2009/09/17 - 2009/09/27
1002位(同エリア1973件中)
目黒警部さん
RIZAL'S LAST WALK
シアター内部からゲートまで Dr.Jose Rizal の足跡が白いマーカースタイルで残されている。
Bagumbayan の死刑執行へ向かう足跡だ。
歴史の偉大な英雄は、何を思ってここを通り過ぎていったのだろう。
Shrine of Freedom を残した国民的英雄は、この Fort Santiago に人生最後の足跡も残していた。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- セブパシフィック
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2009年9月18日
スペイン人が立てたサンチャゴ要塞
マニラの北西にある、観光スポットです。
イントラムロスの北西の端にあり、かつては戦略上非常に重要な役割を果たしていたとされる。もとは海賊を防ぐために造られていたものをスペイン人が城塞化した。
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捕虜収容所や軍の司令部として使われ、第二字世界大戦中には日本軍の憲兵隊司令部にもなりました。
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フィリピンの英雄「ホセ・リサール」が処刑されるまでここで監禁されていたため、「ホセ・リサール」に関する資料や遺品、道具などが展示されており、牢獄の様子なども見られます。
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石橋を通って堀を渡ります。
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大きな石門があります。
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1590年 The Royal Stronghold of Santiago (La Real Fuerza de Santiago)は建てられた。
完成したのは1739年。当時はまるでお城のようだったという。 -
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門の中に入ると手入れが行き届いた、綺麗な中庭があります。
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中庭に立つ、ホセリサールの銅像。
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要塞の北側には、フィリピンの英雄「ホセ・リサール」が処刑されるまでここで監禁されていた牢獄があります。
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太平洋戦争中、数百人ものフィリピン人とアメリカ人が日本軍により投獄され命を落とした地下牢があります。
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要塞の行き止まりの北側から、マニラ湾に流れるパッシグ川が見えます。
川の向こう川はトンド地区(中国人街)です。 -
周りはマニラ湾、パッシグ川の水で囲まれていて、イギリス、アメリカ、日本の軍隊の重要拠点として使われてきたサンチャゴ要塞。
第2次世界大戦中、日本軍は多くのフィリピン人をここで殺害した。
その方法は残酷で、地下牢に閉じ込め満潮時に水死させるというものだった。 -
Baluarte DE Santa Barbara 博物館
Almacenes Reals 1500年に建てられた。 -
Pasing Riverからのガリオン船からの物資の倉庫として利用された ROYAL WARE HOUSEに入ります。
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入場料無料、入口にてサイン帳を記入します。
優しそうな係りの女性が座っています。 -
ホセ リサールに関しての展示品があります。
絵画や骨董家具が当時をしのばせる。 -
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要塞城壁の上を歩いてホセリサール記念館へと向かいます。
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リサール記念館。
独立運動の英雄ホセ・リサールが処刑前まで暮らしていたところで、詩人、画家、医師でもあった彼の遺品を展示している。
処刑の直前に彼が書いた別れの詩、恋人とされる日本人女性おせいさんの肖像画(写真)も見学できる。 -
処刑されるまでの 1896年11月3日から12月29日の 56日間、ホセ リサールが過ごした牢屋がリサール記念館になっている。
牢屋といってもまるでハウスのようだ。
当時のスペイン政府が Rizal を特別待遇していたのがわかる。
部屋が展示場になっていて書物、絵画、名刺、衣服など身のまわりの物が置いてある。
2階には彼の処刑に使用された小銃が展示してある。彼の傑作 『Mi Ultimo Adios (My Last Farewell) ミ ウルテイモ アデイオス 』 もある。
和訳で 『私の最後の別れ』 という意味の著書は処刑される前の晩に妹へ託されたという。
