2009/12/27 - 2010/12/27
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kuroneko12さん
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12月27日〜1月1日まで、イタリアを旅行してみた。
目的地はボローニャとその周りとフィレンツェである。
ボローニャに行こうと思ったのは、ボローニャ大学があるからだ。
ヨーロッパ最古の総合大学にして、世界の近代的な大学の原点になるものだという。
それを聞いたときから、ボローニャという街が気になっていた。
歩いてみたボローニャは、いい街であった。
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- KLMオランダ航空
-
▼空港から市街まで▼
26日の22時前にアムステルダム経由でボローニャに到着した。
空港の建物の外に出て右に歩くと、ボローニャ市街に向かうバス(AEROBUS)の乗り場がある。
夜遅くでも25分おきに24時過ぎまでバスがあるらしい。
片道で5ユーロ。
チケットはバスの運転手から買う。
で、ボローニャ中央駅のAEROBUSのバスストップである。
ここまで25分ぐらい。
というわけで、市街までのアクセスは便利である。 -
ボローニャ市街に入ると、最初はウーゴ・バッシ通りのバス停に停まる。
ホテルが旧市街内にある人は、ここで降りると便利だろう。
その後、バスは写真のボローニャ中央駅に到着する。
今回の旅行の前半はボローニャを拠点に鉄道で移動するので、駅前のホテルに泊まった。
駅前には、3つの大型ホテルが並んでいるので、すぐに分かるし便利なのだ。 -
▼旧市街へ向かう▼
翌日、さっそく街歩きである。
駅前からだと、このガッリエラ門から歩くのが旧市街の中心に一番近い。
ガッリエラ門を抜けると、正面と左、2つの通りがある。
左側のVia delle Indipendezaを通ると、旧市街の中心であるマッジョーレ広場に直接出られる。
朝9時ぐらい。まだあまり人通りがない。
あまり雪は降らないと聞いていたが、ヨーロッパを襲った大寒波の影響か、雪が積み残されているところもあった。
でも、東京より寒くない感じがするぞ? -
マッジョーレ広場に出るために、Via delle Indipendezaを歩く。
広場の周りに、ボローニャの主な見どころが集まっている。
だいたいこの辺から、道がアーケード状のポルティコ(柱廊)で覆われるようになる。
道の両側には、カフェやピザ屋が多くて、簡単に食べるには困らない。
だいだいいつも混んでいて入りづらいけど。 -
▼マッジョーレ広場周辺▼
通りを15分も歩けば、マッジョーレ広場に着く。
ローマの時代から、ボローニャの街の中心だったらしい。
この広場を中心に道が放射線状に延び、それぞれが城壁の門につながっている。
広場のシンボルはこの海神ネプチューンの噴水である。
街の人たちからは"gigante(巨人)"として親しまれているらしい。
でも、建物に挟まれた広場の入り口のせまい部分にあるので、あまり「シンボル」という感じがしない。
この像の周りには、いつも観光客が集まっている。
ところで、海のないボローニャで、どうして海神像なのだろう。
もっと、“美食の街”ってぐらいだし、収穫と豊作の神とか、そんなんじゃ駄目だったのだろうか。
あと、そばに大きなクリスマスツリーが飾られていたのだが、イルミネーションの電源はなんと人力。
ツリーの周りに自転車が何台も置いてあって、誰かがそれをこぐとイルミネーションに明かりが点くというわけだ。
通りがかると、だいたいいつも誰かがこいでいた。 -
広場の正面には、サン・ペトロニオ聖堂がある。
5世紀のボローニャの司教であり、ボローニャの守護聖人となった聖・ペトロニウスを奉った寺院である。
建設は14世紀に始まった。
当初はローマのサン・ピエトロ寺院よりも大きいものにする構想だったらしい。
しかし、250年かかっても完成せず、結局未完成のままである。
たしかに下半分は彩られているが、上半分に装飾がない。
