2000/07/14 - 2003/07/16
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YOSHITOさん
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7月14日(金曜日)チェコの中世の町チェスキー・
クルムロフを発っておよそ170キロ北上。午後
7時にプラハのホテルに到着。
翌日の土曜日は朝からプラハ城やカレル橋の観光。
写真はカレル橋の袂、東岸より西岸のプラハ城を見る。
午後は自由行動になり私は都内からやはり一人参加
のD氏とプラハ市内のショッピングを楽しむ。
夜は別ツアーの旧知のY氏をホテルに訪ねイタリア
ン・レストランで会食。
次ぎの日はフランクフルト経由成田へ帰国の途に。
-
チェスキー・クルムロフを夕刻4時半に出発。
バスはチェコ共和国の田舎道を一路北に向け
て走り続ける。小麦畑もあれば平原も広がる。
およそ170キロに及ぶドライブ。 -
到着が遅れたので夕食は8時からとなった。
先ほどの正面ロビーの赤い絨毯の敷かれた階
段を上がって広いレストランへ入る。
今晩のメニューのメインはステーキ。中央の
テーブルにはサラダや果物が盛られていた。
今回は16人程のツアーだが内半数はかつて
津市時代の知人グループで名古屋や横浜から。
他の夫婦や一人参加は皆東京周辺の人。
宴たけなわ、私は
「チョッと皆さんの写真を撮らせて下さい!」
仲間内でこそ写真を撮り合ってもそれを超え
てレンズを向ける人はいない。私はそれを敢
えてしていた。何のために? -
今朝は7時のモーニング・コール。9時にロビ
ー集合と少し時間に余裕がある。
プラハのガイドさんは穏やかな表情をした中年
のブロンドの女性。バスは小高い丘のプラハ城
へ向う。プラハ市内の中央を流れるヴォルタボ
川沿いのフラチェニの丘に建つ。 -
聖イージー教会のあとツアー一行が入ったの
は聖ビート教会。プラハ城の中庭に聳える
ゴシック様式の教会。14世紀から始まった
建造が20世紀まで続いたと言われる。 -
聖ビート教会内の左右のステンド・グラスは
アルフォンス・ミューシャらアール・ヌーボ
ーの芸術家によるもの。見事である。 -
プラハ城下を見る。中央はヴァルタバ川に架
かるカレル橋だったか。 -
聖ビート教会を出た所で30分の自由行動。
城内の奥まった所にある黄金の小経と言わ
れる細い路地がある。かつては兵士達の宿
舎があったが今では小さなレストランやお
店が並んでいて観光客で賑わっている。
一時カフカが住んでいたことでも知られる。 -
そんな黄金小経で見つけた小さな写真ギャ
ラリーの店。私はその店の雰囲気をそのまま
写真に収めたくデスクの前に座っているスタ
ッフに
「ここで写真を撮ってもいいですか?」
「写真は撮らないで下さい」
とあっさり断られた。売り物のプロの写真だ
からだろうか。
「貴女自身を撮らせて下さい」
「それは困ります」
と言う彼女をなだめすかして何とか了承させ
ると、すかさずシャッターを切った。プリン
トした写真は眼を伏せた硬い表情があった。 -
13世紀に開けたプラハ城の南の小地区マラ
ー・ストラナと10世紀に出来たプラハ最古
の旧市街を結ぶのがプラハ一有名なカレル橋。
カレル4世によって14世紀に建造されてい
る。19世紀まではヴァルタボ川の唯一の石
橋で交通の要衝。長さ500メートルに及ぶ
橋の上は幾つかの土産物の屋台があったりミ
ュージシャンが演奏していたり。 -
ヴァルタバ川の西岸プラハ城を下り、カレル
橋を渡って東岸のプラハ旧市街へ向かう。
カレル橋から下を流れるヴォルタバ川を撮る。
こうしてみるとかなりの川幅がある。クルー
ジングの船も行き来する。 -
私はプラハ城を下る時から添乗員には皆の集
合写真を撮りたい旨伝えてチャンスを窺って
いた。カレル橋に来た時、ここだと決めた。
大変な人の流れに抗して如何に迅速にシャッ
ターを切るか。通行の邪魔をする非常識な日
本人ツアーにはしたくない。
私は皆に声をかけると橋の片側に3列に並ん
で貰い、すぐさま三脚を立てるとセルタイマ
ーでシャッターを切っていた。その間120
秒。帰国後2Lサイズで焼いた写真は皆の表
情も明るく、お節介なおじさんを恨んでいる
顔は見当たらず安心して郵送した。このツア
ー唯一の集合写真。左端遠隔シャッターを切
る牧義人。 -
一人ぽつんとテナー・サックスを演奏する
老楽師を見つけすかさずシャッターを切る。
黒のフロックコートに黒のハットを目深に
かむった彼の演奏に耳を傾ける人は誰もい
なかった。私は彼の足元に置かれたサック
スのケースにコインを入れると眼があって
互いに会釈して更に2度、3度とシャッター
を切った。その中の1枚が帰国後いつもの
ように出版業界紙『新文化』の紙面を飾っ
た最初のプラハの写真になった。 -
このグループのミュージシャンにはかなり
後に出会った。やはり皆年配の楽師だった。 -
カレル橋の下。水兵さんの服を着た二人は
実はコンサートの切符を販売していた。 -
カレル橋を降りると東岸の旧市街に入る。
両側は4,5階の建物に挟まれた狭い路地
を一行は先に進む。
時折クリスタル・グラスの看板の店を見る。
添乗員が次に案内したのはまさにそんな
店だった。 -
レジ−ナと言うその店は間口はさほど広くな
いが2階に上がるとパッと明るいフロア。
