくれるのは、ガイドブック(地球の歩き方)にも掲載されている「アイランド・ガーデン・レストラン」のオーナーでもある岩下さんだった。みんなから“ガンちゃん”と呼ばれているそうだ。
そのガンちゃんの案内で、まずさっき行った「タガ・ビーチ」に出向いた。“ガンちゃん”に教えてもらって、そこに巨石遺跡の採掘跡があるのが分かった。約3500年前にこの固いサンゴ礁をくり抜き巨石遺跡として今に残っている。
一体どうやってくり抜いたのか?どうやって運び積み上げたのか?何の為に?不思議としか言いようが無い。
テニアンのブロード・ウェイを北に向った。テニアンが米国のマンハッタンに似ているということでこの通りの名前がついたとのこと。まあ何でも構わないが。左右に街らしき景色の無いテニアン島の一本道を走る。
最初に見たのは車窓から日本海軍の通信基地跡だった。北に向って右手にあった。 -
9:42:50
テニアン⇔9km⇔アギグアン島(山羊島)
この島にも191戸:356人ほどの沖縄出身者、朝鮮人が耕作をしていた。
昭和19年4月21日:歩兵第五十連隊第二中隊
山田金一少尉以下約40名が派遣されている -
10:05:58
タガビーチに残る巨石遺跡の採掘跡
どうやってくり抜いたのか?ホント古代人の英知を思う
削り取られた大きな穴がいくつかあった
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タガ・ビーチにて
http://www.youtube.com/watch?v=sJIsdz8yXhc&feature=player_embedded -
10:14:50
テニアンのブロードウェイを北進する
牛の放牧中の牧場があった
日本統治時代、テニアン島は見渡す限りサトウキビの葉並みに埋まり
それは地平線の彼方まで続いていた・・・そうだ。 -
10:19:00
海軍の通信所跡:車窓から写す -
10:25:24
道路沿いにも鳥居があるが
この鳥居は参道を本殿に向う途中の第二?の鳥居。
そしてこの二の鳥居の奥に社殿の跡もあるようだ。
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■日の出神社(NKK神社)
次に見たのは、NKK神社、日本時代「日の出神社」と呼ばれていたそうだ。NKKとは南洋興発株式会社の頭文字らしい。ツアーの案内書には、ここも車窓からの見学だったが、“ガンちゃん”が車を奥の鳥居の傍に停めてくれた。
この鳥居の更に奥まった所に社殿の跡だろう遺跡があるようだが、それは帰国後、以下のWeb頁で見て分かった。その時は、雑草も生い茂り行かなかったことが悔やまれる。残念だった。
荘日記
http://blog.goo.ne.jp/duetrio/e/a1feb756659798d4d94e0b5208b62279
鳥居の近くに当時テニアンで活躍していた鉄道のレールが成長した樹木に押し上げられていた。このテニアンもサトウキビ畑が広がり、鉄道が走り小さい島ながら活気に溢れた時代があったことを偲ばせる。
そこからすぐの所にブロードウェイが突き当たる場所に、ガイドブックに日の出神社と書かれている史跡がある。ロータリーになっていてその中央に神社の跡のようなものがあるが、これは戦後、日本人の慰霊のためにアメリカが建てた物だと“ガンちゃん”は教えてくれたが、荘日記には現地の人(チャモロ人)が建ててくれたものだと書いてある。
いずれにせよ今は建物は倒壊して、基礎の石組みや石灯籠しか残っていない。戦後の日本政府・日本国民の身勝手さを思う。未だ戦場だった多くの地域に英霊の方々の遺骨が眠り、日本時代の痕跡も風化の一途を辿っている。
国の為に戦い散って行った同胞の霊を弔い、最大限の誠を尽くすのが後に続く者の使命だ。子々孫々に先人たちの功績を伝える為にも、出来る限りその痕跡を残して行かねばならない。歴史の事実として。 -
10:27:08
サトウキビ列車のレールが
樹木の幹に挟まれて持ち上げられている
66年間の仕業なり -
10:28:26
これがテニアン唐辛子
日本にある唐辛子より百倍辛いそうだ
恐くてかじることも出来ず -
10:31:56
ブロードウェイ終点のロータリーに作られた
テニアン戦歿日本人を慰霊する神社?跡
戦後作られたものだそうです。
米軍が作った?現地の方が作ったのか?
