2007/04/24 - 2007/05/08
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ちゃおさん
<閑話休題> 「守るべきもの・城塞都市と城郭」
アユタヤ、スコータイ、チェンマイ、コラート等の古い都市にはかつての城壁、城門の一部が今でも現存している。町は全体を城壁で囲われ、その外側は掘割を穿ち、外敵からの侵入に備えていた。町の中心にはワット、寺院が更に二重、三重の城壁で守られていた。この城塞都市の形態はタイではごく普通であるが、この様な形態はタイに限らず、中国、中近東、ヨーロッパ等大陸国では一般的である。
為政者は外敵から住民を守り、且つその町の最も重要とするものを町の中心に据え、最後の守りとする。その国、或いは地方の政体によって異なるが、中国ではそれが皇帝の住まい、皇宮であったり、中近東の王宮とハーレム、ヨーロッパの市民共和国家では市役所、議会であったりする。タイでは町の中心に位置しているものはその町の守護寺院である。人々は為政者と供に仏教を奉じ、寺院を最大に価値あるものとして守り奉っている。
日本の場合、この様な城塞都市は全く見られない。古代には吉野ヶ里、三内丸山遺跡のように集落全体を囲う柵状も作られたりしたが、古墳時代になって廃れてしまった。奈良時代になって一時唐制を真似て平城京が作られたりしたが、それも長くは続かなかった。そして戦国時代前期の山城の時代を経て、戦国期の見事なお城に発展して行った。見事なお城は中世のヨーロッパの封建時代にも見られることであり、日本と共通している。
結局この様な違いはどこから来ているかと思うに、戦闘集団の一般住民からの分離、専業化にあり、ヨーロッパの騎士、日本の武士のように戦いを職業とし、生活の糧とした結果、戦いに明け暮れる毎日の中で相手集団の指揮者のトップの首を得ることに最大主眼が置かれ、結果この様なより堅固で打ち負かされない城郭が生まれてきたものと思われる。従って町全体を守るという意識は希薄で、住民そっちのけでの相手集団との勝ち負けを争った結果、城塞を必要としないで、要塞、即ち城郭のみが発達したものと思われる。
タイでの場合、山田長政のような職業軍人は当然にいたが、軍人は王族を守ると同時に仏教、寺院、仏陀を守る責務を負わされていたに違いない。又、住民も兵隊と一緒になって仏教を守護してきたに違いない。町の城壁が破れても、最後の砦、仏教寺院が犯されない限り、戦争に負けたことにはならず、人々は必死の思いで、守り続けてきた。
今現在バンコクのワット・プラ・ケオ、王宮寺院に安置されているエメラルド仏は数奇な運命を辿り、現在の場所に奉じられているが、それ以前には戦乱の混乱の中をスコータイ、チェンマイと避難し、人々に守り続けられ、最後はエメラルド寺院に奉安されているものである。
前回旅行で訪問したアユタヤの遺跡では多数の石仏の首が取られた無惨な姿が炎天下に晒されていたが、ビルマとの長年の戦争の最中、ビルマ軍がアユタヤ軍の戦意を喪失させる究極の手段として行われたことであり、これを契機としてアユタヤ王朝は滅んでしまったのである。
そう、タイの人々が守るべきものは、王宮ではなくして仏陀の納まる寺院であり、そこが守護されるか否かに最大の価値があり、戦いを帰趨するものだった。
城塞都市は為政者が住民を守るとともに、住民が自らと寺院を守る役割を果たしており、日本で言えば、門徒衆にやや似た感覚のものだった。
戦国・封建時代が終わり、日本の城主は既に存在せず、お城は単に観光施設になっている現在の日本の状況と比べると、タイの人々が守り続けてきた仏法僧は今尚命脈を保ち、アユタヤもスコータイもピマーイも今は既に廃墟になってはいるが、仏像は他の場所に安置されて人々の生活の中に脈々と定着している。長く深く根を張った信仰はこの先も人々に密着し尊崇され続けるであろう。
処で話は全く変わるが、沖縄も城塞ではなく城郭、グスクである。石組みの城、グスクの高度な曲線美は黒船艦隊ペリー提督の目を引いたが、この築城技術は中国からもたらされたものである。朝廷(尚王朝)や文物その他色々な面での中国、明・清からの影響が多く、長い間沖縄人の祖先は中国系か倭人系かの論争もあったが、現在ではDNA,ミトコンドリア等の科学的検証の結果、それ程遠くない昔に倭人より枝分かれした一支族、即ち日本民族の中の一地方県民であることが確認されている。
この沖縄の城郭は築城の技術は中国流であるが、基本の考えは日本流であり、日本のお城と同じである。従って尚家が沖縄を統一する以前、各地にあった城郭は尚王家に破られると同時に廃墟となり、唯一、尚王家の居住する首里城が残ったものである。
住民とは関係ないところでの武闘集団の戦いの結果であり、沖縄にはアユタヤ、スコータイ、ピマーイのような廃墟となった町はなく、勿論日本にもない。和風に沖縄と呼び、中国風に琉球と呼ぶのはよいとしても、城と住民を守る基本の考え、住民が守るべきものは何か、の基本的スタンスは沖縄と大和は同じであり、中国―タイとは異なったものである。
タイに於いて1000年も昔から守り続けられてきた仏法僧、タイ人は何を守るべきかが分っており、この先も守り続けていく。戦乱の終焉した現在、城塞を積み上げる必要はもう既に無くなったが、心の宝は大切に持ち続けるに違いない。タイの真髄は何かを問われた際、優しさ、ホスピタリテイーはあるかも知れないが、この仏を敬う心は絶対に欠かせてはならないものである。
各都市の遺跡を巡り、各旧都の城塞、城門を眺め、更にまたその中の各寺院を参詣するごとに、タイ人の心、真髄が分ってくるような気がした。
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