チェコのボヘミアン・グラスは名前だけは聞
いていたが特段興味があった訳ではない。
透明なグラスに刻まれた文様がキラキラ輝く
のを見ているとそこに赤いワインを注いでみ
たくなる。日本人の若い店員は
「ここでお買い上げ頂いたグラスは今日のう
ちにホテルに届けます」
午後のプラハ散策にはそれは有難い。六客の
セットで3,720コルナ、およそ¥10,600ほど。
免税手続きにパスポートを確認していた彼女は
「あら!お客さんは浦安なんですね・・・私
も千葉県なんです」
「千葉はどちら?」
「松戸です」
「プラハは長いですか?」
「いえ、まだこちらへ来て日は浅いんですよ」 -
レジ−ナ店を出た後ツアー一行は添乗員に従
ってプラハ旧市街の広場に向かう。観光客ら
しい人の流れも目立つ。
石畳の広場の中央には15世紀の宗教改革者
ヤンフスの像。周りの石の階段、その前の
ベンチには多くの若者や旅人が腰をおろし
ている。この彫刻自体は割に新しいもので
1915年の建立と言う。 -
広場の一方には15世紀の大きな天文時計をつ
けた旧プラハ市庁舎がある。建物の色は少し
くすんでいるが、これもプラハのガイドブッ
クには必ず紹介されている。巡回のプラハ制
服のポリスにシャッターを切る。 -
もう一方にはチョッと東洋的なベージュの建
物に円筒の屋根を持つ教会が目に入る。これ
は聖ミクラ−シュ教会と思われる。 -
プラハ城内に建つ聖ヴィート教会に次ぐ大き
さのティ−ン教会。やはりこの広場でも目立つ
建物で14世紀の創建である。 -
お昼はバスに戻って少し走った所にある中華
レストランに入った。立派な店で品数は豊富
だったが味は今一つだった。
ランチの後はフリータイム。ホテルに戻る人
はこのままバスが送ってくれる。私は一人で
参加しているD氏と市内をショッピングがてら
散策する事にした。
写真はレストランの近くで見かけた楽しい壁
画の描かれたビル。手前のビルのベランダも
面白い。 -
ランチの後はフリータイムでホテルに戻る人
はそのままバスで。私は夕刻Y氏と会食を予
定していた。まだ充分時間があり同世代のD氏
とショッピングを兼ねてプラハ市内の散策に。
最初に寄ったのはガラス工芸品の店でした。
2階に上がると陶器類も置いていた。
彼は六客セットのコーヒーカップを熱心に見
ていた。シュガーポットもついており日本に
持って帰るのが大変ではある。
対応の店員はお客さんに有難うと言うでもなく
カップを一つづつ丁寧に包装を始めた。 -
その後入ったのは貴金属店。と言うのも私は
娘に頼まれたイヤリングのことが頭にあった。
「ピアスでないイヤリングはどれですか?」
「はい、ピアスでないのは小さな赤丸の書い
てあるのだけです」
確かに価格札にその印しのあるイヤリングは
全体の1,2割しかなく、今や東欧のプラハ
でもピアスが常識と言うことか。
「これはチェコの石、ガーネットのイヤリング
です。良いお土産になりますよ」
1,930コルナ。約¥5,500位。支払を済ますと
今まで英語で対応していた店員達が突然にこ
やかに
「有難うございます」
と滑らかな口調の日本語でお礼を言われ意表
をつかれた。
そのあと日本語で断ってシャッターを切った
が二人共俯いたままで包装をしていた。ギャ
ラリーでのスナップといい東欧の女性は極め
て表情が硬い。 -
日本のおじさん二人がここ東欧プラハの商店
街を物珍しくあちこちを見ながら歩く。もっ
とも日本に帰ってから知った彼は九段に弁護
士事務所を持つ現役の弁護士ではあった。
西欧の街と違って10年前にはほとんど日本
人は見かけなかった。
狭い通りでネクタイの専門店を見つけ自分用
の土産になった。D氏はまとめ買い。それで
も女店員はニコリともしない。彼は大きな包
みがあり一旦ホテルに戻る。
大通りの角に立つと壁面に絵が描かれた明る
い建物が目に入った。氣になってシャッター
を切る。後で100年ほど前の建物で今はプ
ラハ市民会館として利用されていると判った。 -
4時を回り私はY氏の泊るPalece Hotelの方
角を意識して歩いていた。いつしかヴァーツ
ラフ広場の大通りに出ていた。プラハ一の通り
でさすが人が多い。突き当たりに見えるのが
チェコ国立博物館。今たくさんの人々が歩い
ているがこの通りこそかつてソ連軍の戦車が
蹂躙したあの“プラハの春”のヴァーツラフ
広場である。 -
プラハの春は1968年のことである。当時でも
既に32年前。今からすれば42年も過去の出
来事でもある。
ヴァーツラフ広場を離れてナプリコープ通り
にいた。アイスクリームの屋台を見つけ一休
み。今日は土曜日、観光客と言うより地元の
若いカップルや親子連れが休みの夕方を楽し
んでいる。
市電を待つ市民。犬も一緒に。 -
6時、シルクハットのドアマンがいかにも
似つかわしいクラシックなホテルに着いた。
Y夫妻に再会した。ブタベストのドナウ川ク
ルージングで会っていた3,4人の人達も
一緒に川岸のイタリアン・レストランに出
かけた。
ホテルで紹介してくれたドンジョバンニと
言う明るく、落着いたレストランだった。
お互いツアー最後の夜9時過ぎまでワインを
傾け楽しく過ごした。
帰国後もこの集いは東京で続いている。この
数年後新宿のK書店の社長に就任したY氏を皆
でお祝いもした。
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