2009/10/24 - 2009/10/24
35位(同エリア130件中)
ころっつさん
10月も終わりの土曜日。天気は曇ってイマイチだったのですが昼間からふと間ができたので、どこかに…ということで前から気になっていた古い街並みがあるという奈良県の五條を訪ねることにしました。
そのついでといっては何ですが、明日香村にも少し立ち寄り、最後は国道24号を和歌山までくだり、ご当地ラーメンで有名な和歌山ラーメンを食しました。
- 交通手段
- 自家用車
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明日香村は大阪から近鉄電車が通じていることもあり、多くのハイキング客やサイクリング客が訪れていました。
明日香には、ここで1日を過ごせるくらい見どころはいっぱいありそうなのですが、あくまで五條をメインとしているので、とりあえず教科書でも聞いたことのある石舞台古墳に向かいました。 -
石舞台古墳は、蘇我馬子のものではないかといわれる重さ77トンの巨大な2つの石塊を多くの石で支えた横穴式の墳墓です。
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石室は半地下になっており、内部を見学できすることができます。
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石室内部はこんな感じ。墳墓は一辺の長さ約50mの盛土に囲まれた真ん中に配置されています。
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石舞台の次に行ったのは高松塚古墳で、円墳の石室内部には国宝にも指定されている有名な彩色壁画があります。
ちょうどこの日、文化庁や報道関係者が集っており、居合わせた人に聞いてみるとこの日からこの整備された円墳が公開されることになったとのことでした。ラッキー! -
近くには丘陵斜面をくり抜き造った高松塚壁画館があり、模写された石室の壁画を見ることができます。内部は撮影禁止となっています。
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飛鳥路の最後には、高松塚古墳と近鉄飛鳥駅近くの民家が密集した所のすぐ近くにある欽明天皇陵を訪問しました。ここは明日香村の中にある唯一の前方後円墳です。
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欽明天皇稜のすぐそばには、「猿石」と示された看板があり、その方向に沿って歩いて行くと皇極天皇の母親である吉備姫王墓があり、猿石といわれる石造物が、墓地内に位置しています。
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これが吉備姫王墓ですが、本当の被葬者かどうかは疑わしいとのことです。
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ここには猿石が4体あり、そのうち3体は表の顔とは別に裏に天邪鬼のような顔があるとのことですが、墓の柵内に位置しているので表情はあまりわかりません。
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猿石は、もともとは欽明天皇陵の南にある田畑で掘り起こされ、現在の場所に移動されてきたようですが、いつ誰が何のために作ったものかはわからないそうです。
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飛鳥路はまたいつの機会かに再訪することとし、今回の本来の目的地である五條に向かいました。
五條は、大和盆地の南西にある南和地域の中心都市で人口は約3万5千人。大阪と紀伊を結ぶ旧紀州街道にある交通の要衝となった吉野川沿いのまちで、江戸時代当初に大和二見藩が成立したことで急速に発展しました。
古いまちなみが残るのは旧街道として栄えた現在の新町通りです。 -
新町通りは、車は西行き一方通行となっており、かなり狭い個所もあります。途中には明治から大正にかけて建築された民家を改修整備してつくられた施設である「まちなみ伝承館」があり、隣接して駐車場があるので、そこまで行って車を置き、散策するのが便利です。
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「まちなみ伝承館」の内部には、新町通りの歴史や文化などに関する資料を展示してあり、自由に見学できます。
中にいた人に話を聞くと、来年度を目途に国の重要的伝統的建造物群保存地区の選定を受けるよう現在手続きが進められているようです。 -
「まちなみ伝承館」を外から見ると、温かい白熱色の光が格子の窓越しに見えます。
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五條の古い建物がその多くが、新町通りに集中しており、江戸時代からの風情を残すまちなみが見られます。この通りにある建物では補助制度もあるのか修景が進められていました。
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まちなみは国道168号から「新町通り」が西に約1kmほど続いており、江戸時代からの民家が多く残っているのが特徴です。
陽が傾きかけ、時間もあまりなくなって来たので、まちなみの中間あたりにある伝承館からゆるやかなカーブが続く通りを東の方へ戻って歩いて行くこととしました。
有料の公開民家の「まちや館」もありましたが、既に閉館時間で内部を見学することはできませんでした。 -
新町通りから入って行く路地にも石畳が整備されており、漆喰の壁の家並みが続いています。
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江戸時代に五條の西側に当たる二見城に入城したのは、その後島原藩主となり島原の乱を誘発する松倉重政。
重政は、この城下町の振興策として新町村を中心に街道を整備し、商人の結集を図り、今に残るまちなみの礎を築きました。ここでは名君だったのかもしれませんね。 -
新町通りにある郵便ポストもまちなみにマッチするような形状に仕上げてあり、実際の集配にも使われています。
