2008/07/05 - 2008/07/13
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スクンビットさん
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インドシナ半島の中心に位置するカンボジア、私がこんなにまでアジアにはまった原点は、アンコールワットを見に行ったシェムリアップが発端でした。
それから何年もたってしまいましたが、一度でいいから私をここまでアジア好きにしてくれたカンボジアの首都プノンペンを見てみたい。
様々な歴史を刻みつつも、今も元気で明るいカンボジア旅行記です。
この旅行記は、カンボジア滞在4日目プノンペン中心部ツールスレン収容所/S21見学を綴っています。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- シンガポール航空
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ウドンからプノンペンへ戻り昼食を取る、その後一路ツールスレン収容所後へ向かう。
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大通りから少し住宅街に入ると突如としてそれは現れました、入り口ゲートにはバイタクやトゥクトゥクがたむろしているのは、他の観光地と変わりありませんが、建物・敷地全体からなんともいえない重い空気が流れてきます。
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カンボジア語、フランス語、英語での大きな解説があります。
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元学校校舎ということもあり、何も知らずにパッとこの風景を見せられたら、南国の学校としか思わないかも知れませんが、この場所で行われた惨劇は言葉では言い表せぬ空気として、今でも伝わってくる感じがしました。
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1976年6月ポルポト派治安警察サンテバルがプノンペンに尋問・拷問・虐殺を行う場所として「s21」が誕生した、現在の「大量虐殺犯罪博物館」ツールスレン収容所跡地です。
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当然カンボジアのポルポト政権時代も歴史の一つに過ぎません、そこには様々な見解や意見があると思いますが、キリングフィールドやこの収容所で見せられる惨劇についてはつい数十年前に起こった事実として認識すべき事と思います。
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1万4千あまりの人が収容されましたが、生きてここを出られたのはわずか7人、収容所ではなく死刑執行所だった訳です。
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イデオロギーや大国からの諜略など、いろんな要因はあったにせよ、カンボジア国民同士が戦い、且つこんな虐殺施設ができ、それが実際に使用されてしまった事はとても悲しい事です。
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子供から大人まで、政治犯とされた人々は、全く無意味な調書を取られ、それらは必ずポルポト政権に対し何らかの反体制行為を行ったと自供した事になりました。
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ですから、みな死刑となってしまったのです。
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革命名ポルポト、本名サロトサル、彼が目指した理想の国家とはいったいなんだったのでしょうか?
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それはいつしか、ポルポト派幹部にも同じ事が行われ、粛清が始まりました。
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ポルポト派では、子供は何にも毒されていない最高知識人として利用され、罪も無い一般人の殺戮マシーンとして利用されました。
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本当の意味での知識人(法律家や医者、教師)は、危険人物とされ、片っ端から殺されてしまいました。結果として全く医者としての知識を持たない「子供医者」などが誕生し、当然むちゃくちゃな医療を行い、それによって死亡した被害者も相当数いるとされています。
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まず一つ目の矛盾が、ポルポト派幹部(発生時)の多くはフランス帰りのインテリ層です、かれらも真の知識人のはずなのですが・・・、対する一般人はフランス語がしゃべれるというだけで、収容所送りとなってしまいました。
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勝手な見解ですが、ポルポト達は具体的な建国の青写真がないまま、思いのほか早く政権を取ってしまった事が、莫大な悲劇を招いた一因であると感じています。
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この収容所所長「ドッチ」は現在も生きています。元数学教師、如何にすると人はこんな殺人マシーンとなれるのでしょうか?我々にもこういった狂気は潜んでいるのでしょうか?