“ガンちゃん”の説明では米軍とのことです。 -
10:40:26
テニアンにもこんな光景があったのか・・・。
この石灰棚を見て、すぐトルコで見たバムッカレを思い出した
色こそ違え良く似た光景だ
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■潮吹き海岸
この一帯の海岸は石灰岩の海岸で、何百万年昔はサンゴ礁だったところだそうだ。この石灰岩の棚状の景色を見て、すぐにトルコのパムッカレ:石灰棚の風景を思い出した。色や規模は違うが、同じ石灰棚だからこそ似たような景観になっているのだろう。
その石灰棚に穴が開いており、そこに下から波が打ち寄せれば、その穴から噴水のように海水が吹き上がる。この海岸からすぐ近くにサイパン島が見える。タポチョ山が聳えている。サイパンに米軍上陸時、このテニアンの日本軍兵士たちはどんな思いでサイパン島での攻防を見ていたのだろう。 -
10:43:16
潮吹き海岸からサイパン島を写す
タポチョ山が聳えている -
10:46:28
“ガンちゃん”の案内、この車で周遊しました。
ツアー客は祖父の慰霊のご家族四人と私です。
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潮吹き海岸にて
http://www.youtube.com/watch?v=CkS2m5lRSfk&feature=player_embedded -
10:50:26
日本時代:ハゴイの第一飛行場
昭和19年4月20日当時でもこの飛行場には
一式陸攻・零戦・彗星艦爆などが群れをなし、一大航空艦隊の観があった
それが何処に消えたのか?三ヵ月後には跡形もなくとは無念なり
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■エイブル滑走路、原爆搭載地点へ
ブロードウェイを走ってきたが途中、牛が放牧されている牧場のような場所はあった以外は、左右の風景は人の生活の場も感じないジャングルの中を切り開いた道路をひた走っている感じだった。
そんな中に滑走路が突然姿を現した。しかし飛行機なく、その他の建物も見当たらず舗装された幅広く長い直線の空間がそこにあった。当時はこのハゴイ地区のこの場所には、第一飛行場と第四飛行場があったようだ。
今はこの場所に四本の滑走路が残っている。そして、この地から広島・長崎に落とされた原爆搭載のB29が飛び立った。今もアメリカ軍が演習地として滑走路を使っているそうだが、その雰囲気はまったく感じず。人の気配も現役飛行場の面影もなかった。
“ガンちゃん”の説明は↓
『1945年8月6日、午前0時34分、ここから三機のB29が飛び立ちました。これは偵察機で新潟・小倉・広島へと。当地の天気を見る為に。その一時間後、エイブル滑走路からエノラゲイは飛び立った。原爆が4トンあり重量オーバーしているから滑走路ギリギリで離陸した。
ここから広島まで7時間掛かりました。広島上空に着いたのが8時15分です。9千メートル上空で原爆のスイッチを入れ、地上から600mの地点で爆発するようにセットしました。600m上空で破裂した時は、太陽と同じくらいのエネルギーがあり100万度の高温になります。
しかし、地表までの600m落ちる間に4000度くらいまで冷えました。それでも真下に居た人間は何にも残らなかったそうです。一瞬で蒸発してしまいます。それほど、原爆は強力です。そして今はこの4トンの原爆が、今の技術では5キロで同じ破壊力を持つ原爆が出来るそうです。
それで今アメリカが一番恐れているのは、イランや北朝鮮が手にした原爆がテロリストの手に渡ることです。5kならテロリストが身体につけて運べます。
広島の場合は上空600mで爆発したから四日後には地表からほとんど放射能は測定できなかったそうです。しかし、これが5キロでも地表で爆発した場合は最低は五十年は草木も生えない状態になるそうです。量が多ければ百年はそんな状態になるそうです。
だから今アメリカが一番懸念しているのは北朝鮮とイランです。だから今日本が行っている海上自衛隊の給油活動などは、当然、世界的に見ても協力すべきですね。今の民主党、日本政府は海外に出ている我々日本人には凄い恥じですね。
まだ自民党はアメリカや世界各国に協力していたから胸を張れましたけど、今は国際協力も出来ないのかと小さくなっていなければならないです。恥ですね。日本は平和ボケし過ぎてます。』
↑以上、広島への原爆を搭載した場所で、“ガンちゃん”は、熱弁を振るった。その内容は、私も全て同意できる内容に、相槌を打ちながら聞いていた。このテニアンで現実をしっかり把握した愛国者に出会えるとは思ってもいなかったので。
是非!テニアンへ旅した時は、“ガンちゃん”のガイドで周遊してもらいたいと思う。