(でも、個人的には上半分のほうが渋くて好みだ)
未完成というが、これでも十分大きくてどっしりした貫禄を備えた、落ち着いた寺院である。
完成していたらどれだけ厚みのある建築になっていたんだろう。
彫刻や、内部に飾られている絵画は、ルネサンスの傑作ぞろいらしい。 -
サン・ペトロニオ聖堂を背にして、左側にあるのが市庁舎である。
現在でも市役所として使われている。
ボローニャを支配したその時々の勢力によって、増改築を繰り返してきたそうだ。
建物の外観の雰囲気が左右で違うのはそのためらしい。
(写っているのは左半分)
3階に市立美術館と、モランディ美術館がある。
美術館は教会美術を中心に、なかなか見応えがある。
歴史、美術に興味がある人には面白いだろう。
モランディ美術館は、ボローニャ生まれの現代画家、モランディの作品を集めた美術館である。
個人的には、観光で行って面白い場所ではないと思った。
ちなみに、ボローニャでは市立の美術館・博物館は無料だ。
有り難い! -
サン・ペトロニオ聖堂の向かいにあるのが、ポデスタ館だ。(聖堂の影が映っている)
中を見学することはできないが、一階部分にインフォメーションとカフェがある。
古い建物で、塔は1212年のものだという。
ところで「ポデスタ館」という名前の建物は他の街にもある。
気になって調べてみると、中世イタリアでは、地方長官とか「都市」の長のことを「ポデスタ」と呼んでいたらしい。
そして、この「ポデスタ」という名称は、史料上ではボローニャで使われるようになったのが最初らしい。
もともとこの館には、神聖ローマ皇帝が派遣した都市長官が住んでいた。
神聖ローマ皇帝派とローマ教皇派の抗争の舞台であったボローニャでは、12世紀に教皇派が優勢となり、住民が都市長官を追い出したという。
その後は、住民に選出された首長が住む館になったらしい。
以後、14世紀に教皇領に組み入れられるまで、ボローニャは「自由都市」として繁栄する。
人口はヨーロッパでも5、6番目に多い街だったそうだ。 -
ポデスタ館のだいたい裏にあるのが、エンツォ宮である。
ここは、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世との戦いに勝ったボローニャが、皇帝の息子にしてサルデーニャ王であったエンツォを捕虜にし、死ぬまで幽閉した場所だという。
エンツォは23歳のときに捕虜になり、死ぬまで23年間幽閉されていたというから、人生の半分をこの建物に閉じ込められて過ごしたということだ。
しかしこの若きエンツォは、幽閉されていたにしてもボローニャの市民に愛されていたらしい。
それで、その名前が現代まで残っているのだという。
どんな暮らしぶりをしていたのか気になるところだ。
中には入れないが、何か特別なイベントが行われていれば見学できるのだそうだ。
この落ち着いて渋い外観が気に入ったので、中も見てみたかった。 -
▼ボローニャの斜塔▼
さて、エンツォ宮殿を背に、右手に歩くとボローニャの斜塔が見える。
マッジョーレ広場を境に、この通りは東側がリッツォーリ通りを経てマッジョーレ通り、西側がウーゴ・バッシ通りになる。
ボローニャの中では、人通りの多い通りだ。
ところでこの道は、ローマ街道の一つであるエミリア街道なのだそうだ。
2000年以上前に造られたローマ街道が、今でもそのまま使われているというのが、この国の美しさの理由の一つだと思う。
ボローニャ自体も、その起源を紀元前500年以前のエトルリア人の居住地にさかのぼることができる。
以後、ローマの時代にはエミリア街道とフラミニア街道が交差する重要な拠点として街は栄える。
ローマ衰退後も、交通の要衝としての役割は失わなかったのだろう。
教皇派と皇帝派の抗争の地であると同時に、経済の拠点としてもボローニャは発展する。
今でも、ボローニャはイタリア経済の重要な拠点の一つだという。 -
塔の足元に立ち、見上げてみる。
塔は2本とも12世紀の貴族によって建てられたものである。
低いほうがガリセンダの塔(48m)。
立てている間に傾き、当初の設計よりも低い高さに抑えたとか。
