2009/07/10 - 2009/07/10
13位(同エリア46件中)
まみさん
2009/07/10金 クリミア半島2日目(現地英語ガイド&車付)
ヤルタ近郊めぐり
・聖ミハイル教会(アルプカに向かう途中)
・アルプカ宮殿&庭園
・ツバメの巣の写真を撮る
・オレアンダー・サナトリウムの巨大なプラタナスとニコライ2世王室教会
・リヴァーディア宮殿
・ニキーツキー植物園
(マサンドラ宮殿は大雨で断念)
ホテルに戻った後
・ヤルタの海岸沿いのプロムナードを一人で散策
【ヤルタ泊:ホテル・ブリストル(Bristol)】
現地英語ガイドのニーナとドライバーのビクターと回る、クリミア観光2日目です。
ガイドのニーナは、そのへんを歩いている小さな子やすれちがう見知らぬ他の観光客に向かって、注意したり、自ら名所の説明を買って出たりできる、今日の特に都会の日本ではあまりみられなくなったろうと思われる昔かたぎのおばちゃんです。
だから、パワフルです。
ガイドという職業柄、そしてなるべく手作りのものと自然に囲まれて過ごそうとする健康的な生活習慣のおかげか、もうすぐ60才という、私の母に近い世代なのに、体力は私の方が負けているでしょう。
気力も。
車を下りて観光するとき、私はいつも旅日記用のルーズリーフノートを持ち歩いて何でもメモするのに、ニーナは「カメラを持って、後はしっかり私の説明を聞きなさい」と言って、ノートを持たせてくれません。
「忘れたら、後で教えるから、とにかく聞きなさい」と厳しい先生みたいなところもありました。
でも、その場では理解して覚えたつもりでも、メモしないと細部の記憶は半日であらかた飛んでしまいます。
あんなにたくさんの話を聞いたのに(泣)。
ドライバーのビクターは英語が話せませんが、ニーナはビクターとロシア語で話をするときに、どんな話をしたか大まかに私にも伝えて、仲間はずれにしないようにしてくれました。
スキンヘッドで強面のビクターですが、その性格はとても陽気で、どこか可愛らしい、アロハとサングラスが似合う、おじサマでした。
ただし、この日ではないのですが、道路に飛び出してきた歩行者の男性に怒鳴ったときは、その強面の迫力そのもので、かなり怖かったです@
本日はヤルタを中心に、西と東の郊外の名所を訪れます。
私のプランは、現地旅行代理店の担当者のオリガが、私の希望を取り入れながら詳細を組み立ててくれたものです。
机上のプランは盛りだくさんになりがち。
この旅行を立案中は、西のアルプカ宮殿とリヴァーディア宮殿、そして東のマサンドラ宮殿は、それぞれバスを使って自力で観光しようかと考えたこともありました。
しかし、車をチャーターすれば、東西どちらも半日コースだとオリガから教えられ、1日で両方回ろうと欲が出ました。
さらに、クリミアの歴史は複雑な上、アルプカもリヴァーディアもマサンドラもロシアのロマノフ帝政時代の貴族や王室ゆかりの歴史ある城です。
しかも、リヴァーディア宮殿といえば、第二次世界大戦後の世界勢力地図を決めた、あのヤルタ会談の場所です。
かといって、私はそのあたりの歴史には詳しくなくて、受験勉強で覚えたキーワードレベルです。
それでも、ロシアのロマノフ王朝にはとても興味があります。
だから、ガイドの説明はぜひ聴きたいです。
というわけで、本日も車とガイド付の1日にしました。
そのついでにオリガは、車で回ればすぐだから、とヤルタ市内観光もプランにまぜてくれました。
私が、海水浴をするつもりは全くなく、むしろヤルタの市内観光をしたいと伝えたから。
ヤルタは世界でも有数の海岸リゾート地なのに私は水着を持参せず、ニーナをはじめ、ウクライナで会った人には、クリミアに何しに行ったのか、と呆れられたものです。
でも、本日の私のプランは、ガイドのニーナいわく、「クレイジー! ヤルタによくくるドイツ人観光客なら、1週間はかけるプランよ」
───えええっ、そうなの?
