2009/08/16 - 2009/08/17
561位(同エリア841件中)
砂布巾さん
ツアー終了から旅の最終日までの紹介です。
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最初に今回のポハン行きの大きなきっかけになった5月に掲載された中国新聞の記事。中央商街、後ほど紹介する竹島市場(ジュクド シジャン)も見える。
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記事で紹介されていて是非行きたかったのが、前の写真の記事左側に紹介されている日本人町。大統領村徳谷のガイドの李さんがこのように詳しく書いて教えてくださった。この時点で釜山民主公園にするか、西生浦倭城にするかで少々悩んでいた最終日の予定は、九龍浦(クリョンポ)に確定。
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韓国と言えば、子どもの頃から印象に残っていたのは民主化を求めてソウルの真ん中の路上で火炎瓶を投げたりする人々、そして催涙弾や放水で対抗する機動隊。そして「戒厳令」の名の下に町中を走る戦車。それらが韓国に興味を持つきっかけの1つだったでしょう。実際に長く軍事独裁政権が続いていましたが、特に金泳三政権以後、急速に民主化が進みました。
今回の旅では2人の歴代大統領の故郷を訪問し、そのほかにも初代大統領李承晩や朴正煕などゆかりの地を巡りました。県立図書館で借りた本も大いに参考となしました。表紙に自分が持っている切手が使われているのも、本を借りた大きな要因です。
本の左側から簡単にご紹介
朴正煕(パク チョンヒ)大統領 昔は「ぼく」大統領と読んでいた。軍事独裁政権だったが、反面「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展を成し遂げた。また農村改造計画である「セマウル運動」も行った。清廉な人。青瓦台襲撃事件(1968)やシルミド事件はこの時。1974年の光復記念式典時に文世光の銃弾で陸英修夫人が亡くなり、自身も5年後に腹心の銃弾で倒れた。この時代にノスタルジーを感じる人も多い。
1人おいて、軍事クーデターによって権力を握った全斗煥(チョン ドファン)大統領。1980年光州事件弾圧でも悪名高い。また在任中にラングーン爆弾テロ事件に遭った。2つの大韓航空機事件(撃墜事件と金賢姫による爆破事件)も在任中。この時代から韓国風の読み方をするようになった。韓国大統領が国賓として初めて来日した際の晩餐会の中継を見た記憶がある。とりわけ天皇陛下のお言葉が話題になった。
クーデターの際の軍服姿、権力を去った後に国民に対して謝罪会見を行い、束草(ソウチョ)の百潭寺(ペクタンサ 行きたい!)の幽閉されたことなどが印象に残る。
全斗煥から権力を譲られたやはり軍出身の盧泰愚(ノテウ)大統領。ソウルオリンピック(88)組織委員長も務めた。この時代「北方外交」に目覚ましい成果を挙げ、ハンガリーを手始めに中国・ソ連など45カ国と国交を結んだ。軍人らしからぬ風貌。全斗煥氏と同じく退任後、逮捕され百潭寺に幽閉された。
今回生家も訪れた金泳三大統領
偶然にもここまでの4人、今年自殺した盧武鉉氏は全て慶尚道(キョンサンド)出身。順に亀尾、韓国のヒロシマと呼ばれるハプチョン(2006年 海印寺から晋州に行く時に確か通った http://jpn.hc.go.kr/)、八公山(パルコンサン)、巨済島。なお盧武鉉氏は釜山の隣町で空港に近い金海出身。彼が自殺した場所に行く選択肢もあったが、見送る。
帰国翌日の8月18日に亡くなった金大中(キム デジュン)大統領。初の全羅道出身者。東京でKCIA(韓国中央情報局)による「きんだいちゅう」拉致事件や死刑判決、アメリカでの事実上の亡命生活などを経て大統領になった。また北朝鮮との太陽政策を推進し、ノーベル平和賞を受賞した。長らくタブーだった日本文化の開放も行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98_(%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD) -
中央商街は去年11月にリニューアルオープン。
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腹が減ったので、珍しく17:30には夕食。釜山に次いで2回目のトンカス。値段はW3,900(\360)だから前回よりさらに安い。なかなか注文を取りに来てくれないなと思ったら、セルフサービスの店だった。チケットを買って番号を呼ばれたら取りに行くシステム。自分の番号(確か93番)が呼ばれたのかな、違うのかな?と思っていたら、店員が持ってきてくれた。今回は変わったトンカス屋が多かった。
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そして新聞に載っていた竹島市場へ
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こちらが昨日行ったM。向かい側あたりにあったCDショップをのぞいてみる。ゴミ箱代わりに持っていたレジ袋持参で。何と「フルトヴェングラーのブルックナー」のタスキがあかったCDも。意外と値段は高かった。
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ポハンで困ったのは、公衆電話から日本に電話できない。全ての電話ボックスでチャレンジしたが、全て駄目。ピンボケで判りませんが、説明書きも逆に貼ってあったので、腹いせに…
*釜山からは毎日W800で電話 意外と長く話せた -
商街では1時間近くこの景色を眺めていた。足を小川に浸けながら、写真を撮ろうとしたら、白い車がやってくるブリブリ。それにしても「良いよな〜旅は」などいくつかのヴァージョンを経て、「ボハンは良いよな〜」。
出費はW9,600(\880)。
*車が止まっている場所に立っていた警備員のおっちゃんが話しかけてきた。片言の日本語と英語で話す。 -
低血圧をおして、朝は7時前には出発。旅館近くのバス停にはわかりやすい表示が。直後にやってきた200番バスに乗ろうとしたが、方向が逆でした。
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こちらが昨日の午前中に行ったPOSCO製鉄所。
