2008/10/18 - 2008/10/28
24位(同エリア153件中)
ダイサクさん
「ペシャワールにて」を読了した。医師中村哲がパキスタンの西北部にて行うらい病治療活動を軸に、戦争、宗教、難民、麻薬、報復などが当たり前に存在するパキスタン、アフガニスタンの地で生きる人間たちを描いた本だ。日本でもペシャワールの会の現地スタッフが今夏にアフガニスタンで殺されたのは記憶に新しい。 昨日は昼の2時にシリア第二の都市、アレッポに着いた。暖かい乗務員、運転手と別れの挨拶をしているとTaxiの客引き2人がバス内に入ってきて、タクシータクシーと誘ってくる。メーターで行くということでついていく。 車内で談笑してから写真を撮っていいかとカメラをかまえると、2人とも顔を手でふせる。ん?写真撮られるの嫌なのかな〜と思っていると車が安宿街付近で止まる。5分程走っただけなのにも関わらず車のメーターはなんと752シリアポンドになっていて、“やられた”と思う。運転手と客引きが軽い罪悪感を感じてそうながらもメーターを指差し、お金を要求する。仕方がないので、500シリアポンドに負けさせて払った。鼻から騙そうとしてくる人が多いインド人客引きと違って、心優しきシリア人たちばかりに会っていた為、ちょっぴりシリア人不信になってしまった。
その後安宿にチェックイン。エチオピアで買ったシャンプーの残りで髪を洗ってスークヘ。スークはとても楽しく、約1km歩いてから現れたアレッポ城を登る。地元の青年5人くらいがついてきて携帯写メで記念撮影に応じる。ここでは映画の撮影が行われており、その関係か上空にはシリア軍のヘリコプターが絶え間無く旋回していた。アレッポ城を満喫した後はモスクへ行ってぼんやりと過ごしてから、アレッポ石鹸を見てまわる。様々な価格帯のなか、比較的良さそうなものを一度にまとめて購入。合計9個+4個で1200シリアポンドを1000シリアポンドにまけてもらった。夜も更けてきて大きな月が空に上がる頃に再び宿への道を歩く。青果市場や石鹸街、街を行き交う人々の群れ、ところどころで交通規制をする警官、闊歩して歩く軍人たち。この街はどことなくインドに雰囲気が似ている。ゴミ拾いで生活するストリートチルドレンの横を通り抜け、市場でバナナ6ふさを50シリアポンドで購入し、市場のおっちゃんにみかんをもらう。そのあと街の食堂でチキンの丸焼きハーフとサラダ等を食べ、アラビアのロレンスやリンドバーグが泊まったバロンホテルのバーに行こうかと思ったが(最初はこのホテルに泊まろうと思っていたが、部屋を見せてもらい、まあバーだけ行けばいいかということで安宿に泊まったのだ)、冒頭の本を読んでいるうちに熱中してしまい結局は一日で読了してしまった。安宿にはビールもあったので飲もうかと思っていたが、なんとなく飲む気分にはなれずに眠った。ビールを飲んで楽しそうにしゃべる欧米人の声を聞きながら、一方では禁酒を守り続けるイスラム教の人がいる。自然とイスラム教徒の敬虔さを感じてしまった。一日に五回も礼拝する姿も脳裏に残っているのだろう。
今朝は8時30分に起きて昨夜買ったバナナを食べながら荷物を背負い街にでる。乗り合いタクシーでパルミラ行きの起点になるハマまで行く。車中仲良くなったシリア人カップルの美男子と談笑。車から降りる際にたどたどしい英語で、「僕たちは友達になった。何か困ったことあったら連絡してくれ。」と携帯番号を教えてくれる。特に電話もしないだろうからお礼を言ってことわる。これからパルミラ行きバスが出るターミナルへ行くんだ、と別れ際に言うと近くにいたタクシーを捕まえてくれ、運転手に50シリアポンドを渡して行き先を伝えてくれる。びっくりしていると、笑顔で『Welcome to SYRIA』と言ってくれる。心が暖まった。写真をと思ったが、僕の持っているたいそう高価そうなカメラを出すのが憚られ、お礼を言って別れる。
