2009/04/20 - 2009/04/20
6560位(同エリア10407件中)
草廬の隠者さん
- 草廬の隠者さんTOP
- 旅行記24冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 42,378アクセス
- フォロワー0人
横浜の風物が好きで月に一度くらいの割で気ままに散策しております。
せっかくですから今回はカメラ+三脚担いで。
さて2冊目は山下公園を出て元町通過〜山手洋館巡り〜港の見える丘公園〜フランス山、と行きましょう。どうぞお付き合い下さい。
ささ、ごゆるりと。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル
-
さて、山下公園を臨港プロムナード側(みなとみらい側)からフランス山側へと縦断し、いったん公園を出ます。左へ行けば山下埠頭、右へ行けば元町・中華街方面。
今回は右へ。水のステージ前を出て、メルパルクYOKOHAMAを左手に直進直進。首都高沿いにさらに直進、JR根岸線石川町前まで来たら元町口へと行き、石川町駅前郵便局が見えたらその前の急坂を登る登る登る登る登る登る登る登る登る・・・・・・・・次の写真へ続く。
地図がなきゃ良く判らんですなぁ(苦笑)。 -
(前の写真より続く)登る登る登る登る登る登る登る登る・・・・・・普段運動してない身には少々コタえるなぁと登る度に恨めしく思うこの上り坂(失礼な、この坂には大丸谷坂と言う立派な名前があるのだ!!)を息を切らしながら登ると、やがて右側にこんな階段と門が見えてきます。
左側の門柱には右から
「ブラフ18番館」
「外交官の家」
が併記されており、右側の門柱には
「山手イタリア山庭園」
の表札アリ。アップも撮れば良かったかな・・・・・・・。 -
で、あの階段を登るとこの建物の裏手に出ます。
ちなみに「イタリア山庭園」の由来は1880年(明治13年)〜1886年(明治19年)にイタリア領事館があったから、との事。
で、このまま道なりにぐる〜っと歩いて・・・・・・ -
「ブラフ18番館」へ。
もともとは関東大震災後に山手町45番地に建てられた外国人住宅とのこと。(てことはイタリア山庭園に移築されたんやね・・・・・)。
戦後には天主公教横浜地区(現カトリック横浜司教区)に所有権が移り、カトリック山手教会の司祭館として平成3年(1991年)まで使用されたんだそうな。建物は木造2階建て。
実際に使われていたのは案外最近だったんですな。 -
さて、階段の上からブラフ18番館を撮影したあとはゆるい上りの石畳を道なりに上へ、上へ。
-
すると、このイタリア山庭園に佇むもう一軒の西洋館が木陰から左上に見えてきます。
手前の二枚貝の形をした噴水がカワイイ♪ -
「外交官の家」。
名前の由来はニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを歴任した明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として建てられた家だったからとのこと。これも移築で、もとは東京都渋谷区の南平台に明治43年(1910年)に建てられたそうな。
付属棟には喫茶スペースがあるようなので次はお茶してみよっと♪
ところで自分的にはこの「外交官の家」が一番西洋館っぽく感じますが皆様は如何ですかな? -
さて、イタリア山庭園を出て山手本通りに出たらそこを左折。あとは道なりに直進直進。
余談ですが、山手洋館の外観と位置、名前をチェックするために山手本通りをグーグルマップで確認していたら、あらら山手カトリック教会で結婚式の画像が!!。どこのどなたか、何時の映像かは全く存じ上げませんがおめでとうございます。東京の某所からお祝い申し上げます。閑話休題。
長い余談で申し訳なかったですが、山手本通り、元町公園の手前あたりの雙葉小学校入り口の交差点で左を見ると、こんなモン・・・・じゃなくて門があります。
右の標識には
「横浜元町
ベーリック・ホール」
との記述。
ではさっそく入ってみましょう。 -
名称は「ベーリック・ホール」。
この館の由来は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5年(1930年)に設計したとのこと。実際に個人宅として人が住んでいたのは第二次世界大戦前までで、その後昭和31年(1956年)宗教法人カトリック・マリア会に寄付、その後は平成12年(2000年)まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールが寄宿舎にしていたそうな。
ここに学生が住んでいたわけかぁ・・・・・。にしても平成12年とはこれもつい最近だな。 -
ベーリック・ホールを正面から。
両端が切れているのは庭の奥行きの関係で全景が入る位置まで下がれなかったためなのだが、ネットで検索をかけるとどっかで両端までしっかり写っている写真を見かけたような気が・・・・・・。
どうやって撮ったんだろう????? -
さて、再度あの門から外へ出て、左へ交差点を渡るとそのすぐそばにあるのがこの
「エリスマン邸」。
この邸は名前にあるとおりフリッツ・エリスマン氏の邸宅として建てられた邸宅だそうな。生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として在日。建てられたのは大正14年(1925年)〜15年(1926年)にかけて、とのこと。
もとの住所は山手町127番地だったが平成2年に移築。
資料によると、彼はスイス生まれとの記載があるが、・・・・て事は彼の国籍はどこだったんだろう? -
これはエリスマン邸を出て元町公園から道路をはさんで建っていた建物ですが、
・・・・・・・・詳細が判りません・・・・・・・。
