1997/08/03 - 1997/08/12
1966位(同エリア6774件中)
ぱぶさん
フィレンツェからローマへはサンタ・マリア・ノヴェツラ(中央)駅から特急で2時間弱である。汽車の1等席はゆったりしており、ローマまでのトスカーナ、ウンブリア州ののどかな田舎風景を楽しみながら予定通り(8:49→10:25)ローマ終着駅に着いた。駅近くのホテルにチェックインして、すぐにフォロ・ロマーノに向かう。
フォロとは公共広場のことであるが、1200年も続いた帝政ローマの歴代の皇帝たちが権力の象徴としてこのフォロに元老院、裁判所、神殿、凱旋門等次々に築き、4世紀末までパックス・ロマーナ(ローマの力のもとの平和)の全盛を誇った。
全ての道はローマに通じ、ローマにはお宝・遺跡が詰まっている!
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天気は上々、フォリ・インペリアル通りの入り口からフォロ・ロマーノに入る。
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今や廃墟の遺跡と化した帝政ローマの中心地、こここそはあのカイザルも、ブルータスも、アントニヌスもそれからティトウスやコンスタンティヌスも元老院や民衆の前で演説し、戦地から意気揚々と凱旋して来た「兵どもの夢」の跡地なのだ!
入り口のすぐ左にあるのはマルクス・アントニヌス帝が亡き妻ファウスティーナのために建て、自らも葬られた神殿だ。コリント式、6本柱の前柱廊式で柱の高さは17m。 -
入り口通りの右側はエミリアのバジリカ(会堂)。
ここは天気が悪く、屋外で集会や商取引などができない時に使われた大きな公共建築物であったが、5世紀はじめの西ゴート族の侵入で焼け落ち、解けた銅貨の跡が床に残っている。 -
まっすぐ広場の中ほどに進むと、セヴェルスの凱旋門からティトウスの凱旋門まで東西に走る「聖なる道」と言う中心のめぬき道りがあり、かっては凱旋パレード等が行われた石畳なのだ。
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ぱぶさん達は、ガイドブック片手にデジカメを首にぶら下げ、フォロ・ロマーノを散策する。セヴェルスの凱旋門とサトウルヌスの神殿の中間あたりにロストリ(演壇)と言われた凝灰石を積み上げて高さ3m、長さ12mの基壇の跡がある。
演説者が前の広場に集まった市民に向かって話しかけた演壇だと言う。また、この場所はアウグストウス帝がすべての道はローマに通じると定めた幹線道路の基点のゼロ標識の地点でもある。 -
2000年の歴史を経てなお、カイザルの活躍した当時の兵者共の夢の跡をここに残す!
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ヴェスタ神殿、ヴェスタの巫女の家、マクセンティウスのバジリカ、ティトウスの凱旋門等を見て、ここから繋がる、パラティーノの丘に上る。
その当時、ローマの政治や経済に力を持つ貴族や有力な家柄の人々の住む高級住宅地でクリウス・パラティヌスの坂の上に位置する。
坂の途中からのフォロ・ロマーノや現在のローマ市の眺めも良い。花が咲き誇り、世界で始めての植物園と言われる、ファルネシアーニ庭園も美しい。 -
パラティーノの丘にはアウグストウス帝の妃リヴィアの家もあり、趣味の良い、精錬された壁画も一見に値する。
この丘の見晴台からはベン・ハーで有名な戦車競技が行われたチルコ・マッシモと言う競技場跡も眼下に見下ろせる。 -
これはティトウスの凱旋門。
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フォロ・ロマーノの後は、すぐ近くのコロッセオを見る。
ヴェスパシアヌス帝の命令で72年に建設開始、8年後の息子のティトウス帝の時代に完成。長径188m、短径156m、周囲527m、高さ57m、5万人収容と言うこの施設ではアリーナの上で剣闘士と猛獣、囚人同士の血なまぐさい闘いが繰り広げられた。
こうした見世物を提供して庶民の人気を稼ぎ、社会に山積する問題から目をそむかせる目的に利用された。(キリスト教の普及につれ6世紀半ばにこの見世物は廃止になった) -
疲れたのでこの辺りで一休み。テラス・レストランでピッツァとビールで一息入れる。
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その後、コンスタンティヌスの凱旋門とカラカラ浴場をさっと見て、ヘップバーンの「ローマの休日」で一躍有名となった真実の口に向かう。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の中もちょっと見て、映画の画面のように海神トリトーネの顔が彫られた古代ローマのマンホールの蓋の真実の口に手を入れる!幸いにも手を噛み切られることもなかった。