今はそのバスターミナルから出ているバスの中だ。シリアは一部のタクシーなどを除いて、本当に親切な人が多い。これもイスラム教の教えによるものも多いのだろう。イスラムの世界には、旅行者をもてなすようにという教えがあるそうだ。『東方からの客が我らを助ける』という考えもあるみたいで、その中でも車や家電に代表される日本の技術力への尊敬、彼らが敵としている英米を相手に第二次世界大戦を戦ったこと、そしてヒロシマナガサキという悲劇への同情なども影響しているのだろう。湾岸戦争やイラク戦争で英米の軍事行動を助けたときには日本に対して失望が広がったみたいである。僕は英米が嫌いなわけではないし、いかに愚行なイラク戦争をしようともそれに反対する言論の自由が認められているところはやはり良いところだと思う。ただ、英米がやったイラク戦争やアフガン戦争などは彼らの旗印である自由と民主主義を押し付ける十字軍的な側面を帯びていたのではないだろうか。彼らの掲げる自由と民主主義とはなんだろうか。米にテロ支援国家と指定されているこのシリアの人々が、イメージとは掛け離れたくらい、優しく、のんびりとした人達であるということを肌で実感して、改めて私達が得る情報というのがある側面から捉えたもので、その情報を頭から信じてしまうことの危険性を感じた。意識していなくても日々のニュースや新聞で知らず知らず僕たちの頭の中にはいろいろなイメージが出来上がってしまう。 それを振りほどくには、カッコタル手応えを自分の中で得るためには、自らの目で見て感じていくしかないのだと思う。
(パルミラ行の便10.21.1500)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 航空会社
- エミレーツ航空
-
心暖まる気持ちを抱きながらパルミラへと。
道中の景色が2年前に旅したサハラを思い出させる。
(パルミラへの道中) -
安宿に荷物だけ預けて夜にダマスカスへ帰ろうか迷ったものの、とりあえずチェックイン。鬼値切りで800シリアポンドを300シリアポンドにするのも忘れない。
(パルミラ遺跡にて) -
前評判とは異なり、その重厚な雰囲気が胸をドキドキさせる。マッドピンクの空がそうさせるのかな。
(パルミラ遺跡にて) -
だいぶ遅めの夏休み。実はシリアへは8月16日から行く予定でした。
(パルミラ遺跡にて) -
大きな仕事を抱えていて、それを万全にやり終えてから“スッキリ”して行きたいっ!ってことで3日前にキャンセルしたのです。
(パルミラ遺跡にて) -
その後の9月は朝から晩までフルに働き、ようやくこの地に辿りついたのです。
(パルミラ遺跡にて) -
パルミラ遺跡は感じる人と感じない人で分かれそうですね。
(パルミラ遺跡にて) -
遺跡派ではない僕でも、胸をドキドキさせ、唾を時折飲み込み歩いていました。
(パルミラ遺跡にて) -
やっぱり、“生”で見ないと。
(パルミラ遺跡にて) -
その眼がまだ見えるうちに、その足がまだ歩けるうちに。
(パルミラ遺跡にて) -
太陽さん、いつもありがとう。
青空の下のパルミラは次回の楽しみに。
(パルミラ遺跡にて) -
本で見て想像すること、目の前で感じて想像すること。
(パルミラ遺跡にて) -
静寂のパルミラを眺める。
想像をする。1世紀〜2世紀半に建立という。
(パルミラ遺跡にて) -
空を旋回するヘリコプターがそのひと時を打ち破る。
撮っちゃいけないんだけど、仕方がない^^
(パルミラ遺跡にて) -
ベル神殿の奥にゲストハウスがある。そこの屋上のさらに7メートルくらいの壁の上。ムハマンドとともに。
(パルミラ遺跡にて) -
パルミラをバックに。
写真を貸してくれって言われて渡したら、パシャパシャッと。
(パルミラ遺跡をバックに) -
せっかくだからポーズを変えて。
“もう一枚撮ってくれない?”無言でパシャパシャっと。
(パルミラ遺跡をバックに) -
お金も請求されることなく、笑顔でムハンマドと別れる。その気持ちが嬉しく、軽い足取りで広い遺跡をゆっくり見て回る。
(パルミラ遺跡にて) -
この遺跡を目の前にして、改めて思う。
“来て良かった・・・。”
(パルミラ遺跡にて) -
実は9月の大仕事が終わったとき、シリアとヨルダンの他にも行き先候補がいくつかあったのです。
