2010/02/02 - 2010/02/06
2166位(同エリア3477件中)
明石DSさん
8:30:28
来る前に日本で見たサイパンの天気予報では
2月4日は雨の予報だった
先週くらいまで、雨の日が多かったようだが
今週になってから晴れ間が続いているとのこと
ありがたい!
/////////////////////////////////////////////////
2010.平成22年2月4日(木)
■サイパンの朝、今日も青空
ニュースでは日本は寒気団に覆われて各地で二月には珍しいくらいの大雪が降っているとのこと。
そんなニュースを半袖短パンで過ごす常夏のサイパンで聞くとニタッとしたくなる。今日の半日サイパン島ツアーは、出発が午前8時半頃だった。ホテルの前に来たバスは大型バスで、すでに多くの人が乗っていた。
毎日のようにこれだけの人が、サイパン島巡りをしているのかと思うと不景気日本の現状と、この現実の光景に驚くしかない。就職難・不景気と言いながら、まだまだ他国と比較し、或いは一昔前と比較しても、平均して日本は豊かなのだろう。
-
8:35:44
朝のホテル前の風景、各自それぞれのツアーに
若者やたら多し、そうか卒業旅行シーズンなのかも?
ホンマ日本に生まれたことに感謝しろ!
私は日本人として日本に生まれたことに感謝してます
だからこうやってサイパンにも来れる -
8:40:58
大型バスで40数名の半日ツアーです、老若男女取り混ぜて
ここに来る事になって多くのことを知りました。
そしていつもそうですが、知らなかったことの多い事に
驚くばかりです。そして・・・。
少しでも多くを知りたい、知らねばならないと思います
そうでないと国を守らんが為に命を落とされた方が浮ばれません
////////////////////////////////////////////////
■バンザイ・クリフ(Cliff:崖)へ行く
大型バスに乗り込んで、50人弱くらいの一団での出発となった。まず向う先はバンザイ・クリフ。ここは天皇皇后両陛下の行幸時の写真で良く見た場所で、サイパン玉砕の象徴的な場所にもなっている。
バンザイ・クリフと名付けたのは米軍兵士たちがそう呼んでいたのが、この名前の由来だそうである。ニュース映画などでも邦人婦人が身投げをする場面がいつも登場する。米軍に北に追いつめられこのバンザイクリフからも数百人の日本人が自決をしたそうだ。
この断崖は高さが80mくらいで、下は海なので飛び込んだだけで死に切れなかった人も多かったそうだ。そして、先に身を投げた人の上に落ち屍がクッション代わりになり、死なずに生還されている人もいる。
故国を遠く離れ、戦争に巻き込まれ日本人として毅然として死を選び亡くなった方々のご冥福を祈るしかない。軍人だけではなく邦人の方々の自決も私は兵士同様「名誉の戦死」だと思っている。当時はそれが日本人としての尊い死生観だった。
天皇皇后両陛下が2005年:平成17年6月、この地を訪れ並んで祈られた、同じ場所に立ち同じ方向を向いて私も祈った。このバンザイ・クリフは大きな平和記念公園になっていて、多くの慰霊碑が左右に並んでいる。
マッピ山(標高249m)の南側はなだらかな斜面になっているそうだが、バンザイクリフが見下ろせる方向は絶壁の岩肌を露出して大きな台形の塊を成している。そのマッピ山の上からも日本軍兵士や邦人も飛び降り自決をした。
それがスーサイド・クリフ(スーサイド:Suicideは英語で『自殺』の意味)と言われている。残念ながら、このツアーではその場所に行けなかった。でもこのツアーに参加して、サイパンでのマリンスポーツやショッピングを楽しみに来ている若者の多くも、この地を訪れている姿に接し同じ日本人として嬉しく思った。
スーサイド・クリフは飛び降りれば下は海ではなく岩なので、確実に命を落としたそうだ。 -
9:01:42
バンザイクリフ、米軍兵士たちがそう呼んだそうです
それがここの名前として定着しました
自殺でも犬死でもなく、死に方は如何にあろうが
邦人も兵士も、子供も大人も名誉の戦死です
それが当時の日本人の死に様であり生き様だったのです