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引き続き、背中向きにコインを投げ入れると再びローマに戻れると言う、トレヴィの泉を訪ねる。
ぱぶさんはこれまで3度ローマのこの地に来たことがあり、その都度次回のローマ再訪をこの泉での背中向きコイン・トスで願ってきた。
それで、今回もまたコインをトスする。噴水の町ローマであるが、ポーリ宮の壁面中央に刻まれた勝利のアーチを背に立つ海神ネプチューン、左右の2頭の海馬とそれを操るトリトンは建築と彫刻と水が一体となったバロック芸術の傑作である。1762年、ベルニーニの構想を生かしてコンクールで選定されたニコラ・サルヴィにより完成されたと言う。 -
まだ日は明るいので、ついで、近くのパンテオン(すべての神々にささげられた神殿)を訪ねる。
この建物は現存する最も完全なローマ時代の石造りの遺構といわれている。直径・高さ共43.3mの丸いクーポラを乗せた本殿とコリント式柱頭で飾られた16本の花崗岩の列柱で支えられた三角破風の前室からなっている。
この中にはラファエロの墓もある。 -
パンテオンからテヴェレ川方向に少し歩くと人でにぎわうナヴォーナ広場に至る。
ここは昔、競技場であったので、南北に細長い楕円形の地形で3つの噴水がある。
最も南にあるのが「ムーア人の噴水」、真ん中に「四大河の噴水」(オベリスクを掲げるベルニーニの大作:四大河とはナイル、ガンジス、ドナウ、ラプラタ)、一番北にあるのが「ネプチューンの噴水」である。
水の音に満ち、開放的で庶民的なナヴォーナ広場はルネッサンスからバロックへの時代を象徴する彫刻(噴水・教会内)やヴィラ(お金持ちの邸宅)や大道芸やお祭りでいつもにぎわっている! -
ローマ二日目、今日も駆け足と忙しい。
まず、ホテルでの朝食の後、ヴァチカンに向かう。ヴァチカン博物館の列に並ぶ。ぱぶさんは3度目であるが、何時きてもわくわくする場所である。
見所がたくさんあり、時間もかかるが、家族にも見てもらいたいので、最大限のセレクションとして、3時間半くらいをあて、まず、ピオ・クレメンティーノ美術館の「ベルヴェデーレのアポロ」、「ラオコーン」、ミケランジェロが絶賛したと言う「ベルヴェデーレのトルソ」と言った作品を中心に鑑賞する。
また、噴水のある八角形の中庭(ベルヴェデーレの中庭)にも出てみよう。広い屋上のようなピーニャの中庭には松かさ(ピーニャ)の彫刻もある。 -
タペストリーや地図のギャラリーを通り、ラファエロの間に進み、特に署名の間の「アテネの学堂」(理性の真)、「聖体の論議」(神の真)、「枢要徳と対神徳」(善)、「パルナッソス」(美)をじっくり鑑賞する。
もちろん、ヘリオドロスの間、火災の間も順路に従い見る。 -
続いては、今日のハイライト、システィーナ礼拝堂(ここは法王様が変わられるときの選挙=コンクラーベの行われる場所である)に進む。
以前は撮影O.K.であったが、その後禁止されているので、今回は一期一会のごとく、眼にしっかり焼き付けておくことである。
1994年に長期にわたる修復を終え、ルネッサンス期の色彩そのままに艶やかに蘇った最高傑作を堪能したのであった。ミケランジェロの「天井絵」(旧約聖書、預言者と巫女)、「最後の審判」は超有名作品である。
その他にも、南北両面の壁画もギルランダイオ、ペルジーノ、ボッティチェリ、ロッセツリ等のキリスト伝、モーデ伝と言った含蓄のあるストーリーのカット場面を描いたものである。
この後も、若干後戻りしたり、もう一度見たい作品を再確認で見たりとかしながらやがて螺旋階段を下って、博物館の外に出る。
(この画像は本からのものである。) -
ヴァチカンの正面広場の方にまわる。ミケランジェロのデザインと言われる格好のよい制服を着たスイス衛兵を見る。
この広場はサン・ピエトロ広場と呼ばれ、バロックの巨匠ベルニーニの設計による左右2列に並んだ284本の列柱の楕円形の回廊に囲まれた空間はこの広場に入るすべてのひと、いわば人類すべてを抱きしめているかのような気分に浸らせる。
広場の中心にはオベリスクが立っており、このオベリスクから左右対称のところにマデルノとベルニーニの設計による噴水がある。回廊の上には3.2mの高さの歴代教皇と聖人の像、140体が立っている。 -
これからサン・ピエトロ寺院のミケランジェロのクーポラに寺院右側の上り口より上る。
クーポラ下のテラスまで、エレベータで上り、ここから先、92mのクーポラには歩いて上るしかない。
途中、円屋根の内側に巡らされた通路からは丸天井を飾るモザイクを見る。下を見下ろすと教皇の祭壇を覆うベルニーニのブロンズの大天蓋がある。 -
やがて通路は外側と」内側の二重の構造の隙間に入り、急な螺旋階段と傾斜のために体を傾けた状態で、はーはー言いながら上る。
