2002/09/09 - 2002/09/18
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kojikojiさん
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マイレージのポイントの有効期限が迫っていたので台湾に行く事にしました。
どうせ行くなら温泉三昧にしようということで、台北をベースに新北投温泉と烏来温泉にも宿泊しながら1週間程滞在しました。台湾の温泉はどこに行ってもお湯が濃いというのか、湯あたりというかものすごくのぼせました。まずは台北の国聯大飯店/UNITED HOTELに宿泊しました。空港からのバスの停留所の近くだったのと、デザイナーズホテルとしては有名なようでデザイナーズホテルの洋書にも掲載されていました。翌日は鶯歌と三峡と郊外へ足を延ばしてみました。初めて来たのに懐かしいような昭和を感じるエリアでした。鶯歌は陶芸の街なのですが、ここを知ったのは松山猛さんのエッセーだったと思います。好みの陶器にはあまり出会えませんでしたが、磁器の入れ子の茶器はお手頃価格で使いやすかったです。台北市内はあまり観光せず、翌日は地下鉄で新北投まで移動しました。ほんの数十分で温泉地へ行けるのは魅力的です。駅前で少し待っていると予約していた春天飯店のお迎えのバスがやってきます。ホテルはほぼ100%地元のお客さんばかりのようでした。温泉ホテルと言いながら日本的な大浴場は無く、イメージでいうと水着を着てはいる温水プールのようです。ただ部屋のお風呂は異様に大きく、三つある中央の蛇口をひねると温泉大湯が出てきます。これは快適で、まさに源泉かけ流しです。温泉街らしいものはありませんが、昔の日本統治時代の温泉旅館や茶館が残っていました。翌日にはさらに周辺まで足を延ばしました。新北投には2泊して、翌日は淡水まで行きましたが、有名な夕陽を見ることはできませんでした。地下鉄での移動が便利なので、改めて台北の魅力を感じます。台北へ一度戻り、同じタイミングで台湾を訪れていた弟と合流してクラブのオープニングパーティに行ったり楽しい夜を過ごしました。どこも観光しないのも何なので、故宮博物院には行くことにしました。興味のある陶器のエリアと有名な玉石しか見学できませんでしたが素晴らしいものを見せてもらいました。その後は近くの士林夜市を楽しみ、足裏マッサージを堪能しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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桃園国際空港から市内へ路線バスで出る途中の左手に円山大飯店が見えました。今回の旅でも何日かは泊まってみたいと思いましたが、町から離れた立地上見合わせました。市内に入ったバスが滞在するホテルの前で止まったので降ろしてもらいました。最初の2泊は国聯大飯店/UNITED HOTELです。ゼブラ柄のカーペットはインパクトはありましたが…。しかし、デザイナーズホテルとしては有名なようで、洋書の建築デザインの本に掲載されていたので選んでみました。値段の割にとても良いホテルでした。
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翌日は電車に乗って鶯歌まで出かけてみました。鶯の歌なんて洒落た名前ですがイングーと読みます。台湾の陶器で有名な場所です。
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街のあちこちにレンガの煙突が立ち並び陶器の町だと言う事を感じさせます。以前行った伊万里の街を思い出しました。
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この町を知ったのは「月刊太陽」の台湾特集で松山猛さんが紹介されていた文章でした。
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駅前辺りは台北への通勤圏内のひなびた小都市といった風情でした。老街から先には陶芸のお店や工房も数多くありましたがこれといったものは見掛けませんでした。唯一1軒のお店で見かけた入れ子になった磁器の茶器が気に入ったので何セットか買ってしまいました。
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少々期待外れだった鶯歌からはバスに乗って三峡へも行きました。こちらはさらに古い街並みが残る所です。風情ある赤レンガのストリートは、日本統治時代に完成したといわれ、赤レンガのほとんどが日本から運ばれたものだそうです。
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レンガ造りの建物が並び往時は栄えていたのだろうと感じます。旅した頃は寂れてしまった感じがしました。かつての三峡の商店街は樟脳や布や木材、お茶などが船を使って台北まで運ばれたいそう栄えていたそうです。
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ほとんどの建物が何も使われていない状態で、数軒が飲食店として営業している程度でした。現在はかなり観光化が進んでいるようです。
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三峡の民権老街の清水厳祖師廟という立派な祠を見学しました。この当時の鄙びた街には似合わない豪華な建物です。
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壁や柱をはじめ基礎部分は全て石で造られ、柱の上の部分は木材で組まれ、接着剤や釘を用いない木組みで構成されています。
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反り返った軒や棟にはタイル装飾の竜や三国志の戦いの場面などが表されています。これはもともと中国本土の技術ですが、ベトナムやマレーシアにも伝わっています。
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フラッシュを焚いてしまいましたが良い雰囲気がでました。三峡からは台北駅まで行くミニバスがあったのでそれで帰りました。
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国聯大飯店の近くの忠孝東路にあった骨董店です。ここで大きなつづらを買い求めました。竹で編んだ上に漆を施した美しいものですが、非常にお手ごろな値段でした。まだお店はあるのでしょうか?