うーむ。 -
さらに山手本通りを直進すると、左側の通り沿いに建つ洋館がこの
「山手234番館」。
昭和2年(1927年)ごろ外国人向けのアパートとして建てられたとのこと。ちなみにこれは移築ではなく現地―この場所で建てたんだそうな。
他の西洋館と違う点は他にもあって、設計者も実際に建築したのも日本人だった、らしい(設計者は朝香吉蔵氏とのこと)。 -
山手234番館を正面から。
この建物、関東大震災によって横浜を離れた外国人に戻ってきてもらうための復興事業のひとつ、とのことだが(だから設計主建て主が日本人なのかな・・・・・)。
そういえばあのバームクーヘンで有名な「ユーハイム」の創始者一家、カールとエリーゼとボビーが店を構えた横浜を離れたのも関東大震災がきっかけだったらしいなそういや。
何気に、関東大震災って横浜の歴史との係わり合いが他の地域より大きいような気がする。太平洋戦争後はお定まり、米軍に接収されたこともあるそうだが(苦笑)。 -
「山手資料館」。
これも移築かな。
横浜・戸部の大工に明治42年(1909年)に中澤邸として建てられた、関東大震災の折倒壊を免れた横浜市内唯一の明治時代そのままの木造建築物、とのこと。
現在のレストラン山手十番館内地に移築されたのは昭和52年(1977年)。ご興味のある向きは是非お立ち寄りを。 -
「横浜十番館」。
洋館、と言うか・・・・・・。
明治100年を記念して建てられたティールーム&レストラン。
ビスカウトが有名らしいです。 -
そのうちちゃんと食事とかしてみたいなぁ。
眺望もよさそうだし。
ちなみにここいらは天気がよければ富士山まで見えます。 -
横浜外人墓地。
横浜観光には必ずと言って良いほど挙げられるほど有名な観光スポットではありますが、いや、そこはそれ、一応「お墓」なので・・・・・・。
撮影は入り口の外観のみ。ご容赦あれ。 -
山手大通りを外人墓地の前で右折。今日は港の見える丘公園の方へ足を向けます。
この正面道路を左に下りれば元町プラザ方面、横断歩道を渡って直進すればそこはもう、
「港の見える丘公園」
です。 -
前の写真の「港の見える丘公園」の入り口を入り、右手にあるのがこの
「横浜市イギリス館」。
これは英国総領事公邸として現在地に建てられた、今までと違い鉄筋コンクリート造2階建ての比較的新しめの昭和12年(1937年)建築。地下にはワインセラーまであったりする・・・・・・。設計は上海の大英工部総署とのこと。
イギリス館の手前は横浜市の市花、ローズガーデンになっていてバラの満開の季節はとても綺麗ですよん♪写真を撮る人、絵を描く人が大勢来襲・・・・じゃない、来場します。
本日の洋館巡りはこのイギリス館で全て終了。 -
港の見える丘公園。見晴らしは絶景・・・・・のハズ。
-
これは港の見える丘公園・前の写真から正面を遠望した際に見えるベイブリッジ。
ベイブリッジには写真を撮りに一度近くまで行った事がありますが、東京・お台場のレインボーブリッジのように歩いて通り抜けが出来んのですな。橋梁の下に円盤がくっついていてそこから下の海を通過する豪華客船が見れるんですが、ベイブリッジは車が無いとなかなか行きにくいと思うので見たい方はあらかじめお時間の確認を。
ベイブリッジの夜景は主塔の先端部の約40メートルが時間ごとに青色に変わるのでとても綺麗ですよ〜。 -
正面のベイブリッジから視線を転じて左約90度、のあたりにはこんな光景が。
左上にマリンタワー、右下の方に氷川丸の煙突が遠望出来ますな。中央辺りに見えるのは・・・・・あれは客船かな?でもこの距離では船名までは判りません・・・・・・。 -
さて、ひとわたり景色を見回したら移動することにしますか。正面入って左側、フランス山へと続く陸橋と山を降りる階段がありますが、今回は陸橋の方を選択しましょう。
この陸橋、通過には時間制限があるので夜景を見に来た場合は通れなくなるコトがあるのでお時間にご注意を。
万が一(と言うほどの事でもないか・・・・・)通行不可になったら手前の石段へどうぞ。横浜ヒルサイドガーデン横の細道から下へ出られます。 -
陸橋を前進前進。
-
ナゼか道の真ん中に井戸が。
誰か覗いてみます?(笑)。 -
フランス山の名前のハシリは江戸時代末期、幕末動乱の時代に多発した外国人殺傷事件(生麦事件が有名ですな)から自国民の保護を名目にフランス海兵隊がこの地域に駐屯を始めた事がきっかけだったらしい。
ちなみにイギリス軍もフランス軍の翌年から現在の横浜市イギリス館のあたりに同様に自国民の保護を名目に駐屯を開始している。
この写真の風車は井戸水のくみ上げのために設けられたものだが、資料が残っていないため、当時の風車が本当にこの形だったかどうかははっきりとは判らないと言う。 -
これはフランス領事官邸跡。建物自体は昭和22年(1947年)に火事で焼けてしまい、残っているのはご覧の通り基礎部分や壁、石段などコンクリート部分のみ。
上層階は木造だったので残らなかったのだろう。
・・・・・・・そういえば函館の五稜郭内の奉行所跡が現在再現中らしいのだが、このフランス領事官邸にはそういう話はないのかな? -
フランス領事官邸跡を別の角度から。ここを通過すると少し山の高さが低くなって、花壇やちょっとしたベンチが設置されているが、そこが実際にフランス軍が駐屯していた場所だった、らしい。
-
さて、山を降りようか。
-
2冊目の〆は、今まで歩いてきた道を振り返って。
降りるのは階段だから楽々。この写真はフランス領事館跡から降りてきた階段を撮影。それにしても
ああ、足が痛い・・・・・・。
肩も荷物やら三脚やらカメラやらが食い込んで痛い・・・・・。
マックでいいから次の場所に移動する前に少し休もう・・・・・・・。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
31