2009/06/27 - 2009/06/27
1023位(同エリア3400件中)
みにくまさん
◎ 高桐院
大徳寺の塔頭の一つで、江戸時代初期の武将で茶人としても有名な、細川忠興(三斎)が、父幽斎の弟・玉甫紹を開祖として建立した細川家の菩提寺です。
三斎は、千利休の七人の高弟(利休七哲)の一人に数えられる名手で、書院は利休の邸宅を移築したものと言われています。
おまけ↓↓↓
http://minikuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-a3cd.html
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高桐院
入り口です。
ここは、もうこの辺りから凛とした雰囲気が漂っています。
みにくま君も、ちょっと緊張気味で奥へ進みます。 -
高桐院
1996年秋 JR東海 そうだ 京都、行こう。のロケ地です。
キャッチフレーズ
「人気のオープンエアでした。お抹茶をお願いしました。」
このころ、私は東京の方に住んでいたはずなんですけど、ぜんっぜん思い出せません(^_^;) -
高桐院 唐門
緑モミジが、日の光に照らされて輝いております。
綺麗だーー、これは、秋に真っ赤になったら、凄いことになりそうだー。 -
高桐院
完璧に計算された額縁から見えるお庭。 -
高桐院
拝観料400円を払って建物の中へ。
写真の左の建物は、トイレへ向かう通路だと思います。 -
高桐院 客殿
みにくまとちびくまが、座って瞑想しています(-_-)zzz -
客殿南庭
江戸時代初期の造園。
楓樹を主とした野趣に富む庭ですが、青葉の清冽、紅葉の華麗、冬の静寂と四季折々、自然の風雅をたくまずに含めた構図は、見事という他ない。 -
客殿南庭
◎ 対灯篭(天下一の灯篭)
利休居士は秀吉が所望したこの灯篭を天下人に似合わぬと、自らが傷物にしてまで断ったものを、後に金毛閣の件で堺に下がる折に、形見として三斎公に渡しました。
◎ 炭の雨落ち
木炭を雨が落ちる下に置き、雨水の跳ね返りを防ぎ、水の流れも良くし、においもない。
用と景の二つを融合させた工夫です。 -
客殿南庭
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客殿より
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客殿より
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細川忠興(三斎公)及びガラシャ夫人の墓
墓石は生前愛好した石灯篭をもってそれに当てました。細川家の墓所の中にあるこの鎌倉時代の美しい灯篭墓石は、苔を袖に静かに据わっています。
これはもと利休秘蔵の天下一の称ある灯篭でしたが、太閤秀吉と山斎公の両雄から請われたために、利休はわざと裏面三分の一を欠き、キズ物と称して秀吉の請を退けました。
のちに利休割腹の際、あらためて三斎公に遺贈したもので、”無双”という銘を持ち、また別名を”欠灯篭”とも言います。
そんな貴重なものだと知らず、この灯篭の後方を見忘れました。
これは次回の宿題ということにしておきます。 -
細川家歴代之墓
正面の初代藤孝を中心に、左右に12代斎護まで並んでいます。
2代三斎公だけは別格ということですね。 -
本堂
ちょっと季節は違いますが、何故か深紅の紅葉が見られました。
ちょっと儲かっちゃったかな?(*^_^*) -
本堂と紅葉
12月に撮影したものです。
と言っても何の不思議もない写真ですが・・・。 -
紅葉
このモミジ、今赤いなら、秋は何色?? -
本堂
庭から撮影しました。
なんとなく撮った写真でも、何故だか絵になるから不思議です。 -
袈裟形のおりつくばい
この浄水盤は、加藤清正公が朝鮮王城羅生門の礎石を持ち帰り、細川三斎公に贈られたものです。
地面低くおさめられているので、おりつくばいと呼ばれています。
三斎は、灯篭と共に愛用し、熊本・江戸間の参勤交代にも持ち歩き、80才の時、当院に納められました。 -
茶室「松向軒」
1628年、三斎公66歳の時の作です。 -
本堂
吊り灯篭 -
本堂
窓の上部に家紋が彫られており、光を取り込んでいました。 -
本堂
廊下 -
高桐院
トップ写真を逆から見たところです。 -
高桐院
瓦は細川家の家紋「九曜」紋。
1579年、細川三斎公が明智光秀の三女・玉子(ガラシャ)と結婚した時、信長の命により九曜を定紋とし、細川家の家紋となりました。
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