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九龍浦の町並み。同じような店構えが並んでいるのが面白かった。
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待ち時間が40分近くあったので朝食。向こうの2人組はバスの運転手さん。顔が見える運転手さんのバスに乗り換えた。
食べたのは「スンドゥブ チゲ」(W5,000)。豆腐がなかったらしく、店のアガッシ(おばちゃん)が店まで買いに行った。
*ポハンはバス代の均一運賃がW1,500(\140)とミリヤンや巨済よりも高かった -
バスに約20分乗ってホミゴルに到着。漢字では虎尾串。韓国本土では一番東に位置する。
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ここで地図でご説明。入り江の一番奥まったところが浦項、そしてホミゴルは尾っぽの最北。拡大してみれば判りますが、九龍浦(クリョンポ)は浦項から真東に行ったところ(カニの絵が見える)です。そして日本人村は九龍浦のすぐ近く、恐らく歩いても行ける距離。つまり遙かに通り過ぎてしまったのです。運転手さんには「イルボンマウル(日本村)」と伝えてはいたのですが、地元の人には十分に知られていないのでしょう。きちんと予習をしていたら…、と悔やまれます.
詳しくは、ポハン市役所のページへ
http://jp.ipohang.org/En/Culture/?navi=DETAIL&seq=77 -
こちらは釜山のバスターミナル。浦項から釜山までは1時間半でW7,300は\670。切符を買った時点で、持ち金がW1万を切る。
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ターミナルは地下鉄の終点。12日に行った梵魚寺の1つ先の駅。地下鉄だけど一部地上を走る区間もある。「地下鉄はどこから入れるんでしょう」何て漫才が昔あったな〜
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16時の出発までは1時間半程度余裕があったので、ゆかりの地巡り。親切な食堂(シクタン)。オレンジ色の縦看板。
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昼のコモドア
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クムハにも。親切なおじちゃんもいつもの指定席に居た。
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乾物屋街に再び
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「旅の終わりは悲しいよな〜」
「でもちょっと嬉しいよな〜」 -
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旅のスタートだった大庁路(テチョンノ)。約10分の所に近代歴史館があり、さらにしばらく歩くと臨時首都記念館がある。国際線フェリーターミナルからも近い。
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釜山税関
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こちらの壁に通信使の地図があり、絵も描いてあった。ターミナルまでの出費はW24,100(\2,210)。
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いよいよ釜山ともお別れ。ターミナルへ向かいます。利用料がW8,200は\750。博多の\500より高い。残りがW2,100しかなく、円も受け取ってもらえなかったので、1階で現地で最初で最後の両替。それを除いて7日間で現地で使ったのは、広島で準備したW32万(\29,400)。*最終日の宿代W2万のみカード払い。
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船は15:53には出発しました。乗船率は4割程度。
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こんな小っちゃい船が曳航してました。
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ターミナルにはなかったのですが、船に乗る直前にゲットできたチョスン イルボ。
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持参し、宿でも読んだ神谷不二先生(今年亡くなった)の「朝鮮戦争」。非常に分かり易い。
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十六、いや17茶
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来年はどこへ行こうか? ブッシュ大統領の退任で行かない理由がなくなったニューヨークにしようか、金正日と現代社長が合意した白頭山(ペクトゥサン)にしようか、ブームのベラルーシーのブレストにしようか、初の東南アジア、タイも気になる。しかしスカイチーム加盟有力候補だったバンコクエアウェイズの直行便が10月末でなくなるのがネック。
スカイチームに関しては、http://ja.wikipedia.org/wiki/SkyTeam 航空連合のバランスが崩れるし、あまり乗りたいとは思わないので、日本航空は歓迎しない。 -
東横インの広告が。
駅に向かうバスを降りようとしたら、財布が見あたらなくなって大慌て。韓国ではスリよけに横のポケットに入れていたのですが、日本に帰った安心感からでしょうか無意識のうちに後ろのポケットに入れていたのでした。
そして妻布巾が義父に「韓国から帰ってきたんよ」に「エッ、カンゴク(漢字にはしたくありません)」。
お後がよろしいようで!? -
後日談
中区(昔は八丁堀だったのに現在は袋町 初めて知った!)に韓国総領事館がある。8.20付中国新聞に「26日頃まで金大中元大統領の記帳を受け付けている」という記事を読んだので、行ってみる。しか〜し、「もう終わりました」。ガックリ。でも気を取り直して、「ソウルの国立墓地に行こう!」と心に誓った砂布巾でした。
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