これはニーナだけの感想ではなく、ヤルタのガイド仲間でも、クレイジーな記録をぜひ作ってみろ、と驚かれると同時に面白がられたそうです。
ただ、サナトリウムがたくさんあるヤルタ。そこでゆっくりと長期の療養休暇をとりそうなドイツ人と比べられてもね。
日本人観光客ならふつうのプランだと思うけど……。
クリミアに日本人団体があんまり来ないから、びっくりしただけじゃないかしら。
まあ、よく考えたら、1日に宮殿3つも見学して、そのうち2つは庭園散策付きって、やっぱり盛り込みすぎかな@
でもニーナは、クレイジーと言いながら、プランにないところをサプライズとして案内しましょう、と言ってくれました。
そして最終日の4日目のオリガが立ててくれたプランを検討し直し、もっと効率のよい順路や、その近くでついでに回れる観光ポイントも提案してくれました。
グレート!
それこそ私が現地ガイドに期待することなのです。
ガイドブックを読みながら立てた机上のプランに忠実になるだけではなく、むしろガイドブックに載っていないような現地ガイドならではのお薦めの穴場を紹介してくれることを。
また、ニーナは観光を優先させるために昼食タイムを省くことを提案しました。
海外旅行中は、いつもそうしている私に、文句の出ようはずがありません。
今までの旅行でも、個人ガイドを雇ったとき、できればそうしたいなぁと思ったものですが、昼食タイムはガイドにとっても休み時間だろうと思ったから、省こうなんてとても言えませんでした。
ニーナの方から申し出てくれて助かりました。
ちなみに、ドライバーのビクターは、私たちが観光に出かけている間にとったみたいです@
ただ、本日の盛りだくさんのプランは、最後の目的地のマサンドラ宮殿に着いた15時半ごろ、熱帯雨林の雨季か!?と言いたくなるような豪雨に見舞われて、中止せざるを得ませんでした。
4日目に延期することになって、しぶしぶ承知した私。
クリミア南岸の天候も、とても変わりやすいようです。
すぐ北側をクリム山脈が走っていて、海と山に挟まれているせいでしょうか。
豪雨は2時間ほどでおさまり、嘘のように天気になりました。
それだけでなく、膝に届く高さにまで水浸しだった道路まで、その頃にはすっかり乾いていました。
雨が降った形跡は、樹木の濡れた葉っぱくらい。
なので、夕方、ニーナお薦めのレストランへ夕食に向かいがてら、昨日できなかった海岸沿いのプロムナード散策を楽しむことができました。
これはもちろん、1人でぶらぶら。
レストランの行き方のニーナの説明は正確だったのですが、ふらっと海岸に方向転換し、そのとおりに行かなかった私が道に迷い、うんと遠回りしてしまったことは───ニーナにはナイショ@
というわけで、ウクライナ旅行第6日目、クリミア半島2日目の本日の旅行記は、次の6つに分けることにしました。
アルプカ宮殿とその庭園で写真は50枚を超えてしまうため、庭園の写真はこの旅行記に一緒にまとめました。
(1)西のアルプカに向かう途中のヤルタ&アルプカ庭園
(2)イギリス風でイスラム風なアルプカ宮殿
(3)特別に見学させてもらったオレアンダー・サナトリウムとニコライ2世王室教会
(4)ヤルタ会談が行われたリヴァーディア宮殿
(5)花のタイミングは微妙だったニキーツキー植物園
(6)一人で散策した海岸沿いプロムナード
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
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本日のルートマップ
本日、現地ガイドのニーナと回った主な観光地は、滞在都市ヤルタを中心に、西のアルプカ宮殿、リヴァーディア宮殿、そして東のニキーツキィ植物園です。
本当はニキーツキィ植物園の後、マサンドラ宮殿も観光する予定でしたが、まさにバケツをひっくり返したような豪雨のために、中止になりました。
ヤルタ観光はちょっとだけ。
最初にアルプカに向かう途中、ヤルタの西の郊外の聖ミハイル宮殿に寄りました。
また、かつてのユスーポフ公の別荘は、いまは個人宅なので見学できませんが、写真だけ撮れました。
アルプカからヤルタに戻ってくる途中、本日の予定になかったサプライズとして、オレアンダー・サナトリウムに案内してもらった後、リヴァーディア宮殿を見学しました。
オレアンダー・サナトリウムは中に入ったのではなく庭だけですけど、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世のために建てられたロイヤル・チャーチを見学することができました。
ヤルタの看板ともいうべき有名な「ツバメの巣」は、中はイタリアンレストランなのでわざわざ行かなくてもいいけど、外観の写真だけは撮りたいとリクエストしておいたので、ニーナお薦めのスポットから写真を撮りました。
「チェーホフの『犬を連れた奥さん』の舞台ともなったヤルタは、クリミア半島の東海岸にあり、黒海沿岸で最も人気のあるリゾート地だ。
ヤルタは19世紀から革命までは、皇帝や貴族の別荘地となっていた。当時は、チェーホフの小説からぬけ出したような貴婦人や紳士たちが、町を往き交っていたのだ。革命以後、かつての豪華な別荘は労働者のためのサナトリウムに変わった。ソ連崩壊後、ウクライナが独立してからは一時期客足が遠のいたが、今は再び昔を懐かしむロシア人や旧ソ連の国の人々、さらに陽光を求める若者たち、そしてヨーロッパからのバカンス客が加わって、リゾート地としてよみがえっている。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より) -
