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<br />◎ 高桐院<br /><br />大徳寺の塔頭の一つで、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な、細川忠興(三斎)が、父幽斎の弟・玉甫紹を開祖として建立した細川家の菩提寺です。<br /><br />三斎は、千利休の七人の高弟(利休七哲)の一人に数えられる名手で、書院は利休の邸宅を移築したものと言われています。<br /><br />おまけ↓↓↓<br />http://minikuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-a3cd.html

大徳寺塔頭 「高桐院」 

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2009/06/27 - 2009/06/27

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みにくま

みにくまさん


◎ 高桐院

大徳寺の塔頭の一つで、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な、細川忠興(三斎)が、父幽斎の弟・玉甫紹を開祖として建立した細川家の菩提寺です。

三斎は、千利休の七人の高弟(利休七哲)の一人に数えられる名手で、書院は利休の邸宅を移築したものと言われています。

おまけ↓↓↓
http://minikuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-a3cd.html

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  • 高桐院<br /><br />入り口です。<br />ここは、もうこの辺りから凛とした雰囲気が漂っています。<br />みにくま君も、ちょっと緊張気味で奥へ進みます。<br />

    高桐院

    入り口です。
    ここは、もうこの辺りから凛とした雰囲気が漂っています。
    みにくま君も、ちょっと緊張気味で奥へ進みます。

  • 高桐院<br /><br />1996年秋 JR東海 そうだ 京都、行こう。のロケ地です。<br /><br />キャッチフレーズ<br />「人気のオープンエアでした。お抹茶をお願いしました。」 <br /><br /><br />このころ、私は東京の方に住んでいたはずなんですけど、ぜんっぜん思い出せません(^_^;)<br /><br />

    高桐院

    1996年秋 JR東海 そうだ 京都、行こう。のロケ地です。

    キャッチフレーズ
    「人気のオープンエアでした。お抹茶をお願いしました。」


    このころ、私は東京の方に住んでいたはずなんですけど、ぜんっぜん思い出せません(^_^;)

  • 高桐院 唐門<br /><br />緑モミジが、日の光に照らされて輝いております。<br />綺麗だーー、これは、秋に真っ赤になったら、凄いことになりそうだー。<br />

    高桐院 唐門

    緑モミジが、日の光に照らされて輝いております。
    綺麗だーー、これは、秋に真っ赤になったら、凄いことになりそうだー。

  • 高桐院<br /><br />完璧に計算された額縁から見えるお庭。<br /><br />

    高桐院

    完璧に計算された額縁から見えるお庭。

  • 高桐院<br /><br />拝観料400円を払って建物の中へ。<br /><br />写真の左の建物は、トイレへ向かう通路だと思います。<br />

    高桐院

    拝観料400円を払って建物の中へ。

    写真の左の建物は、トイレへ向かう通路だと思います。

  • 高桐院 客殿 <br /><br />みにくまとちびくまが、座って瞑想しています(-_-)zzz<br />

    高桐院 客殿 

    みにくまとちびくまが、座って瞑想しています(-_-)zzz

  • 客殿南庭<br /><br />江戸時代初期の造園。<br />楓樹を主とした野趣に富む庭ですが、青葉の清冽、紅葉の華麗、冬の静寂と四季折々、自然の風雅をたくまずに含めた構図は、見事という他ない。<br /><br />

    客殿南庭

    江戸時代初期の造園。
    楓樹を主とした野趣に富む庭ですが、青葉の清冽、紅葉の華麗、冬の静寂と四季折々、自然の風雅をたくまずに含めた構図は、見事という他ない。

  • 客殿南庭<br /><br />◎ 対灯篭(天下一の灯篭)<br /><br />利休居士は秀吉が所望したこの灯篭を天下人に似合わぬと、自らが傷物にしてまで断ったものを、後に金毛閣の件で堺に下がる折に、形見として三斎公に渡しました。<br /><br /><br />◎ 炭の雨落ち<br /><br />木炭を雨が落ちる下に置き、雨水の跳ね返りを防ぎ、水の流れも良くし、においもない。<br />用と景の二つを融合させた工夫です。<br /><br />

    客殿南庭

    ◎ 対灯篭(天下一の灯篭)

