1996/08/04 - 1996/08/14
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世界で最も距離が長いと言われる大河ナイル。
その恵みを受けたこの地には、5000年以上も前から高度な文明が花開いてきました。
世界最大のランドマークであるピラミッド、上・中流域にあるルクソールの葬祭殿やアブシンベル神殿、イスラム都市カイロについてご紹介します。
↓ブログでも紹介しています。
http://search-ethnic.com/category/travel/middleeast-asia/egypt
1996年8月、エジプトを旅しました。
カイロから列車でルクソール、アスワン、アブ・シンベルと巡りました。
カイロには、1998年にも再訪していますので、その時の写真も載せています。
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イチオシ
8月4日(日)
バンコクからのエジプト航空は早朝に到着した。
8月のカイロは暑い。街を歩いていると、ガイドやらパピルス売りやら、いろんな輩が声を掛けてくる印象だ。
宿に荷を置いた私は、さっそくナショナル・ミュージアムへと向かった。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/cairo -
写真は、ボケているがツタンカーメンの黄金のマスク。
これほどの価値のあるものは、なかなか見られるものではないが、都内の美術館なんかよりもずっと空いていた。
館内は冷房がなく、やたらと暑かった。
博物館は15エジプトポンド(450円) -
午後はピラミッドに向かった。
世の中にこれほど見事なランドマークがほかにあるだろうか。
砂漠の中に屹立する3基の四角錘の姿は、まさに圧倒的。
人類史上最も有名な建造物であるといっていいだろう。
写真はクフ王のピラミッド。
エジプト最大のピラミッドで、底辺の長さは230.4m、高さは138.8mにも達し、14世紀までは世界で最も高い建造物であったという。
勾配は51度50分、底辺の長さと高さの比は「黄金比」だそうだ。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/giza-pyramids -
カフラー王のピラミッド。
底辺の長さ215メートル、高さは143.5メートル。
上部には化粧版が施されている。
かつては全てのピラミッドが化粧版で覆われていたというが、カイロ市街の造営に使用するために剥がされてしまったのだそうだ。 -
メンカウラー王のピラミッド。
このピラミッドは少し小さくて、底辺の長さ108メートル、高さは66.5メートルしかない。
ピラミッドの周りにはラクダガイドがたくさんいて、乗れ乗れとうるさい。
最初は面白がっていたが、あまりに多いので相手をするのも億劫になってくる。
帰りはカイロの学生にバスを教えてもらい、暑苦しい闇の中、宿に戻った。 -
ピラミッドは「歴史」中の「歴史」だ。
かのナポレオンがピラミッドに心酔したのは有名な話であるし、ローマのカエサルやイエス・キリストもピラミッドを見た筈である。
ギリシャのヘロドトスはその著書「歴史」の中でピラミッドについて解説もしている。
私たちにとってはるか昔の偉人である彼らでさえ、この巨大なピラミッドを見上げて「歴史」を感じた。
ピラミッドは、まさに「歴史」中の「歴史」なのだ。
↓ブログの記事です。
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8月5日(月)
この日は日中のピラミッドに行ってみた。
ギザに着いたのは昼の12時ごろ。
やたらと暑く、ふらふらしながら見て歩いた。
さすがにラクダの奴らも少なかった。
昼飯はエジプトの国民食「コシャリ」を食べた(2.5ポンド)。
夜はカイロタワーに訪問した。
カイロタワーのエレベーターの前には、夜10時だというのに長い行列ができていた。
カイロタワーは187mの高さがあり、最上部の展望台からはカイロ市街が一望できた。 -
8月6日(火)
朝、ラムセス・ステーションに行き、明日のルクソール行きの列車のチケットを取得する(48ポンド)。
暑いのでAC付きの一等にしておいた。
午後は、カイロ旧市街にあるスーク「ハーン・アリ・ハリーリ」を歩いた。
写真は、その一画にあるマクハ(カフェ)。