絶壁のそばに建つ、ヤルタの西の郊外の聖ミハイル教会
白亜の黄金ドームの教会にうっとりです。 -
一部だけ緑の屋根がある聖ミハイル教会
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絶壁にこんな東屋やテラスがいくつもある
このテラスはだいぶくたびれてしまっていますが、ロマノフ王朝時のヤルタ全盛期には、ヤルタや黒海を見渡せるロマンチックなスポットだったことでしょう。 -
鐘楼と
教会内部は撮影禁止なので写真はありません。
ウクライナ正教会の教会です。
正教会なので金箔のイコノスタシス(聖職者しか入れない聖なる空間とふつうの信者が入れる俗の空間を分けるイコンの壁)が一番見事ですが、残念ながら写真がないため、記憶にはほとんど残っていません。
イコンは木製のキャンバスに金箔を薄く貼り付けられているものが多いですが、その際に使われる接着剤は天然の植物性のものだそうです。ハチミツを使うときもあるとか。
印象に残っているのは、ビーズで作られた聖母子像のイコンです。
絨毯製のイエスやマリアのイコンもありました。
足跡の絵もありました。マリアの足跡を示すイコンでした。
日本でも、お寺で時々、足跡の絵を見たことがありますれています
たとえばこういうやつ。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13288621/
関連の旅行記
「道を間違えたおかげで見つけた寺2つ」(2008年1月19日)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10212998/
これは仏教のお寺のものですが、キリスト教にも仏教にも似たようなものがあるなぁと面白くなりました。 -
かつてのユスーポフ邸、いまは個人所有
左下の禁欲的な館がそうです。12倍ズームのおかげでここまで大きく撮れました。
ユスーポフ公といえば、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の義弟で、怪僧ラスプーチン暗殺の首謀者です。
(最初にその名前を知ったのは、池田理代子さんのコミック「オルフェウスの窓」ですけどネ。大勢のキャラクターの中でもイザークの次に大好きでした@)
そのユスーポフ公のかつてのヤルタの別荘は、個人所有になってから高い塀に覆われて外観すら見えなくなっていたのですが、ドライバーのビクターがヤルタ生まれでこの近くに住んでいるおかげで、穴場ともいえるこのスポットを知っていたのです。
ソ連時代には国有だったかつてのロマノフ貴族たちの別荘やたくさんのサナトリウムは、ウクライナ独立後はどんどん個人所有になっています。
購入者は資本主義で急にお金持ちになった一部のウクライナ人が多いようです。
そうやって個人所有となった邸宅や施設の周りには無粋な高い塀が道沿いにずらっと建てられてしまっています。
まるで工事現場のような柵です。
そのせいですっかりヤルタの景観が醜くなった、とビクターは憤慨していました。 -
アルプカに向かう途中の車窓から、アイ・ペトリ山を見上げる
18世紀に、クリミア総督のヴォロンツォフ伯爵が作らせた道を通ってアルプカに向かいました。
ヴォロンツォフ伯爵は、自分のきちんとした住まいを建築するにまず、クリミア半島の発展のためにシンフェロポリ、ヤルタ、セバストポリを結ぶ主要道路を整備したそうです。
いま向かっているアルプカの宮殿は、そのミハイル・ヴォロンツォフの宮殿です。 -
アルプカに向かう途中の車窓から、アイ・ペトリ山を見上げる
アイ・ペトリ山頂へは、ヤルタ市内からケーブルカーで上ることができます。
その距離3.5kmという、ヨーロッパでももっとも長いケーブルカーの一つだそうです。
本日、予定どおりにマサンドラ宮殿も見学できていたなら、クリミア4日目にケーブルカーでアイ・ペトリに上ってみるはずだったんですけど……残念。
ただし、昨日のバフチサライからヤルタへのドライブの途中で、アイ・ペトリ山頂の展望台に寄っています。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第5日目(4)クリミア半島:ニコライ2世一家も通った、アイ・ペトリ山頂を越えてヤルタへ」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10381760/ -
モザイクが美しいバス停
車窓から撮りました。
美しいモザイクで飾られたバス停は、クリミア半島のあちこちにありました。
ただし街中のではなく、主に都市間を結ぶ郊外のバス停でした。 -
アルプカ庭園を散策する
18世紀に造園されたアルプカ庭園は、自然にできたように見せていますが、すべてが人工の庭園です。
ここには木はほとんど生えていない、何もない土地だったそうです。
植物はヤルタの東のニキーツキー植物園からもってきました。
植物を植えるための土はアイ・ペトリ山から運んできました。
そしてところどころにある岩は地中深くでしか生成されない深成岩で、火山の噴火で地中から隆起して出てきたものです。それが造園に利用されています。
