2007/04/25 - 2007/05/08
179位(同エリア190件中)
ちゃおさん
小生が時々昼飯を食べに行く三鷹のタイ人レストランのマスターは、最初に聞いた時ピサヌロークからノーンカイまで1日で行くのは無理だろう、と話していたが、次に行った時はギリギリ大丈夫だろう、に変わってきた。本人もこのルートを行ったことはないらしい。
大丈夫か大丈夫でないかは行ってみないと分らないが、大変な行程であることには違いない。朝のバスが比較的ゆっくりなので、朝食のバイキングをたっぷり頂き、バス・ターミナルへ向う。
この町ではツクツクよりも自転車を漕いで走るサムローという乗り物が多く、ホテル前にもツクツクの代わりにサムローが待機している。この先イサーン地方へ向うが、バンコクでは殆ど見かけなかった人力車まがいのサムローもチェンマイに来て目立つようになり、更に小さな町村へ行くと主流になってくる。それ程大都市と地方都市との所得の格差があるのだろう。
ウドンタニ行きのバスは1時間程平野部を走ると山間部に入り、標高2000mを越えるかと思えるような大きな山懐を迂回するようにして回り、急坂箇所では喘ぐようにして走る。歩く位の速度まで落ちるが、それでもエンストもせず、村々の停留所では何人かの乗客を拾っていく。
ローカルのバスで英語が分る人はいそうになく、山の名前を聞くことはできないが、随分と雄大な山で、高原状の懐は深く、バスはその辺縁を回るようにしてゆっくり走る。阿蘇の外輪山・大観望よりも雄大な感じで、山の知人の一人に雄大な景観を見るため、数年おきにヒマラヤトレッキングに行く人がいるが、今見ている光景は将にそれと同じかとさえ思った。
高原の中の村落は貧しげであるが、人々は純朴そうに見え、何よりも涼しげであった。良い年のお爺さんがハンモックに揺られ、誰かと携帯電話で話をしている。こんな所が長閑な桃源郷と言うのかも知れない。イサーンの山中は実に良いではないか。
山の中のかなり大きな町ルーイのターミナルで昼食用に小休止する。ここでは弁当やジュースなどを売る売り子がバスの中まで入ってきて、サービスする。以前食べた竹の筒の中に蒸したもち米を詰めてあるお強(おこわ)、沖縄で云うところのコワムーチイを2筒買い、久し振りに食べる。沖縄と同じ南方文化圏、中国料理の一種と思うが、発祥はひょっとしてこの辺りの南方米作地かも知れない。
ルーイの町に至る途中の小さな集落では、今日は何かの例祭日なのか、数千人を越えるような人の群れが、バイクで来たり、車で来たり、ツクツクでと、路上数キロに渡って道路脇に駐車し、皆それぞれ手に三角形のお飾りを持って山の上のお寺に向かって歩いている。
案内書には出ていないが、きっと地元民には有名なお寺で、今日は大事な祭日なのだろう。バス内では殆ど言葉が通じず、山の名前、標高、お寺の名前と今日の祭日等聞けなかったのは残念だ。
知った処で何かが変わる訳ではないが、名を知ることによりこの地方の人々と意識を共有できるのではないかとも思ったりした。
ルーイからウドンタニに向っては徐々に高度を下げて行くが、広々した平原であることには変わりが無い。この辺りの農園は広大な敷地を鉄条網で囲い、その中にひと塊の住宅があり、ランチャー農園の入り口は豪華に飾られていて、大規模農場が続いている。
ピサヌロークからウドンタニまでの凡そ300−400キロはその大半が山脈を横断する道路だったが、道路自体は全て片側2車線で快適に作られている。三鷹のレストランマスター、マイトリーさんは日本に住みついて長年になるし、しかもバンコク出身だからこの様な道路状況を知らず、昔の山道を想像して最初は、「1日での走行は無理だ。マイダイ、マイダイ(出来ない、出来ない)」と繰り返したと思うが、タイではこの数年、道路事情が急激に改善されたに違いなく、後日、イサーン地方出身のアルバイト学生等より快適なドライブが楽しめることを聞き、当職2回目の確認に際しては、「ダイ、ダイ、(出来る、出来る)」と発言を訂正したのではないかと思う。
ともあれ6時間を越える長時間の乗車に、腰もそのまま曲がったままで固定されたかの感もあったが、バスは無事ウドンタニのターミナルに到着し、到着すると同時に例のごとく直ぐにもお客の引っ張り合いで、次に行く場所を聞いてくる。が、これには一面助かる面もあり、当方が「ノンカイ」、と告げると、すかさず「ノーンカイ」、と切り返してきて、ノーンカイ方面へのバス・ターミナルまで運んでくれる。この大きな街では、各方面行きのバスターミナルが幾つか別の場所にあるのだ。