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ドッチいわく、直接命令(処刑)を下していたのは、副首相兼国防省ソン・センや党組織担当ヌオン・チュアであったと、但しS21を管理し尋問についても陣頭指揮をとっていたのはドッチに間違いありません。
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ただ党幹部も粛清をやめようと言える空気ではなかったと答えている、それを言ったら自分までもが消されてしまう、そんな恐怖におののきながら、処刑だけはプノンペンがベトナム軍の進攻によって陥落するまで続けられてしまいました。
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現在もポルポト派幹部で生きている人はいます、やっと裁判が行われる事となっていますが、いまひとつ進みません。
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様々な事情が絡み合っているにせよ、カンボジア国内でも、あまりにも惨劇が大きすぎ、またポルポト側についた(そうせざるえなかった)人々も多く、触れたくない問題といった感を感じました。
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そもそも現在のフンセン首相もポルポト派中級幹部でした、ポルポト派を裁判にと言っても、近隣諸国の影響(タイ・アメリカ・中国・ベトナム)も大きくあります、どこからを裁判として線引きするか非常に難しい問題です。
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現在のカンボジア教育現場でも、あまりこれら一連の惨劇については教えられていないようで、それを危惧する声もあります。
ポルポト時代、カンボジア全土に167の監獄があり、334の処刑場、19440ヶ所の集団墓場があったそうです。 -
集団移住させられ、移動中に命を落とす人も多くいたとの事ですが、移動後は過酷な労働が待っていました、さらに残念な事に、それらの労働によって築かれた運河やダムなどは、緻密な計画などがなされていなかった為、結果として使い物にならず、現在ではほとんど使われていません。
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少女兵の写真、善悪の分別がまだつかぬ子供を利用したところに、更なる怒りを覚えます。
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ポルポトは崩壊後の幹部の多くは、責任をポルポトのせいにしています、「彼が怖くて言えなかった」「彼一人がやった事だ」言い分は様々ですが、ポルポト本人はどう言っているのでしょう?
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数少ない彼のインタビューでこう答えている。
虐殺革命の責任者は誰?
「自分は民衆を殺す為ではなく、闘争をしに生まれてきた、我々が闘争をしたから、カンボジアはベトナムに飲み込まれずにすんだ。その事に非常に満足している、我々の運動は間違いも犯したが、そんな間違いは世界中のどんな運動にもある。数百万人が死んだなんて誇張に過ぎない。ベトナムの手先が至るところに潜り込んでいた。我々は自分の身を守らなければならなかったのだ」 -
ツールスレンについて
「自分はトップの人間で、大きな問題の大きな決定しか行わなかったから、ツールスレンなど聞いた事も無かった。あれはベトナムが作った博物館だ。初めてその名を耳にしたのはVOA放送でだった」 -
ポルポト派支持者の意見も多くがベトナムのせいにする傾向がある(現在でも)、歴史的にも隣同士で争ってきた経緯もあるので、一概には言えないが、ツールスレンがベトナムによる・・・といった見解には驚かされる。
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またそういった人々の見解では、プノンペン開放(ポルポト政権樹立)後の強制移住も無かったという文章も見ました。
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いづれにせよ、彼から謝罪の言葉が無きままこの世から去ってしまったのは残念に思われます。
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落書きは良くありませんが、書かれている内容は理解できます。
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レンガやコンクリではなく、木製の仕切り部屋もありました。
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数々の拷問具。
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ゴーストが出る!?
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これらがその心霊写真の展示です。
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こんな大型のものもあります。
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これも大きな拷問具。
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後ろの使用例の絵がなまなましさを伝えます。
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人のいなくなったプノンペン市街、現在の喧騒と賑やかさが信じられません、よくこんな状態から立ち直ったと思います。
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多くの人骨も展示されていました。
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キリングフィールドの写真でしょうか?おびただしい数の骨、埋葬ではなくただ穴に突っ込んでいたというのが実情でしょう。
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現在ははずされてしまった頭蓋骨で出来たカンボジア地図、大きな写真パネルで残っています。
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最後に、アウシュビッツや広島長崎の原爆など、世界には人が起こした様々な惨劇があります、それほどきれいごとを言うつもりはありませんが、このような事は2度と起こって欲しくない、またこんな悲しい過去を自国民同士で起こしてしまったカンボジアですが、現在の彼らの笑顔と生きる事に対する貪欲さを見ていると、きっと明るい未来が待っていると信じたい、国の舵取りを担う人物や世界を動かす大国にはそういった事を理解したうえで政治を行っていただきたいと思います。
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