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まちなみに溶け込む飼料品店。歴史を刻んできた黒壁の建物です。
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まちや館の東にある古い建物も現役の薬局として活躍しています。
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新町通りは、国道から入ってすぐに緩やかにカーブしており、この辺りの建物はほとんど江戸時代からのもので、道幅も特に狭くなっています。
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西川に架かる鉄屋橋という橋のすぐそばには風情たっぷりの「一ツ橋餅商」が建っており、焼餅やかしわ餅などが売っている現役の店です。訪問した時は残念ながら時間外でしたが…。
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黒地に白抜きの字で小さな建物に掛けられた「一ツ橋餅商」の大きな看板はかなり目立っています。左手に続いていくのが新町通りです。
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さきほどの餅商店の向かい側には造り酒屋の山本家があり、ご当地名物の柿を使ったワインなども製造しているようです。
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酒屋を示す看板が小さな格子窓のある二階に軒下に掛かっています。
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酒屋の東側にある少し近代的な擬洋風の石造りのモダンな建物は、昭和前期に建てられた写真館です。
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新町通りに入ってすぐの所にあるのが元禄年間に建造され、五條の町屋では珍しい単層の構造をしている栗山邸。五條市の指定文化財となっています。
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その栗山邸の瓦屋根です。目を引く大きな広がりのある屋根です。
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新町通りと国道の交差点の向かい側には、奈良県の指定文化財ともなっている江戸時代中期の宝永年間に建てられた「中邸」があります。
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そして新町通りと国道交差点のすぐ北西には国の重要文化財にも指定されており、建造年がわかる日本最古の民家である市の指定文化財と同じ名前の栗山邸があります。
江戸幕府開府からわずか4年後の1607年に建造され、現在も住人がいるため、内部は非公開となっています。 -
日本最古の民家・栗山邸は勾配のある背の高い瓦屋根の途中に、一部2階建てであることを示す飾り屋根と窓が付いているのが特徴です。
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市指定文化財の栗山家を国道から見るとこんな感じ。ここも住人がいるので内部は非公開ですが、外観からも立派な屋敷であることがうかがえます。
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新町通りを再び戻り、鉄屋橋を右に折れるとまちなみの中に櫓基調の建物を持つ宝満寺があります。
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まちなかを流れる西川に沿って昭和中期頃の生活感漂う家並みが連なっています。向こうに川を跨いで建っているのは酒屋の土蔵です。
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暗くなって来たので、新町通りから分かれる先程の路地灯に明かりがともりました。
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新町通りに戻ってくると、電柱に取り付けられたレトロなガス灯に擬した電灯にも明かりがついています。
随分暗くなって来たので、そろそろ五條のまちなみを後にします。 -
五條から国道24号を和歌山方面に向かい、和歌山市内のラーメン店「まるしげ中華そば」で夕食をとります。
地元では和歌山ラーメンは「中華そば」と呼ばれ、店の屋号や提灯などにもそうした文字が見られます。 -
和歌山ラーメンの味は一般的に豚骨醤油の濃い味が特徴です。カウンターの木の籠の中には「早寿司」という1貫ずつ包まれた鯖寿司があり、別料金で好きなだけ取って食べることもできます。
ここで今回の小さな日帰り旅を終えました。
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この旅行記へのコメント (7)
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- 潮来メジロさん 2009/11/23 21:02:36
- やっぱり昔の人はスゴイ・・・! ヾ(^o^)
- ころっつさん、こんばんは! ヾ(^o^)
毎度、訪問&投票ありがとうございました。
> 石舞台古墳は、蘇我馬子のものではないかといわれる重さ77トンの巨大
> な2つの石塊を多くの石で支えた横穴式の墳墓です。
昔の石室を見ると、いつも不思議に思うのですが、クレーンなどの機械が
無かった昔の人は、こんな巨大な石をどうやって運んだのでしょうね。
エジプトのピラミッドは、ナイル川の水運とコロを使って運んだようで
すが、やはり、日本でも同じなのでしょうか。
でも、77トンもする巨石を運ぶなんて、やっぱり昔の人はスゴイと思いますね。
ではまた・・・。(^o^)/~~~
(潮来メジロ)
- ころっつさん からの返信 2009/11/24 23:02:21
- RE: やっぱり昔の人はスゴイ・・・! ヾ(^o^)
- 潮来メジロさん、こんばんは!