それは見事だと思っています。万感の敬意を表します -
9:02:18
この崖上から多くの日本人がコバルトブルーの海に飛び込んだ
自分の命を自分で処する。それも立派な決断だ
それが尊ばれる精神があった日本であり、
それが実践出来る日本人が多くいた時代だった
そんな日本だからこそ世界に冠たる日本であり、
世界もそんな日本と日本人に敬意を示し一目置いていた -
9:06:52
慰霊碑の前を歩く日本人ギャルたち
ここに来て何思う
奇麗事でなく、現実をしかと見つめて
何が大切なのか、今一度再考を願う -
9:07:14
ここには多くの慰霊碑が建立されている
しかし大東亜戦争の広大な地域に及んだ戦場で
未だ省みられない場所も多い
そのことをいつも心の片隅に置いておかねばならない -
9:09:38
バンザイクリフからスーサイドクリフを写す
米軍への投降を潔しとせず自決した
軽き命こそ日本人の真骨頂だ
命より大切な物がある、それが日本人だ
恥を知る
その精神なくば日本人ではない。 -
9:10:56
2005/平成17年6月、天皇皇后両陛下がこの場に立たれた
祭祀の長であり、万世一系の特別な方がこの日本に存在する
そんな、この国の形こそ世界に誇り得る、そして人類英知の賜だ
今の日本人はその有り難さ尊さ、重要さに気付いていない
この国体護持できなくば、即刻、日本は日本でなくなる
皇室が今のままある限り、日本の未来は微動だにしない
バンザイクリフにて
http://www.youtube.com/watch?v=7sAdLVGIRpQ&feature=player_embedded
http://www.youtube.com/watch?v=iojkN5Mm6_E&feature=player_embedded -
9:25:24
ここにはサイパンで集められた日本軍の武器が集められている
この大砲や戦車の迷彩色のペイントは
天皇陛下行幸の前日に塗られたとガイドの話であった
/////////////////////////////////////////////
■バナデロ「ラスト・コマンド・ポスト」へ行く
ここは日本軍最後の司令部跡ではなく海軍の監視哨だったようだ。その周辺に日本軍の武器を集め戦跡公園のようになっている。ここに日本国政府建立の慰霊碑もあった。
サイパン戦での最後に日本軍司令部となったのは地獄谷と呼ばれていた場所のようだ。
///////////////////////////////////////////
一提督と二将軍の最期
サイパン肉弾戦:平櫛孝(著)より引用↓
183頁
昭和十九年六月三十日
午前二時を過ぎて、新しい地獄谷の洞窟についた。師団長(斉藤中将)は長途の行軍に疲れて途中休憩したらしく、一足遅れて到着した。ここもあまり多くの人ははいれない洞窟だ。
大部分のものが入口付近にはみだしたまま、夜明けを待つ。一提督と二将軍を無事に誘導した私は、その責任を果たした安堵感から、ついウトウトとしてしまった。しかし、地獄谷の谷間に敵弾が炸裂する音響で、現実の世界に引き戻された。弾着点は20メートルも離れていない。
入口付近にはみ出したまま仮眠していた兵は、私や他の参謀たちを跳び越え踏みつけして洞窟の中に逃げ込んで来た。
(注:上記の場所がサイパン日本軍最後の司令部となり、この地で7月7日のバンザイ突撃の前日の6日に、南雲中将たちが自決をした。)
196頁
昭和十九年七月六日午前十時
南雲海軍中将、斉藤中将、井桁少将の自決の場所と定められた洞窟の一段と高いところが入念に掃き清められた。
三人は肌着を着換えた。斉藤中将のやせた五十三歳の裸身をかいま見たときはただ泣けた。
厳粛な行事は、軍の高級副官(鈴木二郎中佐)と三人の専属副官(南雲海軍中将=荘林規矩夫海軍中尉、斉藤陸軍中将=牧野秀夫陸軍少尉、井桁陸軍少将=柳本富士雄陸軍中尉)によって行われた。
午前十時ややまえ、師団長(斉藤中将)は私を呼んだ。
「一足先に行くぞ。今日まで君にはずいぶん世話になったな。今度生まれたときは、勝ち戦で師団長と参謀でご奉公しようね」
銀製のシガレットケースを形見として私にわたした。