    利休居士は秀吉が所望したこの灯篭を天下人に似合わぬと、自らが傷物にしてまで断ったものを、後に金毛閣の件で堺に下がる折に、形見として三斎公に渡しました。


    ◎ 炭の雨落ち

    木炭を雨が落ちる下に置き、雨水の跳ね返りを防ぎ、水の流れも良くし、においもない。
    用と景の二つを融合させた工夫です。

  • 客殿南庭

    客殿南庭

  • 客殿より<br />

    客殿より

  • 客殿より<br /><br />

    客殿より

  • 細川忠興(三斎公)及びガラシャ夫人の墓<br /><br />墓石は生前愛好した石灯篭をもってそれに当てました。細川家の墓所の中にあるこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を袖に静かに据わっています。<br /><br />これはもと利休秘蔵の天下一の称ある灯篭でしたが、太閤秀吉と山斎公の両雄から請われたために、利休はわざと裏面三分の一を欠き、キズ物と称して秀吉の請を退けました。<br /><br />のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので、”無双”という銘を持ち、また別名を”欠灯篭”とも言います。<br /><br /><br />そんな貴重なものだと知らず、この灯篭の後方を見忘れました。<br />これは次回の宿題ということにしておきます。<br />

    細川忠興(三斎公)及びガラシャ夫人の墓

    墓石は生前愛好した石灯篭をもってそれに当てました。細川家の墓所の中にあるこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を袖に静かに据わっています。

    これはもと利休秘蔵の天下一の称ある灯篭でしたが、太閤秀吉と山斎公の両雄から請われたために、利休はわざと裏面三分の一を欠き、キズ物と称して秀吉の請を退けました。

    のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので、”無双”という銘を持ち、また別名を”欠灯篭”とも言います。


    そんな貴重なものだと知らず、この灯篭の後方を見忘れました。
    これは次回の宿題ということにしておきます。

  • 細川家歴代之墓<br /><br />正面の初代藤孝を中心に、左右に12代斎護まで並んでいます。<br /><br />2代三斎公だけは別格ということですね。<br />

    細川家歴代之墓

    正面の初代藤孝を中心に、左右に12代斎護まで並んでいます。

    2代三斎公だけは別格ということですね。

  • 本堂<br /><br />ちょっと季節は違いますが、何故か深紅の紅葉が見られました。<br />ちょっと儲かっちゃったかな?(*^_^*)<br />

    本堂

    ちょっと季節は違いますが、何故か深紅の紅葉が見られました。
    ちょっと儲かっちゃったかな?(*^_^*)

  • 本堂と紅葉<br /><br />12月に撮影したものです。<br />と言っても何の不思議もない写真ですが・・・。<br />

    本堂と紅葉

    12月に撮影したものです。
    と言っても何の不思議もない写真ですが・・・。

  • 紅葉<br /><br />このモミジ、今赤いなら、秋は何色??<br />

    紅葉

    このモミジ、今赤いなら、秋は何色??

  • 本堂<br /><br />庭から撮影しました。<br />なんとなく撮った写真でも、何故だか絵になるから不思議です。<br />

    本堂

    庭から撮影しました。
    なんとなく撮った写真でも、何故だか絵になるから不思議です。

  • 袈裟形のおりつくばい<br /><br />この浄水盤は、加藤清正公が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川三斎公に贈られたものです。<br /><br />地面低くおさめられているので、おりつくばいと呼ばれています。<br />三斎は、灯篭と共に愛用し、熊本・江戸間の参勤交代にも持ち歩き、80才の時、当院に納められました。<br />

    袈裟形のおりつくばい

    この浄水盤は、加藤清正公が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川三斎公に贈られたものです。

    地面低くおさめられているので、おりつくばいと呼ばれています。
    三斎は、灯篭と共に愛用し、熊本・江戸間の参勤交代にも持ち歩き、80才の時、当院に納められました。

  • 茶室「松向軒」<br /><br />1628年、三斎公66歳の時の作です。<br />

    茶室「松向軒」

    1628年、三斎公66歳の時の作です。

  • 本堂<br /><br />吊り灯篭<br /><br />

    本堂

    吊り灯篭

  • 本堂<br /><br />窓の上部に家紋が彫られており、光を取り込んでいました。<br />

    本堂

    窓の上部に家紋が彫られており、光を取り込んでいました。

  • 本堂<br /><br />廊下

    本堂

    廊下

  • 高桐院<br /><br />トップ写真を逆から見たところです。<br />

    高桐院

    トップ写真を逆から見たところです。

  • 高桐院<br /><br />瓦は細川家の家紋「九曜」紋。<br /><br />1579年、細川三斎公が明智光秀の三女・玉子(ガラシャ)と結婚した時、信長の命により九曜を定紋とし、細川家の家紋となりました。<br />

    高桐院

    瓦は細川家の家紋「九曜」紋。

    1579年、細川三斎公が明智光秀の三女・玉子(ガラシャ)と結婚した時、信長の命により九曜を定紋とし、細川家の家紋となりました。

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