1999/12/27 - 2000/01/04
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kojikojiさん
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2000年問題が騒がれていた1999年の年末に何かの雑誌で「あなたが2000年問題を気にしているなら中国に行けば大丈夫。」と書いてありました。当時中国にはウィンドウズの正規品は5個しかなくて後は違法コピーだなんて言われていました。特に2000年問題を気にしていた訳ではありませんが、上海に行ってみるかと思いました。当時はまだビサも必要でした。空港も浦東がもうすぐ開港する直前でした。虹橋空港からの車窓を見て日本と変わらないと思いました。写真を見てみると浦東に高層ビルは少なくテレビ塔がランドマークになっています。宿泊したシャングリラも大きな建物でした。今では高いビルの谷間になっていますが。黄浦江の渡し舟の料金所には人が群がり誰も並ばず、これが中国かと思いました。蘇州への列車でも行きの1等はベルベットのシートにレースのカバーが掛かり、係員がお湯のサービスをしていましたが、試しに乗った帰りの3等車は絶句しました。席は取られているし満員で暗くて汚くて前のおやじは痰を吐くし・・・。4元ほどの差(50円ほど)で天国と地獄でした。今では考えられない面白さもありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 自転車 タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
-
初めての中国で上海です。年末に事務所に一眼レフカメラを忘れてしまったためにまだ使い慣れていないコンタックスT2での撮影になりました。到着した浦東のシャングリラの部屋からの眺めです。
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送迎だけ付いているフリーツアーでしたが、日本語が堪能なガイドさんが中国産のフォルクスワーゲン・ジェッタでお迎えでした。虹橋空港から市内までオプションのお誘いがいろいろありました。男性一人旅なのでいかがわしいものもありましたが、同じ車で周荘往復をお願いしました。
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当時は東方明珠電視塔だけがランドマークで、グランドハイアットがあるくらいで、あとはほとんどが空き地でした。
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ベージュ色の香格里拉ホテルもすぐに分かります。部屋は黄浦江川の部屋だったので眺めも良かったです。外灘へは東昌路の渡船で移動しました。浦東からは無料で帰りが5角でした。ジュトンを窓口で買うのですがまだ中国に「並ぶ」という習慣が無かったころだったのでいろいろ大変でした。
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スカスカの浦東の高層ビル群です。この頃の写真は逆に新鮮で貴重かもしれません。
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渡船からの外灘の風景です。これは今もあまり変わりません。
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建物は変わらなくても人々は洋服などは洗練されていませんでした。カメラも殆どの人が持っていないので写真屋が繁盛していました。そのポーズの取り方の面白さにしばらく眺めていました。
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本当に何もありません。この後何度も上海を訪れていますが来るたびに景色が変わっていきました。
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揚子江を下ってくるフェリーも多く見られました。内陸から出稼ぎに来る人々が乗っているのか殺伐とした雰囲気でした。2008年の年末は大阪港から上海まで素集合で船旅を楽しみましたが、ここまでは入ってこれません。
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ホテルの部屋からの夜景です。カメラのせいもありますが今より暗く感じます。
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飛行船が夜に飛んでいるのは初めて見ました。それも胴体が明るく光っています。
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12月の30日と31日の夜は黄浦江を行き交う船から花火が打ち上げられました。浦東側でも呼応するかの様に周辺の空き地から花火が打ち上げられました。
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延々と2時間近くあちらこちらで花火が始まります。表に出ても音が反響してどこで打ち上げているか分かりません。大晦日の晩はテレビ塔近くのスタジアムのような所でカウントダウンのイベントのようなものがありましたが詳細は分かりませんでした。周辺の道路は閉鎖されて公安と軍隊が警備しています。まるで戒厳令の夜といった感じです。
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大晦日はNHKの「往く年来る年」の中継が外灘であるらしいので渡船乗り場に向かいました。花火の轟音と閃光の中進むと道路が閉鎖されていました。ポリスラインが引かれていて人の通行も妨げられていました。数千人の人が公安に止められています。そこを越えて船着場に行くと船も運休になっていました。外灘には行けそうも無いので諦めて戻ろうとするとポリスラインで止められてしまいます。ホテルのキーカードを見せるとそこにはビルの写真がプリントされていました。カードとビルを交互に指差して意味が通じたので通してもらえました。今思い返しても不思議な夜でした。少々ヤバそうだったのでカメラを持たずに出たのが残念です。
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年が明けて元旦の外灘です。中国は旧暦なので普通の休みの日のようです。外灘の古いビルの屋根の上には「紅地五星旗」がたなびいています。