斉藤中将を真ん中に、右に南雲海軍中将、左に井桁少将が、遥かに祖国に面して正座した。
高級副官がつくった即製の台の上に、各自の軍刀が鞘をはらって置かれてある。三人の専属副官は、拳銃の試射を終わって、それぞれの後ろに立った。米軍の砲爆弾は、谷間のそこかしこで、今まさに行われようとしている出来事を知らないかのように、炸裂音をとどろかせている。
「よろしゅうございましょうか」
高級副官の声。
「どうぞ」
南雲海軍中将の声。
三人は軍刀を逆手に持ち、日本の古式にしたがってみずからの腹部にあてた。
高級副官の右手が挙がった。
拳銃の鈍い銃声が三発・・・。
一人の提督と二人の将軍は後頭部を撃ちぬかれた。三つの肉体はどうと前にうつぶせた。
専属副官の構えたままの拳銃の銃口から、白い硝煙が風にゆらゆらとたちのぼっていった。今逝った三つの将星の霊が、この硝煙に乗って昇天していった。
サイパンの悲史はここに終わりをつげた。
//////////////////////////////////////////
南雲忠一海軍中将の最後
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinjiotu/jinji07.html -
9:25:32
九五式軽戦車
直列6気筒空冷ディーゼル 120 馬力、乗員三名
この戦車の搭乗員は誰なのか?
http://www.youtube.com/watch?v=Jwvy04wo5s4&feature=player_embedded
///////////////////////////////////////////
■真実は如何に?
南雲中将たちの最後は、いろいろ語られているが、上記の平櫛孝元参謀が立ち会っているならば、これが真実だろう。
しかし、提督:角田覚治の沈黙」横森直行(著)によれば以下↓のように、平櫛孝参謀は早々に捕虜となり、米軍に協力した裏切り者として実名で書かれている。
私が見た本や資料の中で、平櫛孝参謀のことについて書かれた記述はなく、どちらが事実なのか分からない。横森氏の勘違いと思いたいのは山々だが・・・。
//////////////////////////////////////////////
日本陸軍誉四十三師団参謀・平櫛孝少佐
「提督:角田覚治の沈黙」横森直行(著・元一航艦飛行士)より引用↓
152頁
平櫛孝少佐について
テニアンは7月24日(サイパンは7月7日玉砕)からの攻撃となった。サイパン戦で自信を付けた米軍は、グアムとテニアンと同時に攻撃を開始した。テニアン上陸戦の準備は、例によって艦砲射撃と爆撃とを連続し、その抵抗組織を根こそぎ破壊して、サイパン戦よりも迅速かつ容易に占領しようとした。
ところが、これに協力した日本陸軍誉第四十三師団参謀・平櫛孝少佐がいたとは後に米軍将校から聞いたが、ただ彼が米軍サイパン上陸後、まもなく捕虜となったことは事実で、他の捕虜とは別扱いでピカピカの軍靴をはいていたのを見た目撃者は多くいる。
彼は一時は大本営の報道部員として国民に広く知られた人だけに特別の待遇をされ、米軍情報将校の話題になったことは信じられない事実だ。
南洋興発の中島文彦氏の記録によれば、19年6月8日、平櫛少佐は、誉四十三師団長:斉藤義次中将、備三十一軍参謀長:井桁敬二少将と、サイパンからテニアンに飛来し、玉砕戦の始まる三日前のテニアンの防備を完全に調査している。帝国陸軍にもひどい参謀がいたものだ。
///////////////////////////////////////// -
9:32:18
司令部跡ではなく海軍の監視哨跡
艦砲射撃での破壊が当時の惨状を物語る
//////////////////////////////////////////////
この海軍の監視哨は当時、退避壕にもなっていたようでガイドの説明によると、当初は米軍からも見つからずだったそうだが、捕虜となった者からの情報なのか?米軍に知れることになった。
そして米軍はこの監視哨の攻撃の前に投降を呼び掛けたそうだが、誰も応じることなく米軍の攻撃は始まった。そして艦砲射撃による砲弾が貫通し、中にいた人間は全員が亡くなったそうである。