見るからに傾いていて心配になる。
高いほうがアシネッリの塔(97m)。
こちらは階段を登り、ボローニャの景色を楽しむことができる。
階段は急で、すれ違うスペースも少ないのでけっこう大変だ。
料金3ユーロ。 -
塔の上からの景色は、登るに値する。
「赤い街」の異名に相応しい、赤レンガの屋根の街並みを見下ろすことができる。
赤い屋根が途切れるあたりから、緑の風景と地平線を見ることができる。
個人的には、市街部とその先に広がる山や緑のバランスのいい好きな眺めだ。
朝は曇っていたが、昼前に薄日がさすようにもなって、運が良かった。
今は冬だが、春や夏の強い日差しの中で、赤い屋根がどんなふうに輝くのだろうと思うと、明るい時期にまた来たくなる。
2本の斜塔以外にも、写真のように塔を見つけることができる。
中世ボローニャ最盛期には、200本以上の塔が貴族たちによって建てられたという。
現存する塔は、倒壊を防ぐために市が修繕を行っているらしい。 -
マッジョーレ広場のほうを眺めるとこんな感じ。
広場の周りの建物はガイドに載っていなくても、ほとんどが歴史ある建物らしい。
ボローニャは、都市の再開発計画が19世紀に入るまでなかったため、中世の街並みや雰囲気をヨーロッパでも強く残している都市だという。
ちなみにサッカー、セリエAのFCボローニャも創設100年という名門クラブチームだ。
2004年の半年間だけだが、中田英寿が所属していたことで聞いたことがある人も多いだろう。
マッジョーレ広場の"i"などでユニフォームを売っていた。
それから、下を覗き込むともう一本の塔の屋根が見える。
ちょっとシュールで面白い眺めだった。 -
▼旧ボローニャ大学▼
マッジョーレ広場のほうに戻り、サン・ペトロニオ聖堂の左側の道を進むと、旧ボローニャ大学があるアルキジンナージオ通りである。
(夜の写真しか撮らなかったので夜の写真)
この通りと、一本裏の通りのエリアにはブランドショップが多い。
旧ボローニャ大学の手前に、市立考古学博物館がある。
写真は考古学博物館の入り口である。
中世には病院として使われていた建物らしい。
博物館にはなかなか立派なエジプト・コレクションと、エトルリアの壺コレクションがある。
エジプト・コレクションには、ワニのミイラもある。
そんなものがこの世に存在するとは思わなかった。
料金は市立なので無料だ。
それから、この辺の文房具屋でノートを買った。普通のノートだ。
ただの白紙のノートは1ユーロしないのに、罫線が入ると2ユーロを超える。
プラスチック?の表紙のノートは5ユーロぐらいする。
そんなに高い「普通の」ノート、聞いたことがない。なんでそんなに高いのだろう。 -
アルキジンナージオ宮は、1563年〜1803年まではボローニャ大学の校舎だった。
ボローニャ大学は1088年に創設された。
とはいっても、当時はキャンパスのようなものはなく、街のあちこちに生徒と教師が集まって授業が行われていたらしい。
しかし、それでもヨーロッパの各地から学生が集まり、当時のボローニャは多国籍の若者が集まる街であったとのことだ。
そんな異国の地で学ぶ学生たちが、自分たちの生活を守るために組織した組合(ウニベルシタス)が「ボローニャ大学」の原点だとか。
たとえば、下宿代が不当に高い場合、「下宿代を下げなければ引越す」と家主と団体交渉するなどであったという。
この雰囲気は、大学の「学生自治」の原点でもあるのかもしれない。
そして1563年に、このアルキジンナージオ宮殿に法学、哲学、医学、数学などの各学部のキャンパス?が統合される。
この動きは当時のボローニャの枢機卿が、ボローニャの政治的中心地区を整備・革新する中で成されたものだということだ。
ちなみに、現在のマッジョーレ広場の基本的な景観は、このときから変わってないらしい。
現在では、当時の学芸系学部の大講堂が図書館として利用されているのだそうだ。
こんな歴史ある大学、建物で勉強するというのは、どんな気分なのだろう。 -
これが当時使われていた人体解剖教室である。
ボローニャ大学は、ローマ法や商法を教えるための法学が主であったが、医学や神学も盛んであったらしい。