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レストランのエントランスの水槽の金魚です。ディスプレイなのでかわいそうな気もしますがすごいインパクトでした。
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翌日は北投まで地下鉄で移動しました。ここで地下鉄を乗り換えます。台北市内から1時間もあれば到着する手軽さが魅力です。
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もう日本では見かけない新聞販売機です。これでは1面の内容は読み切れてしまいそうです。
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台北を離れて2泊3日の小旅行です。しばらく電車が出るのを待ちます
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新北投駅前の牌門には地下鉄のマークが入っています。駅前に温泉街のイメージは全く感じられませんが、近くを流れる川から硫黄の匂いが流れてきているようです。
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看板をよく読むと温泉の文字がありますが、駅前はそこらの町と変わりありません。この頃は中国語圏を旅していたのは香港と澳門くらいなので英語の漢字表記とかが面白くて探していました。
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駅前で春天飯店のお迎えバスに乗って、10分も走ると風景が変わってきます。チェックインして部屋の風呂に入りました。大浴場で裸になって風呂に入る習慣は中国系の方々には無いので、家族風呂か部屋の風呂で温泉を楽しみます。部屋の風呂の蛇口は3個あり、中央をひねると温泉湯が出ます。周辺にも日帰り温泉施設や水着着用の温泉プールなどもあります。
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地熱谷は源泉の池みたいなところです。ものすごい高温の池なので近くに立っているだけで熱を感じます。
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夏だと言うのに湯気が一面に立ち上ぼっているので相当熱いようなので、看板が無くても入ろうなんて思いません。
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気温が30度くらいで湿度もあるのに立ち上る湯気が見えます。
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池から流れるお湯を使った足湯があります。ほとんど川状態で何百人でもいっぺんに入れそうです。池からだいぶ離れていますがお湯は熱いです。と言う事は池の温度は熱湯なのだと思います。
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熱くて足が入れられないほどです。
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慣れてくると気持ち良いのですが、元々の気温も高いので汗ばんできます。
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脚が浸かってないですよ。
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北投温泉博物館には台湾の温泉についての詳しい解説があります。この建物は戦前の日本軍とも関係があるようです。公園の中に建つ気持ちの良い所です。
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日本を始めイギリスと関係の深かった国は赤いポストですが、それ以外は緑や黄色のポストが多いようです。
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水着とタオルを持って「北投温泉親水公園露天温泉(千禧湯)」にも足を延ばしました。
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「北投温泉親水公園露天温泉(千禧湯)」の効能書きです。水着着用のプールのような温泉ですが、近隣のビルや通りから中が丸見えです。
更衣室もありますので、水着とタオルを持っていけばOKです。 -
親水温泉浴池から見た瀧の湯。有名な温泉のようです。こちらのシステムは日本と同じで、水着着用は無いらしいです。北投でも最も歴史があると言われ、昭和天皇も皇太子時代に入浴したことがあるとか。
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近年全面改修されてしまったので、こんな風情は残っていないでしょうね。
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逸邨大飯店は日本の温泉旅館のように見えます。およそ100年前に当時の日本軍の招待所として「星の湯」の名前で始まった逸邨大飯店は、日本庭園を備えた純和風建築に石造りのゆったりとした湯船が特徴で、良質なラジウム温泉として知られていたそうです。戦後も「星乃湯」の通称で親しまれ、北投でも3本の指に入る伝統建築の温泉宿として台湾や日本の温泉好きが訪れたそうです。
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この当時「中国茶と茶館の旅」というとんぼの本シリーズを読んでいたので、ホテル近くの古い茶館にも行ってみました。「禅園」は1920年ころの日本統治時代に「新高旅社」として建設されたのが始まりで、当時はこの界隈でも名高い名旅館として各界の著名人が飲食と温泉を楽しみに訪れたそうです。太平洋戦争末期に入ると、神風特攻隊の接待所として使用され、ここで出戦前の最後の夜を過ごしたそうです。
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1960年代に入ると張学良とその妻・趙一荻の軟禁場所としても3年ほど使われたそうです。張学良は満州地方を治めていた馬賊・張作霖の長男で、後に中華民国の軍人で政治家となり、満州事変や西安事件とも深い関わりを持ちます。1937年に反逆罪の罪で刑を受け、その翌年に特赦となりながらも軟禁状態でした。戦後に蒋介石が台湾に逃れてきた際に彼も一緒に台湾に移され、50年以上に渡り軟禁されています。
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この当時は旧満州地方を旅することなど考えていませんでしたが、8年後に大連から旅順と瀋陽と長春とハルピンの旧大和ホテルを泊まり歩きながら旅しました。瀋陽の張作霖の邸宅だった「張氏師府博物館」にも訪れています。
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誰もいない茶館を貸し切ったようにお茶を楽しめるのはぜいたくな時間でした。
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妻との旅ではのんびりお茶をすることはあまり無いのですが、この旅ではゆっくりしていたと思います。この後ホテルで温泉に浸かったらドッと疲れが出てお昼寝しました。