防空壕・退避壕として邦人を含めた人間がこの中に居たとのこと。もしそれが本当なら立錐の余地も無いほど人が入っていたのだろう。ここで150人の中学生も亡くなったとのこと。
しかし、ガイドの説明のように米軍が攻撃の前に投降を呼びかけたと言うのは、私はそのまま信じることは出来ない。確かに砲弾が右から左に貫通したような大きな穴が両側に空いていた。そして壁には今尚めり込んだままの銃弾が残っていた。
その他ガイドの説明では↓
高射砲も海から上陸して来た米軍に対して、高射砲を日本軍が水平にして使用、その為に事故が多発、砲身が熱を持ちすぎ暴発したり、薬きょうが左右に飛び散り兵士の命を奪ったそうだ。
そして、このラスト・コマンド・ポストに集められている日本の武器は、錆びて朽ち掛けていたのを天皇陛下行幸前日、急いで塗り替えたということである。
ここにあった売店で椰子の実ジュースを飲む。値段は忘れたがそんなに高くは無かったと思う。ジュースのように美味くはないが、咽喉が乾いていたら何よりの飲料に違いない。
ポカリスウェットがこの味と内容をヒントに作られたとの説明があった。そして戦時中にはこれを点滴代わりにも使った・・・とか。
この熱帯の島に欠かせぬ椰子の木なのだ。植樹から5,6年で実がなり、年間200〜300個の実を付けるとのこと。そりゃあバナナやタロイモ、そして椰子の実に、海の幸、そしてこの気候。ならば労働意欲も今一湧かないのが南洋の文化だと納得できる。 -
9:32:52
若者だけではなく年配のツアー客も多い
サイパンは日本人にとってやはり気になる島である
マリアナ諸島は日本の絶対国防圏だった -
9:35:02
この正面の大きな穴が、艦砲射撃の砲弾が開けた
そしてその砲弾は反対側の壁も突き抜けたらしい
そして中に居た者は全員亡くなった -
9:35:16
この壁の穴が砲弾が突き抜けた穴だと
ガイドさんの説明があった -
9:40:04
壁にめり込んだままの銃弾
何の弾か分からないが銃弾がめり込んだままになっている -
9:40:24
監視哨を外から写す
砲弾の穴は開いているが
それ以外は堅固にその姿を保っている
http://www.youtube.com/watch?v=wpozpANs7uo&feature=player_embedded -
9:45:00
昭和49年3月25日に竣工した日本政府の建てた慰霊碑
屏風を模し、線は畳をイメージしているとのこと -
9:45:30
手前左の木に咲く赤い花が南洋桜
前面の岩山がマッピ山
あの上から飛び降り自決した方は、
下が岩なので助かることはなかった -
9:51:38
四五口径十年式十二糎高角砲
上に向って撃つ大砲を水平に使ったために
薬莢があらぬ方向に飛び、或いは、砲身が加熱し過ぎ
砲弾が暴発したり、事故が多発したそうだ -
9:51:46
自然の地形を利用した海軍の監視哨
居並ぶ大砲群 -
9:54:50
ここで私も一個飲む
水無き兵士にとって何よりの飲み物だったろう
ラスト・コマンド・ポスト
http://www.youtube.com/watch?v=9LlHk-zhvJg&feature=player_embedded -
10:05:26
鳥の姿見えずバード・アイランド
///////////////////////////////////////////
■バード・アイランドへ行く
確かに景勝地であるようだ。海岸沿いはエメラルドグリーン、そしてコバルト・ブルーのサンゴ礁の海が続き、遠くは紺碧の大海が水平線までが広がり、自然の風景が視界を覆い尽くす。
天気快晴波穏やかですこぶる絶景なり、しかし鳥の姿は見えなかった。私の頭の中はサイパンの戦跡のことで一杯で、当時のことを思い浮かべこの景色も見ていた。究極のサバイバル戦争を生き抜いていた残存兵士たちもこの海を垣間見て何を思っていたのだろう。
只只故国日本を偲び、懐かしい顔を思い浮かべ、そして、ひと時の平安を夢見てその日を耐え命を繋ぐ毎日だったのだろうと思う。美しい風景も彼らの目蓋にはどのように写っていたのだろうか?
