2008/08/11 - 2008/08/11
9254位(同エリア11775件中)
離島民さん
7時半頃起床。しかし既にほとんどの人が出かけている様子。
出かける準備をして、朝食付だったので、下の食堂で朝ごはんを食べて、8時に宿を出る。あまりに早いので目の前の浦上天主堂はまだ見学できず。
歩いて市電の電停に向かい、その途中で平和公園に立ち寄り、歴史学用語でいう本来の「Ground Zero」(原爆の爆心地)を見学。
空を見上げると青い空に白い雲が浮かんでいた。ちょっと時間と日付はずれているけれど、あの夏の日もこんな空だったんだろうか。
その後、松山町から市電に乗って、出島で下車。8時から開いているというので丁度良い。
中には無料のコインロッカーなどもあり助かった。
江戸時代の建物を復元したものや、その後明治時代に建てられた洋館などもそのまま保存されていた。
思ったより楽しめたので、2時間もいてしまった。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
宿泊した長崎カトリックセンターYHの部屋の様子。
-
部屋の窓からの景色。
-
宿泊費に含まれている朝食。
-
YHの概観。
-
浦上天主堂はまだ開いておらず。
-
橋の欄干に十字架が。
-
平和公園に到着。中央に原爆落下中心碑、右手に移築された浦上天主堂遺壁が。
-
歴史学用語でいう本来の「Ground Zero」に立つ。
-
爆心地を中心に同心円が描かれています。
-
被爆50周年記念事業碑。
-
長崎原爆資料館地区へも行きたかったのですが、時間の都合もあり、今回はパス。
-
この高さが当時の地層?と勘違い。後で調べたら、右の方に地層が保存されていたようです。
-
昨日買っておいた電車一日乗車券を使って、松山町から出島へ向かいます。
-
出島停留所に到着。
-
新型の純国産超低床車両(LRV)の3000系。香港のLTRと比べてコンパクトな感じ。
-
区画整理などで現在は道路になっている部分にかつての出島だった部分がわかるように印が。
-
入場する前の、無料で見られるところにも出島の遺構が。
-
ラッピング広告付きの路面電車。
-
出島全景。江戸時代の建物は現存せず、ほとんどが近年復元されたものです。
-
正面に見える「水門」から中へ入ります。
-
一番船船頭部屋。オランダ船船長の宿泊所及び商館員の住居だった建物。
-
復元された部屋の中の様子。
-
畳にベッドという、まさに和洋折衷。
-
ヘトル部屋の近くで見つけた無料のコインロッカー。荷物を預けられたので便利でした。
-
当時の建物の基礎石が見られるような展示も。
-
こちらにも。
-
こちらは発掘された当時の地層のようです。
-
地番境石。居留地時代のものです。
-
船のマスト風の旗竿。
-
こちらにも地番境石が。
-
1903年(明治36年)建造の旧長崎内外クラブ。
-
昭和51年に造られたという「ミニ出島」。
-
海から引き上げられた大砲。周りにはシーボルト里帰り植物が。
-
旧出島神学校。明治11年(1878年)に建築された日本初のプロテスタントの神学校。
-
右手に見えるのは旧石倉。安政の開国後に建てられた石倉。残っていた礎石の上に古い写真を参考にして半分だけ復元たのだそうです。
-
中央広場付近にて。右手に見えるのは新石倉。慶応元年(1865年)に建てられたものを復元したもの。左手に見えるのはカピタン部屋。商館長の住居兼迎賓館的な役割をお果たした建物。
-
正面はカピタン部屋。左手に少し見えるのはヘトル部屋。ヘトル部屋は商館長次席の住居。
-
こちらにも大砲が。
-
しっかりとオランダ東インド会社のロゴが。
-
乙名部屋。出島乙名の住居。金庫番役人の仕事場、見張り番などの詰め所でもあったそうです。
-
カピタン部屋。やはり商館長宅とあって、建物の装飾も立派。この緑色が印象的です。
-
カピタン部屋の2階にある35畳の大広間では「阿蘭陀冬至」(クリスマス)の祝宴の様子を再現。
-
窓からの眺め。
-
こちらは先ほどの部屋とは異なり、商館長個人の生活空間。調度品も立派です。
-
こちらは応接間のような感じなのでしょうか。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
長崎 の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
45