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★秋の一般公開「京都御所」<br /><br />?宣秋門⇒紫宸殿<br />http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10288772/<br /><br />?紫宸殿⇒御三間<br /><br />写真数がとても多くなってしまったので、2部構成にしました。<br /><br />

秋の一般公開 「京都御所」 ? 工事中

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2008/11/13 - 2008/11/13

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みにくま

みにくまさん

★秋の一般公開「京都御所」

?宣秋門⇒紫宸殿
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10288772/

?紫宸殿⇒御三間

写真数がとても多くなってしまったので、2部構成にしました。

  • 紫宸殿(ししんでん)<br /><br />紫宸殿は御即位式、節会、朝賀などの儀式が執り行われた、御所のなかで最も格式の高い正殿で、「南殿(なでん)」「前殿」とも呼ばれる京都御所の象徴的な存在である。<br /><br />

    紫宸殿(ししんでん)

    紫宸殿は御即位式、節会、朝賀などの儀式が執り行われた、御所のなかで最も格式の高い正殿で、「南殿(なでん)」「前殿」とも呼ばれる京都御所の象徴的な存在である。

  • 紫宸殿(ししんでん)<br /><br />安政2年(1855年)の再建。<br />建物は正面の柱間が9間(33m)、側面が4間(23m)の入母屋檜皮葺き、総檜造りの高床式純木造寝殿造りである。<br />床はすべて拭い板敷、二重虹梁の化粧屋根裏で天井板はなく、中央に母屋、四方に廂(ひさし)の間を設け、四周に高欄を付けた簀子縁を巡らせた古制に則った宮殿建築の様式を伝える。<br />

    紫宸殿(ししんでん)

    安政2年(1855年)の再建。
    建物は正面の柱間が9間(33m)、側面が4間(23m)の入母屋檜皮葺き、総檜造りの高床式純木造寝殿造りである。
    床はすべて拭い板敷、二重虹梁の化粧屋根裏で天井板はなく、中央に母屋、四方に廂(ひさし)の間を設け、四周に高欄を付けた簀子縁を巡らせた古制に則った宮殿建築の様式を伝える。

  • 紫宸殿(ししんでん)

    紫宸殿(ししんでん)

  • 紫宸殿(ししんでん)<br /><br />幕末の書博士岡本保孝(1749−1817)の手になる扁額。<br />

    紫宸殿(ししんでん)

    幕末の書博士岡本保孝(1749−1817)の手になる扁額。

  • 左近の桜<br /><br />○「左近の桜、右近の橘」<br /><br />奈良時代から平安時代初期にかけて、日本は大陸の影響を大きく受け、都の造営も中国の唐を模して築かれました。 <br /> <br />その唐文化の象徴である梅も伝わり、梅を邸の庭木として植えることは、権力、財力、家柄の象徴とされ、皇族・大貴族の庭に植えられました。御所の紫宸殿の前にも梅が植えられていました(左近の梅)。<br /><br />しかし次第に唐風文化から国風文化へと変わる中で、日本の季節感や美意識を表す花として桜が象徴されるようになっていきました。御所の紫宸殿の前の花も仁明天皇(833−850)の御代に、唐風の梅から桜へ変えられたと伝えられています。<br /><br />殿上で儀式のある時は、この桜の南に左近衛府の官人が、橘の南には右近衛府の官人がそれぞれ陣を敷きました。<br /><br />「左近の桜、右近の橘」という言葉はここからきています。 <br /><br />参考:京都桜めぐり、ウィキペディアなど。<br /><br /><br />

    左近の桜

    ○「左近の桜、右近の橘」

    奈良時代から平安時代初期にかけて、日本は大陸の影響を大きく受け、都の造営も中国の唐を模して築かれました。

    その唐文化の象徴である梅も伝わり、梅を邸の庭木として植えることは、権力、財力、家柄の象徴とされ、皇族・大貴族の庭に植えられました。御所の紫宸殿の前にも梅が植えられていました(左近の梅)。

