柳川・大川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
いよいよ今回の九州の旅も最後の地 柳川であります。<br /><br /><br />柳川といえばあまり聞きなれない地であるが<br />実に特徴にある都市なのであります。 <br /><br />昔々、私が戸畑中央高校にいた頃、一度だけ <br /><br /><br />おじに連れられてこの地を訪れてどじょう鍋とうなぎのせいろ蒸しを<br />食べたことがありますが、<br />その時の味がかすかに脳裏に残っています。<br /><br /><br />今回も食べたいと想いましたが、なにせ、このツアーは二人で6万円という超激安大バーゲンだけに、時間的余裕がまったくなく、まさに風のように通り抜けた旅行でした。<br /><br />これほど「情けない旅行はありません。」 爆<br /><br />さて、柳川は古くからの城下町で、有名観光場所も有名人出身もかなり多いのです。<br />阪神の真弓監督も柳川高校出身でありますし、<br />国文学者の藤村作、作家の長谷健、俳人の木村緑平、哲学者の廣松渉、俳優の妻夫木聡、 檀一雄(直木賞作家)北原白秋(詩人)また、<br />歌手の徳永英明の実家、歌手の松田聖子の実家(蒲池家)の菩提寺また <br />小野洋子の生家跡もあります。 <br />有名人には 妙に詩、歌、文学に関係している人が目立ちます。<br />これも 江戸時代に堀削されたクリークと呼ばれる掘割が柳川市内を縦横に流れ、<br />「水の都」と呼ばれる環境に恵まれた風情の影響を受けているのでしょうか。<br /><br />かっては、 掘割の水は生活用水として使われ、水路には家から水辺に降りる階段がたくさんあります。<br />揺れる柳の木々を見ながら、歌をくちずさみ<br />洗濯したり、飲料水を組んだり、夏には泳いだり<br />とても澄み切った水が流れていたのでしょう。 <br />ちなみに、私の生家の横も川が流れて、洗濯したり、はややフナ、どんこを、取ったりして。それはのどかな風情でした。<br /><br />その風景が昔の柳川を連想させるのです。<br /><br />柳川市内の掘割は、戦国時代の領主蒲池鑑盛が柳川城の水の防壁として開発し、<br />柳川城を九州屈指の難攻不落の堅城としたが、近世都市との関連では<br />立花氏に先立つ領主田中吉政によって整備され、上水道・農業用水路・<br />洪水予防の貯水路としての機能が強化され、上水道網が完備する<br />昭和40年代までは掘割は上水道・水運など生活用水としての役割<br />を担っていたのです。 <br /><br />しかし、上水道網・道路網の整備が進むに連れて掘割の清掃がなされなくなり<br />、掘割は水草に埋没し、ゴミの不法投棄が横行し。柳川出身の作家檀一雄は、<br />当時の市長に「我が故郷はシブタも住まず蚊蚊ばかり」という句を送り、<br />往時の姿を失った掘割を嘆いています。<br />この筑紫平野では柳川は商業的にも、観光的にもまたグルメにあっても<br />特異な地方都市なのであります。<br />いま その掘割は<br />「柳川下り」として観光のひとつの目玉になっています。<br /> <br />一時期、この掘割の埋め立てが問題になったこともありますが、 <br />残すことによって市民の憩いの場とになり、また観光収入を得て生活の糧とすることができたのです。<br />正直、水は決して綺麗だとはいえません。船もとても小さな20人のりの船でありますが、川辺に残る わずかな空間の風情を観賞しながら<br /> 船頭小唄を聴きながらの川下りはふと、憂愁の想いを誘うのであります。<br /><br /><br />旧藩主立花氏の別邸「御花」も川辺にあり。ここでは結婚式、や名物柳川うなぎなどのグルメも楽しむことができます。<br />また 道路端には<br />八女茶も売っており、茶も楽しめます。 <br />余談ですが、オノ・ヨーコの生家は柳川藩の家老である立花四天王の1人小野鎮幸が有名で、歌手 作詞家の往年のアイドル??<br />松田聖子(蒲池法子)の生家は柳川藩の家老格。家老でないのは、<br />蒲池家は立花家譜代の家臣ではなく、蒲池鑑盛の子孫で<br />元は柳川の領主の一族だったからです。<br />九州旅行の終わりに「<br />柳川せいろ蒸しうなぎ」「柳川どじょう鍋」を食べれなかったのは <br />残念でありますが、<br /> <br /><br />また 次の機会としましょう。<br /> さて その日まで生きなきゃ。 爆<br /><br />旅の終わり、バスは一路小倉へ。 小倉駅前はずいぶん変わりました。<br />私が始めて運転免許を取ったのは この小倉北方運転免許試験場でありました。<br /><br />かくして九州北部930キロの旅行を終え <br />「のぞみ」で望みをつないで帰阪とあいなりました。<br /><br /> おしまい。。<br /><br /> <br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E5%B8%82<br /><br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E8%97%A9<br />http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/edo/dojyoun.htm<br />↑ 一部引用参考。<br /> <br />

