2009/12/04 - 2009/12/04
329位(同エリア507件中)
ムッシュさん
馬籠宿 第四十三宿(日本橋より330.5km)
木曽十一宿の一番南の宿場です。馬籠宿は山の尾根にできた珍しい地形の宿場で、石垣を摘んで平地を造り一軒づつ家が建てられたいます。人馬が歩きやすいように石畳が敷き詰められており、往時の雰囲気を漂わせている。今も古い家並みが残り多くの観光客が訪れる。
文豪”島崎藤村”の生地としても知られる。
馬籠観光協会
http://kiso-magome.com/
-
馬籠観光協会
http://kiso-magome.com/
浮世絵は、英泉作の木曽街道馬籠宿です。
【中山道69次 馬籠宿 英泉】です。(著作権フリー作品「木曽街道六十九次」の画像を使用)
英泉は、馬籠峠からは見えない馬籠宿と男滝・女滝(左真中)を無理に持ってきた。 -
これは、マイ作品の」馬籠宿です。F12号の油彩画。
写生でないので、構図は少し編集しています。馬籠茶屋付近から恵那山方面を遠望した配置です。急坂の宿場街道をゆっくり歩いてる。 -
【馬籠宿の上入口】です
天保14年(1843年)の頃、馬籠宿の宿内家数は69軒、うち本陣1、脇本陣1、問屋2、旅籠18軒で、宿内人口は717人でした。
馬籠宿は坂道の中に構成されています。
島崎藤村は夜明け前の中で「街道の両側には一段づつ石垣を築いて、その上に民家を建てたようなところで、風雪を凌ぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる」と著しています。 -
防火用水です
-
喫茶”かっぺ”。
-
大黒屋
大黒屋は右隣にある脇本陣の八幡屋とともに酒造りを行っていた(杉玉です)
藤村の初恋の相手「おゆふさま」は、この大黒屋の娘であった。そしてその左隣が本陣。
大黒屋が経済的に裕福であったが、本陣の島崎家は衰退の一途を辿り本陣跡地は大黒屋の畑となっていた。
昭和になって、大黒屋より本陣跡の土地提供があり馬籠の村人の手仕事により藤村記念堂が建てられた。
藤村記念館はこの記念堂、記念文庫、隠居所、案内所の4つを統合したものである -
大黒屋
島崎藤村「初恋」ヒロインの生家。藤村記念館に隣接する地。今は、食事処で栗強飯が人気。
脇本陣の隣が大黒屋跡です、問屋、年寄役を勤め、造り酒屋を兼ねました、今も軒下に名残の酒林を吊り下げています。
十代目当主大脇兵右衛門信興が30歳であった文政9年(1826年)から明治3年(1870年)迄、40年間書き続けた大黒屋日記(年内諸事日記帳)が島崎藤村著夜明け前の原点になっています。
藤村の初恋の人は大黒屋の娘おゆうさんでした、その後おゆうさんは妻籠宿の脇本陣林家に嫁いでいます。 -
大黒屋全景
-
さらに、坂道を下ります。
-
【これ、かわいい!!】
馬籠郵便局で、宿場の概ね中央に位置します。 -
馬篭宿の宿並、奥に向かって坂道下っています
-
振り向いて、街道を見上げています。
-
【馬籠脇本陣資料館】
次いで大黒屋の隣が本陣跡です、馬籠城主であった島崎監物の子孫島崎家が本陣を代々勤め、問屋を兼ねました、跡地は藤村記念館になっています。
藤村は本陣最後の当主島崎正樹の末っ子として明治5年(1872年)ここで生まれ、9歳まで過ごしました。
木曽十一宿のうち最も南の宿場で、東に恵那山を望みつつ南西の美濃平野に向かって下る坂道沿いの集落です。
昔ながらの桝形と復元された町並みや水車などが宿場風情を出しており、往時の宿場のにぎわいや暮らしを伝える「馬籠本陣資料館」もある。馬籠は文豪・島崎藤村の生誕地で、本陣跡の「藤村記念館」や「清水屋資料館」には、自筆原稿やゆかりの品々が数多く収蔵・展示されています。