    しかし次第に唐風文化から国風文化へと変わる中で、日本の季節感や美意識を表す花として桜が象徴されるようになっていきました。御所の紫宸殿の前の花も仁明天皇(833−850)の御代に、唐風の梅から桜へ変えられたと伝えられています。

    殿上で儀式のある時は、この桜の南に左近衛府の官人が、橘の南には右近衛府の官人がそれぞれ陣を敷きました。

    「左近の桜、右近の橘」という言葉はここからきています。

    参考:京都桜めぐり、ウィキペディアなど。


  • 右近の橘<br />

    右近の橘

  • 高御座(たかみくら)<br /><br />紫宸殿母屋の中央に天皇の御座である高御座がある。<br />御即位、朝賀、賓客引見などの大礼の際に用いられたが、現在は御即位の大礼の際だけに用いられる。<br /><br />大正四年(1915年)に大正天皇御即位の際に古制に則って造られたもので、内部には御椅子(ごいし)とその左右に剣璽を奉安する案(台)がある。<br />

    高御座(たかみくら)

    紫宸殿母屋の中央に天皇の御座である高御座がある。
    御即位、朝賀、賓客引見などの大礼の際に用いられたが、現在は御即位の大礼の際だけに用いられる。

    大正四年(1915年)に大正天皇御即位の際に古制に則って造られたもので、内部には御椅子(ごいし)とその左右に剣璽を奉安する案(台)がある。

  • 高御座(たかみくら)<br /><br />三層の黒塗の継壇の上に、神輿様の八角形の黒塗屋形を据え、屋根には中央に大鳳凰、周囲に小鳳凰、鏡、玉、旛、帳などをあしらった豪奢な造りである。<br />

    高御座(たかみくら)

    三層の黒塗の継壇の上に、神輿様の八角形の黒塗屋形を据え、屋根には中央に大鳳凰、周囲に小鳳凰、鏡、玉、旛、帳などをあしらった豪奢な造りである。

  • 御帳台(みちょうだい)<br /><br />高御座の右やや後方にある皇后の御座である。<br />高御座より小ぶりだが、ほぼ同様の構造を持ち、屋根には鸞鳥をいただく。<br />

    御帳台(みちょうだい)

    高御座の右やや後方にある皇后の御座である。
    高御座より小ぶりだが、ほぼ同様の構造を持ち、屋根には鸞鳥をいただく。

  • 御帳台(みちょうだい)

    御帳台(みちょうだい)

  • 紫宸殿(ししんでん)<br /><br />南西より撮影。<br /><br />

    紫宸殿(ししんでん)

    南西より撮影。

  • 紫宸殿(ししんでん)<br /><br />西より撮影。<br /><br />

    紫宸殿(ししんでん)

    西より撮影。

  • 月華門と牛車<br /><br />先ほど正面から見ましたが、その裏側に回って来ました。<br />

    月華門と牛車

    先ほど正面から見ましたが、その裏側に回って来ました。

  • 清涼殿(せいりょうでん)<br /><br />中殿ともいい、紫宸殿の北西に東面して建つ。<br />紫宸殿とは異なり、平安朝においては日常の御住居として使用された建物であるので、入母屋檜皮葺きの寝殿造りであるが、床が低く間仕切りの多い複雑な構造である。<br />中央に南北九間、東西二間の母屋を配し、周囲に廂(ひさし)をつくり、東には幅約3メートルほどの吹き放しの高廂を設け、その外に簀子縁(すのこえん?)を巡らせる。<br />

    清涼殿(せいりょうでん)

    中殿ともいい、紫宸殿の北西に東面して建つ。
    紫宸殿とは異なり、平安朝においては日常の御住居として使用された建物であるので、入母屋檜皮葺きの寝殿造りであるが、床が低く間仕切りの多い複雑な構造である。
    中央に南北九間、東西二間の母屋を配し、周囲に廂(ひさし)をつくり、東には幅約3メートルほどの吹き放しの高廂を設け、その外に簀子縁(すのこえん?)を巡らせる。

  • 漢竹(かわたけ)<br /><br />清涼殿向って左手にあります。<br />

    漢竹(かわたけ)

