2010/02/02 - 2010/02/06
2180位(同エリア3484件中)
明石DSさん
0:37:26
深夜のチェックアウト
2,3,4,5日と四日間の宿泊の457号室
天気に恵まれ、最高の旅立った
感謝!
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5日目:サイパン〜関空へ
2月6日(土)晴れ
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2010.平成22年2月6日(土)
■深夜のチェックアウト
午前0時37分頃部屋を出て一階ロビーに向った。チェックアウトをし、集合時間までの間、ウロウロしながら待っていた。
大型バスが迎え来てサイパン空港へ、1時40分頃には空港内に入っていた。出国手続きをし、搭乗口に着いたのは、午前2時。まだ搭乗時間まで1時間半、出発まで2時間もあった。
その間、何をしていたのか良く覚えていないが、椅子に腰掛けて旅を振り返っていたのか・・・。それとも帰国後のことを考えていたのか記憶に無い。
搭乗口近くにサイパン戦の貴重な写真が展示されている一角があり、そこで写真を撮ったりしていた。当時のアスリート飛行場の上空からの写真もあった。
4時前には搭乗も終わり、機内の椅子に坐っていた。帰りの飛行機も無論アシアナ航空で、OZ 119便。真ん中通路で左右に三座席だった。そして、帰りも幸運なことに乗客は少なく、三座席独り占めで帰れた。これならビジネス席も真っ青だろう。
肘掛を上げて横になって少し寝る事も出来た。たった三時間のフライトであり、途中食事タイムがあるので、そんなに苦にならない。おまけに三座席独占なので。
日本時間午前6時53分に関空に到着。リムジンバス・三ノ宮からJRに乗って西明石の自宅に戻ったのは午前9時4分だった。そして、しばし休憩し、この日午後から仕事に行った。
出発の2日の日も午前中は仕事し、帰国日の6日も午後から仕事。休んだのは3,4,5日の三日間だけである。たった中味三日間の旅だが、この旅行記を書くのは手間取った。
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1:46:40
サイパン国際空港
来るも帰るも深夜便、
これがサイパンの日々の光景なのだろう -
2:04:52
搭乗口付近に展示してあった
アスリート飛行場の今昔
ここに日本統治の歴史あり -
2:07:24
当時日本はアジアの盟主だった
そして白人支配から独立すべく敢然とその白人列強国に戦いを挑んだ
敗戦と言う結果に終わったが、白人の植民地支配は終焉を迎えた
戦争には敗れたが、その目的の大部分は達成した -
2:08:44
1944年のアスリート飛行場
我、大東亜戦争を賞賛し賛美する
子孫が先人たちの戦いを賞賛せずして
将来の国家存亡時に国をどうやって守れようか
国を守る=家族を守る
敢然と戦うべき時に戦えないのは人間として失格だ -
3:53:42
アシアナ航空
片側三座席、一人で占有す
まるでビジネス席のように優雅に寝そべる -
4:18:06
朝食はオムレツ
アシアナ航空の飛行機は中国南方航空の飛行機より
ましだった -
6:33:16
我が祖国日本に戻る
日本人として生まれたからこそ海外旅行にも行ける
どれほど他国の人間と比較して恵まれているのか
思えば思うほどありがたい。
日本人は日本の伝統文化を守ってこそ日本人だ
その日本国を解体しようとする民主党政権は一刻も早く崩壊を望む -
6:53:38
無事に関空(着)
常夏から真冬に -
7:26:18
関空〜三ノ宮行き、リムジンバスにて
空港連絡橋を走る -
8:30:18
三ノ宮駅プラットホーム
ここは真冬だった。さっきまで常夏だったのに -
8:56:44
西明石駅に到着
日常の世界に戻る
ああ楽しかった、有意義だった。
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サイパン:テニアンの旅を振り返り
料金も安いし、小さな島なので短期間でも見れるだろうと、軽い気持ちで選んだサイパン/テニアンの旅だったが、玉砕戦の裏側に多くの逸話もありドラマも多かった。少し調べるだけで知らなかったことの多さにいつものように愕然とした。
