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湯布院の魅力と歴史<br /><br />  小倉から 由布院まで列車を利用すると九大本線大分経由で特急ソニック、特急「ゆふ」を利用しても2時間32分は要します。<br /><br />車だと、高速大分道を由布院インターチェンジで降り県道216号線を行けば町の中心までわずか5分、そのほかにも大分からバス 博多も長崎からも行くこと可能であります。<br /><br />つまり交通的に円の中心に位置して 何処からも交通手段を問わずアクセス可能ということになります。<br /><br /> 小さな温泉観光地に過ぎない湯布院の知名度と魅力はいまや一年400万とも呼ばれる観光客をひきつけて離さない。<br /><br />人口わすか12000人の小さな町、がこの不況下、地方観光産業が大きな打撃を受ける中でこれほど好況を博するであろうか。<br />観光客400万人のうち実に300万人が日帰り客で、100万人が宿泊客であるとも言われる。<br /><br />その魅力とは、 それを見出すためには ます湯布院の歴史を理解すれば、 違和感なく感じることができるかも知れない。<br />なくさて、時代は昭和。「由布院と湯布院「の二つの地名が存在することを知っていますみか、<br />湯布院、由布院、とも記される二つの地名にそのヒントは隠されています。<br /><br />初めて、由布院が歴史に現れるのは。<br /><br />今から1300年前、奈良時代に編纂された「豊後風土記」の中に<br />「柚富郷(ゆふごう)郡の西にあり、タクの樹にあり、この川を使いて木綿(ゆふ)をつくる。」<br />また、平安時代になり稲などの租税を徴収するために「倉院」が置かれ、「ゆふの院」と呼ばれるようになったと言われています。<br /><br />またこの頃の書物「和妙抄に」(由布郷とあり、このあたりの地名を由布院と読むようになったと語られています、<br /><br /><br /><br />けれど湯布院が現代の観光温泉保養地として栄えているのは、むしろ昭和の激動的な時代に迎合せず、独自の路線を堅持したからであろう。<br /><br />http://www.cocofull.com/feature/yufuin/yufuin-history.html<br /> <br />昭和のはじめ湯布院は金鱗湖を抱えた小さな温泉地に過ぎなかった。<br /><br /> 昭和27年頃、ダム建設の構想がもちあがった。<br />生活向上を望む農家、自然環境の喪失を恐れる青年団<br />旅館経営者たちを巻き込み町が二分される論争となった。<br />昭和30年初代湯布院町長岩男氏が就任し「湯布院温泉保養地構想」を打ち上げる。<br /><br />歓楽街のない西の軽井沢、東の湯布院と称せられる自然環境を保護した癒し潤いのある温泉地の姿勢を堅持し続けた。<br />昭和45年湯布院の玄関口、猪の瀬戸にゴルフ場建設計画<br />昭和46年ファームタウン建設計画<br />昭和47年 おとぎ野サファリーパーク招致 と立て続けに高度経済成長に伴い大きな計画が持ち込まれ、大半の温泉観光都市は開発された。けれど湯布院は常に青年団を中心とした反対運動が続けられこれらの計画はすべて白紙撤回となり、温泉観光都市としてゆるぎない評価をえるようになった。<br /><br />湯布院と由布院の地名はいずれも正しいけれど、ここでは<br />金鱗湖周辺を由布院とし、高原を含めた全体地域を湯布院として扱いたい。<br /><br /> ここ由布市湯布院には1583メートルの由布岳はりりしく由布高原の中にあって豊後富士と呼ばれるほど堂々と聳え立っている。<br />この由布岳は由布院の象徴でもあります。<br /><br />残念のかぎりでありますが、今回は この由布岳の由布院駅を中心とし金鱗湖付近一帯しか散策する時間がありませんでした<br /><br /> この時期、6月は梅雨入り、観光はオフシーズン しかも平日であるにかかわらず由布院の町は活気にあふれている。<br /><br /> 小さな店が軒先を揃えて、多くの人が小さな町を歩いている。 金鱗湖の北方に聳え立つ由布岳、町中を流れる宮川さえも 川面には草が生い茂り、手を加えられていない自然の流れに身を任せている。ガラス製品、ハーブ、アクセサリーの小物、 下駄、美術館、似顔絵書き、食べ物、喫茶店、神社仏閣、美術館、山下清画廊館、有名な温泉旅館亀の井別荘、足湯、伝説の宇奈枝白女神社、くつろぎのシタン湯と、狭い通りきは買い物、癒しくつろぎを求める人で溢れ返る。<br /><br />平日でさえ この人通りが連休やシーズンになると 町中はまさに人人の洪水の様を想像すると、 少し窮屈な想いにいたるが、<br />それにも負けぬ 癒しや緑の大地。川の流れ、夕焼けの金鱗湖を想像すると、人は自然の中に帰ってくる。<br /><br />澄み切った大自然の空気は由布院郊外の由布高原にもあり、<br /> 近年、宿泊客はこの由布高原に憩いを求めている。<br /><br /> この世は切ないこともたくさん、ひと時の癒しをこの由布院という小さな町に求める人の心は、これからも続いていくのだろう。<br /><br />余談ではあるがもこの由布院の地価はとても高い。<br />タクシー運転手の話によると<br /><br />「この地でいろいろな商いをしている人はたいてい福岡から進出している商売人といわれ、賃料も10坪月30万といわれてます。」<br /><br />というから、まさに地方都市以上に地価が高い。<br />それでも物も人も流れて需要を満たす要件が備わっているということだろう。<br /><br />悲しいことが一つ、<br /> 由布院駅を見たとき、何十年も前に見た由布院駅とは大きく様変わり、近代的なデザインの駅舎が建っていた。<br /><br />世界的建築家磯崎新の設計によるものだ。<br />古きよき時代の流れも時代とともに変遷していく。<br /><br />現代の観光主体は団塊世代の女性のグルーブだといわれているが<br /> この由布院にあっては 未来永劫誰にも癒しと安らぎを与えるような、ふるさとの町であって欲しいと願いをこめて、残念ながら数時間の散策を終えてあとにした。<br /><br />「由布岳や 癒しの緑 夏の朝 光芒昇る 金鱗湖の鯉(恋)」<br /><br />「熱き人  由布郷支えて 幾千年 由布岳聳えて 竜は昇天」<br /><br />「夏の風 由布の高原 駆け抜けて 心癒される 時空空間」<br /><br /><br />参考<br />http://www.yufuin.gr.jp/top.html 湯布院温泉観光協会<br />http://yufuin.coara.or.jp/ 湯布院温泉旅館組合<br />http://map.mapple.net/_sc20000_lon131.33039027777778_lat33.25696277777778.htm 湯布院の地図と観光<br />http://yufuin.coara.or.jp/contents/spaandhistory/<br />湯布院の歴史と温泉<br /><br />http://www.cocofull.com/feature/yufuin/yufuin-history.html 湯布院の歴史<br /><br />http://yadomap.seeker.jp/map/oita/lodging/3315455-13121507-000-X.html 湯布院の宿<br /><br /><br /><br /><br />