    清涼殿向って左手にあります。

  • 呉竹(くれたけ)<br /><br />清涼殿正面やや右手にあります。<br />

    呉竹(くれたけ)

    清涼殿正面やや右手にあります。

  • 清涼殿 母屋<br /><br />母屋と東廂の南半分は「昼御座(ひのおまし)」で、母屋には御帳台が置かれ、天皇の御休息にあてられた。<br />日中は昼御座に着座して孫庇の侍臣から政務を聞いた。

    清涼殿 母屋

    母屋と東廂の南半分は「昼御座(ひのおまし)」で、母屋には御帳台が置かれ、天皇の御休息にあてられた。
    日中は昼御座に着座して孫庇の侍臣から政務を聞いた。

  • 清涼殿 御二間(おふたま)<br /><br />天皇の護持に任ずる夜居の僧が詰めているところで、観音菩薩の画幅を安置し、機に応じて加持祈祷にあたった。<br /><br />

    清涼殿 御二間(おふたま)

    天皇の護持に任ずる夜居の僧が詰めているところで、観音菩薩の画幅を安置し、機に応じて加持祈祷にあたった。

  • 清涼殿 弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)<br /><br />女御などの控えの間で、清少納言も使ったと伝えられる。<br />

    清涼殿 弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)

    女御などの控えの間で、清少納言も使ったと伝えられる。

  • 五衣(いつつぎぬ)・小袿姿(こうちき)・長袴(ながばかま)<br /><br />人形司 伊東久重

    五衣(いつつぎぬ)・小袿姿(こうちき)・長袴(ながばかま)

    人形司 伊東久重

  • 五衣(いつつぎぬ)・小袿姿(こうちき)・長袴(ながばかま)<br /><br />人形司 伊東久重

    五衣(いつつぎぬ)・小袿姿(こうちき)・長袴(ながばかま)

    人形司 伊東久重

  • 昆明池障子(こんめいちのしょうじ)<br /><br />土佐光清筆<br /><br />高さ1.8m、幅2.7mの絹張りの衝立で、北面には嵯峨野で小鷹狩りをする近衛司の人物図が大和絵の手法で描かれている。<br />写真裏、南面には、唐の長安城の西郊にあった昆明池の有様が極彩色の唐絵の手法で描かれている。<br />

    昆明池障子(こんめいちのしょうじ)

    土佐光清筆

    高さ1.8m、幅2.7mの絹張りの衝立で、北面には嵯峨野で小鷹狩りをする近衛司の人物図が大和絵の手法で描かれている。
    写真裏、南面には、唐の長安城の西郊にあった昆明池の有様が極彩色の唐絵の手法で描かれている。

  • 滝口<br /><br />清涼殿東側、東庭の西側には御溝(みかわ)があり、この流れの北寄り弘徽殿の外側に20?ほどの落差のある滝口がある。<br /><br />御溝水の源で、禁中護衛の武士がここに待っていたことから、清涼殿を警護する人を「滝口の武士」と呼ぶようになった。<br /><br />残念ながら写真ではその落差が映っていません。<br /><br />

    滝口

    清涼殿東側、東庭の西側には御溝(みかわ)があり、この流れの北寄り弘徽殿の外側に20?ほどの落差のある滝口がある。

    御溝水の源で、禁中護衛の武士がここに待っていたことから、清涼殿を警護する人を「滝口の武士」と呼ぶようになった。

    残念ながら写真ではその落差が映っていません。

  • 御拝道廊下(ごはいみちろうか)と東庭<br /><br />御拝道廊下は御三間の繁戸から清涼殿に至る廊下で、天皇がお通りになる。<br /><br />

    御拝道廊下(ごはいみちろうか)と東庭

    御拝道廊下は御三間の繁戸から清涼殿に至る廊下で、天皇がお通りになる。

  • 紫宸殿 北廂「御後(ごご)」<br /><br />「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」<br /><br />写真は裏面ですが、表面には中国三代以降の賢聖、名臣など32名の像が描かれています。<br />これは宇多天皇(887−897)以来の先例により、寛政の造営の祭、住吉広行に命じて作成したものです。<br /><br /><br />

