2009/10/20 - 2009/10/27
186位(同エリア199件中)
明石DSさん
12:01:14
この道を真っ直ぐ行って
左に曲がって行けばアムール河岸に出る
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■アムール河へ
何で、車まで戻ってもすぐに出発しないのか?分からなかったが、勝山陣地で案内してくれた若者を一緒に孫呉に同乗させる約束が“肖○ ○”との間で出来ていたようだった。それで、別れ際に彼が「またあとで」と挨拶したした意味がやっと分かる。
もう一人同僚と二人でやって来て、一緒に乗りアムール河へ
勝山山頂からアムール河が確認できなかったので、実際にそこまで行ってもらうことにした。この目で確かめたっかたし、アムール河までの近さを実感したかった。
成る程、車で10分くらい走ってアムール河に到着した。ここの対岸のソ連の街は「コンスタンチノフスキー」なのか、黒河と違って街の様子はまったく見えない。帰国後グーグルアースで、勝山陣地とこの村ははっきり確認できた。グーグルアースは凄い!ソ連側の地名は、「コンスタンチノフカ」となっていた。
-
12:02:06
真っ直ぐ行けば突き当たりがアムール河
のんびり静かな村 -
12:03:32
アムール河に来た
1945年8月ソ連軍はこの河を渡って
勝山陣地に侵攻した。その距離8km -
12:04:48
中洲がある。グーグルアースによって
この場所が特定出来た
この村の名前は分からないが
ここらは霍爾莫津(ホルモジン)と言っていた
ホルモジン地域の中の村の一つだと思う -
12:05:34
アムール河の河岸に立ちて
対岸はロシア、コンスタンチノフカ -
12:06:12
静かなアムール河
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http://www.youtube.com/watch?v=edQai67tEHg&feature=player_embedded -
12:10:56
地元のオバチャン二人
「ここも霍爾莫津(ホルモジン)」だと言っていた
ここがホルモジンなのか?ここもホルモジンなのか?
霍爾莫津と言うのは広い範囲をさすのだと思う・・・が
日本から?と珍しがってくれた。 -
12:50:12
ふ〜ん、ここがそうか・・・。
孫呉の空にも零戦が飛んでいたのか
そんな光景をこの地で見たかったなあ
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■曽家堡飛行場
勝山から孫呉への帰り道に飛行場跡地に行った。平原の中、本道から外れ農道の悪路を暫く走って着いた先に破壊跡が数箇所残る跡地の一角があった。
360度広々した田畑が広がり、往時の飛行場の面影はない。しかし60数年前に確かにこの上空を零戦が飛びその勇姿を表していたのだろう。ソ連進攻時に零戦の活躍が出来なかったことが悔やまれる。
Web頁参照↓ 『曽家堡飛行場は、日本統治時代、孫呉に設けられた三つの飛行場のうちの一つ(他の二つは平頂樹と辰清)であった。だだっ広い野原の真ん中に位置する。話によると、滑走路は長さ1180メートル、幅100メートル。格納庫が四つある。真珠湾攻撃の際、威力を発揮したとされる戦闘機「ゼロ戦」と中型輸送機が離着陸できた規模だという。』 -
12:51:38
飛行場の廃墟が今に残る
兵どもの夢の跡
日本にも雄雄しい時代があったのか -
12:51:52
新しい案内板もありますが
これは古い物です -
12:56:32
何処までも広がる大地
ここで空中に舞い上がるのは気分爽快だったと思います -
12:57:36
これも飛行場の一部なのだろう・・・。
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http://www.youtube.com/watch?v=sVj49gX8CoA&feature=player_embedded -
13:14:36
この店で四人で昼食を
誰かの知り合いの店のようでした
この店の隣に日本時代の建物遺跡が建ってます
この右にピンクの公衆便所が引っ付いた、あの建物
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■昼食を四人で食べる
