2009/09/17 - 2009/09/27
2785位(同エリア3933件中)
目黒警部さん
セブ島の観光名所、マゼランクロス&サント・ニーニョ教会を訪問しました。
大阪の街模様に食べ物情報そして旅の記録をジャンル別にして毎日更新しています Yahoo!ブログ目黒警部の旅 もヨロシク!
http://blogs.yahoo.co.jp/megurokeibujp
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 航空会社
- セブパシフィック
-
2009年9月20日(日曜日)
フェンテ・ペンションホテルの屋上レストラン。 -
メニューを見て、さて何にしようか・・・
-
-
いい景色です・・・
-
-
オレンジジュース 35ペソ
-
ハムと卵のサンドイッチ 50ペソ
-
ホテル前からタクシーの乗り観光名所、マゼランクロスにきました。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
セブ市はフィリピンの宗教・文化の中心の一つである。
町の一番のシンボルは「マゼラン・クロス」である。 -
触ろうという人が多すぎて今は八角形の聖堂がかぶせられているが、フェルディナンド・マゼランが世界一周航海の途中、1521年にフィリピン諸島に上陸したのがここで、その際地元の領主ラジャ・フマボンとその王妃、400人ほどの住民がキリスト教の洗礼を受けたという。
-
その際に王妃にサント・ニーニョ像(幼きイエスの像)が贈られており、これが今セブの守護聖人になっている。
-
-
サント・ニーニョ像を記念した教会であるサント・ニーニョ教会を中心に、1月の第三日曜日には通りをダンサーらが練り歩く盛大なシヌログの祭典が催され、観光客も多く訪れている。
-
セブの人々はセブアノと呼ばれ、オーストロネシア人、中国人、日本人、スペイン人などの子孫である。
-
-
うち中国系フィリピン人はスペインによる植民地時代に福建省からやってきて地元民と混血し商業に携わった。
-
19世紀以降も絶えず中国から新しく移民する人がセブに流入している。
-
セブでは中国人(華人)は数世紀にわたり政治的・経済的に大きな役割を果たしており、メトロ・セブの高級住宅地を占め、セブ人のほとんどは大なり小なり中国系の血が入っている。
近年は韓国人が7万人ほどが住み(セブの韓国総領事館による)、少数派民族の中では中国人をのぞいて最大の集団となった。 -
1521年4月7日、フェルディナンド・マゼランはセブに上陸した。
-
マゼランはセブの領主であったラジャ・フマボン(Rajah Humabon)を懐柔。
-
ラジャ・フマボンとその王妃、住民たちは同年4月14日に洗礼を受け、最初のフィリピンのキリスト教徒となった。
-
マゼランは地元の領主同士の争いに介入してキリスト教に改宗させていったが、この島々をスペイン領として宣言することはできなかった。
-
マゼランに従わない領主ラプ=ラプとの戦いが隣のマクタン島で4月27日に起こり、討ち死にしたからである。
-
1565年4月27日、征服者(コンキスタドール)ミゲル・ロペス・デ・レガスピは、兵士たちと聖アウグスチノ修道会およびフランシスコ会からの修道士と共に上陸し、ラジャ・フマボン王の息子、ラジャ・トゥパス王の町を攻撃・占領、フィリピン植民地化の最初の足がかりを築いた。
-
マゼランがサン・ミゲルと改名したセブの町はレガスピによって「ヴィラ・デル・サンティシモ・ノンブレ・デ・ヘスス(Villa del Santisimo Nombre de Jesús、イエスの最も聖なる御名の村)」と再び改名され、マニラが植民地化されるまでの6年の間、セブ市は新しいスペイン植民地の首都であった。
-
マゼランらはこの海岸に、メキシコとの貿易や現地人との戦争に備えた港湾兼要塞のフエルサ・デ・サン・ペドロ(サン・ペドロ要塞)を建設したが、これは今もセブ市の海岸に残っている。
-
3世紀の後、1898年6月12日、スペインの支配は倒され独立が宣言されたが、続くアメリカ合衆国の侵入により再び植民地支配が続いた。
-
1901年、セブは町(municipality)となり1937年2月24日、市(chartered city)となった。
-
第二次世界大戦では日本軍に占領された後、1945年にはアメリカ軍による奪回が行われ激しい戦場となった。
-
戦後は、地主と小作の対立が激しくゲリラが活動する他の島や都市と比較してセブ市は平穏なため、多くの海外からの工業投資や観光投資を呼び込んでいる。
-
マゼランクロス前のサント・ニーニョ教会
1565年にキリスト教布教の拠点として建立され、正式にはサント・ニーニョの教会堂という。
別名を「サン・オウガスチン教会」といい、フィリピン最古の歴史を持つ教会としても知られている。
最大の見ものはマゼランが持ち込み、セブのフアナ女王に贈ったというサント・ニーニョ像。
この高さ約40cmの幼年のキリスト像は、市民に熱狂的に崇められ、休日ともなれば長蛇の列でごったがえす。
セブの人々にとっては特別な存在となっている。 -
サントニーニョとは幼少のキリストという意味で、フィリピンでは幼少のキリストを崇拝しています。
-
サント・ニーニョ教会はフィリピンでも最古の教会の一つで現存するものは1790年に再建されたものである。
風化した石の地肌が歴史を感じさせる。 -
サント・ニーニョ教会の東側にはサント・ニーニョ教会博物館がある。
教会の敷地内には黄色のスカートを身に付けた女性たちがローソクを売っている。
教会の建物の外に屋根付きの灯明台があり人々はここで高さ5cmほどのずんぐりとしたローソクを灯して祈ることになる。
灯明台には多くの祈りの残骸が残されている。 -
切妻屋根の建物が口の字形に配されており内部は中庭になっている。
道路に面した北側の辺が礼拝堂になっており,その横に鐘楼が置かれている。 -
教会内ではミサが行われていました。
-
礼拝堂正面に聖壇があり背後の壁面には3人,7人,7人と三段になった聖人像が配されている。
各段の中央は上からサント・ニーニョ,サント・ニーニョ,十字架のイエス・キリストとなっている。
訪れた時間帯にはライトアップされ金色に輝いていた。 -
-
日曜日の今日は大勢の人々がミサのために訪れており椅子席はもちろんのこと両脇背後と入り口近くまで敬虔な信者で溢れていた。
-
-
-
聖壇の左側の部屋には石造りの小神殿に納められた「サント・ニーニョ像」が置かれている。
このサント・ニーニョ像がセブの守護聖人なのであろう。 -
-
聖壇の壁面には三段に聖人像が配されている。
-
この教会の礼拝堂の収容人員はせいぜい500人程度でありそれでは礼拝に集まる人々はまったく収容できない。
礼拝堂廊下にも多くの人がテレビモニターを見ながらミサに参加していた。 -
-
-
-
-
廊下にあふれる信者。
教会の内部廊下にはこの教会にまつわるいくつかの絵画が展示されている。
剣をもったスペイン軍の隊長と十字架を掲げた神父の前に先住民の長がひざまづいている絵はフィリピンがたどってきた被征服の歴史を物語っている。 -
教会の裏口からでるとします。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
目黒警部さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
セブ島(フィリピン) の人気ホテル
フィリピンで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
フィリピン最安
345円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
50