2010/01/30 - 2010/01/30
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みにくまさん
今年は平城遷都1300年祭ということで、奈良の各地で急ピッチに準備が進められています。
特にここ「平城宮跡」はメインの会場となる場所だけに、4月の開幕に向け、今どうなっているのかが気になったので、調査に行ってきました。
◎ 前回の旅行記
2008/12/21 JOECOOLさんと一緒に奈良の観光 「平城宮跡・朱雀門」
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10298225/
おまけ↓↓↓
http://yaplog.jp/awamoko/archive/183
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史跡平城京朱雀大路跡
特別史跡 平城宮跡
◎ 平城京
平城京(へいぜいきょう、へいじょうきょう)は、かつての日本の首都。いわゆる「奈良の都」である。
唐の都「長安」や北魏洛陽城などを模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市および大和郡山市近辺に位置していた。 -
史跡平城京朱雀大路跡
復元された大垣。
★ 平城京の読み方
以前は学校教科書において「へいじょうきょう」と振り仮名が振られていたが、現在は多くの教科書で「へいぜいきょう」と振られています。
平城天皇が「へいぜい」と読むことや、「へいじょう」は漢音+呉音の表記であることなどから、漢音表記に統一した「へいぜい」とされました。
しかし一般的には「へいじょう」の読みが普及しており、奈良県の進める平城遷都1300年記念事業も「へいじょう」と発音されています。
このように、平城京は現代においては音読みで「へいじょうきょう」または「へいぜいきょう」と読むが、かつては「ならのみやこ」と訓読したというのが定説。
なぜ「平城」を「なら」と読むのかは諸説あるが、一番有力とされているのは「平坦な都」という意味です。
現代においても起伏のある土地を平坦にすることを「土地をならす」というが、「なら」には平坦という意味があり、山がちな飛鳥から平坦な奈良盆地の真ん中に移った都という意味が込められているとされるのがこの説です。
そのため「平」の字を使ったが、中国風に雅字(良い文字の意)二字で地名を表記するために、「城市」の意を込めた「城」の字との2文字で「平城」とし、都の名称として採用したのではないかとされています。
(ウィキペディアより) -
史跡平城京朱雀大路跡
現在の朱雀大路は駐車場になっていますが、当時は幅74mもあるメインストリートでした。
そして朱雀門から南に4km先には、平城京の入口である羅生門がありました。
それにしても広い!
そして空が綺麗! -
朱雀門
前回来た時は、こちらの朱雀門だけを見ただけですが、今回はもう少しゆっくりと周りたいと思います。 -
青丹(あおに)よし 奈良の都は咲く花の
薫(にお)うがごとく いま盛りなり
作 小野老 -
いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな
作 伊勢大輔
「詞花集」から「小倉百人一首」61番に。
それにしても、空が綺麗だ。
この日は天気は良かったのですが、冷たい風が強く吹いていました。
前にも経験があるのですが、こんな日は、綺麗な空の青色が写真に収められるんですよね〜。
私にとって天気の良い日は、ポカポカ陽気で雲ひとつない温かい日のことではなく、寒くてもいいので綺麗に被写体が撮影できる日のことなのだ。 -
資料館?博物館?
朱雀大路の東にあった池に浮かぶ建物です。
名前を忘れてしまったのですが、何かの資料館か博物館だと思います。
これだけの施設でありながら、後から名前を調べようと思っても出てきませんでした。 -
資料館?博物館?
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資料館?博物館?
記念撮影。 -
資料館?博物館?
ぐるっと一周。 -
二条大路
二条大路は、幅約35mで朱雀大路に次ぐ規模を持ち、平城宮南辺を東西に通る。
平城宮の正門の朱雀門、南面東門の壬生門、南面西門の若犬養門は、この大路に面して開いていた。 -
壬生門跡
奈良時代の後半になると、壬生門が朱雀門にかわって実質的には平城宮の正門として機能するようになる。
二条大路の南の地域は、宮域外の役所などとして利用され、平城宮に準じた重要な地域であることが分かってきた。 -
朱雀門
東側から撮影。 -
世界遺産 古都奈良の文化財 平城宮跡
みにくま君とちびくま君が石碑の上に乗っています。
それにしても、空が綺麗(←しつこい?) -
世界遺産 古都奈良の文化財 平城宮跡
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朱雀門
朱雀門は平城宮の正門。
朱雀(すざく)とは四神(四獣)の一つで、南を守る中国の伝説上の鳥をいう。
◎四神(四獣)
四神(しじん)は、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司ると伝統的に信じられてきた霊獣である。四獣(しじゅう)ともいう。
東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。 -
朱雀門
この門は、1998年に平城宮の正門を復元したもので、間口25メートル、奥行10メートル、高さ20メートルです。
前回来た時にはこの門は扉が閉じられていましたが、今回は写真の通り開いているので、遠くに「第一次大極殿正殿」を望むことができました。 -
朱雀門
扁額。
筆者は奈良市の書家・今井凌雪(いまいりょうせつ)さん。当代屈指の漢字の名手で、同時代の唐の書風にも明るい。
下から見上げた時のバランスを考え、朱の字が一回り大きくなっています。 -
朱雀門
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朱雀門
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朱雀門
