2009/12/04 - 2009/12/04
234位(同エリア470件中)
ムッシュさん
編集中
中津川宿 第四十五宿(日本橋より339.5km)
四つ目川端を境に、宿場本町と商人町新町からなる。本町は、卯建のある町並みを保存、新町は再開発。
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【子野(この)の一里塚跡】
美濃路に入って初めての一里塚で
転がるが如く下り、三五沢を三五沢橋で渡ります、三五沢は落合と中津川の境です、槇坂の上り坂になります。
スグ先の左手斜面に子野の一里塚跡(石柱)があります、わずかに痕跡を残しています、江戸日本橋より数えて84里目です。 -
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「おいでんさい なかつがわ」
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見事な枝垂れ桜が街道を覆っています、桜の下は【小野の地蔵堂跡】です。
大きな枝垂桜の古木が見事です
「昔このあたりに地蔵堂があったといわれていますが所在は明らかではありません。中山道を通る旅人の心を和ませたといわれるしだれ桜の名木が境内にあり、街道まで枝が延びて趣があります。
ここは無縁の石仏を集めた所とも伝えられ、元禄七年(1694)の庚申塚や地蔵、観音像等が数多く祀られています。
また、文政五年(1822)の「南無阿弥陀仏」と独特な文字で書かれた高さ約2.0mの徳本行者の名号石があり、生き仏と言われた彼が文化年間(十九世紀初め頃)この地に逗留して、「称名念仏 」を布教したことを偲ばせます。」
中津川市教育委員会 -
【尾州(尾張藩)白木改(あらため)番所跡】がある
檜などの木曾の木材の取締りを行ったところである -
【尾州白木改番所跡】
”尾張藩の木曽美林からの皮を取った白木の藩外への持ち出しを厳しく監視しする番所” -
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【芭蕉句碑】
山路来て 何や羅遊かし 寿み蓮草
(やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ) はせを
松尾芭蕉の句、貞享2年(1685)の3月27日ごろの吟、前書きに「京都より大津に出る道山路をこえて」と「甲子(かのえね)吟行、別名野ざらし紀行」にある句で、碑は大津出身の菅井家先祖が、ここから見た宿場のたたずまいが近似しているところから常に、その情景を孫、子に語り伝えてきました。三代菅井嘉兵衛高伯のとき郷愁にふさわしいこの秀句を選び、安永2年(1772)芭蕉の八十回忌に父祖の慰霊を兼ね、中山道に面して建てられましたが、30年前に保護するため、道筋からはずし、昭和53年(1978)3月、昔の面影を残すため、この場所に移しました。
大津へ出る山路にて詠んだ句で、『野ざらし紀行』中最も人々に愛された句の一つ。」
山路に咲いている紫の可憐な花びらを見て、思い出の人に似て「何やらゆかし」となった。 -
安永二年(1772年)建立の【芭蕉句碑(すみれ塚)】
「山路来て 何や羅遊(らゆ)かし 寿み連(すみれ)草」があります、
芭蕉の八十回忌記念に建碑されたものです。 -
芭蕉句碑の傍らには三面六臂馬頭観音像、馬頭観音像、庚申塔があります。
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二十三夜塔、庚申塔の上に、紅葉がみごとな赤です。
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【高札場】
復元された高札場の高札は正徳元年(1711年)公布の複製で、その文言は中津川宿本陣の記録に残っていたものを今様に読み下し文にしたものです、元の高札場の位置はここより約10m程坂を上った北側にあり、街道に面して建てられていました。
中津川宿は北に苗木(なえぎ)城下、東に木曽の宿並を控え、物資の集散地として栄え、三と八の付く日に六斎市が立ち、東濃の中心地として大いに賑わいました。
宿長は十町七間(約1.0km)で、宿並は江戸方より淀川町、新町、本町、横町、下町で構成され、宿場機能は本町に集中していました。
天保?年(1843年)の頃、中津川宿の宿内家数は228軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠29軒で、宿内人口は928人でした。 -
高札場に隣接する常夜灯、二十三夜塔、庚申塔
高札場の並びに常夜燈、文化二年(1805年)建立の庚申塔、天保六年(1835年)建立の二十三夜搭が並んでいます。
中山道45番目の宿場・中津川宿の入口である -
和菓子の老舗「すや」
新町交差点を越すと新町に入ります、左手に「すや」があります、元禄年間(1688~1703)創業の元は「酢屋」でした。
今は「栗きんとんの老舗」です、中津川は栗きんとん発祥の地といわれています。 -
やすの栗きんとん。江戸時代も有名な和菓子でした。
これは、菓子箱の表紙です -
素朴な味、栗きんとん
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老舗のお店、やすの店内を。立派なお屋敷ですね!