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春天ホテルのレストランの料理です。とても美味しいカニでした。
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日本料理もありました。お刺身の飾付けは…、微妙ですが魚は美味しかったです。
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翌日の夕方は地下鉄に乗って淡水まで出てみました。駅前から海沿いの道を老街に向けて歩いてみます。
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搾りたてのスイカジュースが2杯で30元ってなんて安いのでしょう。でも何で2杯売りなのだろうかと疑問が残ります。
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どんよりした厚い雲に暑さと湿気から東南アジアにいることを感じます。
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台湾の漁船の舳先の顔に春に弟と旅したベトナムの漁村を思い出します。
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30過ぎの男兄弟2人でよく1か月も旅したと思いますが、同じタイミングで台湾にも来ています。こちらでは別行動で、ニューヨークに住んでいた頃ルームシェアしていた友人の家に泊まっているようです。
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「紅毛城」まで足を伸ばしました。1628年に当時台湾北部を拠点としていたスペイン人により建設され、スペインの撤退後はオランダ人により1644年に再建されます。1867年以降はイギリス政府に租借され、1980年に中華民国政府に所有権が移管されます。台湾に現存する最古の建物でもあります。
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「清朝英国領事官邸」の優美な造形の建物はイギリス人により設計され、中国の職人により建設されました。壁には中国の赤レンガを用い、屋根は福建式(?罨南式)の紅瓦を葺き、多様な異国情緒を表しています。
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回廊の欄干には緑色の釉薬の花瓶が使用され、中国の陶芸と西洋の花瓶が欄干の中で結びついています。19世紀の洋館でよくみられる形式で、花瓶は「平平安安(瓶と平が同じ発音のため)」のおめでたい意義からも用いられ、10個の花瓶が並ぶということは「十全十美(十全であること)」として幸運を願う意味があります。
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この当時は妻もデジカメを持っていました。この旅が最後で、これ以降カメラを持つことはなかったと思います。
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1899年竣工以来ずっと淡水港を見守ってきた「達観樓」は後に赤レンガ建築にちなんで「紅樓」と呼ばれるようになったそうです。1999年に専門家による修復作業を開始され、2000年にレストランとカフェがオープンしました。
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まだ修復されてすぐなので建物はきれいでした。2階のテラスからは淡水の町が一望できました。
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淡水では「鉄卵」という煮卵が名産品です。本当に硬いゆで卵ですが八角の香りといい、好きな人は病みつきになると思います。お店はいくつかありましたが、一番有名な「阿婆鐵蛋(アバテツタン) 」で買い求めました。醤油に4時間漬け天日干しを繰り返して作る、ウズラや鶏の玉子の醤油漬け「鐵蛋」の老舗です。
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残念ながら淡水の夕日を見ることはできず、地下鉄で台北に戻りました。国聯大飯店/UNITED HOTELに一度立ち寄って、荷物をピックアップしてプチ・シャーウッドホテルに移ります。台北西華飯店(シャーウッド)は現在もありますが、こちらのプチ・シャーウッドは経営が変わっているようです。
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お手頃価格でしたが、上品なホテルでした。窓に見える右側のカーテンを開けるとしこは人工芝を敷いた部屋があり、エアロバイクがおいてありました。
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夜は弟と待ち合わせして晩御飯を食べに行きました。
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まだベトナム旅行の気分が抜けていませんね。この頃Tシャツ1ドルで買えました。と言いながら私も北投温泉ではカンボジアで買った地雷注意のどくろマークのTシャツを着ていました。
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マンゴかき氷も流行していたようなので、デザートを食べに行きました。我々はシンプルにマンゴだけにしました。
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弟の注文したのには甘く煮た里芋やら豆がたくさん乗っています。
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台湾の夜は毎晩のようにこんなお店に出かけていました。
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看板の文字を見ただけで味と匂いが甦ってきます。
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食事の後は弟の居候先の友人や台北のおしゃれな人たちと合流して、新しくオープンするクラブのパーティに行きました。
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夜中になってクラブからホテルまで歩いて帰りました。偶然お店とホテルが近かったので助かりました。
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台北市内の観光をほとんどしていないのですが、台湾と言えば故宮博物院は外せません。午前中に入館して一日がかりで見学しました。
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1931年に満州事変による戦火を避けるために南京に移され、1937年に日中戦争が勃発すると3つのルートに分けられて四川省に疎開し、戦争終結後に再び南京に戻されました。