手前の台が解剖台。
奥の教壇の天蓋を、両脇に立つ「皮を剥がれた人」の像が支えている。
ここに当時の学生たちが集まっていたのか…と思い、しばし階段席に座ってみる。
学校の社会の教科書かなんかで当時の大学の講義の様子を記録した絵を見たけど、当時から少なからず学生は講義中に眠っているものだったみたいだ。
今でこそ照明で照らされているけど、当時はどれぐらい暗かったんだろう。
ここには、日本語で印刷されたA4一枚分のガイドもある。
もっと当時の大学の痕跡を見るべく建物のなかをうろうろしてみたかったが、移動できるエリアは一階の入り口を入った中庭部分と、この教室の周りだけだった。
図書館は曜日の関係でか閉まっていたが、開館日には中に入れたのだろうか。 -
▼街の南の教会へ行く▼
南北に延びるアルキジンナージオ通りを突き当たると、Via Farini(ファリーニ通り?)が東西に続いている。
このあたりの通りは、けっこう雰囲気がいいと思う。
ポルティコが続く街ボローニャであるが、これは中世に学生が増えすぎて建物が足りなくなり、居住スペースを道の上に広げるための苦肉の策だったそうだ。
街のエリアを拡げるとか、建物を建て増しするとかではなくて、道の上を居住スペースにしちゃうって発想がすごい。
建築技法とか、その方法を取ろうとした歴史的背景は不勉強にして知らないが、素人としてはかなり難しい方法を選択しちゃったんじゃないかという気がする。
が、しかし、それが今に残るボローニャの趣ある街並みを造ったというわけだ。 -
Via Fariniを左に曲がると、すぐにVia Garibaldi(ガリバルディ通り?)なのでそこを右に曲がると、サン・ドメニコ教会である。
教会内は静かで、落ち着ける。
この教会にも、名高いキリスト教美術が多く展示されている。
が、残念ながら私はキリスト教方面の美術ってあまり感銘を受けないし、そんなに違いも感じないのだった。
テーマとか構図が似通っているからかなぁ。
ここはドメニコ会の創設者で、ボローニャで亡くなったという聖ドメニコを祀る教会だそうだ。
聖ドメニコはスペイン生まれ。12世紀〜13世紀にかけてカトリックの教えの伝道に情熱を燃した人物である。 -
Via Fariniに戻り、右に曲がって広場に突き当たるとサント・ステーファノ教会群がある。
ここにも、斜塔やマッジョーレ広場ほどではないが、たくさんの観光客が集まっていた。
11世紀〜13世紀にかけて建てられた教会の集まりで、各時代の様式が見られるという。
ボローニャの教会は基本的に無料で見学できるが、昼過ぎは閉めてしまって3〜4時にまた開けるところが多い。
観光プランを立てるときは、それを考慮しておかないと効率が悪くなる。 -
この教会は、サン・ペトロニオ聖堂やサン・ドメニコ教会と違って、美術品が目につくわけではない。
ここは、石造りの教会の、静謐な雰囲気それ自体に魅力があった。
塔を見上げると、この教会が刻んできた歴史を感じる。
ボローニャのなかでも、ぜひ行ってみるべき教会だと思う。 -
今回行ってみた教会は、ここまでである。
ボローニャには他にも、サン・フランチェスコ教会、サン・ジャコモ・マジョーレ教会など、街中に見どころとされる教会がある。
でも、一番行ってみたかったのは、近くの丘の上にあるという聖ルカ教会のマリアの記念堂だ。
教会の伝説によれば、1433年のこと。ボローニャでは降り出した雨が止まず農作物が台無しになりそうだった。
そんなとき、教会の祭壇に飾られている『聖母マリアと幼子キリスト』の絵を街の中心地へ移すと、途端に雨が止んだらしい。
教会までの坂道にはポルティコが続き、丘の上からはボローニャの田園風景が見られるという。
ぜひ眺めてみたかったし、伝説の教会自体も気になったなぁ -
▼ボロネーゼ▼
この日の食事について。
ボローニャに来たんだから、ボロネーゼを食べなければ!である。
ボローニャでちゃんとした食事ができそうなところは、ガイドにも載っているとおり、19時〜20時にならないと開かない。
けど、その時間まであまりうろうろしていると疲れてしまうので、どっかで休みたい。