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和平飯店北楼にも泊まってみたかったのですが、シャングリラにしてしまいました。当時は改修もしていなくて評判もあまり良くは無かったです。でも大晦日にジャズを聴くなんてことも出来たかもしれません。
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豫園商場の方まで歩くと人が多くなりお正月を感じられました。。湖心亭も超満員で中には入れそうもありません。
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そのまま豫園の見学をすることにしました。表の商場の喧騒など全く感じられない静かな時間が流れています。
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この当時中国へ入国するには観光ビザが必要だったので旅行会社を経由して旅するのが当たり前でした。今とは考えられないくらい面倒でした。ただ入国してしまえば観光にしても交通にしてもタダみたいな値段でした。
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お金を使うのはもっぱら骨董品屋でした。現在よりも数多くのアンティーク店があり、「文物局公認の鑑定印」の蝋印を押したものが安く購入できました。今はビル自体ありませんが、外灘の北側に友諠商店というような名前の国営百貨店があり、そこの骨董品店にも通いました。
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「大清光緒年生」の素晴らしい青華の鉢が数万円で買うことが出来ました。欠けの入ったものはタダ同然でしたし値段交渉も出来ました。小さい欠けの入ったものは自分で金継ぎしてしまえば日本人的には全く気になりません。京都に持って行って叔母の陶器店に置いておいたら作品を届けに来た窯元の方が持って帰って寸分たがわない物を造って見せてくれました。残念ながら数十万円で売っているので十年以上売れていないですけど。
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思えばこの時の中国旅行が楽しかったのでこの後十数年の間中国各地を旅することになりました。豫園にも妻を伴って1回と、大阪港からフェリーに乗って親兄弟10人で来たこともありました。
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太湖石の美しさにも惹かれ、後年蘇州の有名な四大庭園を巡ったり太湖にも行きました。横浜の三渓園の丘の上に太湖石が倒されて打ち捨てられているのを見たときはショックでした。
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翌日は電車で蘇州に行きました。初めての中国列車旅です。訳も分からないまま切符売り場で1等の切符を買いました。窓口では外国人の列に並んだからだと思いますが、英語は通じませんでしたが切符に書かれた文字は読めるので少し安心しました。
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1等の車両はブルーのベルベットのシートのソファタイプにレースのカバーがかかっていてとても快適でした。車窓に流れる冬の江南の景色はあまりに美しく墨絵のようでした。
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蘇州駅に着きました。約1時間のショートトリップです。空は鈍より曇りとても寒かったです。駅の前にはすごい人だかりに圧倒されました。「租自行車!」の声に促され自転車屋へ向かいますが、思いついておじさんと列車の切符売り場へ先に行きます。指差しで「上海!上海!」と言うとここへ並べと促されます。すごい列に並んでいて気づきましたが、列は硬座で横には誰も並んでいない軟座の売り場がありました。まあいいか、硬座にも乗ってみようと思ったのが間違えでした。
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帰りの切符を買った後はおじさんについて行って駅近くの修理工場みたいなところに案内されました。お客を連れてくると1元くらいもらえるのでしょうか?おじさんは帰っていきます。デポジットで50元だったか100元くらい預けた記憶があります。1日借りて10元だったか?
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何故蘇州で自転車かというと、当時テレビの烏龍茶のコマーシャルだったかで自転車の群れが流れる中国の情景を見て「この中に入りたい。」と思ったからでした。実際自転車をこいでいて失敗したなと思いました。まずは「手袋を忘れた。」「薄着で自転車に乗るには冬の蘇州は寒かった。」「駅で手に入れた地図を落とした。」以上です。
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何とか「リンリンランラン留園~。」なんて歌を唄いながら蘇州四大庭園の一つの留園に到着しました。芝公園にあった留園という伝説的な中華料理屋には行ったことはありませんでしたが幸せにはなれました。
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自転車で走っている観光客など全く見られませんでした。観光バスの中から日本人の観光客に可哀相な視線で見下ろされながら寒山字を目指します。もう手がちぎれそうに冷たくなっています。
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ようやく寒山寺に到着です。留園からここまでの川沿いが一番寒かったです。自転車をどこに置いていいか悩みました。この数年後に妻を伴って蘇州で自転車に乗りましたが、その時は蘇州は自転車の時代が終わっていて電動バイク(ガソリン車は乗り入れ禁止)の群れと共に走ることになりました。
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お正月ですのでお参りして鐘を撞きました。
思わず「蘇州夜曲」の歌詞が思い出されます。
君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすり泣く♪
花をうかべて流れる水の 明日の行方は知らねども こよい映したふたりの姿 消えてくれるないつまでも♪
髪に飾ろか接吻しよか 君が手折りし桃の花 涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺♪
山口淑子の歌も良いですが妻の謡うものが一番好きです。 -