ガイドブックによれば↓
この島は、別名「月見島」とも呼ばれる。日本統治時代、高知の桂浜に匹敵する月見の名所として在留邦人に親しまれたことから命名されているそうだ。 -
10:07:48
月見島
マゼランが世界一周の航海途中発見した。
マリアナ諸島とは、当時のスペイン皇后
マリ・アンナの名前からマリアナと呼ばれる -
11:08:32
DFCギャラリア、世界十五ヶ国に展開する店
米国企業、日本では沖縄にあるそうな
ここがツアー終了場所、最後はここで買い物なのか・・・。
サイパンの景気は如何に?
///////////////////////////////////////////////
■砂糖公園へ行き、次いでDFSギャラリアで終了。
砂糖公園、ここも昨日に続き二度目の訪問地となった。公園を散歩し、サイパン神社周辺をうろつき時間を潰した。ここには何度来ても良い場所である。この近くに、刑務所跡があり、病院跡もある。
この辺りはガラパンの街中で1944年6月まで、日本人が大いに闊歩し南洋の生活を満喫していた場所だろう。そして、このサイパン神社にはガラパンに上陸した日本陸軍の兵士が約1万名5月19日行進し参拝した神社でも有る。
何度この地に来ても私に文句は無い。ここでガイドが昼食ツアーの申し込みを募っていた。その中に私が行きたいと思った360度回転する展望レストランでの昼食があった。
早速、その場で申し込んだ。一名でも可、料金15ドル。メニューはハンバーガーセットのようだが、食い物は何でも構わない。只、そこがガラパンではなくチャラン・カノアであり、チャラン・カノアの高い所から周囲を見渡たいというのが私の望だ。
バスはDFSで停まりここで解散となった。昼食の迎えはここまで来てくれるとのこと。 -
11:15:04
サイパンをもじって、このマスコットが
サイ+パンダ=“サイパンダ”だそうです
パンダの鼻がサイの鼻
なんじゃ日本語か -
12:04:14
ナウルビル8階
展望レストラン以外はホテルではなく商業ビルだそうです
回転レストランは平成15年の大連駅前で泊まった“渤海明珠大酒店”以来
高い所から周囲を眺めるのは興味津々です
猿も高い所に上りたがります、その気持ちよく分かります
///////////////////////////////////////////
■展望回転レストラン360 ミールクーポン
今日の参加は計5名だったようだが、夫婦参加の旦那が集合時間になっても現れず、一組の夫婦と私の三人で定刻より20分以上遅れて出発になった。それでも12時前頃だったが。
一緒に行ったご夫婦は神奈川県の方で、このサイパンで逮捕された三浦和義と同じ地域に住んでいた人だった。回転レストランがちょうど三浦が収監されていた刑務所のすぐそばにあり、上から緑色の屋根の刑務所の全体が良く見えた。
こんな所で、三浦和義の名前を聞くとは思いもよらなかったが。昨日のジャングルツアーの時に私が教えてもらっていたのを、私がこの夫婦に教えたら、偶然このご夫婦が三浦と同じ地域に住んでいた。奥さんの話によれば三浦和義は女優:水ノ江滝子の息子だそうだ。
ウィキペディアによれば甥となっているが真実は如何に?何々ウィキペディアによれば三浦和義は作家とある。でも自称のようだ。2008年2月サイパンで再逮捕され、10月10日ロサンゼルスに身柄を送られた日に留置所内で自殺した。
この展望レストランはチャラン・カノアのサイパン・ワールドリゾートホテルの正面にある。建物内部は事務所が主体で、その上に展望レストランがある。
一周1時間で周回するようだ。中心部には厨房やバーのカウンター席があり、周囲はすべて窓際席で私は一人坐って、ハンバーガーセットが来るのを待った。まず冷えたお茶が出て、次にスープが出て来た。美味い。