ノンカイ行きの出発しかかっているバスを途中で止めて、乗せてくれるサービスまでする。これが普通のことだから、別に余分にチップを払うこともない。運よくターミナルを出た直後のバスに飛び乗ることが出来、どうやら無事に1日でノーンカイまで来ることができた。
ホテル「ロイヤル・メコン」はこの町では一番高い建物であり高級ホテルの部類に入るが、難は矢張り街から離れた場所にあるということ。ホテルは街から離れているとの理由で、ツクツクの運転手は直ぐに100バーツを請求してくる。
明日からラオスに行くので、多少大目のタイバーツに交換しておく必要があり、ターミナルから乗ってきたツクツクをホテル前に待たせ、街の銀行まで行ったが、既に時間外でどこも閉店。運転手が気を利かせて、市内から少し離れた場所にあるROTUSショッピングセンターまで運んでくれたが、ここでは銀行の支店が夜遅くまで営業していて、1万円札の交換も可能だった。
しかしここのところの円安で交換する度にタイバーツが少なくなり、今日は1万円で2800バーツももらえない。又再び市内に戻ったら、寄り道したからと言って150バーツの請求。さっき100バーツ払ったばかりなのに、勘弁して下さいよ。と言っても言葉が通じる訳でなく、払わなければ逃がさない剣幕に。まあ日本円にしたら100円、200円の話しだから、言われるがままに払いましょう。クモの巣を張って外人さんを待ち構えているような連中なのだから相手にしても始まらない。
国境の町ノーンカイは人口4−5万位の余りパッとしない町で、旅行者の多くはこの町を素通りして、ラオスへ行くか、反対にラオスからやって来た人は直ぐそのまま他のもっと魅力的な町へ行くに違いない。
それでもメコン河の護岸沿いには3−4軒のかなり大きなレストランも並んでいて、客の入りも多い。国境の町で、ラオスまで行けないタイ人観光客で混んでいるようだ。欧米人は殆ど見かけない。
当方も護岸上にしつらえたテラスのテーブル席を確保し、写真付きメニューを見て、何か分らないイサーン料理(?)を注文する。皆数人グループで、テーブル上には色取り取りの皿を並べ、飲み且つ食べ且つ談笑しているが、当職のみ一人、照明も無く暗くなったアジア第一の大河を眺め、ビールをすすり、はたまたシーザーがルビコン河に達した時の感動もなく、ゆったりと流れる川の流れ、水量豊富ではあるが漁船も渡船も通らない暗闇の中に、遥か遠く日本を思い、矢張り旅は道連れ、無言の河を相手にするよりか、隣に誰か話し相手がいた方が余程か楽しいものになるに違いなく、早々と料理を食べ終わる。
一人旅には淋しい場所がお似合いだ。こんな賑やかなレストランでは返って寂しさが募るだけ。酔い覚ましに薄暗い照明の護岸上を数百m歩くが、対岸のビエンチャンの街の光も見えず、薄暗い中で放し飼いの犬が寄ってきたりして、咬みつかれることはないと思うが薄気味悪く、明日に控えて早目にホテルに帰館する。
今はこの真っ暗な護岸もタイの経済が発展し、何年か後には煌々とライトアップされ多くの観光客の憩いの場になっていることを想像し、又10年後のその時来ることもあるかも知れないとの密かな楽しみを想像し河を後にする。
ホテルに着いたのはまだ9時前。メコン河に面して建っているこのホテルは広大な敷地を持っていて、河岸までも歩いて行ける。広いプールでは照明は暗いが泳いでいる人も数人いるようだ。早速部屋で水着に着替え、9時までの数十分を楽しむ。背泳ぎで暗い夜空を眺めてみても、南十字星がどこにあるか簡単に分るものではない。が、その前に自分の年も考え、既に視力が無いのを自覚したほうがよさそうだった。
そのまま海パンで部屋まで上がり、シャワーを浴び、8階の部屋から暗い大河を眺める。川の反対岸はラオスであるが、光の数も少なく寒村のような感じだ。
数百年に渉ってタイ・ラオス両国はこの川を挟んでの領土合戦を繰り返してきた。一時はこの町ノーンカイもラオス領であったこともある。又逆にラオスの広範な地域がタイ領であったこともある。幾たびかくり返された戦乱の後に、19世紀、フランスレジームによるインドシナ連邦が成立し、その後の独立を経て今漸く平和が戻ってきたようだ。
国際河川とは言っても名ばかりで、今はまだ往来する船舶も少なく、船影も見えないが、何年か後、更に経済発展すれば、今この暗くて夜陰に沈む大河も色取り取りのイルミネーションに飾られた貨客船、漁船等で満ち溢れたものになっているかも知れない。
その時、又来れればよいが・・・
< 国隔つ 冥き河みる 歴史みゆ >
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