南面大垣の東側にあった通用門。
ここからも、「第一次大極殿正殿」が見られました。 -
朱雀門
屋根の四方から釣られた装飾具。
これは何という呼称なのか分かりません⇒現在調査中 -
兵部省跡
兵部省は奈良時代の官庁の一つで、兵士・兵器・軍事施設の管理や人事を担当していた。
壬生門北の広場をはさんで東側の式部省(文官の人事を担当)と対称の位置関係にある。 -
兵部省跡
約74?の敷地内には、立派な礎石建物8棟が整然と建ち並んでいた。
建物の中では帳簿の管理や勤務評定などの事務をとり、外の広場では儀式などを行った。
ここには地面から1.2mの高さで建物を切った状況で復元した。 -
兵部省跡
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第一次朝堂院跡
朱雀門より北側のこの広い区画は、天皇の住まいとして儀式や政治行事が行われていた場所で、平城宮の御所にあたります。
甲子園球場が30個も入るほどのスペース、見渡す限りの広い空間には、かつては様々な建物が建っていました。 -
第一次朝堂院跡
敷地内には段差があり、元々この位置に何らかの建物が建っていたことを物語っています。 -
第一次朝堂院跡
振り返ると朱雀門が見えます。
この空間は、平城遷都1300年祭でイベントを行う会場になると思うのですが、まだ敷地内には水溜りなどがあり、整備が遅れているように思えます。 -
第一次大極殿正殿
建物自体は完成しているように見えますが、まだその周囲が整備中のようです。
尚、大極殿は”だいこくでん”と呼びます。 -
第一次大極殿正殿
大極殿は天皇が即位や儀式、また外国からの使途をもてなしたとされる場所です。
実はここには大極殿跡が2ヶ所あり、もう一つは740年に平城京から恭仁京に都が移り、難波京、紫香楽京と転々とし745年に平城京に再び戻ってきた時、元の場所とは別の場所に建てられました。
これら二つは第一次大極殿、第二次大極殿と区別されています。
復元されているのは第一次大極殿の方で、第二次大極殿跡には基壇と柱跡が復元されています。 -
第一次大極殿正殿
変額に「大極殿」と書かれているのが見てとれます。 -
第一次大極殿正殿
2001年の復元工事開始より、9年の歳月をかけここまで来ました。
この後、第一次大極殿正殿を取り巻く南門・廻廊等(院地区)についても、復原整備に向けた検討が進められています。 -
石畳
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内裏跡
この辺りは天皇の住まいがあったところ。
都があった当時、建物の柱があった場所にはツゲの木が植えられており、円柱状に刈られています。 -
(第二次)大極殿跡
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(第二次)大極殿跡
第二次大極殿は平城宮東寄りの壬生門北に位置しています。 -
(第二次)大極殿跡
現在は基壇と柱跡が復元されています。 -
第二次大極殿跡
はるか先に壬生門が見えるはずなのですが、ちょっと分からない。 -
宮内省の復元建物
内裏東側のこの一画で見つかった建物群は、天皇家のための仕事をする宮内省関係の役所とみられている。
築地塀で囲まれた東西約50m、南北約90mの区画の中には、瓦葺の正殿を中心に桧皮葺の脇殿や倉庫など6棟の建物があった。 -
宮内省の復元建物
ここでは、発掘調査の成果をもとに、現在残っている奈良時代の建物の姿かたちを参考に、門・築地塀・建物を復元している。
復元にあたっては、できるだけ当時の工法を用いた。 -
宮内省の復元建物
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内裏の井戸
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第一次大極殿
手前の植え込みがある部分は、全て内裏の建物があったところです。 -
東院庭園入口
◎ 東院
平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張り出し部を持ちます。
この張り出し部の南半は、奈良時代を通じて「東宮」と呼ばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代にはとくに「東院」と呼ばれていました。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催しました。
光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心に営まれていたと考えられています。 -
鳳凰文鬼瓦
東院庭園隅楼屋根上の鳳凰像のモデル。
平城宮内裏外郭出土。 -
獣面文鬼瓦
東院庭園中央建物の鬼瓦のモデル。
押熊瓦窯出土。 -
東院庭園
こちらの庭園は、無料で見学できます。 -
東院庭園
隅楼
屋根の上、金色に輝く鳳凰の像が印象的です。 -
東院庭園
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東院庭園
水がとても澄んでいて綺麗でした。 -
東院庭園
隅楼 -
東院庭園
隅楼 鳳凰。 -
東院庭園
平橋 -
東院庭園
平橋の上に座って記念撮影。 -
東院庭園
築山石組 -
東院庭園
反橋 -
東院庭園
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東院庭園
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東院庭園
隅楼、手前には中島が。 -
◎ おしまい
まだまだ改装工事中の建物が多く、これから急ピッチで整備が進められていくのでしょう。
4月の開幕時には今日見られなかった施設も開放されそうなので、また後日来ようと思います。
★ 今後開放される施設↓
◎ 第一次大極殿正殿・前庭
◎ 平城宮跡資料館
◎ 平城京歴史館・遣唐使船復元展示
◎ 遺構展示館
それにしても、空が綺麗だわ〜(*^_^*)
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