回転は時計回りで、私が坐った席は、北西の方向であった。窓外の景色は北西から北方向にと進んで行った。まずチャラン・カノアのビーチからオレアイの海岸方向を眺め、そしてガラパン方向へと景色は移って行く。
タポチョ山の南西から南斜面の全容が見えるので嬉しい。でも残念ながらススペ湖は覆い茂る樹木が邪魔をしてか全く見えなかった。そして出て来たハンバーガーはバカデカかった。日本人の私には食いきれない量だろうと思いながら全部食ってしまったが腹パンパンになった。
この展望レストランから見える範囲もジャングルに覆われた景色が多くを占めている。南洋興発華々しい時代、一体このサイパンの島の風景は如何様だったのだろう。サトウキビ畑が島全体を覆い、鉄路も縦横に走り、工場も活気に溢れていたのだろう。
テニアン島もすぐ近くに見えるようになり、又、元の位置に戻って来た。眺望を満喫し腹は一杯になり、レストランを後にして又最初のDFSに戻って来た。このサイパン観光の中心はDFSなのだ。ハファダイ・ビーチ・ホテルに泊まっていればホント便利だ。 -
12:08:42
正面はサイパン・ワールド・リゾート・ホテル
チャランカノア地区にあります -
12:09:10
外側部分がゆっくり動いています。時計回りで -
12:09:18
中央部は動きませんが・・・。 -
12:14:46
ガラパン沖合いに停船している
米海兵隊の輸送船、一年中動きません
イラク戦争最盛期の時は3隻ほどあったそうです
台風が来る前は移動するのでサイパンの人たちも
それで台風の接近が分かるそうです -
12:16:24
でっかいハンバーガー
食いきるのに一苦労、全部食って苦しいィ〜 -
12:21:32
タポチョ山とサイパン刑務所
グリーンの屋根がサイパン刑務所
三浦和義のホテルだそうです
結局移送先のロサンゼルスで自殺しましたが
展望回転レストラン360
http://www.youtube.com/watch?v=gOQmd-zWpR8&feature=player_embedded -
12:41:34
南東の方向を写す
樹木に覆われ結局、ススペ湖は見えず -
12:48:02
南方向を写す
テニアン島も見える -
12:57:12
ほぼ一周周って元の位置へ
昭和19年6月15日早朝、
この海は米軍の上陸用舟艇で一杯になりました -
13:16:10
ミドルロードをDFCに戻る
/////////////////////////////////////////////
■午後はデジカメ動画の撮影に行く
ホテルに戻り、小休止の後、ホテル近辺をぶらつき、病院跡の北マリアナ連邦博物館を見学しながらデジカメ動画の撮影をした。Uチューブで簡単に自分が撮影した動画が公開できることを知ってから、動画は私の旅に欠かせないものになった。
私にとってこのデジカメ動画は、今や趣味の一つになり、自己満足の極地だが、私の中では世界に向かって発信する自作の超短編映画である。フフフ。
ホテル近辺で動画撮影の後、病院跡の博物館の見学にミドルロードを南に歩いて出かけた。
//////////////////////////////
大場榮大尉と47人
http://www.youtube.com/watch?v=cMN2FmHQOoI&feature=player_embedded
/////////////////////////////////
戦陣訓に思う
http://www.youtube.com/watch?v=5gXLzs9Y8EM&feature=player_embedded
動画で私が語っていることを訂正します。
このミドルロードは当時はなかった。
そして上陸した陸軍兵士が
サイパン港から彩帆香取神社まで行軍したのは、
昭和19年5月19日のことでした。 -
15:01:48
武運長久を祈る日の丸への寄せ書き
“今井文次郎君”もサイパンで亡くなったのか?
何歳くらいの方だったのだろう?