旅物語 柳川編

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2009/06/24 - 2009/06/26

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浅山 (あさやん)

浅山 (あさやん)さん

いよいよ今回の九州の旅も最後の地 柳川であります。


柳川といえばあまり聞きなれない地であるが
実に特徴にある都市なのであります。 

昔々、私が戸畑中央高校にいた頃、一度だけ 


おじに連れられてこの地を訪れてどじょう鍋とうなぎのせいろ蒸しを
食べたことがありますが、
その時の味がかすかに脳裏に残っています。


今回も食べたいと想いましたが、なにせ、このツアーは二人で6万円という超激安大バーゲンだけに、時間的余裕がまったくなく、まさに風のように通り抜けた旅行でした。

これほど「情けない旅行はありません。」 爆

さて、柳川は古くからの城下町で、有名観光場所も有名人出身もかなり多いのです。
阪神の真弓監督も柳川高校出身でありますし、
国文学者の藤村作、作家の長谷健、俳人の木村緑平、哲学者の廣松渉、俳優の妻夫木聡、 檀一雄(直木賞作家)北原白秋(詩人)また、
歌手の徳永英明の実家、歌手の松田聖子の実家(蒲池家)の菩提寺また 
小野洋子の生家跡もあります。 
有名人には 妙に詩、歌、文学に関係している人が目立ちます。
これも 江戸時代に堀削されたクリークと呼ばれる掘割が柳川市内を縦横に流れ、
「水の都」と呼ばれる環境に恵まれた風情の影響を受けているのでしょうか。

かっては、 掘割の水は生活用水として使われ、水路には家から水辺に降りる階段がたくさんあります。
揺れる柳の木々を見ながら、歌をくちずさみ
洗濯したり、飲料水を組んだり、夏には泳いだり
とても澄み切った水が流れていたのでしょう。 
ちなみに、私の生家の横も川が流れて、洗濯したり、はややフナ、どんこを、取ったりして。それはのどかな風情でした。

その風景が昔の柳川を連想させるのです。

柳川市内の掘割は、戦国時代の領主蒲池鑑盛が柳川城の水の防壁として開発し、
柳川城を九州屈指の難攻不落の堅城としたが、近世都市との関連では
立花氏に先立つ領主田中吉政によって整備され、上水道・農業用水路・
洪水予防の貯水路としての機能が強化され、上水道網が完備する
昭和40年代までは掘割は上水道・水運など生活用水としての役割
を担っていたのです。 

しかし、上水道網・道路網の整備が進むに連れて掘割の清掃がなされなくなり
、掘割は水草に埋没し、ゴミの不法投棄が横行し。柳川出身の作家檀一雄は、
当時の市長に「我が故郷はシブタも住まず蚊蚊ばかり」という句を送り、
往時の姿を失った掘割を嘆いています。
この筑紫平野では柳川は商業的にも、観光的にもまたグルメにあっても
特異な地方都市なのであります。
いま その掘割は
「柳川下り」として観光のひとつの目玉になっています。
 
一時期、この掘割の埋め立てが問題になったこともありますが、 
残すことによって市民の憩いの場とになり、また観光収入を得て生活の糧とすることができたのです。
正直、水は決して綺麗だとはいえません。船もとても小さな20人のりの船でありますが、川辺に残る わずかな空間の風情を観賞しながら
 船頭小唄を聴きながらの川下りはふと、憂愁の想いを誘うのであります。


旧藩主立花氏の別邸「御花」も川辺にあり。ここでは結婚式、や名物柳川うなぎなどのグルメも楽しむことができます。
また 道路端には
八女茶も売っており、茶も楽しめます。 
余談ですが、オノ・ヨーコの生家は柳川藩の家老である立花四天王の1人小野鎮幸が有名で、歌手 作詞家の往年のアイドル??
松田聖子(蒲池法子)の生家は柳川藩の家老格。家老でないのは、
蒲池家は立花家譜代の家臣ではなく、蒲池鑑盛の子孫で
元は柳川の領主の一族だったからです。
九州旅行の終わりに「
柳川せいろ蒸しうなぎ」「柳川どじょう鍋」を食べれなかったのは 
残念でありますが、
 

また 次の機会としましょう。
 さて その日まで生きなきゃ。 爆

旅の終わり、バスは一路小倉へ。 小倉駅前はずいぶん変わりました。
私が始めて運転免許を取ったのは この小倉北方運転免許試験場でありました。

かくして九州北部930キロの旅行を終え 
「のぞみ」で望みをつないで帰阪とあいなりました。

 おしまい。。

 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E5%B8%82

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%B7%9D%E8%97%A9
http://www.tsuji.ac.jp/hp/jpn/edo/dojyoun.htm
↑ 一部引用参考。

同行者
その他
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス 新幹線
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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