海軍が守備していたサイパンに陸軍部隊が大挙上陸して来たのが昭和19年3月頃から5月にかけてであり、米軍上陸の直前である。そして到着までに多くの将兵も輸送船と共に海に没し、武器弾薬の多くも海没した。
制海権・制空権なきところに勝利なし。何故、日本の絶対国防圏であるはずのサイパンが、かくもあっけなく陥落してしまったのか・・・。
昭和16年12月8日の真珠湾攻撃以降急速に戦線を拡大した帝国海軍は、早くも開戦半年後の翌年の昭和17年6月にミッドウェー海戦で惨敗を喫する。その惨敗において短期決戦:戦線拡大の方針を仕切りなおすべきだった。
海軍は日露戦争でバルチック艦隊殲滅の華々しい戦火を上げて以降、ほとんど実戦の機会なく規模だけが大きくなった。そして官僚組織化した巨大帝国海軍が出来上がり、提督・将軍が成績順にその地位に坐った。
そして太平洋での日米決戦の場に出て行った。その戦いぶりはどの海戦においても軍人として即断即決・勇猛果敢からは程遠く慎重かつ臆病なる采配が目立った。猛将と言われた山口多聞中将などもいたが、海軍のトップに人材が恵まれなかった。
陸軍は日露以後も大陸での数々の実戦を経て、少なくとも海軍よりは現実的な思考・作戦が出来る軍であったはずだが、太平洋の戦いは海軍に任せており、米軍との対峙がそんなに早く訪れることを想定していなかった。
開戦時より陸軍も対ソ重視から対米戦に切り替え、サイパン・パラオ・などを絶対国防圏として揺ぎ無い防備体制をとり、無数に有る島嶼を不沈空母として満洲の対ソ国境のような要塞化を図り、陸海航空隊を配備し、制空権・制海権を確保しておけば堂々たる戦いを継続できたと確信する。
昭和19年になって関東軍を転進させたのは、あまりに遅すぎた。目的地に辿り着くことなく米軍潜水艦の餌食になり、戦うことなく海に没した精鋭たちの無念は如何ばかりであろうか。
かくして日本帝国陸軍は対米・太平洋諸島戦において残念な戦いに終始して敗戦を迎えた。対米戦は決して勝ち目のない無謀な戦いではなく、陸海軍の意思の齟齬と、その戦略戦術の間違いが敗戦に繋がった。
大いに反省の余地あり、次に国難あらばその反省を生かし、先人の仇を討ち何が何でも日本の勝利を勝ち取ること必定なり。そして子孫に、今の多くの日本人のように、自虐にまみれ先人を敬うことなく、“身勝手千万”つまらぬ人間としての一生を送らせてはならない。
大いなる反省あれど、私は大東亜戦争を賛美・賞賛する気持ちに聊かの迷いもない。ここに大東亜戦争で散華された軍人・民間人の方々のご冥福を心から祈ります。
そして国を守る為に犠牲になられた方々の、後に続く者として、これからも少しでも多くの戦場を知り、戦いの様子を知らねばならないと思っている。
そのサイパンは・・・。
リゾート地として関空からも3時間あまりで到着し、2月2日出発した私は真冬の日本から一挙に常夏のサイパンに降り立った。何故?芸能人をはじめ多くの人がハワイやグアム・サイパンなどに何度も出かけるのか?何がそんなに魅力的なのか?
そんな疑問が氷解した。サイパンに関して私が思ったのは、「近くて」「安い」そして、到着すればそこは異国の常夏、一瞬にして非日常の別天地になる。なるほどテンションもあがり、日々の日常の煩わしさから解放されて気分一新。
そして何の計画も立てずに一人でやってきても、至れりつくせり、オプショナルツアーも沢山用意され、案内所も並んでいる。無論日本語だけで何の心配も要らない。とりあえず時間があれば飛んで来れば良い。
リピーターなら尚更何の不安もないだろう。まあ日本で言えば、ディズニーランドやUSJに何度も行く人がいるように、こういったリゾート地もそんな非日常の世界にひたれる解放感があるのだろう。
老若男女誰しもお勧めだ。気分転換したければ、常夏の国、サイパンへ遊びに行こう。もっとも私はマリンスポーツに興味なく、戦跡巡りにウロウロしていたが、それでも気分転換には十分だった。
2010/H22.3.4.Age59(記)
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