2009/11/01 - 2009/11/01
6512位(同エリア27652件中)
みにくまさん
徳寿宮大漢門前で行われる「王宮守門将交代儀式」を見学した後、そのまま徳寿宮の観光をすることにしました。
◎ 徳寿宮(トクスグン)
観覧時間 9:00〜21:00(入場は20:00まで)
定休日 毎週月曜
入場料 1000KRW=77円
無料案内時間 火曜日〜金曜日 9:30・14:30
奇数月 土曜日 9:30
偶数月 日曜日 9:30
(祝日・休日を除く)
◎ ■■□□■■ 韓国旅行 09年10月〜 ■■□□■■
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10394224/
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大漢門(テハン厶ン)
大漢門はもともとは徳寿宮の正門でなくて東門であり、もともとの名前も大安門(テアンムン)でした。
1904年の大火災の後、1906年7月15日に再建、大漢門と改称され、以来事実上の徳寿宮の正門となりました。もともと徳寿宮の正門は仁化門(イナムン)で、現在の中和門の前にあり、仁化門を通って一直線上に中和門を通り、徳寿宮の正殿である中和殿に続いていました。
大漢門前では定期的に「王宮守門将交代儀式」が行われています。
詳細旅行記は↓
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10402946/ -
徳寿宮
【歴史】
徳寿宮はもともと成宗(9代)の兄月山大君の邸宅として造営された。
その後、豊臣秀吉による文禄の役によりソウルの全ての宮殿が焼失すると、1593年から義州に避難していた宣祖が荒廃した景福宮のかわりの臨時の王宮として使用、貞陵洞行宮と呼ばれる。
1611年、光海君は「慶運宮(キョンウングン)」という宮号を付ける。しかし、光海君が再建された昌徳宮(チャンドクグン)に移ると顧みられることなく廃墟となった。
1897年に高宗が慶運宮を改修し、1896年に閔妃が暗殺され、高宗がロシア公館に避難する事件が起きてからは、慶運宮に高宗は居住した。以後高宗が退位する1907年まで日韓保護条約の締結など大韓帝国の歴史の舞台となった。
高宗皇帝が皇位から退き、慶運宮は先皇帝が住む宮としてその位相が変わると、名称も徳寿宮と改められた。 -
徳寿宮
18,635坪(?)の規模の徳寿宮は現在、一般観覧客に完全に開放され、都心の中の文化的かつオアシス的な空間として脚光を浴びています。またソウル市内5大王宮の中で一番にぎやかな王宮でもあります。
近くのオフィスに勤めるサラリーマンの休息所として、または学生の見学コースとして、それからカップルのデートコースとして、さまざまな人々に愛されている王宮です。 -
世宗大王像
李氏朝鮮第4代王、世宗大王(在位1418年〜1450年)は、1397年5月15日に太宗大王の3番目の息子として生まれ、1450年4月8日に54歳で亡くなられた。大王は、子供の頃から聡明かつ誠実で、在位32年間の間に、歴代王の中で最も偉大なる業績を残した。 -
世宗大王像
訓民正音(ハングル)を創製し、活字を改良して多くの本を編纂したばかりではなく、日時計・水時計・天体観測機・測雨器など、多くの科学器具を発明したり、伝統音楽を整備したりした。
また、田制評定所を設け、農耕に関する税制を整備し、経済六典を頒布して農学を奨励した。
まさに政治・経済・文化・教育・科学など、様々な方面に多くの治績を残した王であり、文化創造の模範、学問の大王、発明の大王として、我ら民族の進むべき道を示した賢君である。 -
中和門(チュンファムン) 宝物819号
1902年に創建された木造建築で、徳寿宮の正殿である中和殿の正門にあたります。
正面3間、側面2間の重軒多包系八作屋根(四隅の軒の先が上に反り返っている韓式の家)様式です。
本来の中和殿は重層正殿だったのですが、1904年の大火災で焼失、1906年に再建され、また1982年に大幅に改装されて現在の姿になりました。 -
中和門(チュンファムン) 宝物819号
創建当時の中和門は現在の門よりはるかに大きかったと考えられています。
大韓帝国初期に建設された慶運宮(徳寿宮の旧名)の平面図を見ると、中和門の南側には徳寿宮の正門である仁化門(イナムン)が、大漢門と中和門の間には朝元門(チョウォンムン)がありました。しかし全て焼失してしまい、現在、見ることができる中和門はまるで単独建築物のようになってしまいました。
また本来は他の王宮と同じように左右に行閣があったのですが、今では全てなくなり、中和門の南東にその行閣の一部だけが残っています。 -
中和門(チュンファムン) 宝物819号
昨日の世界遺産観光ツアーと違い、今日は個人的な自由観光なので、ゆっくりじっくり見て回れるし、写真もたくさん撮れるので嬉しいです。 -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