///////////////////////////////////////
■北マリアナ連邦博物館へ
砂糖公園:サイパン神社の道路を隔てた向かいに病院跡がある。早速入口のドアを開けて中に入ったら、左手側に事務所のような場所があったが誰もいない様子だったので声をかけた。そしたらアメリカ人なのか白人男性が現れ「グッドアフタヌーン」と言われた。
これが「こんにちは」という挨拶なのだろう。私もその呼びかけに答えて「グッドアフタヌーン」と言って、「OK!」と手振りで入っても構わないか?と聞いたら、OKだった。そしてついでに写真機を構えて「写真を撮ってもOKか?」と聞いたらOKだった。
私以外の入場者はいないようだったが、部屋の中を見ているとさっきの男性が、ビデオを再生してくれた。私の為に再生してくれたのかと思ってテレビの部屋に行き坐ってその番組を見た。
言葉は英語でチンプンカンプンだが、映像はサイパンの戦いや米本土での原爆実験の模様、そしてテニアンからのB29の原爆投下の内容の番組だった。この番組で長く時間を費やすのも嫌だし途中で席をたった。展示内容はサイパンの日本時代の写真も多く展示されており興味深い物が沢山あった。
当時のガラパンの市街地図・街の区割り地図もあり、昔ここに住んでいた日本人なら懐かしいだろう。中国の反日博物館・紀念館の内容のおぞましさと比較にならないのは当然だが、米国の歴史に対しての真摯な姿勢に少しホッとする。
この博物館に入って当時の病院の写真を見て、正面玄関の方は反対の方向なのが分かった。ガイドブックの写真や、この場に来て見ている建物の姿は病院の中庭から見ていることになる。
正面玄関は塀の外から写真を撮った。謎が一つ解けた。まだちゃんと正面玄関のほうもそのまま残っているようだ。
病院跡、サイパン神社の次に、日本の刑務所跡に残る米軍兵士が書いた占領時の日時が刻んだ落書きを動画撮影しようと刑務所跡を探したが、昨日二度も行ったのに、なぜか?場所が分からず結局行けなかった。今もって不思議だ。この付近にあるはずなのに・・・。
そのついでにガラパン教会の傍に残っている「スペイン教会の鐘楼」を見つけた。教会はサイパン戦で破壊されたが鐘楼だけは砲爆撃を免れ今に残っている。これもサイパン戦を見ていた鐘楼だ。
刑務所跡探しに、犬に吼えられながら足が棒になるくらい周辺を歩き回ったが諦めて、今度は海岸沿いを又ホテルの方向に戻った。午後6時頃ホテルに到着。 -
15:08:20
いつの世も文武両道は必須なり
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
これは真理であり、武を持って身体を鍛える事は
一人の人間としての資質を高める為に欠くべからざることなり
戦後の日本人の多くがその機会を失したまま歳を重ね
醜悪なる精神を有していることを知らず、不幸なり -
15:08:48
私が小学校時代は、まだまだ相撲が盛んだった
遊び時間に運動場に丸を描いて勝ち抜き相撲をした
剣道・柔道・相撲・空手・柔剣道
武を尊び身体を鍛える事は人間として大切だ -
15:12:06
日本時代のサイパンは小さな島ながら活況を呈していた
砂糖キビを栽培し、燐鉱業・水産業・コプラ事業
ボーキサイト鉱業・マンガン鉱業・果樹園・樹皮繊維産業
主体をなす会社は「南洋興発株式会社」海の満鉄とも言われた
3万人近い日本人(沖縄県人多数)がこの地で生計を営んでいた -
日本時代のガラパン地図
赤丸:サイパン神社/青丸:病院/黒丸:刑務所
今に残る建物の場所は同じだ
道路は昔と今は違うようだ。
今の幹線道路「ミドルロード」は戦後に出来た道だということが分かる
昭和19年5月19日到着した陸軍部隊約1万名の
サイパン港からサイパン神社までの堂々の行進(裸足の者もいたそうだが)は
二丁目通りか三丁目通りを行進したのだろう -
15:17:46
博物館展示の、この写真を見て病院の玄関が分かった
今は玄関の方は高い塀に囲まれて外からでは見えない -
15:37:08
病院の正面玄関、塀の上にデジカメを掲げて撮った
直接には塀が邪魔になって見えない
博物館の玄関は病院の中庭にあることになる
/////////////////////////////////
サイパン戦車戦
http://www.youtube.com/watch?v=u_8oYkSZsVo&feature=player_embedded -
15:48:18
彩帆香取神社にタバコを供え線香を上げた
この小さな祠は戦後に作られたもの
//////////////////////////////////////////////
アギガン砲台のこと
http://www.youtube.com/watch?v=b29HUh4EnZU&feature=player_embedded
/////////////////////////////////////////////
一提督二将軍の最後
http://www.youtube.com/watch?v=AoClxkpWxTE&feature=player_embedded
////////////////////////////////////////////