この原爆搭載場所が、地下に掘られているいるのは、原爆が重くて吊り上げてB29に搭載することが出来ず、地下ピットとして掘り下げて原爆を置き、そこに水を注入し、B29の腹部に浮力を利用して押し上げ取り付けたとのことだった。 -
10:55:36
ウラン原爆:広島
ボイス・レコーダーによる決定的瞬間の記録
http://homepage2.nifty.com/hiroshimaaozora/B29.htm
日本は二度と核攻撃をされない為にも断乎、核武装をすべきだ -
10:56:50
日本への原爆投下は白人の人種差別意識があってこそなされた
日本は原爆投下の実験に利用され、米国は無差別殺戮を行った
その事実は未来永劫消し去ることは出来ず
原爆投下後、米国及び米国民は自らが原爆の被害国になることに
今も哀れなまでに怯え続けている。因果応報である。 -
11:05:32
広島への原爆を搭載した地下ピット
B29:エノラゲイ:リトルボーイ(原爆) -
11:06:24
長崎への原爆(プルトニウム原爆)を搭載した所
B29:ボックスカー:ファットマン(原爆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC
わざわざ別の場所に二ヶ所設けている -
11:06:42
長崎への原爆を搭載した地下ピット
内部の展示物が最近ガラスを割られて盗られたそうだ
今は中に何もない -
11:07:12
長崎の搭載場所から広島搭載場所を写す
今は地下に掘り下げたピットを残すのみ
米国の大いなる負の遺産だ
ここは無差別大量虐殺を実行した証である
そして奴等の性根は大量虐殺を肯定できる性根がある
先住民インディアンを殺し捲ったように、正義感面は笑止千万だ -
11:10:12
兵どもの夢の跡
この不沈空母に第一航空隊の飛行機が居並ぶ時もあった
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■第一航空艦隊司令部跡へ
山口多聞中将と並んで海軍切っての闘将、角田覚冶中将が第一航空艦隊司令長官として、この司令部を使用していた。
この司令部跡を見て、すぐにぺリリュー島に残っている「西カロリン海軍航空隊ペリリュー島司令部跡」の建物と構造が似ていると思った。もしかしたらある程度、同じ設計、仕様で建てられているのかも。
廃墟ながら、その姿を留めている今の様子まで似ていた。サイパン・テニアン・ロタ・グアム・ぺリリュー・アンガウル、これらの島々は不沈空母として、その絶大な力を発揮できるはずの日本軍の航空基地であった筈なのに、本当にもったいないことをしたと思う。
今は、この中に入るのは、コンクリート破片の崩落などがあって危険と言うことで、建前は入れない事になっている。この時は、“ガンちゃん”にも注意されたので、無理にも入る事はしなかったが、午後に一人出来た時は中に入って写真も撮った。 -
11:11:02
戦後65年が経ても尚残る司令部跡
百年後もこの地に残っているのだろうか?
その時、日本と日本人は・・・。 -
11:12:20
横森直行(評)↓
『角田中将はその風貌から豪傑、荒武者の印象を受けるが
やさしさ思いやりのある人であった』 -
8:18:06
バルコニーの有る部屋が角田長官の居室だった
今は米軍が戦後撒いた種、タガンタガン(マメ科の植物)の為に
バルコニーからも滑走路は全く見えない -
11:16:26
車窓から写す
いかにも頑丈そうな防空壕
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■防空壕(Air raid shelters)、航空管制室、トーチカ跡
空襲や艦砲射撃から身を守る退避壕なのだろう。こういった頑丈なコンクリートの防空壕が並んで作られていたようだが、写真などで見ると破壊されている物もある。ここに残っているのは破壊を免れた物だ。
コンクリートの厚みで砲爆撃に耐えるのだろうが、内部から高射機関砲程度の武器は、備え付けられていたのだろうけど、当時、これらがどの程度活用され有効だったのだろう。 -
11:17:42
飛行指揮所
米軍も占領後使用していたそうだ -
11:24:54
トーチカ跡、その姿健在なり
あちこちに戦跡は残る -
11:25:16
このトーチカは
上陸して来た米軍に一矢を報いたのだろうか -
11:26:14
南洋興発技師:中島文彦氏の記録↓
7月24日
『テニアン港正面海岸及びハゴイ西海岸に上陸の両面陽動作戦に出て
午前十時過ぎ、ハゴイ西海岸のハーブイ浜およびチューロ浜に上陸し
所在のわが陸海軍部隊と激戦敢闘を演じたが、ついに橋頭堡を作る』
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■チュル・ビーチ(米軍上陸海岸)へ行く
Web頁参照↓