湯布院の魅力と歴史

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2009/06/24 - 2009/06/26

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10

浅山 (あさやん)

浅山 (あさやん)さん

湯布院の魅力と歴史

  小倉から 由布院まで列車を利用すると九大本線大分経由で特急ソニック、特急「ゆふ」を利用しても2時間32分は要します。

車だと、高速大分道を由布院インターチェンジで降り県道216号線を行けば町の中心までわずか5分、そのほかにも大分からバス 博多も長崎からも行くこと可能であります。

つまり交通的に円の中心に位置して 何処からも交通手段を問わずアクセス可能ということになります。

 小さな温泉観光地に過ぎない湯布院の知名度と魅力はいまや一年400万とも呼ばれる観光客をひきつけて離さない。

人口わすか12000人の小さな町、がこの不況下、地方観光産業が大きな打撃を受ける中でこれほど好況を博するであろうか。
観光客400万人のうち実に300万人が日帰り客で、100万人が宿泊客であるとも言われる。

その魅力とは、 それを見出すためには ます湯布院の歴史を理解すれば、 違和感なく感じることができるかも知れない。
なくさて、時代は昭和。「由布院と湯布院「の二つの地名が存在することを知っていますみか、
湯布院、由布院、とも記される二つの地名にそのヒントは隠されています。

初めて、由布院が歴史に現れるのは。

今から1300年前、奈良時代に編纂された「豊後風土記」の中に
「柚富郷(ゆふごう)郡の西にあり、タクの樹にあり、この川を使いて木綿(ゆふ)をつくる。」
また、平安時代になり稲などの租税を徴収するために「倉院」が置かれ、「ゆふの院」と呼ばれるようになったと言われています。

またこの頃の書物「和妙抄に」(由布郷とあり、このあたりの地名を由布院と読むようになったと語られています、



けれど湯布院が現代の観光温泉保養地として栄えているのは、むしろ昭和の激動的な時代に迎合せず、独自の路線を堅持したからであろう。

http://www.cocofull.com/feature/yufuin/yufuin-history.html
 
昭和のはじめ湯布院は金鱗湖を抱えた小さな温泉地に過ぎなかった。

 昭和27年頃、ダム建設の構想がもちあがった。
生活向上を望む農家、自然環境の喪失を恐れる青年団
旅館経営者たちを巻き込み町が二分される論争となった。
昭和30年初代湯布院町長岩男氏が就任し「湯布院温泉保養地構想」を打ち上げる。