    紫宸殿 北廂「御後(ごご)」

    「賢聖障子(けんじょうのしょうじ)」

    写真は裏面ですが、表面には中国三代以降の賢聖、名臣など32名の像が描かれています。
    これは宇多天皇(887−897)以来の先例により、寛政の造営の祭、住吉広行に命じて作成したものです。


  • 花鳥画<br /><br />錦花鳥<br /><br />筆者 住吉広行<br /><br /> 

    花鳥画

    錦花鳥

    筆者 住吉広行

     

  • 花鳥画<br /><br />錦花鳥<br /><br />筆者 住吉広行<br />

    花鳥画

    錦花鳥

    筆者 住吉広行

  • 小御所(こごしょ) 南西より<br /><br />周囲に植えられた様々な木も、とても手入れが行き届いており綺麗です。<br />

    小御所(こごしょ) 南西より

    周囲に植えられた様々な木も、とても手入れが行き届いており綺麗です。

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />南側から撮影。<br />

    小御所(こごしょ)

    南側から撮影。

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />小御所は平安内裏にはなく、治承年間に源頼朝の世子の住居の呼称であったものを、建長3年(1251年)に再建時に内裏にも取り入れ、造営したものである。<br /><br />紫宸殿の東北に建ち、時代とともに実用を離れて儀礼化する紫宸殿や清涼殿に代わり、東宮御元服、立太子の儀式などに用いられ、「御元服御殿」とも呼ばれる。<br />また、和歌御会始め、御楽始めなどのいろいろな儀式や、江戸時代には幕府の使者や所司代の拝謁も行われたほか、明治維新の有名な「小御所会議」もここで開かれた。<br /><br />尚、この建物は火災後の1958年に再建されたものである。<br />

    小御所(こごしょ)

    小御所は平安内裏にはなく、治承年間に源頼朝の世子の住居の呼称であったものを、建長3年(1251年)に再建時に内裏にも取り入れ、造営したものである。

    紫宸殿の東北に建ち、時代とともに実用を離れて儀礼化する紫宸殿や清涼殿に代わり、東宮御元服、立太子の儀式などに用いられ、「御元服御殿」とも呼ばれる。
    また、和歌御会始め、御楽始めなどのいろいろな儀式や、江戸時代には幕府の使者や所司代の拝謁も行われたほか、明治維新の有名な「小御所会議」もここで開かれた。

    尚、この建物は火災後の1958年に再建されたものである。

  • 小御所(こごしょ)

    小御所(こごしょ)

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />○絵合(えあわせ)<br /><br />左右に分かれて、絵画等を出し合い優劣を競いあいます。<br />「源氏物語」十七帖では、藤壺中宮の御前で物語絵合が行われました。<br />

    小御所(こごしょ)

    ○絵合(えあわせ)

    左右に分かれて、絵画等を出し合い優劣を競いあいます。
    「源氏物語」十七帖では、藤壺中宮の御前で物語絵合が行われました。

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />人形司 伊東久重<br /><br />

    小御所(こごしょ)

    人形司 伊東久重

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />人形司 伊東久重

    小御所(こごしょ)

    人形司 伊東久重

  • 小御所(こごしょ)<br /><br />人形司 伊東久重<br />

    小御所(こごしょ)

    人形司 伊東久重

  • 小御所(こごしょ) 襖絵<br />

    小御所(こごしょ) 襖絵

  • 小御所(こごしょ) 襖絵<br />

    小御所(こごしょ) 襖絵

  • 小御所(こごしょ) 襖絵<br />

    小御所(こごしょ) 襖絵

  • 御池庭(おいけにわ)<br /><br />小御所の東には回遊式庭園の「御池庭」があります。<br />左議長などの儀式や、北側の庭では蹴鞠、砂立舞楽が催されました。<br /><br />明治天皇がご幼少の頃、ここでよく舟遊びをなさっていたのだとか

    御池庭(おいけにわ)

    小御所の東には回遊式庭園の「御池庭」があります。
    左議長などの儀式や、北側の庭では蹴鞠、砂立舞楽が催されました。

    明治天皇がご幼少の頃、ここでよく舟遊びをなさっていたのだとか

  • 御池庭(おいけにわ)

