2009/05/31 - 2009/05/31
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SUOMITAさん
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5/31船岡城址の見学の後,1015発435Mで槻木,阿武隈急行1038発924M で角田1052着,タクシーを借りて,角田市郷土博物館を見てから丸森町へ,斎理屋敷を見学,阿武隈川を少しドライブし1305に丸森駅前のラーメン屋.ビールを飲んで1時間,1357発福島行き934Mで福島へ.わずか2時間であったため,2か所しか見学できなかったが,かつての地主制度のすざましさ,仙台にも聞こえた豪商が従業員をとても大切にしていたこと(なにしろ米の飯食べ放題,食べている間は仕事免除!)など戦前の穀倉地帯の文化を考える良い見学だった.しかしそのころの豪勢さ(もちろん富が富裕な人々に一極集中していたわけだが,背景にはこの穀倉地帯では余剰生産物があり,全体としては経済的に発展していたとも考えられるのではないか)にくらべ,角田市も丸森町も過疎の中で現在はずっとうら淋しくなっているのが印象的だった.本当に歴史は進歩しているのだろうか,新自由主義の格差の拡大の中で地方が疲弊している現実との対比がかなしかった.
- 交通手段
- タクシー 新幹線 JRローカル 私鉄
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船岡城址からタクシーでホテルに帰り,荷物をとって,駅に向かう.
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駅の向こうに,修理用の電車か何かとまっている.昨日から気になっているがわからない
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1015発435Mに乗る.
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ロングシートの近郊型電車だ
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一駅,槻木駅で下車.ここから「阿武隈急行」に乗る.1038発の924M
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こちらが前,2両編成
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定刻1038に発車
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シートは座りやすい.ワンマンで乗降口のある1両目には10人程度の乗客,2両目は2−3人
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運賃の掲示板は最新式で視認性がよい.
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東北本線上り線をまたぐ
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東船岡駅
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田園が続く
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2つ目の岡駅.3つ目の横倉駅は写真撮らなかった.
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もうすぐ角田駅
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ずっと工事の人が乗っていてあまり前方の写真は撮れなかった.
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1052角田着
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945福島発の915Mと交換
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駅の中では市をしていた
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角田駅改札口
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駅前からタクシーに乗り,丸森駅まで.角田市内は高いビルがなく,平たんなこじんまりした街,やはり過疎が問題なようだ.
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角田市郷土資料館,ここは戦前の大地主の家,豪華な邸宅だ.これでも角田で一番の地主ではなかったというのでびっくり.戦前のコメどころの過酷な地主制度は福沢諭吉風にいえば「親の敵だ」
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館長さんが案内してくれた.
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写真はあまりとれなかったが,蔵を店屋風にした建物,手織りの芭蕉布をふすまに使ったり,洋風のトイレがあったり,当時高価なガラスを雨戸に使ったり,ともかく贅を尽くしている.これは店蔵の2階.詳しい説明はhttp://www.city.kakuda.miyagi.jp/syogai/page00003.shtml
ともかくここは戦前の地主制度を考えるのに必見だ! -
店蔵の壁の厚さ
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庭
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米倉展示室には考古資料と,角田藩主石川氏の資料が展示してある.館長さんが良く説明して下さり,角田の歴史がわかった気がした.しかし地主制度が過酷だった戦前の方が豊かに見えるのはどうしてか,富の地主階級への集中があったからだが,一方では日本有数の穀倉地帯だったからと思う.現在改革の名の下で地方は地盤沈下している.タクシーの運転手さんも「角田は何もなくて,若い人は流出してしまって斜陽の街だ.となりの柴田は桜,丸森はあぶくま川がある」といっていたのが非常にさびしかった.角田には科学技術庁の角田宇宙センターが柴田町近くにあるが,それでの「町おこし」もうまくいっていないようだ.
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見学終了後,タクシーで丸森へ
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まず阿武隈ライン舟下りの船着き場へ
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小雨がぱらつくなか観光バスが一台来ていた.
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丸森町の中にある豪商「斎藤理助」家,江戸時代から昭和にかけて7代続いたと.主人(ダンポといったそうだ)に「理」か「利」の字がついたことから「斎理屋敷」と呼ばれている.http://www.marumori.net/sairi.htmlに詳細がある.
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倉が多いのが特徴だ.
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生糸で大もうけをし,地主でもあり,戦前はその他醤油製造,縫製工場など手広い商売をやったようだ.これは石風呂,実は寒くて入りにくかったようだ.朝から湯をたかないととても入れる代物でなかったようだ.成金だ.
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しかしこのとの文化発展に対する役割など,大きな足跡を残している.もう一つ感心したのが従業員にたいする思いやりがあったことだ.「でっち(番頭とよばれたようだ)」でも衣食住付きで現在に換算すると月4万円くらいの給金.もらえる人だと月12万円にもなったという.現在も丸森で生きているかつての従業員の人たちの思い出話が展示してある.それがとてもリアルで面白い.
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食べ物は非常に良かった.この時代で白いご飯を毎日食べ放題!!これは農民の子女にはこたえられなかったろう.番頭さんなどが共同生活していた蔵のいたずら書きもおもしろい.漢字の練習もある.働きながら教育もしていたようだ.
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蔵のなかはほとんどこの箱階段.引き出しにもなり重宝だ.
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ひな人形もかざされていた.戦前は嫁入り道具で,平民の上層階層のステータスであったようだ.(由利本荘矢島でたくさんのお雛様を見れた)
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屋敷神,神仏がこの屋敷内12カ所に祭られていると
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月,日,時,分まで刻む時計,アメリカ製,英語わかったかな..1868年勢
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向こうに見えるのは新屋敷,平成10年.大正時代の洋風建築を模倣.
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新屋敷の中には丸森の歴史や風土を紹介したコーナーがある.丸森は18世紀後半に阿武隈川の氾濫を避けるために町ごと引っ越したということだ.
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ジオラマで昭和初期の丸森の町並みを再現,理髪店や時計やもあり,この地域の資本の集積点であったようだ.非常ににぎやかだったろう.
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見学を終わってジオラマで見た町がどうなっているか少し歩いてみた
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残念ながら全くさびれていた.半分以上廃業,残っている店も細々と営業を継続している感じ,壊され空き地になっていたり,シャッターが降りていたり,アパートになっていたりした.
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もう1255.タクシーの運転手に丸森で何か食べるところを知らないかときいたら,駅に行く途中に寿司屋と駅前にラーメン屋しかないと.じゃあラーメンにしよう.とりあえず少し阿武隈川を見たいので上流に走ってもらう.本当は阿武隈川,福島市などを通り「下流」なのに渓谷に見えるから不思議だ.
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ここで引き返して丸森駅へ,タクシー代2時間で8000円強だった.
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丸森駅前のラーメン屋.常連客が何人かいて,「どこから来た」といわれた.「東京から」というと「わざわざここに」「まあしごとで...」
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ビールがうまい!!野菜炒めも盛りが多い!
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ネギラーメンも典型的なしょうゆ味...
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丸森駅 1357発にのり福島に向かう.
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駅前は町から2kmはなれ,さみしい風景
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駅の壁のツバメの巣に雛がたくさんいた.
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