“肖○○”とこの二人が以前からの知り合いなのか?聞かなかったので今も分からないが、確かに小さな街だが人口も10万人くらいあり、みんなが知り合いであるはずはない。
でも“藤○”と“肖○○”の二人のタクシー運転手の言動を見ていると、私から見れば誰もが「そこそこ親しい知り合いなのか・・・」と思う態度であり、それも中国人の文化なのだろう。まあ、“藤○”に出会った時も、日本人だと言うと日本朋友(Riben Pengyou:日本の友達)と私に声を掛けて来た。
その後、“日本朋友”と、私のことを誰彼となく先に紹介していた。昼食に入った店は、日本時代の建物の隣の「東輝押面館」という店だった。ここも四人の内の誰かの知り合いの店であるようだった。
“肖○○”がメニューを私に手渡し「食べたい物を注文して」と言ってきた。私が「あんたに任せるから美味い物を注文して」と言うと困った顔して躊躇していたが、若者二人に任せたようで、二人がすぐに何かを頼んでいた。そして白酒をボトルで持って来た。私は前回の東寧で懲りて飲まなかったが、三人はこれが中国の宴会だと言うように酒を酌み交わしていた。
一人は酒を飲んだあとすぐに白湯を飲みながらではあったが・・・。出てきた料理にも仰天した。最初は目玉付きなのか?と、思ったが、それは目玉ではなく「肘、膝?」の関節だった。間接の丸い透明感のある骨?なのか何なのか、それに骨が付いて肉がこびりついている代物だ。
その骨にまずストローを突っ込み骨髄液?をちゅうちゅうと吸い上げる。私もやってみたが、ストローの質が粗末ですぐにひしゃげてしまって液が吸い上がらなかった。目玉のような関節付きの骨を手に持ち、ストローを突き刺して大の男が揃ってちゅうちゅう吸ってる姿は、見慣れない私には、何とも言えない光景だ。
骨にこびりついている肉は最初は美味いが、脂身が多過ぎてすぐにそれ以上食う気になれなかった。私以外の三人も、これこそご馳走と盛んに食べていたが、結局、多くは無理なようである。美味いと思える物は無かった。食事中にもう一人の若者に、「外国行くなら何処の国に行きたい」と聞いたら「米国」と言う。
「米国は好きか?」と聞いたら、う〜んと考え込み大分間を置いて「好きだ。でも侵略国だし」と言うから、「そうか、でも私らの意識では、中国が侵略国だ。新疆ウィグル・チベット・内蒙古、民族も違う、言葉も違う、文化も違う」と私が言ったら、いや〜な顔をし、黙ってしまった。他の二人からも反応なし。
そして「日本人の平均月収は?」と聞かれて、私は「20〜30万円」紙で計算して「人民元で14,600〜21,900元」と言ってしまった。すかさず「一ヶ月で?」と言ってきた。「そうだ」と言うと、又シーンである。その後で、逆に私が「君の月収は?」と聞いたら、二人の若者の顔色が変わって「違いすぎて言えない」と教えてくれなかった。
“肖○○”にも月収を聞いて知っていたが、この辺りの平均月収はまだまだ少ない。日本円¥20〜30万円と言うと二人の若者の2年分以上の年収にもなるかもだ。“肖○○”の22歳の娘が働いているが月収600元(8554円)だと言っていた。私はいつも日本人の平均月収を聞かれたら、「秘密」だとかもう少し少なく言っていたのに、今回は口が滑ってしまった。
これからは中国では、相手の収入を聞いても、こっちの収入は誤魔化すことにしなければと思った。でなければ又日本来ようとする中国人を増やす事になるから。ちなみにWeb頁で検索したら、『日本人給与所得者の平均年収は約437万円』と言う数字があった。これでも月平均:36万円か。
払いは無論私であり、295元で300元を出したら「お釣りはいいだろう」と、この内の一人の若者が、そのように私を促した。この店の知り合いのような感じがしたが良く分からない。
私が包車していた車に、“肖○○”は私の了解も得ずに二人を同乗させ、昼食を四人で食べることになって、その料金は私が払う。それも包車料金の倍の300元(¥4,200円)で、遠慮が無いと言うのか、日本人だと思っての態度なのか?全く彼らの心の内は分からない。まあ、でも、三人との短い出会いで別れであったが、この三人との出会いを通じ嫌な感じはなかった。
食べたことのない物を食べることが出来た。一人では経験できないことが出来、若者との意見交換も出来た。一人は日本に行きたいと言っていた。ここでも私は三人を前にして「日本や日本人が嫌いか?」と聞いた。三人を代表するかのように“肖○○”が「日本の軍人は悪いが、普通の日本人は違う」と型通りの答えが帰って来た。