1902年に建立された徳寿宮の正殿で、李朝時代末期に使用されました。
中和殿は一般的な王宮の正殿の使用目的にふさわしく、王の即位式、家礼式、外国使臣の歓迎儀式、朝賀礼儀式など公式行事が行われた場所です。
正面5間、側面4間の八作屋根形式の中和殿は、中和門とともに1902年に建設されましたが、1904年に火災で全殿閣(チョンジョンガク)とともに焼失、1906年に再建され、現在の姿になりました。 -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
中和門から中和殿に続く朝廷の庭には三道と品階石(プンゲソッ)、月台(ウォルデ)などがあります。
写真のような石は、品階石(プンゲソッ)といいます。
日本における官位と同じものだと思われ、中和殿に近づくにつれ、順位が高くなっているのが分かります。 -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
先ほどの中和門にもあった石像。
どんな意味があるのかは分かりません。 -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
◎ 竜の彫刻
中和殿に上がる階段の踏道には、李氏朝鮮の正殿中唯一、二匹の竜が刻まれています。
他の宮殿の正殿にはみな鳳凰が刻まれているが、大韓帝国出帆後に建てられた建物であるため、皇帝を象徴する竜を装飾したものです。 -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
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中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
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中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
中和殿内部の御座(オジャ) -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
御座(オジャ) -
中和殿(チュンファジョン) 宝物819号
御座(オジャ)の上、天井に刻まれた大きな竜の彫刻。
竜は先ほども書いたとおり、皇帝の権威を象徴するものです。
この彫刻の周囲に描かれた模様も、二匹の竜だと思われます。 -
昔御堂(ソゴダン)
徳寿宮で唯一、2階建ての建築物。
1階は正面8間、側面3間、2階は正面6間、側面1間の規模で、八作屋根です。
最初の創建年代は不明で、1904年の火災で焼失、同年他の全閣とともに改築されました。
昔御堂は文禄・慶長の役(1592年)当時、宣祖(ソンジョ・李朝第14代王)が避難先から還都し、崩御するまでの16年間、暮らした場所。昔御堂の名前もまた「昔、王がいらした家」を意味します。
昔御堂のちょっと変わった点は、韓国では珍しく彩色が施されていない点と、2階建てでありながら飾りがない民間風の建築様式という点。2階へ行くには昔御堂内、西側にある階段を使います。 -
浚明堂(チュンミョンダン)と即祚堂(チュクチョダン)
◎ 浚明堂(チュンミョンダン)
創建年代は不明ですが、1897年に再建されたと推測される木造建築物。
高宗が大臣と国政について論議した便殿でした。
徳寿宮の他の建物と同様、1904年の大火災で焼失しましたが、同年6月に再建されました。正面6間、側面4間の八作家屋で即祚堂と廊下でつながっています。
※浚明堂の”明”の字は本来、明るい”明”ではなくて”ヌン=目”と”タル=月”が合わさった文字。これは”明るく見る”という意味を持っているそうです -
浚明堂(チュンミョンダン)と即祚堂(チュクチョダン)
◎ 即祚堂(チュクチョダン)
昔御堂の後方、浚明堂(チュンミョンダン)とつながっている即祚堂は、光海君(クァンヘグン・李朝第15代王)と仁祖(インジョ・李朝第16代王)が王位即位式を行った歴史的な場所です。
1904年の火災で焼失しましたが、その年昔御堂、咸寧殿とともに復元再建され、現在の姿になりました。
即祚堂という名前には「王が即位した所」という意味があり、昔御堂と同じように壬辰倭乱という大変な時代に宣祖が暮らし、国を導いた場所で当時の人々にはとても意味深い場所として認識されていました。
宮の寝殿としては規模が大きくないですが、正面7間、側面4間、簡潔で体裁が素晴らしいのが特徴。 -
昔御堂(ソゴダン)
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焚き口
建物の横に付いていました。
この上に厨房か風呂場があるというわけでは無さそうで、ちょっと謎の設備でした。 -
謎のモニュメント?煙突?