幕末、水戸天狗勢の幹部は島崎本陣に宿泊しました、夜明け前では「太鼓の音だ、おのおの抜身の槍を手にした六人の騎馬武者と20人ばかりの徒歩武者とを先頭にして、各部隊が東の方角から順に街道を踏んで来た」と著しています。
本陣門脇には馬籠宿明治天皇停駅之蹟碑があります、明治13年(1880年)巡幸の際、旧本陣に宿泊しました。
本陣の隣りが四方木屋(よもぎや)です、大正十四年(1925)島崎藤村が長男楠雄の為に古民家を移築改装した建物です、四方が木で囲まれていたところから藤村は四方木屋と命名しました、現在は子孫が茶房を営んでいます。 -
右が”五平餅の近江屋”
-
【誓子の句碑】
史料館前には山口誓子句碑「街道の 坂に蒸れ柿 火を点す」があります。 -
奥に下っています。(上方から下る坂下方面を見ています)
-
通りの左が観光案内所、右が藤村記念館。
馬込宿の石畳は正面に向って結構下っています。 -
島崎藤村宅(=馬籠宿本陣跡地)
本陣趾にある記念堂・記念文庫・第二文庫・隠居所をまとめて記念館といいます。記念館はかつて藤村の生家、馬籠本陣・島崎家の建っていたゆかりの場所です。 -
島崎藤村記念館
「木曽路はすべて山の中である」で始まる”夜明け前”の作者島崎藤村は、馬籠宿本陣で生れた。本陣は明治28年の大火で焼失したが、昭和22年に旧本陣跡に島崎藤村記念館が建てられた。 -
武将ではないが、こんな格好の人が。我らウォーキング仲間が持参した武具を着こんで歩きます。
-
-
【はーい、漢字のテストです。これらの木篇の文字読めますか??】
大変難しそう!! -
「馬籠茶屋の食事処】側の看板です
通りの向かい側が宿泊できる旅籠、馬籠茶屋です。
我々、今夜は、この馬籠茶屋に宿泊します。 -
宿泊できる”馬籠茶屋”外観
今夜はここに、宿泊です。 -
一晩お世話になった民宿”馬籠茶屋”さん
http://magomechaya.com/
こちら、外人さんの宿泊も多いらしくて、茶屋内の各所に英語表記がありました。(例.風呂の栓は抜かないで下さい!)
同じ日に、オーストラリアからの夫婦が一組宿泊してた。日本は始めたが、internetで”古い町”を検索して知ったとか。わざわざこの町まで来たそうでした。 -
-
馬籠茶屋から、坂の下方の風景。遠望の山は恵那山
-
馬籠茶屋から、坂の上方の風景。
-
さらに、坂道を上に歩くと、こんな景色。
-
坂道を地元小学生が降りて来ました。朝の通学です。
-
-
-
五平餅の”かなめや”さん
-
-
火の用心
防火用水です。 -
手打ち蕎麦の”ますや”
-
煙草の歴史館みたい。
-
「写るんです」の歴史館みたい
-
【清水屋資料館】
清水屋原家住宅は中津川市景観重要建造物です、館内には古文書や藤村の書簡や掛軸等が展示されています。 -
【こちらカフェです】
茶房”土蔵”さんです。 -
右の急な坂道が、枡形を示す旧中山道、正面突き当りを左折します。
右に水車小屋、正面の白いのが常夜灯。
左の道は新道。
明治38年(1905年)道路改修により枡形は一旦消滅しましたが、昭和60年代に枡形は復元されました。 -
枡形の角に立つ常夜灯
-
馬籠宿を下り切った場所から、振り向いて坂道を撮った。
正面が枡形の角地で、ココを左に曲がり、更に右に曲がると宿場の通りとなる。
下り切って道路を渡ると、観光バス用等の大駐車場があります。 -
この標識は、
馬籠館の前に中山道馬籠宿碑があります。
馬籠宿も京(西)口です、宿碑には「江戸江八十里半 京江五十二里半」と刻まれています、実質上は「江戸江八十二里半 京江五十四里半」です。
かなり京寄りまで来ました。もう岐阜県です。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
44