で、同じことを観光客もみんな思うのか、夕方のカフェはどこもいっぱいだった。
そうでなくとも、ボローニャのカフェは混んでいる。
テーブルの数が少ないのだ。
カウンターでは休めないし、結局、休憩は教会でぼんやりしていることが多かった。
話を戻そう。
疲れたしお腹は空いたし、どこでもいいから開いたとこに入りたい(でもあまり閑散としている店も嫌)と思っていたところに、「ボロネーゼメニュー」を店の外のメニューの上に貼り出してる頼もしい店を見つけた。
"VICTORIA"という名前のお店である。
Indipendeza通り、ホテルVECCHIの角を曲がるとある。
19時にはオープンしているので、早めに店を開ける部類に入ると思う。 -
で、ボロネーゼメニューを見ると、8種類ぐらい並んでいる。
いわゆる、日本でもみられる「ボロネーゼ」のアレンジだろうと思って、キノコのパスタを注文したけど、これがいけなかった。
出てきたのはこれである。
うーん…。どう見ても日本人が期待する「ボロネーゼ」ではないよなぁ。
そういえば、ワインも白を出されたし。
これはこれでもしかして、私が不勉強なだけで立派な「ボロネーゼ」なのかもしれないけれど。
ろくに調べていなかった私が悪いのだが、いわゆる「ボロネーゼ」が食べたかったら、メニューに「ラグー」と書いてあるものを注文しなければならないのである。
もっといえば、タリアテッレ(生パスタ)を使ったものである。
この店は気持ちのいい店で、一人旅・男・東洋人の私にも、ちゃんとエスプレッソやドルチェを勧めてくれた。
(フィレンツェではそうはいかなかった)
パスタ7.5ユーロ、(伝統野菜の?)グリーンサラダ6ユーロ、ティラミス4ユーロ、ワイン(250ccデキャンタ)3.5ユーロ、水1.8ユーロ、コペルト3ユーロ:計26ユーロ+チップ
イタリアでちゃんと食べると高い。
けど、ここは安いほうかもしれない。 -
翌日、リベンジのつもりでホテルの人に「美味しいラグーが食べたい」とおススメのお店を紹介してもらった。
一つは、斜塔を背にしてウーゴ・バッシ通りに続くRizzoli通りから路地に入ったところにあるレストラン。
ちょっと高そうだと思っていたら、予約でいっぱいだと言われ、締め出されてしまった(なんて名前の店だったろうか)。
で、もうひとつの店がこの「Rosso」だ。
ラグーのパスタ(残念ながらタリアテッレではない)、肉料理、ドルチェ、ワイン、あと確かエスプレッソもついたはずの定食で12ユーロとリーズナブル。
まぁ、もっと高い店に行けば、もっと美味しいのかもしれないなぁという味ではあったが。
値段相応なので文句は言うまい。
場所は忘れてしまったが、前日に行った「VICTORIA」の近くのエリアであったと思う。
このエリアには、Indipendeza通りを挟んでレストランが多かった。 -
翌日もボローニャに泊まるが、サンマリノとラヴェンナに行くつもりなので、ボローニャを歩くのはこの日だけだ。
観光地としてのボローニャは、一日あれば十分回れる。
でも、丘の上の聖ルカ教会とか、ウーゴ・バッシ市場とかを見逃してしまったし、ボロネーゼももっといろんな店で食べてみたかった。
鉄道も高速道路も交差する土地なので、ボローニャを拠点にして日帰り観光できる街はサンマリノ、ラヴェンナ以外にもいろいろある。
(モデナやパルマにも行ってみたかったなぁ)
そのようなわけで、味わおうと思えばもっと滞在して味わえる街だと思う。
というか、もっとただぶらぶらしようかと思ったけど、結局名所?を回って終わってしまったのが残念だ。
個人的には、後で行ったフィレンツェよりも好きだ。
歩きやすいし、街並みもきれいで落ち着いているところがいい。
穏やかなイタリア旅行を望むなら、ボローニャはまさにそれ向きかもしれない。
(とはいえ、年末なので学校が休みだ。学生の街ボローニャに学生が戻ってきたときは、もう少しにぎやかになるのかもしれない)
次にまたイタリアに来て、ボローニャを経由したりする機会があったら、今度はもっと美味しいボロネーゼを食べてやろうと思う。
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