浚明堂(チュンミョンダン)と即祚堂(チュクチョダン)のちょうど裏側あたりにあったモニュメントです。
土台が石製でその上に煉瓦がつまれています。
一番上には空気穴のような物が付いていることから、煙突なのかもしれません。
一つ前の写真にあった、焚き口と密接な関係があると考えるのが妥当でしょう。 -
宮殿の壁
石・煉瓦・瓦が組み合わされ、見事に調和した壁。
韓国の宮殿では、こういった様式の壁を多く見かけました。 -
瓦
上が鳳凰で、下は竜でしょうか。 -
静観軒(チョングァンホン)
1900年に建立され、王宮の中に建立された最初の西洋式(中国風)建物。高宗皇帝が茶菓会を開催したり、音楽を鑑賞したりした休息の場所でした。
正面7間、側面5間の規模で、八作屋根模様を見せる様式屋根を載せた静観軒は、単層に木彫と赤いレンガが使われ、床には大理石が敷かれています。正面と側面には精巧な装飾が施されたテラスがあります。
この静観軒はロシア建築技師、サバティン(Sabatine)によって設計されました。 -
静観軒(チョングァンホン)
興味深いのは、石材を基本とした様式柱が木から造られているという点と、柱の上部に青竜と黄竜・コウモリ・花瓶などの韓国伝統文様が刻まれていることです。
高宗皇帝は、ここでコーヒーを飲みながら外交使節たちと宴会を楽しんだという。 -
静観軒(チョングァンホン)
建物の東・南・西側に設けられたテラスの壁には写真のような装飾が。
外側の青い枠は、鉄製ではなく、木製のように見えます。
金色の彫刻部分も、もしかしたら木製なのかも? -
静観軒(チョングァンホン)
内部の様子です。
天井など、韓国様式ではなく、簡素な造りになっているところが面白いです。 -
徳弘殿(トクホンジョン)
主に外国使臣や大臣を迎えるための接見室として使われた建物。
1911年に建立され、徳寿宮に現存する殿閣の中で一番最後に作られたものです。
現在は建物内部を高宗皇帝の寝殿として復元、当時の宮中生活を垣間見ることができるようになりました。
建物の周辺にはチョンドルを積んで作られた塀(コッタム)があります -
徳弘殿(トクホンジョン)
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徳弘殿(トクホンジョン)
韓国の伝統的な大極風装飾の中に、シャンデリアを飾ってあるなど、西洋風の要素も取り入れてあるところが面白い。 -
徳弘殿(トクホンジョン)
天井 -
咸寧殿(ハンニョンジョン) 宝物820号
高宗皇帝の寝殿として使用された建物で、1904年の火災で焼失したのを同年に再建し、現在の姿になりました。また高宗皇帝が崩御した場所でもあります。
建物は正面9間、側面4間と西側後方に4間があります。柱の上の升組は翼工式で、建物はとても大きいのに対して、装飾がシンプルなのが特徴。 -
咸寧殿(ハンニョンジョン) 宝物820号
屋根の造りがなかなか面白い。
大極風の装飾が施された円柱がズラッと並んで、屋根を形造っている感じです。 -
咸寧殿(ハンニョンジョン) 宝物820号
部屋の様子。 -
咸寧殿(ハンニョンジョン) 宝物820号
焚き口
ここにもありました。
今回は内部の写真を撮ってみました。
もしかしたら、これって、床暖房みたいな施設だったり? -
光明門(クァンミョンムン)
1897年に建設、1904年に焼失、同年に再建された木造建築。
本来は咸寧殿の南側にあり、咸寧殿の正門として使用されていましたが、石造殿別館(当時は李王家美術館)が建立されたことで1938年に現在の位置に移され、神機箭機火車(シンギチョンギファチャ)と興天寺(フンチョンサ)銅鐘、水時計の自撃漏(チャギョンヌ・国宝229号)を保管する楼閣として使用されています。
しかしこれらは徳寿宮とは何の関係もありません。 -
興天寺(フンチョンサ)銅鐘 宝物第1460号
興天寺は、太祖(李成桂)が1397年に継妃である神徳王后の冥福を祈り、貞陵を守るために築いた寺である。1409年、貞陵が都城の外に移された後も、王室の寺として1510年まで残っていた。
この興天寺の鐘は、1462年に作って吊るしたものである。
1510年に興天寺が焼失されたため、1747年に景福宮の光化門に移され、また昌徳宮を経て、今の場所に保管されるようになった。
銘文によると、この鐘は孝寧大君などが参加して王室で発願したもので、朝鮮時代の前期の代表的な梵鐘に属されている。 -
神機箭機火車(シンギチョンギファチャ)
神機箭は、高麗末期に崔茂宣の作った走火という武器を、朝鮮第4代王が1448年に改良したもので、竹でできた弓の先に鉄製のやじりを付け、その後ろに円筒形の紙の薬きょうを付け、火を付けると発射されるという兵器である。
神機箭の種類には、大神機箭・中神機箭・小神機箭・散火神機箭などがあり、中神機箭・小神機箭は主に神機箭機関車から発射された。
神機箭機は、直径4.6センチの丸い穴に、中神機箭と小神機箭を差し込んで使用した。まず、神機箭機の搭載された戦車の発射角度を調節した後、神機箭の薬きょうに付いた導火線を一つにまとめて火をつけると発射された。
射程距離は中神機箭が150メートル、小神機箭が100メートル程度である。
製作当時の設計図が残っているものとしては、世界最古の兵器である。 -