ようやく頂上のテラスに飛び出す。広場からの高さは120m、眺めは抜群!すばらしい眺めにうっとりしながら、ヴァチカン市国からローマ市の四方を見る。満足かな、満足かなである。 -
これはヴァチカン・コラージュである。
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Mamasanはもう倒れそう!ゆっくり、ゆっくりクーポラから下りる。
これからサン・ピエトロ寺院の内部を見学する。まず、入って右側にある、ミケランジェロの「ピエタ」を見る。ミケランジェロ25歳、1499年の傑作である。
(ぱぶさんのイタリア人、もちろんカソリックの友人はこの像が一番感激・感銘を受けた像だと話してくれたことを思い出す。) -
身廊の奥に進むと、マデルノの主祭壇があり、これを覆うベルニーニの「ブロンズの天蓋」、この奥の後陣の中央には同じくベルニーニの「聖ペテロの椅子」が安置されている。
他にも沢山の聖人像や墓や礼拝堂と言った荘厳な雰囲気の寺院内部を見学し、外にでる。 -
ついで向かったのは、「ローマの休日」で有名なスペイン階段である。でもその前に、へとへとMamasan の希望もあって、スペイン階段近くの 「Caffe Greco」で一息つくこととする。
このCaffeはコンドッティ通りにあり1760年創業でインテリアもウエイターの服装もすべてこれアンティークと言った雰囲気で、観光客でにぎわっており、ちょっと待たなければならない。
かって、ゲーテが愛し、詩人バイロンやキーツ、イプセンなどの文豪やショパン、ワグナー、リストと言った音楽家も集った由緒あるサロンでもあったと言う。 -
コーヒーとケーキのセットで一休みし、スペイン階段に向かう。ここはとても絵になるところである。
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正面に二つの鐘楼を持つトリニタ・デイ・モンティ教会とその前のオベリスク、階段を下って下にはピエトロ・ベルニーニ(バロックの立役者ジャン・ロレンツオ・ベルニーニの父)の作、「舟の噴水」(その昔、テヴェレ川でワインの運搬に使われたバルカッチャ船をかたどった)がある。
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スペイン階段から次にポポロ広場に向かう。
北からローマにやってくる巡礼者がここで身元を調べられ、税を納めてローマに入るのを許されたのがポポロ門である。
ポポロ広場の真ん中には36.5mのエジプト・オベリスクが聳え立っている。この広場の周りにはポポロ教会、双子教会があり、ここからまっすぐに伸びるコルソ通りはローマの中心地カンピドーリオ(市庁舎所在地)に繋がっている。
これで、ローマの散策はおわり。ホテルに戻り、一休みし、着替えて最後の晩餐のレストランに向かう。アリデベルチ・ローマ、また来る日まで!
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この旅行記へのコメント (2)
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- 385さん 2009/08/28 16:41:55
- ヨーロッパ・フイレンツェの旅より
- ぱぶさん
>再度、夢を心に刻みたいと訪問しています。
>私にとっては教科書です。ここまで書き込むのに大変な良いエネルギー
>をつぎ込んだ事でしょう。実はフレンツェは親しみのある言葉なのです。
>余談ですが、娘の大学が江古田にありベートヴェンホールに何回かピアノ >演奏を聴いての帰り大学近くの洋食店が(フイレンツェ)そのマスターが >当時ヨーロッパの話をされていたのが印象深く刺激も受けたのか
>大学の友と音楽の勉強と称してヨーロッパに、心に財産を・・?
>私は海外はスキー&トレッキング脳の勉強ではないですね・・・
余談が多すぎて御免なさい。お気に入りでヨーロッパの旅、再三訪問 させて頂き強い刺激を受けています。歴史・文化等、規模の大きさに
ため息ばかり広い意味で勉強になります。
- ぱぶさん からの返信 2009/08/28 18:14:20
- RE: ヨーロッパ・フイレンツェの旅より
- 385さん:
ぱぶさんの旅行記サイト、同じサイトにも再々ご訪問有難うございます。
フィレンツエには385の娘さんのゆかりもあるようで、きっと
身近に感じられるところも、おありなのですね?
ヨーロッパにはとても重厚な文化遺産がたくさん有り、ぱぶさんの
大好きなところです。
もちろん、本場アルプスもありますので、385さんのスキーや
トレッキングにもすばらしい場所がたくさんあります。
385さんも旅行プランして実行あるのみですね! (*^_^*)
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