    御池庭(おいけにわ)

  • 御池庭(おいけにわ) <br /><br />欅橋(けやきばし)<br /><br />外国からの国賓が来られた時、欅橋の上から鯉にエサをあげたりするそうです。

    御池庭(おいけにわ) 

    欅橋(けやきばし)

    外国からの国賓が来られた時、欅橋の上から鯉にエサをあげたりするそうです。

  • 御池庭(おいけにわ)

    御池庭(おいけにわ)

  • 御池庭(おいけにわ)<br /><br /><br />

    御池庭(おいけにわ)


  • 蹴鞠の庭(けまりのにわ)<br /><br />小御所の北、御学問所との間にあります。<br /><br />○蹴鞠<br />鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が足で蹴って下に落とさないようにする遊びです。<br />

    蹴鞠の庭(けまりのにわ)

    小御所の北、御学問所との間にあります。

    ○蹴鞠
    鹿の革で作られた鞠を何人かの貴族が足で蹴って下に落とさないようにする遊びです。

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />御学問所では、親王宣下、新茶封切、御吉書始、月例の和歌御会、摂家親王の謁見などの諸儀が行われた。<br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    御学問所では、親王宣下、新茶封切、御吉書始、月例の和歌御会、摂家親王の謁見などの諸儀が行われた。

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br />

    御学問所(おがくもんじょ)

  • 御学問所(おがくもんじょ) 囲碁<br /><br />古くは大宝律令(701年)の中に囲碁に関する項目があり、奈良時代には盛んに打たれていたようで、正倉院に碁盤が収められています。<br />平安時代には貴族の嗜みとして好まれ、「源氏物語」「枕草子」などの文学作品にも、しばしば囲碁の描写が登場します。<br />

    御学問所(おがくもんじょ) 囲碁

    古くは大宝律令(701年)の中に囲碁に関する項目があり、奈良時代には盛んに打たれていたようで、正倉院に碁盤が収められています。
    平安時代には貴族の嗜みとして好まれ、「源氏物語」「枕草子」などの文学作品にも、しばしば囲碁の描写が登場します。

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />人形司 伊東久重<br /><br /><br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    人形司 伊東久重


  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />人形司 伊東久重<br /><br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    人形司 伊東久重

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />下段の間<br /><br />襖絵「岳陽楼図」 原 在照<br /><br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    下段の間

    襖絵「岳陽楼図」 原 在照

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />中断の間<br /><br />襖絵「蘭亭ノ図」 岸 岱<br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    中断の間

    襖絵「蘭亭ノ図」 岸 岱

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />上段の間<br /><br />襖絵「十八学士登瀛(とうえい)州図」 狩野 永岳<br /><br />座敷の一段高い所は、上畳式の玉座です。<br />

    御学問所(おがくもんじょ)

    上段の間

    襖絵「十八学士登瀛(とうえい)州図」 狩野 永岳

    座敷の一段高い所は、上畳式の玉座です。

  • 御学問所(おがくもんじょ)<br /><br />上段の間<br /><br />違棚

    御学問所(おがくもんじょ)

    上段の間

    違棚

  • 御池庭(おいけにわ)<br /><br />御学問所前から。<br /><br />

    御池庭(おいけにわ)

    御学問所前から。

  • 御池庭(おいけにわ)<br /><br />御学問所前から。

    御池庭(おいけにわ)

    御学問所前から。

  • 御内庭(ごないてい)<br /><br />御常御殿の東側にある庭園で、寝殿造り様の遣水形式を採り入れ、「流れの庭」とも。<br />

    御内庭(ごないてい)

    御常御殿の東側にある庭園で、寝殿造り様の遣水形式を採り入れ、「流れの庭」とも。

  • 御内庭(ごないてい)

    御内庭(ごないてい)

  • 御内庭(ごないてい)<br /><br />綺麗だった紅葉は、見事に色が飛んでしまいました(+_+)<br />

    御内庭(ごないてい)

    綺麗だった紅葉は、見事に色が飛んでしまいました(+_+)