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桂小五郎隠れ家跡の【料亭やけ山跡】があります。
文久二年(1862年)六月、幕吏に追われる長州藩士桂小五郎(木戸孝允)は平田門人間秀矩の手引きで料亭やけ山に身を隠しました。
京に向かう長州藩主毛利慶親(よしちか)をここで待ち受け、藩主を説得し公武合体から尊皇攘夷に藩論を変更させ、倒幕への道を突き進むターニングポイントになった所です、これを中津川会議といいます。 -
【昔料亭「やけ山」】
文久二年(1862)六月、長州藩士桂小五郎(木戸孝充)は、京都に向かう藩主毛利慶親公の行列を待つ間、幕吏の目をのがれて中津川の平田門人間秀矩(はざまひでのり)や市岡殷政(しげまさ)の好意で密に「やけ山」に隠れ待機した。
やがて「中津川会談」三日の結果。桂の主張によって長州藩は、尊王倒幕へと決断した。明治変革の秘史を物語る場所である。」
中津川市観光協会 -
著作権フリー作品集「木曽街道六十九次」からの画像を使用する
【木曽海道六拾九次之内 中津川 広重画】46
中津川宿は、江戸から四十五番目の宿場である。
寛政年間(1789~1800)には、町の長さ十町七間(約1.0Km)、家数百七十五軒、人口千二百三十人となり、中山道の中でも大きな宿場であった。
宿の町筋は、江戸方より淀川町、新町、本町、横町、下町と続き、中心は本町で、ここに本陣・脇本陣(共に問屋兼務)が相向かいあい、道の中央には用水が流れていた。
本町をはさんで京方筋には旅籠屋、馬宿、茶屋その他物を商う店、職人の家も並び人馬の継立と休憩、宿泊を中心とした町があり、江戸方にかけては商家を主とした町並みがあった。
今でも鉤の手に折れ曲がった横町あたりには古い伝統を受継いだ宿場町の面影が残されている。 中津川市教育委員会 -
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中津川宿本陣跡(石柱)があります。
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【中津川宿本陣跡】
長州藩の中津川会議が開かれ、藩論は倒幕へ傾いたと言う。
代々市岡長右衛門が本陣を勤め問屋を兼ねました、建坪は283坪でしたが、残念ながら遺構は残されていません。
皇女和宮は9日目の夜を市岡本陣にて過しました。
「本陣の入口には五間続きの長屋が建ち、その中央の一軒分が門となっていた。門右手の一軒分は問屋場で、門をくぐると表庭があり、その奥が厩(馬屋)になっており、表門の正面は内玄関と縁三間半の荷置場があった。その奥が台所、貴人一行自らが調理した所や御膳所があった。その奥が勝手向きで、勝手の諸施設や多くの部屋もあった。
表庭の左手に中門があり、その左に番所も置かれ、庭は高塀で囲まれていた。玄関の奥には玄関の間、ついで三の間・次の間・中の間・上段の間へと続いた。上段の間は九畳で、床の間を設け、備後表で大紋縁付きの上畳が二畳置かれていた。上段の間には湯殿、上り場、雪隠などがついていた。裏も庭となり高塀で囲われ、御退路の門戸があり、非常の時は近くの大泉寺へ避難できた。】 -
本陣に近い、中津川村庄屋跡地
脇本陣の並びに中津川村庄屋居宅跡があります、中津川村の庄屋を勤めた肥田家の居宅跡です。
肥田家は代々九郎兵衛を名乗り、屋号は田丸屋と称し、江戸後期からは旅籠を営みました、一時期脇本陣を勤めたところから上段の間を今に残しています。
先の左手に本町と中町の境に嘉永元年(1848)建立の常夜燈があります -
ココは、枡形の角地のたばこ屋さん
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地酒”恵那山”のお店
慶長6年(1601)創業の銘酒恵那山の【老舗蔵元 ・はざま酒造】である。 -
中津川宿街並み
慶長6年(1601年)創業の造り酒屋「間(はざま)酒造」です -
枡形を右折すると下町に入ります、角地に左手に卯建をあげ、酒林を吊り下げたはざま酒造があります、慶長6年(1601年)創業の銘酒恵那山の老舗蔵元です。
建物は中津川市景観重要建造物指定です、京方面からは銘酒恵那山酒樽前の枡形を左折します。 -
ランチ場所、中華屋さん
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中津川
歌川広重画「雨の中津川」の場。中津川宿だけ二種類あり、謎の作品とされる。
中津川に架かる中津川橋を渡ると、中津川宿とお別れである
次の宿場は46番目の大井宿である
なお、中津川は江戸時代は川上川と呼ばれていた広重の「中津川宿」に描かれた川である
木の橋が掛かっていたが、洪水のたびに流されその度に架け替えていたとのこと -
石塔群
”なむあみだぶつ” -
【双頭一身道祖神】
一つの体に男女二つの頭部を持つ珍しい道祖神で、左肩には「是より苗木道」と刻まれ、道標も兼ねている。
形式が珍しい古い道祖神。 -
【上宿(中津)の一里塚】
江戸から数えて85番目の一里塚。南塚は消滅し北塚が昭和9年、1/3のスケールで復元された。
すでに、日本橋から85里(約340km)も歩いてきたことになる -
中津一里塚跡
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恵那山(2191m)。どこからも見える名山である。
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