報漏閣(ポルガク)の自撃漏(チャギョンヌ) 国宝第229号
自撃漏は、朝鮮第11代王により1536年に造られた水時計である。
朝鮮第4大王が1434年に、蒋英実らが韓国では初めて自動時報装置を水時計につなげ、ひとりでに動き時間を知らせる自撃漏を作ったが、これが朝鮮王朝の標準時計として使われた。
報漏閣の自撃漏は、世宗の時代に作られた自撃漏を、中宗の時代に柳専らが改良して新たに作ったものである。
現在は精密で複雑な時報装置はなくなり、3つの水入れと2つの水受け皿を残すのみとなった。
自撃漏は、水入れから流れ出た水が水受け皿に溜まると、時間の目盛りのある棒が浮き上がり、てこの原理で自動調整装置を動かして、そこにつながっている人形や鉄の球が鐘や太鼓やドラを打つように作られていた。
これは世宗時代の自撃漏の伝統を受け継いだ、世界最大最古の水時計であり、貴重な科学文化財である。もともと昌徳宮の報漏閣にあったものをここに移したもので、自動装置やその他の装置はそれ以前に失われていた。 -
徳寿宮美術館(石造殿別館)
石造殿の西側にある別館は1937年11月に竣工。地下1階、地上3階の御影石でできた石造建物で、延べ面積は1104坪。
日本統治時代に石造殿は日本の近代美術品などを展示する美術館として使用されていましたが、石造殿とは違う「朝鮮の古美術品を展示できる空間を徳寿宮にもう一つ作ろう」という意見により、中村興資平の設計で石造殿別館が李王家美術館として建立されました。
当時、昌慶苑(チョンギョンウォン・現在の昌慶宮)にあった李王家博物館に展示されていた三国時代以降の彫刻工芸品、陶磁器、絵画などが移され、展示されていました。
解放後は石造殿の付属建物として使用されていましたが、現在は徳寿宮美術館(国立現代美術館別館)として使用されています。 -
石造殿前の庭園と噴水
1900年、イギリス人ブラウンの発案で、イギリス人技師ハデイングの設計で着工され、1910年に竣工したイギリス式庭園で、韓国最初のヨーロッパ式庭園。
日本の植民地時代末期には砲弾製造に使うためにこの青銅でできた噴水台も取り壊されたとも言われ、現在の噴水は1984年、文化財研究所の主導で復元されました。 -
石造殿(ソクチョジョン)
1900年に着工、1910年に完工した地上3階、延べ面積1247坪の、御影石でできた石造建物。
外観は19世紀初めにヨーロッパで流行した新古典主義様式で、イギリス人技師ハデイングが設計しました。
建物の長さは54.2m、幅31m、高さ17.5m。石造殿という名前には「石で造った」という意味があります。
一時期、宮中遺物博物館(クンジュンユムルパンムルグァン)として使用されました(現在は「古宮博物館」に改称、景福宮内に移転)。
石造殿と関連する何よりも重要な歴史的事件は1946年、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するために開催された、米ソ共同委員会の最初の予備会談が1月16日、ここで行われたということ。
米ソ共同委員会は1945年12月、モスクワ3相会議の決定に従い信託統治と臨時政府樹立などを論議するために設立された米・ソ・英の代表者会議です。 -
石造殿(ソクチョジョン)
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徳寿宮美術館(石造殿別館)
開館時間 9:00〜20:30
定休日 月曜
※入館料 5000KRW=385円
普段はこちらの美術館は、入館料が無料だと思われます。
ただ、私たちが行った時は、たまたま何かの写真展(期間2009.10.1〜12.6)が開かれており、入館料が発生しました。
それも、徳寿宮の入場料1000KRWと比べると、5倍の料金で、やたら高い。
そして、となりの石造殿ですが、こちらは改修工事中で拝観不可でした。
◎ おしまい
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この旅行記へのコメント (2)
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- 唐辛子婆さん 2010/12/24 00:51:30
- ありがとうございました!
- みにくまさん、こんばんは
わからなかったことを教えてくださってありがとうございました。
とてもよく調べていらっしゃるのですね◎◎
今度韓国に行くときは
みにくまさんのページを拝見してからにしようと思います。
またお邪魔させてくださいね。
これからもよろしくお願いいたします。
唐辛子婆
- みにくまさん からの返信 2010/12/24 23:41:48
- RE: ありがとうございました!
唐辛子婆さん、こんばんは〜。
そうですそうです。
この旅行記を見返してみて調べました。
以前、旅行記を作成した時に、一生懸命調べて細かく書いておいたのを思い出したのです。
といっても、拝見した写真に見覚えがあったからなんですけどね。
私も韓国はこの時一回しか行っただけですが、まだ行っていない場所がたくさんあるので、いつかまた行けたらと思います。
では〜(^O^)/
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