こちらこそ訪問と書き込みいただきありがとうございました!
石舞台古墳にもイラストで石の運び方を説明した解説版がありましたが、確かコロで移動させ、土中を堀って石室部分に石を落し込むようにして組んでいき、浮かすように造った…というようなことが書いてありました(うろ覚え)が、はたして本当にそんなことでできるのでしょうか?
石舞台を見て人力の凄さに感心するとともに、その時代の権力者の持つ力というものになお一層感心した次第であります。
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- annakさん 2009/11/23 00:57:08
- 五條・丁寧に歩かれましたね。
- ころっつさん今晩は、annakです。
五條を丁寧に歩かれましたね。素晴らしい旅記だと思います。
仰る通りガイドブックなどにもほとんど紹介されていない町ですが
魅力的な町ですよね。
私の町歩きの原点になった町の一つであり、4トラデビューの町でもあります。
ころっつさんの旅記で紹介されてとてもうれしいです。
ではまた
annak
- ころっつさん からの返信 2009/11/24 08:34:56
- RE: 五條・丁寧に歩かれましたね。
- annakさん、おはようございます!
いつもご訪問いただきありがとうございます。3連休はいかが過ごされましたか?
私の拙い旅記をお褒めいただき恐縮です…。
さてさて五條ですが、時間が少し遅かったので、丁寧といってもまちなみ伝承館から西側をほとんど歩いていません。幻の五新鉄道の遺構なんかも見たかったのですが、思った以上に五條へ行くまでに時間がかかり、天気もすぐれなかったので、暗くなるのも早く、もう少し時間がほしかった感がしました。
五條はまちなみ伝承館の人の話では、「来年度には伝建地区に指定のはこびで…」という話しでした。今はあまりガイドブックなどにも紹介されておらず、それで訪れる人も少ないと思われますが、既に伝建地区に指定されているところよりも魅力的なまちなみを持っていると感じました。こんな隠れた逸品のまちなみがあったのか…という感じですかね。
annakさんの町歩きの原点になった町の一つは五條だったのですね。そして4トラデビューのでもここだったとは!
またannakさんの旅記も見せていただきます。
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- 熊野古道さん 2009/11/18 10:34:32
- 明日香村〜五条の町並み
- ころっつさん、こんにちは。
奈良県に行かれたんですね。
明日香村は、十数年前にレンタサイクルで石舞台古墳や亀石、猿石などを見て回りましたが、とても長閑な田園風景の中を快適にサイクリングした記憶があります。
ころっつさんの写真を見ていると、やはり改めて行ってみたくなりますね。
五条市にも歴史ある町並みがあるんですね。
最近他のトラベラーさんの旅行記で初めて知ったんですが、とても雰囲気のいいところですよね。
和歌山ラーメンの「まるしげ」さんにはまだ行った事がありません。
おいしかったですか?
一度行って見たいですね。
熊野古道
- ころっつさん からの返信 2009/11/18 23:35:48
- RE: 明日香村〜五条の町並み
- 熊野古道さん、こんばんは。
明日香村は、次はゆっくり訪れて、私もレンタサイクルでまわることにします。日本史を選択していなかったこともあり、かろうじて知っていた石舞台古墳と高松塚古墳をまわっただけで、五條に向かいました。
五條は十津川に行く途中で通る町なので、古いまちながあるのは何となく知っていたのですが、まだ国の伝建地区には指定されていないものの江戸時代の建物が多く残るA級の街並みです。観光客もまだ少なく、ガイドブックなどでの紹介も少なく穴場ともいえるところです。
私も本格派の井出商店とかにはまだ行ったことがないので比較はできませんが、「まるしげ」はごくオーソドックスな和歌山ラーメンという感じでした。しかし、和歌山ラーメンを食べると後から喉が渇きますね〜。
- 熊野古道さん からの返信 2009/11/18 23:50:55
- RE: RE: 明日香村〜五条の町並み
- ころっつさん、こんばんは。
再訪しました。
返信ありがとうございます。
ころっつさんの感想から察すると、五条の町並みはかなり見ごたえがありそうですね。
奈良には奈良町や今井町などもありますが、五条へも是非一度行って見たいですね。
> しかし、和歌山ラーメンを食べると後から喉が渇きますね〜。
私もたまにそう思うことがあります。
とんこつ醤油味なので、醤油の塩分がそうさせるのでしょうか・・・
熊野古道
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