  • 御内庭(ごないてい)

    御内庭(ごないてい)

  • 御内庭(ごないてい) <br /><br />地震殿<br /><br />その名の通り、いざという時の御避難所です。<br /><br /><br />

    御内庭(ごないてい) 

    地震殿

    その名の通り、いざという時の御避難所です。


  • 御涼所(おすずみしょ)<br /><br />京の夏の暑さをしのぐことを目的とした建物のため、随所に窓を設けるなど通風には格別の配慮ながされ、また東に「竜泉の庭」を設け池を造り、涼やかな木立や草花に涼を求められるよう工夫されている。<br /><br />今回の参拝コースでは最も北にある建物です。<br /><br />

    御涼所(おすずみしょ)

    京の夏の暑さをしのぐことを目的とした建物のため、随所に窓を設けるなど通風には格別の配慮ながされ、また東に「竜泉の庭」を設け池を造り、涼やかな木立や草花に涼を求められるよう工夫されている。

    今回の参拝コースでは最も北にある建物です。

  • 迎春(こうしゅん)<br /><br />孝明天皇の御書見の間として造営されたもので、棹縁(さおぶち)天井に檜皮葺き屋根、10畳と5畳半の2間に、群獣図、花鳥図があるのみのきわめて簡素な建物である。<br /><br />

    迎春(こうしゅん)

    孝明天皇の御書見の間として造営されたもので、棹縁(さおぶち)天井に檜皮葺き屋根、10畳と5畳半の2間に、群獣図、花鳥図があるのみのきわめて簡素な建物である。

  • 正面の廊下を挟んで、右手が迎春、左手が御常御殿<br /><br />

    正面の廊下を挟んで、右手が迎春、左手が御常御殿

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />御学問所の北に位置する御常御殿は御所の中で最も大きな御殿で、15部屋からなる。「常御所」とも呼ばれ、天皇の日常の御座所として用いられた。<br /><br />天皇の御座所として古くは仁寿殿を、その後清涼殿を常御所にあてられたが、清涼殿が儀式化し日常生活に供せられなくなるにともない、また時代の趨勢と建築技術の進歩により、豊臣秀吉の行った天正の造営を機に、御常御殿は平安の様相を脱皮し、別棟として建築されるに至った。<br /><br /><br />写真は御殿南側から撮影しました。<br />かなり大きな建物なのと、参拝コースの関係で建物の全体を撮影するのが困難で、これくらいしか残っていませんでした。<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    御学問所の北に位置する御常御殿は御所の中で最も大きな御殿で、15部屋からなる。「常御所」とも呼ばれ、天皇の日常の御座所として用いられた。

    天皇の御座所として古くは仁寿殿を、その後清涼殿を常御所にあてられたが、清涼殿が儀式化し日常生活に供せられなくなるにともない、また時代の趨勢と建築技術の進歩により、豊臣秀吉の行った天正の造営を機に、御常御殿は平安の様相を脱皮し、別棟として建築されるに至った。


    写真は御殿南側から撮影しました。
    かなり大きな建物なのと、参拝コースの関係で建物の全体を撮影するのが困難で、これくらいしか残っていませんでした。

  • 御常御殿(おつねごでん) <br /><br />東御縁座敷(北側から南方向を)<br /><br /><br />

    御常御殿(おつねごでん)

    東御縁座敷(北側から南方向を)


  • 御常御殿(おつねごでん) <br /><br />東御縁座敷(北側から南西方向を)<br /><br />

    御常御殿(おつねごでん) 

    東御縁座敷(北側から南西方向を)

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />東御縁座敷(北側から西方向を)<br /><br />

    御常御殿(おつねごでん)

    東御縁座敷(北側から西方向を)

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />東御縁座敷<br /><br />杉戸 中央北面<br /><br />「蹴鞠」 岡本 亮彦<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    東御縁座敷

    杉戸 中央北面

    「蹴鞠」 岡本 亮彦

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />東御縁座敷<br /><br />杉戸 中央南面<br /><br />「曲水(宴)」 岡本 亮彦<br /><br />

    御常御殿(おつねごでん)