歓楽街のない西の軽井沢、東の湯布院と称せられる自然環境を保護した癒し潤いのある温泉地の姿勢を堅持し続けた。
昭和45年湯布院の玄関口、猪の瀬戸にゴルフ場建設計画
昭和46年ファームタウン建設計画
昭和47年 おとぎ野サファリーパーク招致 と立て続けに高度経済成長に伴い大きな計画が持ち込まれ、大半の温泉観光都市は開発された。けれど湯布院は常に青年団を中心とした反対運動が続けられこれらの計画はすべて白紙撤回となり、温泉観光都市としてゆるぎない評価をえるようになった。

湯布院と由布院の地名はいずれも正しいけれど、ここでは
金鱗湖周辺を由布院とし、高原を含めた全体地域を湯布院として扱いたい。

 ここ由布市湯布院には1583メートルの由布岳はりりしく由布高原の中にあって豊後富士と呼ばれるほど堂々と聳え立っている。
この由布岳は由布院の象徴でもあります。

残念のかぎりでありますが、今回は この由布岳の由布院駅を中心とし金鱗湖付近一帯しか散策する時間がありませんでした

 この時期、6月は梅雨入り、観光はオフシーズン しかも平日であるにかかわらず由布院の町は活気にあふれている。

 小さな店が軒先を揃えて、多くの人が小さな町を歩いている。 金鱗湖の北方に聳え立つ由布岳、町中を流れる宮川さえも 川面には草が生い茂り、手を加えられていない自然の流れに身を任せている。ガラス製品、ハーブ、アクセサリーの小物、 下駄、美術館、似顔絵書き、食べ物、喫茶店、神社仏閣、美術館、山下清画廊館、有名な温泉旅館亀の井別荘、足湯、伝説の宇奈枝白女神社、くつろぎのシタン湯と、狭い通りきは買い物、癒しくつろぎを求める人で溢れ返る。

平日でさえ この人通りが連休やシーズンになると 町中はまさに人人の洪水の様を想像すると、 少し窮屈な想いにいたるが、
それにも負けぬ 癒しや緑の大地。川の流れ、夕焼けの金鱗湖を想像すると、人は自然の中に帰ってくる。

澄み切った大自然の空気は由布院郊外の由布高原にもあり、
 近年、宿泊客はこの由布高原に憩いを求めている。

 この世は切ないこともたくさん、ひと時の癒しをこの由布院という小さな町に求める人の心は、これからも続いていくのだろう。

余談ではあるがもこの由布院の地価はとても高い。
タクシー運転手の話によると

「この地でいろいろな商いをしている人はたいてい福岡から進出している商売人といわれ、賃料も10坪月30万といわれてます。」

というから、まさに地方都市以上に地価が高い。
それでも物も人も流れて需要を満たす要件が備わっているということだろう。

悲しいことが一つ、
 由布院駅を見たとき、何十年も前に見た由布院駅とは大きく様変わり、近代的なデザインの駅舎が建っていた。

世界的建築家磯崎新の設計によるものだ。
古きよき時代の流れも時代とともに変遷していく。

現代の観光主体は団塊世代の女性のグルーブだといわれているが
 この由布院にあっては 未来永劫誰にも癒しと安らぎを与えるような、ふるさとの町であって欲しいと願いをこめて、残念ながら数時間の散策を終えてあとにした。

「由布岳や 癒しの緑 夏の朝 光芒昇る 金鱗湖の鯉(恋)」

「熱き人  由布郷支えて 幾千年 由布岳聳えて 竜は昇天」

「夏の風 由布の高原 駆け抜けて 心癒される 時空空間」


参考
http://www.yufuin.gr.jp/top.html 湯布院温泉観光協会
http://yufuin.coara.or.jp/ 湯布院温泉旅館組合
http://map.mapple.net/_sc20000_lon131.33039027777778_lat33.25696277777778.htm 湯布院の地図と観光
http://yufuin.coara.or.jp/contents/spaandhistory/
湯布院の歴史と温泉

http://www.cocofull.com/feature/yufuin/yufuin-history.html 湯布院の歴史

http://yadomap.seeker.jp/map/oita/lodging/3315455-13121507-000-X.html 湯布院の宿




同行者
その他
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス 新幹線
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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