『この海岸に1944年7月24日、早朝、米軍は第2海兵師団の上陸用舟艇100隻以上を島の南西部、テニアン港前方に一斉に前進させた。しかし、米軍上陸部隊が海岸から200m程に接近した瞬間、一斉に重砲が攻撃を開始。米軍を撃退した。
また、日本軍の海岸砲台は戦艦コロラドに22発の命中弾を与え、駆逐艦ノーマン・スコットも命中弾を浴び、艦長以下多数が死傷した。しかしこれは米軍の陽動作戦であった。
午前7時頃、米軍第4海兵師団はLCVP(ヒギンズ・ボート)、LVT(水陸両用装軌車)からなる上陸用舟艇約150隻で、陽動作戦のため手薄となった北西部のチューロ海岸に上陸した。』
ランディング・ビーチである。海岸には弾痕の跡が痛々しいが、破壊されなかった日本軍のトーチカが残っていた。
そうか、このテニアン北西の海岸に米軍は上陸を敢行した。そして、水際の守備隊は全滅し、残る日本軍はテニアン島南部に転進しカロリナス台地を拠点に反撃を続けた。そして8月2日、3日、まで組織抵抗は続いた。
その後は、残存兵士たちが個別に洞窟を根城に米軍の掃討戦と戦い、或いは遊撃戦を試みながら生き延びた。
この砂浜には「星の砂」が採れるとのことだったが興味なく、私はその浜辺に佇んでいた。米軍の物なのか小さな車輪が一つ海岸に戦いの証を残していた。 -
11:27:26
テニアンの戦い
日本軍:8千5百名
海軍約4千名:陸軍約4千5百名
戦死者 約8100名:生存者 313名
アメリカ軍:約5万4千命
戦死者 389名:戦傷者 1816名 -
11:27:38
チュル浜に残る米軍のものと思われる小さな車輪
砲弾飛び交う修羅場とは
どんな音がし、どんな臭いがしているのだろう
その中を敵味方の兵士がうごめく戦場
その時、兵士の生死は運命なのか -
11:32:02
浜辺に残るトーチカの内部
壁に残る筆跡は見当たらず
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チュル・ビーチ(米軍上陸海岸:ランディングビーチ)
http://www.youtube.com/watch?v=7pVIQh6DDBI&feature=player_embedded -
11:35:30
LVT(水陸両用装軌車)
乗員数 乗員3名+兵員30名
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■LVT(水陸両用装軌車)・サンホセ村・日本人慰霊碑・タガ遺跡
ランディング・ビーチを後にして、途中、アメリカ軍の上陸用舟艇LVTを車窓から見て、サンホセ村に入り日本人慰霊碑に行った。
同行のMさんが用意して来られた線香を出したので、私も線香とビスケットを備え慰霊をした。Mさんに「いつもそうやって線香を用意しておられるのですか?」と聞かれたので、私は、「いつも用意はしてるのですが、こうやってツアー参加の場合は、その時の状況によってやってます」と答えた。
今時の言葉で言えば「KY(空気を読む)」ということなのか、ホントはどんな状況でも堂々と線香を出し、慰霊をすればいいのだろうけど、そうもいかない。今日のように少数のツアーで、線香仲間が居る時は私も同様に慰霊が出来るが、雰囲気的にしにくい時もある。
そんな時は無理しない。頭を垂れ両手を合わせて感謝とご冥福を祈る。一人の時は気兼ねなく出来るけど。
タガ遺跡も古代の人たちが何の目的で作ったのか?巨石遺跡といえばイースター島のモアイ像を思ってしまう。
しかしながら今とは違って世界は広く情報の途絶した時代に、世界のあちこちに同じような巨石文化が栄える不思議を思う。世の中、宇宙の謎を思えば、まだ分かっていることの方が遥かに少ないようなので、不思議だらけこそが当たり前なのだ。
百が新に分かれば、新に分からない百が又増える。このタガ遺跡公園に昭和13年12月の日付の南洋庁サイパン支庁テニアン出張所が建立した碑が堂々と残っているのが面白い。 -
11:45:34
ジャングル道を辿ってブロードウェイに向う -
11:55:14
ブロードウェイを南に走る
左側高台がカロリナス台地 -
11:57:10
テニアン島の中心地、サンホセ村に入る
人口3,200人ののどかな島
治安も良いようだ。
働かずとも生きていけるのか? -
12:00:52
タガ遺跡の横にある日本人慰霊碑
いつまでも訪れる日本人が絶えぬ事を祈る -
12:03:54
Mさんが線香を持って来られていたので
私も線香とタバコ、ビスケットを出して供え慰霊した -
12:08:28
そんなに広い場所ではないが
奇麗に整備されている
それだけでもホッとする -
12:09:42
巨石といえば、イースター島のモアイ像を思い起こす
イースター島の面積は180平方kmなのでテニアンの倍近い
何ゆえに、誰がどうしてこんなものを、推定3,500年前とは, -
12:10:52
昭和13年12月建立
南洋庁サイパン支庁テニアン出張所
タガ遺跡の碑 -
18:01:57
大きさを競ったのか?