別の建物の Baluarete de Santa Barbara にも Rizalina Exhibit がありホセ リサールに関しての展示品がある。 -
入場料は無料ですが、入口で寄付を入れる箱と寄付しなさいとの圧力を感じます係りの男性が座っています。
寄付しました・・・ -
ホセ・リサールの肖像画。
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フィリピンの近代史に触れると必ず登場してくるスーパーヒーローがいます。
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Dr.Jose Rizal ホセ リサール です。
スペイン政府により彼は死刑にされました。
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彼の死は、フィピンの国民による反政府運動に火をつけ全土に広がりました。
彼はフィピン独立の父といわれています。 -
フルネームは Jose Protacio Mercado Rizal Alonzo y Realonda といます。
メステイ−ソといい中国とフィリピンの混血の家系に生まれました。 -
当時のフィリピンは、1521年フェルデナンド マゼランがサマール島そしてセブ島に上陸したのを始めにその40年後レガスピがやって来るころからスペインによる占領が本格的になりました。
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1571年にはマニラを没落させました。
当時はまさにスペイン占領のときでありました。
彼は12ヶ国語を自由にあやつる語学の天才でもあり、医者であるとともに小説家として1887年 『Noli Me Tangere ノリ メ タンヘレ 我に触れるな』 というスペイン支配を批判する小説を25歳のときに発表しました。 -
また、『EL Filibusterismo エル フィリブステリスモ 反対者』 とともに彼の代表作とされています。スペイン政府からの迫害をさけるため、留学の経験もあり海外生活に慣れていた彼は、しばらく外国へ逃避していました。
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1888年、彼は日本へも来ています。
恋人は日本人だったそうで名前は『おせいさん』として知られています。
語学の天才の彼は、日本語も理解したといいます。 -
バルセロナでは、留学生たちと共にラ ソリダリダード (La Solidaridad)を創刊。プロバガンダ運動を盛り上げました。
スペイン国内の混乱など好条件が整ったと判断した彼は、1892年独立運動を開始するためにマニラへ帰国しました。 -
フィリピンに対するスペインの不正な占領行為を改めさせようと要望書を仲間と共に提出しましたが、すぐに彼はスペイン政府に束縛されることになります。
ミンダナオ島のサンボアンガ デル ノルテ州など地方での医療活動に従事させられるなど、首都圏での独立運動からのいわゆる『島流し』にあい迫害を受けました。 -
政治活動を断念し、外国での医療活動へ出張するなどのスペイン政府から出された譲歩案をのめば、死刑はまぬがれるはずでしたが、 Dr.Jose Rizal は、それを拒否しました。
彼は自分の命よりも、フィリピンの独立への希望をとったのです。
彼は 1896年、処刑されました。それまでの 56日間、ここ Fort Santiago サンチヤゴ要塞を刑務所として過ごしたのです。 -
処刑場に向かうホセ・リサールの足跡を表現している。
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RIZAL'S LAST WALK
シアター内部からゲートまで Dr.Jose Rizal の足跡が白いマーカースタイルで残されている。
Bagumbayan の死刑執行へ向かう足跡だ。
歴史の偉大な英雄は、何を思ってここを通り過ぎていったのだろう。 -
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この旅行記へのコメント (2)
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- Toshさん 2009/12/27 10:29:49
- なるほど
- 目黒警部さん
マニラ旅行記拝見しました。
歴史的なものまで調べて、マニラに旅行されたのですね。私は、現地の人に頼りながらのぶらつき旅行なので、すごいなとおもいました。
私も、サンチャゴ要塞に行きましたが、日本軍は、中国に限らず、マニラでも現地人を虐殺していたのですね。日本では、こういうことを教科書に載せていないので、わかりませんよね。
とても勉強になりました。
- 目黒警部さん からの返信 2009/12/27 16:01:01
- RE: なるほど
- 地元の人とご一緒だった Toshさんのマニラの旅楽しく拝見しました。
現地の人、マニラに来ていた外人との交流、旅の醍醐味ですね。
フィリピンは、人そして自然(海)が魅力的な国だと思います。
意識はしていなかったのですが、前回訪問時は、あわただしいフィリピンの旅をしていました。
次回はToshさんのような、ふれあいの時間を大切にして旅するとします。
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