    東御縁座敷

    杉戸 中央南面

    「曲水(宴)」 岡本 亮彦

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />東御縁座敷<br /><br />杉戸 南側<br /><br />「陵王納曽利(りょうおうなそり)」 原 在照<br /><br />

    御常御殿(おつねごでん)

    東御縁座敷

    杉戸 南側

    「陵王納曽利(りょうおうなそり)」 原 在照

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷<br /><br />「壺庭」<br /><br />南に面した庭で、紅梅、白梅が植されています。<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

    「壺庭」

    南に面した庭で、紅梅、白梅が植されています。

  • 紅梅、白梅

    紅梅、白梅

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷<br /><br />御常御殿南列には上段の間、中段の間、下段の間があり、この3室では天杯の下賜、吉書初、摂家参賀などの公式行事が行われた。<br /><br />各部屋には襖を用いず、段違いの無目敷居で仕切っている。<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

    御常御殿南列には上段の間、中段の間、下段の間があり、この3室では天杯の下賜、吉書初、摂家参賀などの公式行事が行われた。

    各部屋には襖を用いず、段違いの無目敷居で仕切っている。

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷<br /><br />上段の間 襖絵<br /><br />「尭任賢図治図(ぎょうにんけんとちず)」 狩野 永岳<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

    上段の間 襖絵

    「尭任賢図治図(ぎょうにんけんとちず)」 狩野 永岳

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷<br /><br />中段の間 襖絵<br /><br />「大兎戒酒防微図(たいうかいしゅぼうびず)」 鶴沢 探真<br />

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

    中段の間 襖絵

    「大兎戒酒防微図(たいうかいしゅぼうびず)」 鶴沢 探真

  • 御常御殿(おつねごでん)<br /><br />南御縁座敷<br /><br />下段の間 襖絵<br /><br />「高宗夢来良弼図(こうそうむらいりょうひつず)」 座田 重就<br /><br />

    御常御殿(おつねごでん)

    南御縁座敷

    下段の間 襖絵

    「高宗夢来良弼図(こうそうむらいりょうひつず)」 座田 重就

  • 御三間(左)と御常御殿(右)<br /><br /><br /><br />

    御三間(左)と御常御殿(右)



  • 御三間(おみま)<br /><br />御常御殿の南西に接して御三間がある。<br />上段、中段、下段の三室からなる建物で、南と西には御縁座敷がある。<br /><br />御三間では茅輪(ちのわ)、御玄猪の儀式の後に杯を賜わったり、七夕、盂蘭盆(うらぼん)などの儀式が執り行われたほか、内々の御対面にも用いられたようである。<br /><br />また現存しないが、かつて御三間の西側には能舞台があり、御能の際には出御されてここから御覧になられたこともあった。<br />

    御三間(おみま)

    御常御殿の南西に接して御三間がある。
    上段、中段、下段の三室からなる建物で、南と西には御縁座敷がある。

    御三間では茅輪(ちのわ)、御玄猪の儀式の後に杯を賜わったり、七夕、盂蘭盆(うらぼん)などの儀式が執り行われたほか、内々の御対面にも用いられたようである。

    また現存しないが、かつて御三間の西側には能舞台があり、御能の際には出御されてここから御覧になられたこともあった。

  • 御三間(おみま)<br />

    御三間(おみま)

  • 御三間(おみま)<br /><br />上段の間 襖絵<br /><br />「朝賀図」 住吉 弘貫<br /><br /><br />

    御三間(おみま)

    上段の間 襖絵

    「朝賀図」 住吉 弘貫


  • 御三間(おみま)<br /><br />中段の間 襖絵<br /><br />「賀茂祭群参図」 駒井 孝礼<br /><br />

    御三間(おみま)

    中段の間 襖絵

    「賀茂祭群参図」 駒井 孝礼

  • 御三間(おみま)<br /><br />中段の間 襖絵<br /><br />牛車<br /><br />

    御三間(おみま)

    中段の間 襖絵

    牛車

  • 御三間(おみま)<br /><br />下段の間 襖絵<br /><br />「駒引図」 岸 誠<br />

    御三間(おみま)