砂糖王:松江春次
http://www.youtube.com/watch?v=W_nWj0N1VtU&feature=player_embedded
///////////////////////////////////////////////
太平洋での戦いに思う
http://www.youtube.com/watch?v=bV-ri5OEJvM&feature=player_embedded
/////////////////////////////////////////////// -
16:16:36
スペイン教会の鐘楼
戦争を経て残った教会の鐘楼
大正12年に建てられたが戦争で瓦礫と化した
ガラパンのクリスト・ライ教会の傍に残る -
16:46:48
ガラパンの浜辺に残るトーチカ
ここでどんな戦いがあり誰が傷付き誰が亡くなったのだろうか? -
16:53:08
サイパンの裏通りの風景
大体こんな感じの通りが多い
番犬がやたらに吼えて来るのでちょっと嫌だが -
17:19:06
ガラパンの南外れの裏通り
どこからでも見えるタポチョ山
///////////////////////////////////////////
サイパンで聞いた話
http://www.youtube.com/watch?v=EOxSkkJ8jPM&feature=player_embedded -
18:08:06
路上でタトゥーを描いてもらう日本の若い娘もいた
///////////////////////////////////////////
■今日はガラパンで夜店がある日
毎週木曜日の夜は、ガラパンのハイアット・ホテルとフェスタ・ホテルの前の道(CORAL・TREE・AVE)で夜店が開かれ、屋外で歌やダンスなどの催しがあると聞いていたので早速出かけた。
ハファダイ・ビーチ・ホテルから歩いて5分くらいのところだ。アメリカ記念公園までの道路の両側に夜店が並んでいる。半分以上は食い物屋がビッチリ並んでいる。いろんな国の料理店があり見ているだけでも面白い。
どこの国の何を食べようか、一体何が美味いのだろう?と、言ったり来たりしながら考えていたが結局、中国人の顔見知りの女の子に声を掛けられ中華の店で餃子や焼きソバを買って食った。見た目美味そうだったけど、すっかり冷えて美味くなかった。
中国人の女の子は、ハファダイ・ビーチ・ホテルの近くでマッサージの客引きをしていた女性だった。その時、前を通るたびに声を掛けてくるので一、二度中国語で話しをした。それが今日は屋台で働いている。声を掛けられるまで全く気付かなかったが、一体彼女達は、誰に雇われ働いているのだろう。
最後にダンスを見て午後8時過ぎにホテルに戻った。明日はテニアンへ行く。そしてこの旅も明日で終わりだ。 -
18:19:28
アメリカ記念公園
戦争の写真などが展示されているようだが
残念ながら入場の機会なく中は見ていない
芝生の広い公園だ -
18:28:24
「ハイアット」「フェスタ」ホテルの前の通りで
毎週木曜日の夜に開かれる夜店
人が段々多くなる
////////////////////////////////////////
ガラパンの夜店
http://www.youtube.com/watch?v=WxNcMvtesao&feature=player_embedded -
18:33:20
夜店の半分は世界の?食い物屋が並んでいる
一体何が美味いのだろうと思いながら
結局ありふれた中華を買ってしまう
ムムム、ホンマ間抜けだった -
18:36:28
交番所
さすが日本統治の面影が残る
今もサイパンに残る日本語の一端↓
サンダル・ゾウリ・チリガミ・ナマイキ・ベントウ
サルマタ・ボウズ・チチバンド・オンブ・デブ、等々
デブがそのまま通じるので要注意とのこと、何せデブは多いから -
18:44:00
結局日本で食う中華を買ってしまった
全部冷えて不味かった -
18:52:10
賑あう夜店
結構国際色も豊か、白人もまあまあ居た -
20:01:30
歌の後は踊り
このダンサーチームはあちこちで見た
常夏のサイパンには良く似合う -
20:17:00
一生懸命踊っている子も
手抜きを感じるダンサーも
これだけ踊っていれば音楽が鳴れば勝手に体が動くだろうな
//////////////////////////////////////////
http://www.youtube.com/watch?v=DAZ9Os88bgA&feature=player_embedded
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
明石DSさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
北マリアナ諸島 の人気ホテル
北マリアナ諸島で使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
北マリアナ諸島最安
198円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
57