そして私も型通りに「日本人の考え方は、軍人も政府も普通の国民もみんな同じ日本人だ。軍人だけに戦争の責任がある分けではない」といつもように独善的だが私の考え方が“日本人の考え方”であるかのように言った。これに対して、いつもそうだが、通じていないのか?反応はない。
というより中国人には有史以来一貫した国家の継続もなく、民主主義も存在せず、国家と一般民衆とに一体感はなく、同じ責任の下に行動しているとかいう意識や考え方がないのだろうと思う。だからそんな考え方自体が全然ピンと来ないのだと私は思っている。
2時過ぎまで飲み食いし、白酒を飲み顔を赤らめて上機嫌のタクシー運転手“肖○○”にも「ここから歩いてホテルに戻るから」と料金と少しのチップをを渡し、ここでみんなと別れた。 -
13:24:54
白酒で乾杯、24歳と23歳の青年
“肖○○”も勿論一緒です
彼は飲酒運転で帰りました
私はここから歩きました -
13:39:40
最初、なんの目玉や?なんてビックリ
肘の関節だそうです
脂っこいので沢山食えませんでした
ご馳走だそうですが・・・。私には? -
15:12:10
孫呉の太陽
今日は雨も降ったのか。道が濡れていました
幸い私は雨にあわなかったです
今回の旅を通じて・・・。天気に恵まれ
日頃の行いが良い証です
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■孫呉の街の散策
一旦ホテルに戻ったが、いつものようにじっと部屋におれず、すぐに散歩に出かけた。孫呉市内では雨が降ったようで路面はあちこち濡れていたが結局私は幸いにも一度も雨に会うことはなかった。
とにかく5時には真っ暗になる。3時から2時間くらいで今日の活動も終わりだ。この小さな街、孫呉が60数年前には軍都であり、ここで関東軍兵士や多くの日本人たちの日々の生活があった場所なのだ。
黒龍江省で一番の大都市は哈爾濱・次に斉斉哈爾(ちちはる)、そして牡丹江、その次はと聞くと、定かではないようだが、中でも孫呉の現在は小さく静かな街というのが二泊三日滞在の私の印象だ。
軍都「小さなハルピンに、大きな孫呉」と呼ばれていたこともあったようで、北進を想定して、軍都としての最盛期には10万人の関東軍が駐屯し、ここらの開拓民も1,500名を超えていたそうだ。
そんな面影を探し求めても、有るのは廃墟となった郊外の遺跡とかばかりで、何処とも変わらぬ漢族の街の風景ばかりだ。想像するしかないが、どうにも想像が出来ない。戦後の日本には軍人の姿もなく、世にいろいろな意見・コメントを出すのも政治家・経済人や評論家、芸能人の類ばかりで自衛隊最高幹部の意見など封殺されている。
「日本は素晴らしい国だ」との論文を航空幕僚長が発表すれば首になる。そんな国が今の日本だ。軍人が尊敬されない国家と言うのは国家の体を成し得ず、国を守る気概のない国民に夢のある将来はない。
みんなの手本となるべき武人も思想家もいない。商人道すらなくした愛国心なき商人が牛耳る今の日本と言う国家など浅ましいだけの品なき国だ。
官僚組織がどうであれ、組織の仕組みや構造がどうであれ、本当の意味での「愛国心と自己犠牲の精神」をしっかりと持っている日本人が、そこにおりさえすれば、日本は再生への道を歩めるだろう。逆に、どんなに構造や仕組みを変えても「愛国心と自己犠牲の精神無き者」が携われば、どんな仕組みも意味はない。
今日も駅前の「孫呉抗戦紀念館」に行ったが施錠し閉館だった。でも今になって気付いたが、ここは枕詞に侵華日軍という文字がない。抗戦紀念館とは如何なるや?まあ、内容は“推して知るべし”だが。
歩きながら露店でお好み焼き風の物を食う。あまり美味くない。歩きつかれ日も暮れて早々に北苑賓館に戻る。今日も充実の一日だった。そして良く歩いた。体力向上を実感した日でもある。
明日は「孫呉→哈爾濱」一日汽車の旅になる。 -
15:18:42
裏通りを歩く老人
懐かしい地道と家の風景です
住むのは新しい家
見たいのは昔ながらの家並み -
15:19:36
この奥に「安吉旅館」があるようです
ホントに泊まって見たいですが
その勇気がありません -
15:24:28
今日の孫呉駅前広場
孫呉抗戦紀念館は今日も鍵が掛かっていました -
16:33:56
お好み焼き風の物を食う
この露店で買いました -
16:38:54
あんまり美味くなく全部は食えず
北苑賓館に帰る
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