さりげなく置かれてあるようでいて、きちんと計算されて配置されているのだそうです。 -
これらの岩は地下深く形成された深成岩
1927年にクリミアで2度も大地震が発生しました。
6月の地震は震度6〜7、9月の地震は震度最大9を記録したそうです。
その地震のせいで、これらの岩はすべて崩れたり、転がったりしてしまって、庭園は台無しになっているに違いないと誰もが思いました。
ところが、どの岩もびくともせず、庭園は奇跡的にたいしてダメージを受けなかったそうです。
それだけしっかりと造られたのだとニーナが自慢していました。
このあと、池のそばを通りました。庭園内にある3つの池はすべて人工の池です。
よく白鳥がくるようです。
まだ若い白鳥の写真を撮りました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16628496/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその1:ちょっとだけ動物たち」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10360936/ -
公園からみた麗しのアイ・ペトリ山
-
森のような庭園と麗しのアイ・ペトリ山
同じところでタテで撮った写真。 -
脱皮する木、たぶんユーカリ?
こんな風に皮がむける木を見るのは初めてです。
アルプカ庭園だけでなく、午後に出かけたニキーツキー植物園、それから後日ヤルタ市内でも見かけました。
他にもこんな写真を撮りました。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649824/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649825/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361799/ -
巨大な岩の向こうに突然現れた、お伽話のお城のようなアルプカ宮殿
庭園と宮殿の間には巨大な岩が壁のように、視界を遮るようにデーンとありました。
その岩の向こうには、こんな城が@ -
アルプカ宮殿
築1828年〜1846年。
※ちなみに、ここでは他にもこんな写真を撮っています。
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16649841/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ・ハイライトその2:ウクライナでも植物に注目(前編)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10361799/
この宮殿の内部や中庭、そして黒海に面した外観の写真は、次の旅行記にて。
「2009年ウクライナ旅行第6日目(2)ヤルタ:イギリス風でイスラム風なアルプカ宮殿」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10386275/ -
アルプカ庭園全体の地図
庭園は広いです。
面積は40ヘクタール。東京ドームが4.6ヘクタールというので、約10倍近いです。
湖や滝もあれば、噴水のある公園もあります。
私たちが歩いたのは宮殿のそばのほんのちょっとのエリアですね。
アルプカ宮殿を見学した後、オレアンダー・サナトリウムとリヴァーディア宮殿を見学して、ヤルタに戻りました。
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第6日目(3)ヤルタ:特別に見学させてもらったオレアンダー・サナトリウムとニコライ2世王室教会」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10386231/
「2009年ウクライナ旅行第6日目(4)ヤルタ:ヤルタ会談が行われたリヴァーディア宮殿」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10386263/ -
ニーナお薦めのスポットから撮った、かの有名なツバメの巣
アルプカ宮殿、オレアンダー・サナトリウム、そしてリヴァーディア宮殿を見学後、いったんヤルタに戻ってきたときに撮りました。
ちょうどツバメならぬカモメも一緒に撮れました。
そして城のまわりにはぎっしり観光客が@
ただ、確かにこのスポットはなかなかいいけれど、これでもPowerShot SX 200 ISの光学12倍ズームで撮りました。
ふつうの3倍くらいのレンズしか搭載していないコンデジだったら、城はちっちゃくにしか撮れなくて、がっかりしたことでしょう。
「ツバメの巣
ヤルタを紹介する際には決まってその写真が使われる、白亜の城。実際は1912年にドイツ人の富豪によって、アイ・ドトール岬先端の崖っぷちに建てられた館で、ヤルタを代表する観光名所となっている。
そこに立つと、“ツバメの巣”と呼ばれる理由もよくわかる。
現在は高級レストランになっている。」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
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