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その後、毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の間で内戦が起こり、形勢が不利になった国民党は台湾移転を決定します。同時に故宮から精選した第一級の文物も1948年から3回にわたって台北に運ばれました。
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1965年にそれらを収蔵する故宮博物院が台北近郊の外双渓に完成し、皇帝私有の宝を世界中の人が見る事が出来るようになります。
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個人的に陶磁器に興味があるので、写真も陶器しか残っていませんでした。
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しかし、元や明や清の時代の見事な陶器や磁器が並んでいます。
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日本の陶器のルーツを見ているようです。
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この翌年に北京の故宮にはいきましたが、コレクションの規模が全然違うように感じました。建物は北京で収蔵品は台北だと思います。
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竜の描かれた交跡(こうち)の鉢の中には収蔵を表す紙が貼ってありました。上海の古玩店で買った陶器には裏側に蝋で印が押されてありましたが、紙であれば更に陶器を痛めることはないでしょう。
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「大明成化年製」の文字が読み取れます。官製の品だともっと精緻な文字がかかれるのかと思っていましたが意外に普通でした。
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細い竹ひごで編んだように見える蓋碗の細工が見事です。
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この双首の花瓶も面白かったです。片側の首にだけ文字を入れています。
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輪花の兜鉢の呉須の色がきれいでした。中国南部から輸出された陶器のような感じがします。
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この染付の皿などは春に行ったベトナムの各地の骨董屋でよく見掛けるものです。特にホイアン辺りの店では20ドルで売られていました。
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家にある何枚かの陶器と見分けがつかないです。頭の中が
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ホイアンで15ドルで買ってきた海上がりの皿です。
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同じくホイアンで25ドルだった大皿ともよく似ています。
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この寿老人の染付と赤絵の鉢は素晴らしかったです。
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この吉祥尽くしのお皿もきれいでした。家で使っている京都の吉兆という窯の花喰竜の蓋向の色合いによく似ています。
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大きな花瓶はさすがに皇帝の文物だという迫力を感じます。絵付けの見事ですが、完品は一つでもここに至るまでに失敗した品はいくつあったのでしょう。
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霊芝と蝙蝠の吉祥模様の花瓶も見事です。
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ようやく有名な収蔵品「肉形石」にたどり着きました。
翡翠の白菜は上手く撮影できませんでした。 -
この時の旅で「行古行」という骨董品店で買い求めた陶器です。
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故宮の素晴らしい収蔵品を見たらいろいろ欲しくなってしまいました。
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もちろん1個数千円の新しく造られたものだと思います。新しいといっても数十年経った倣古品です。
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一番気に入ったのがこの煎茶碗でした。本金を使っているのでさすがに数万円したと思いますが、びっくりしたのは翌年に北京の故宮へ行った時です。
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オリジナルが展示してありました。この茶碗でお茶を飲むと皇帝になった気分になれます。
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夕方になって故宮からバスで士林に出て、夜市にも行きました。今日は博物院で一日が終わった感じです。現在のシーリンイエシーとは違う、古き良き夜市の風景です。
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気に入ったお店でくつろぎながら何軒かをはしごしました。
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遅くなりましたが、ホテルに戻る前に見つけて置いたマッサージ店にも立ち寄りました。
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初めての足裏マッサージ体験です。バンコックでワットポーのマッサージをホテルまで出張してもらって以来、マッサージにはまっていきます。
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今は経営が変わってしまったプチ・シャーウッドホテルの近所でした。台北の前半の旅は終わり、翌日からは烏来温泉と九分の旅が始まります。
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この旅行記へのコメント (1)
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- takacyann atさん 2016/05/11 13:55:04
- 荒島岳
- 良し。
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旅行記グループ 2002 台湾温泉の旅
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