2009/05/31 - 2009/05/31
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■八幡高原から匹見峡へ 島根県益田市匹見町
<近世後期の割元庄屋‘美濃地屋敷’母屋編>
美濃地屋敷は、渓谷美が広がる匹見峡近くにある幕末の庄屋を復元した交流施設です。美濃地家は中世に栄えたたたら支配人で、数村を管理した大庄屋で母屋や米倉・民俗資料倉で構成され、衣類・民具等から当時の人々の生活をうかがい知る事ができます。
【手記】
早朝5時起床5時半出発!昨夜はお仕事で夜11時ころ帰宅、眠い眼をこすり、疲れ過ぎているからだに鞭打ち、スタコラサッサ?と八幡高原へ行ってまいりました。
八幡湿原でのカキツバタ観賞が早朝で終わり、時間がありましたから、八幡高原ののどかな田園風景や自然豊かな景色をじっくり堪能しました。
その後、191号線を益田方面へ下って匹見町まで移動、深緑の匹見峡をぐるっと回ってきました。
お昼はお仲間の皆さんとお食事(山菜料理でした〜)をするために、ふたたび八幡高原へ戻りました。ひとりで勝手な気儘な行動でーす。^^;
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■八幡高原から匹見峡へ
八幡湿原でのカキツバタ観賞が早朝で終わり、時間がありましたから、八幡高原ののどかな田園風景や自然豊かな景色をじっくり堪能しました。
その後、191号線を益田方面へ下って匹見町まで移動、深緑の匹見峡をぐるっと回ってきました。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
中国自動車道戸河内ICからだと国道191号を益田市内方面へ約1時間少々で到着です。
美濃地屋敷は、渓谷美が広がる匹見峡近くにある幕末の庄屋を復元した交流施設です。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
美濃地家は中世に栄えたたたら支配人で、数村を管理した大庄屋で母屋や米倉・民俗資料館で構成され、衣類・民具等から当時の人々の生活をうかがい知る事ができます。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
文化財保存目的と村興しのために、2億円かけて修復したという美濃地家母屋です。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
母屋の右手側は屋根を頂く白壁の塀で目隠しされていて、立派な庭が広がっています。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
…城館に入るごとく、壮重で堅固な長屋門を潜ると、広い外庭が広がり、正面には壮大な茅葺きの入母屋づくりの母屋がどっしりと構える。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
…右手側は屋根を頂く土壁の塀で仕切られていて、そこには庭が広がっているのだろうか、松・楓の小枝が顔をのぞかす。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
…入口のまわりに配された格子、透かし彫りは質素ながらも品格があり、風情を漂わせる。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
そして大戸口を潜り、母屋の土間にはいると、そこは… -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
玄関から裏口まで土間が通り抜けています。へっついと言うのでしょうか、大きな「かまど」から煙が出ています。
火を焚いて煙で虫を駆除し、屋根の藁が腐るのを防ぎます。また、ツバメも巣を作らないそうです。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
屋根裏を見上げると、梯子と真っ黒になった頑丈そうな大きな梁があります。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
囲炉裏とランプ。囲炉裏もあり、昔の山間の暮らしを彷彿させます。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
幅が2間くらいあったでしょうか、立派な神棚です。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
板ふすま?墨で何か書かれてありますが、たいへん古いものだそうです。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
座敷の間にある欄間。いずれも彫り模様がちがいます。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
中央からのお役人を接待した部屋だそうです。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
厠 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
風呂場 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
なんとも小さな屏風が。わたくしにはまったく価値が分からないのですが、観光客の人で欲しがった人がおられるとか。「なんでも鑑定団へ出してみられたら・・」と冗談を言いながら観賞しました。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
提灯立て。今は一つも残っていないそうです。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
当美濃地家は秦氏の出自といわれ、戦国期には雲州富田城主の尼子氏に仕え、その後美濃郡美濃地(益田市の西部)村に移住して七尾城主益田兼堯に仕えるとともに、その任地の地名をもって姓としました。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
近世の寛文年間(1661−71)には、4代忠宗(代々彦左衛門と称す)は都茂山料の銅山(都茂銅山)の支配人に命じられ、近世中ごろには鉱山業で繁栄をなしていた益田表屋の藤井家と婚家関係を通して鑪(たたら)業に関係し、10代久忠の時に本地の道川に来地したと伝えられています。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
パンフより。
こうして藤井家の経営する鑪業の支配人として尽力する一方で、中期後半に至っては村政を総括する庄屋を務め、そして後期には数村を管理下におく割元庄屋(大庄屋)を度たび命じられるなど、被支配者層の頂点をきわめた家柄でした。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
長屋門横の休憩処にてコーヒーを戴きながら、施設の受付番をされている地元のボランティア?のおじさんからこの屋敷やこの地方の昔のお話を聞きました。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
茅葺きの入母屋づくりの母屋 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷母屋編
長屋門から母屋を見上げる。屋敷構えも壮大です。 -
■近世後期の割元庄屋 美濃地屋敷
次の旅行記は「美濃地屋敷 米倉・民俗資料倉編」です。
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