東宝の看板スターの長谷川一夫と満洲映画協会(満映)の看板スター李香蘭(山口淑子)との共演による「大陸三部作」のひとつ「支那の夜」は何度も観ました。
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自転車で走っているうちに地図を落としてしまい、適当に走るのですが運河にぶち当たるとまた遠回りしなければなりません。ただその風景はあまりに美しくて水墨画の中にいるようです。
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北塔まで来るとだいぶ疲れました。北塔(ベーター)は町の中からよく見えるので目印にするには便利でした。
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迷いながらも何とか摂政園に着きました。蘇州四大名園は、滄浪亭と獅子林と拙政園と留園です。これは古い順でもあり滄浪亭は宋代、獅子林は元代、拙政園は明代、留園は清代に出来たものです。
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摂政園は庭も大きく見学に時間もかかります。この時点で4つの庭園は周れないであろうと思いました。庭からは北塔も望めました。この当時は庭園を見学する人もほとんどいなく閑散としていました。後年になって同じ時期に再訪しましたが、ものすごい人出で驚きました。
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寒々しい景色ですがとても立派な庭園です。
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しかし人が全くませんでした。今から思えば贅沢な時間ですが、当時の中国にはあまり観光するという概念は無かったのかもしれません。
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獅子林に向かう手前の運河です。結局獅子林に着くと入口は閉じていました。出口で手品を見せていた女の子に聞くと、両手を重ねて斜めにして右の頬につけました。言葉が通じないので彼女なりに考えて、寝ているジェスチャー=閉門を表わしたのだと気づきました。その子も帰り支度して自転車で去っていきました。そろそろ帰る潮時でしょう。
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獅子林の前から繁華街に出て、百貨店で骨董品を見たり、食事をして帰りの列車に時間まで暇つぶしです。駅前の貸し自転車に戻ると真っ暗でした。
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上海への帰りは往路より50円ほど安い硬座の予約をしてしまいましたが、これが天国と地獄ほどの差がありました。
当時は50円(約4元)は大きなお金だったのでしょうね。優雅なベルベットのシートと違い暗くて汚い硬座の車両でした。前のオヤジは痰を吐くし、そもそもそこは私の座席でした!切符を見せても「前に座ってろ。」みたいな感じです。でも超満員だから私が座っている席も誰かの席なのでしょうが、誰も何も言ってこない不思議体験でした。 -
上海駅から南京路に出て街を歩きましたが夜景も地味でした。日本人と分かるのか「女いるよ。」とか声が掛かります。食事をしたオークラガーデンの近くでは女の子が腕を絡めてきたり…。もちろん振り払って地下鉄に乗ってホテルに戻りましたが。
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帰る前の日は送迎のガイドさんの車で周荘に行きました。江南の水郷古鎮はここが初めてでしたが、これ以降いくつの水郷を巡ったか分かりません。
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芥川龍之介は1921年3月から7月までの4ヶ月間、大阪毎日新聞社の海外視察員として中国を訪れ各地を訪問しています。帰国後に大阪毎日新聞に掲載された紀行文等を中心にまとめられたのが「支那游記」です。そんなことを思い出しながら歩きました。
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正月だというのにあまり観光客の姿も無くのんびりしたのどかな時間を過ごしました。
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極寒の蘇州と違って日差しもあり気持ち良い時間を楽しめました。
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この時はビザも必要で現地事情も分からないので車をチャーターしましたが、妻を伴った後年の旅では全て路線バスで水郷古鎮を周りました。古鎮ごとに名物がありいろいろなものを買って帰りました。その中には真綿(絹)の掛け布団までありました。
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遊覧船の手漕ぎ舟も風情があります。艪のギッギッという音が癒されます。食事の後に舟に乗ることにします。
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右側のレストランで名物の豚の腿肉を食べました。鯰と豆腐のスープも美味でした。当時はフィルムカメラだったので食べたものまで写真に撮って記録していません。
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食事の後は手漕ぎ舟に乗って水の上から古鎮巡りをします。ポカポカ陽気でお腹も一杯でビールも飲んだので眠くなってしまいます。櫓の音が眠気を誘います。
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この時に上海と蘇州と周荘に行っていなかったら中国に行くことも無かったかもしれません。
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最後に一枚記念写真です。翌日は虹橋空港まで送ってもらう旅程でしたが、ガイドさんから「別の予定が入ってしまったので、ご自分でタクシーでお願いできますか。」と言われました。別にどちらでもよいので了承するとかなり多めのタクシー代を渡されました。空港で普洱茶が10個買えましたから。果たして日本の2000年問題は何も起こらず新しい年になっていました。
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