数を競ったのか?
宗教的なものなのか?
宇宙人が作ったのではあるまいか? -
12:19:54
昼食が“ガンちゃん”の店とは知らなかった
例えテニアンに暮らそうが、お客の日本人はたえず
常夏のテニアンでの暮らしも悪くないかも
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■アイスランド・ガーデン・レストランで昼食
この「テニアン島日帰りツアー」は、午前中に観光して昼食を食べるまでがツアーのようで、昼食後はホテルに戻りその後自由行動になる。カジノに行きたい人もいるからなのか・・・。帰りのホテル集合の午後4時くらいまで3時間くらいの自由時間がある。
“ガンちゃん”がオーナーのレストランに“ガンちゃん”が連れ来てくれた。食堂では何人かの先客が昼食を食べ、くつろいでいた。日本人のようだった。
そして、ここで思わぬ対面劇に遭遇した。Mさんのお祖父さんがテニアンで小学校の先生をしていたのだが、先客の中の一人の高齢の女性(Tさん)が、子供の時にテニアン在住でありMさんのお祖父さんのことを知っていた人だった。
Mさんのお祖父さんもテニアンの小学校の何校かで先生をしていたそうだが、その時の教え子でもあった。Mさんもテニアンでのお祖父さんを知っている方に会うことが出来て、いろいろ話しを聞いていた。
Tさんも予定があるのか、仲間と連れ立って出発したので話はそこで途切れたが、互いに住所を交換し、連絡出来るようになったので、今後又日本に戻ってからも又お祖父さんのことやテニアンでの暮らしのことなどを聞けるだろう。
そこにTさんとは別に女性の一人旅の人も居た。40代くらいだと思うが、テニアンを気に入り何度も訪れているようだ。そして地元にも知り合いがいるようで、今回はその地元の人に案内してもらって、今日の午前中、初めてカロリナス台地の洞窟を見て回ったそうだ。
そして、その時のデジカメ写真を見せてもらった。それは衝撃の写真であった。小さなデジカメ画面で見ただけではっきりとは分からないが、それでもそこに人骨らしい骨が写っていた。彼女が言うには、沢山の大きな骨もあったとのこと。
案内した女性のデジカメに写真にも、違う場所のなのかやはり遺骨が写っていた。そして旭日旗も写っていた。遺骨の横の薄汚れた旭日旗にその時も違和感を感じたが、帰国後、それは「観光用の洞窟で、遺骨を見世物にしているのでは・・・」との一報を受けた。
旭日旗が65年を経た今も写真で見たように、薄汚れていたがそのままの形で残っているのはおかしいと思う。カロリナス台地にまだまだ遺骨の残ったまま洞窟があっても不思議ではないが、もしかしたら、そこは観光用の洞窟でありその為の遺骨だったのかも知れない。
いずれにしても日本人として残念であり、英霊に申し訳なく思う。今回テニアン日帰りツアーでこの地に来たが、サイパン同様小さな島といっても島中が戦跡であり、とても一日や二日で多くを見れるものではない。それがここに来て分かっただけのことだ。
食事は美味しかった。そして、いろんな人との出会いがあり楽しかった。もっともっと話しを聞きたかったが、それぞれ自分たちの予定がありそれは叶わなかった。ぺリリュー島の時もそうだったが何度も足を運ばないと詳しくは何も分からない。
そして私は何度も同じ場所に行くのではなく、常にまだ訪れていない場所に行くのが私の旅なので、生涯それは叶いそうもうない。どっちかを選択するしかないのだから。 -
12:22:30
食事の前の前菜は、テニアンの果物の盛り合わせ
美味しかったです -
12:34:22
家庭料理の雰囲気と味で美味しかったです。
別のテーブルには日本人のグループが
その中に、Mさんのお祖父さんを知っている女性がいました
テニアンで小学校時代を過ごされた女性です
毎年のように故郷テニアンを訪れているようです -
12:55:46
この子の曾お祖父さんがテニアンで小学校の先生でした
そしてテニアンで戦死されたそうです
曾孫さんの来訪に曾おじいさんも喜んでおられると思います
又大きくなったらテニアンに再訪して下さい -
13:12:26
“ガンちゃん”の店
テニアンを訪れる多くの日本人が
きっとこの店を訪れているのだろうと思います
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