水煙草を吸いながらチャイを啜る。
アラブの男の午後の過ごし方である。 -
オールド・カイロの「エル・ムアラッカ教会」
エジプトには人口の1割、約500万人ほどのクリスチャンが存在すると言われている。
エジプトのキリスト教、それはコプト教といわれる原初のキリスト教である。
オールド・カイロには、2回目にカイロを訪れた際に訪問した。
↓ブログの記事です。
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8月7日(水)
朝6時半、ルクソール行きのエアコン急行に乗り込む。
車窓は、小さな川とヤシの木、ヒマワリ畑、土色の住居、そういった風景が延々と続いた。
夕方、5時半。
列車は10時間掛けてルクソール駅に到着した。
到着した途端に客引きが大勢車内に入ってきた。
私のところにも当然客引きがやってきて、駅を出る頃には10人くらいに囲まれてしまっていた。
口々に、俺の宿に来いだの、このツアーはおすすめだの、わめき散らし、腕を掴んで引っ張って行こうとする。
↓ブログの記事です。
http://search-ethnic.com/to-luxor -
イチオシ
8月8日(木)
首都カイロからナイル川沿いに南へ670キロ。
ルクソールは紀元前16世紀から紀元前11世紀に掛けて繁栄した新王国時代の王都「テーベ」のある町である。
ピラミッドが造営された古王国時代から1000年後、エジプトはここテーベを中心として空前の繁栄を謳歌したのだ。
テーベの遺跡は広範囲に広がっている。
ナイル川を境に、「生」の地である東岸に「カルナック神殿」と「ルクソール神殿」。
「死」の地である西岸に「王家の谷」や「王妃の谷」。
この日は、タクシーで西岸の王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿、ラムセス三世葬祭殿を見て回った。
写真はメムノンの巨像。西岸にあるアメンホテプ3世の像。
↓ブログの記事です。
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写真は、ハトシェプスト葬祭殿。
1997年11月、ここで外国人旅行者61人を含む63人が亡くなったイスラム原理主義過激派のテロ、「ルクソール事件」が起こった(日本人も10人亡くなっている)。
この時はまだテロが起きていない頃。 -
ハトシェプスト葬祭殿の壁画と浮き彫り。
ハトシェプスト女王は古代エジプト唯一の女性ファラオとして知られている。
彫刻や彫像で、彼女はいつも男性の姿で描かれており、実際に男装をしていたという説もあるそうだ。 -
8月9日(金)
午前中にカルナック神殿を訪れる(写真は、前日の夜に訪れたルクソール神殿)。
70本以上の直径3mはあろうかという柱が林立する様は、圧巻のひとこと。
午後になり、アスワン行きの列車に乗った(9ポンド)。
しかし、列車は遅れに遅れ、アスワンに到着した時は、午後11時を回っていた。 -
8月10日(土)
アスワンは信じられないくらい暑い街だった。
暑いというよりも熱い。
この日は、明日早朝のアブ・シンベルツアーの予約をした(25ポンド)。
それにしても暑い。
宿にはACがないので、カフェでジュースを飲んだりしてやり過ごしたが、ただ座っているだけで「居られない」と思うほどに暑かった。 -
8月11日(日)
朝3:30分起床。
4:00発のアブ・シンベルツアーに参加する。
ワンボックスは夜のアスワンの街を抜け、砂漠の一本道をひた走る。
途中、地平線から日が昇ってきた。
8時過ぎ、ようやくアブ・シンベルに到着。
早朝は肌寒かったが、もう既に燃えるような暑さ。
↓ブログの記事です。
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アブ・シンベル神殿は「ラムセス2世」が建造した神殿である。
大神殿と小神殿があり、大神殿は太陽神「ラー」、小神殿は「ハトホル女神」を祭神としている。
上の写真が「大神殿」。
高さ33メートル、幅33メートルあり、正面に高さ20メートルのラムセス2世像が4体座っている。
左の写真が「小神殿」。
ちなみに、帰りの行程は地獄のようだった。
窮屈なワンボックスの車中はまるで、オーブントースターの中にいるようだった。
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