    下段の間 襖絵

    「駒引図」 岸 誠

  • 御三間(おみま)<br /><br />襖絵<br /><br />作品名、作者不明<br />

    御三間(おみま)

    襖絵

    作品名、作者不明

  • 拝観を終えて<br /><br />最後に周りの建物や木などを撮ったのですが、どの建物なのか分からなくなりました。<br /><br />この写真は御常御殿を撮影したものだと思うのですが、どの位置からどう撮ったらこの角度で屋根が映ったのか不明です。<br />

    拝観を終えて

    最後に周りの建物や木などを撮ったのですが、どの建物なのか分からなくなりました。

    この写真は御常御殿を撮影したものだと思うのですが、どの位置からどう撮ったらこの角度で屋根が映ったのか不明です。

  • 拝観を終えて<br /><br />懸魚(けぎょ)の造りが違いますね。<br />正面の建物はおそらく御三間で、奥の建物は御常御殿だと思います。<br /><br /><br />○懸魚(けぎょ)<br />屋根の妻の部分に垂れ下げた飾りで、もともとは火災除けとして飾られていた。古くは掛魚と書き、水を連想する魚を破風に掛けることに由来するという。また、棟木や桁の先端を隠す目的ともいう。<br />

    拝観を終えて

    懸魚(けぎょ)の造りが違いますね。
    正面の建物はおそらく御三間で、奥の建物は御常御殿だと思います。


    ○懸魚(けぎょ)
    屋根の妻の部分に垂れ下げた飾りで、もともとは火災除けとして飾られていた。古くは掛魚と書き、水を連想する魚を破風に掛けることに由来するという。また、棟木や桁の先端を隠す目的ともいう。

  • 拝観を終えて<br /><br />この懸魚の形、木の影の向き、人がいないことから推測すると、この建物は「御学問所」に違いありません。<br />

    拝観を終えて

    この懸魚の形、木の影の向き、人がいないことから推測すると、この建物は「御学問所」に違いありません。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • etukoさん 2008/11/21 13:50:10
    こんにちは
    京都御所はバスツアーで一般公開に行きました。
    本当に歴史を感じる良い場所ですね。
    大勢の人で予定していた時刻に動けなくって日付が変わって帰宅しました。
    バスの添乗員さんも「今まで何度も行ったがこれほど遅くなった事は無い」
    との事でした。
    懐かしい記憶が蘇りました。

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2008/11/21 14:50:23
    RE: こんにちは

    etukoさん、こんにちは〜。

    メッセージありがとうございます<(_ _)>

    御所建築の拝観は今回が初めてでしたが、素晴らしいですね〜。
    優雅で、日本文化の結晶という感じの落ち着いた御所でした。

    年に2度、1週間の期間限定公開なので、すごくたくさんの人が来ますね〜。
    私は朝早くから行ったので、比較的空いていましたが、帰り際(おひるくらい)に拝観口をチラッと見たら長い列ができていました。

    機会があれば春の公開にも行ってみたいです。

    では、今後ともよろしくお願いいたします。


  • @とらじろうさん 2008/11/21 11:29:09
    美しい!

     こんにちは、みにくまさま


     良い季節の「京都御所」を拝見し、美しさに感動しました。

     お天気も快晴のようですね!

     詳しい解説を参考にしながら拝見しました。

     自分もその場にいるような錯覚をおぼえました。

     ありがとうございました。


                      @とらじろう

    みにくま

    みにくまさん からの返信 2008/11/21 14:39:29
    RE: 美しい!

    @とらじろうさん、こんにちは〜。

    この日はとても天気が良くて、綺麗な空が撮れて大満足でした(*^_^*)
    ・・天気が良かったので出かけた、という順番ですがw

    御所建築の拝観をするのは、私は初めてなので、知らない言葉、独特な読み方など、勉強することがとても多かったです。

    ガイドブック並みの情報量を持たせようと思って、いろいろ調べて一生懸命書いてみました(^_^;)
    もう少し肉付けして、もっといい旅行記に仕上げようと思っています。

    では、今後ともよろしくお願いいたします。

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