(パルミラ遺跡にて) -
一つ目は“ジョン、実生さん、子どもたちと自転車で旅するインド10日間”
残念ながら、これは彼らの出発が11月になってしまったため断念。
(パルミラ遺跡にて) -
二つ目は“プーケットでサーフィン&スキューバダイビング、アンコールワット遺跡10日間”
でも、これらは3、4日あれば行けるじゃんってことでお預けに。
(パルミラ遺跡にて) -
三つ目は“ゴールドコーストでサーフィン留学10日間”。
海に行きたかったのだが、ヨルダンで死海、紅海行けるじゃん、そっちのがぜんぜんいいでしょってことでボツに。
(パルミラ遺跡にて) -
しかし、さらに問題が一つ。シリアのビザで直前まで行けるかわからなかったのです。
(パルミラ遺跡にて) -
8月に取得した際に出した在職証明書(英文)の旅行期間が8月であった為に、それがひっかからないかって。
(パルミラ遺跡にて) -
なんとか8月取得ビザの有効がシリア出発4日前にわかったのです。(むろんビザ自体は取得から3ヶ月有効)
(パルミラ遺跡にて) -
こうして、紆余曲折を経て辿りついたこの大地。
そこで感じたこの圧倒的で、ちょっぴり寂しい遺跡群。
(夕暮れ時のパルミラ遺跡にて) -
“間違ってなかったわ”って。
(パルミラ遺跡にて) -
この山のてっぺんがアラブ城。夜、綺麗にライトアップされているのをバスの中から眺める。
(パルミラ遺跡横のアラブ城) -
そう、この後宿に帰ったのが18時30分。
宿にいた日本人パッカー3人組と話しながらも、そそくさと荷物をまとめチェックアウト。びっくりする宿の従業員。チャイを煎れてくれながら、中田英寿さんがパルミラを訪れたときの写真を見せてくれる。もちろん彼は一番高級なホテルに泊まったそうですが。
夜19時、バスステーションへ。出発しかけたバスを止め、チケットを買い、乗り込む。待っていてくれた運転手と乗客には「シュクラン(ありがとう)」を。
目的地はダマスカス。 -
夜22時過ぎにダマスカスに着く。
ORIENT HOTELへ行き荷物を置き、スークへ。
見たいものがあったのだ。
(スーク横のウヤマド・モスクにて) -
夜の22時を過ぎると人気は少ない。
でも、治安はとっても良かった。
(スーク横のウヤマド・モスクにて) -
今日はシリア最後の夜。
晩御飯は豪勢にいこう。
行きたかったレストランに行こう。
(エル・アズ・レストランにて) -
夜の22時過ぎからこうしたショーが始まるのです。
(エル・アズ・レストランにて) -
仲良くなった給仕。
君は中国人か、日本人か?と聞かれ、日本人ですと言うと、『ようこそシリアへ。日本はいい。欧米人はこれだ(首をかっきるポーズ)中国人はこれだ(フォークを折るマネ)。ワッハッハ』
(エル・アズ・レストランにて) -
チャイを何杯も入れてもらう。
美味しかった。傍にあの給仕たちがいたおかげです。
(エル・アズ・レストランにて) -
「ごちそうさまでした。さようなら〜」
「おう、ありがとう。さようなら」
(エル・アズ・レストランにて)
明日はイスラエルに爆撃された町、そしてアルメニア人と夜の国境越え(“袖の下”初体験)。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- こんぱすさん 2009/01/05 12:49:07
- 旅行記について
- 当方は入会したばかりです
貴方のブログは数少ない旅行記主体のものと思いますが、このようなスタイルのものも多くあるのが良いと思っています。 今後もがんばってください。
- ダイサクさん からの返信 2009/01/06 01:06:23
- RE: 旅行記について
- こんぱすさん
はじめまして。
書き込みありがとうございます。
> 貴方のブログは数少ない旅行記主体のものと思いますが、このようなスタイルのものも多くあるのが良いと思っています。 今後もがんばってください。
ありがとうございます。
旅行記ってすごく読み応えありますよね。
僕も、そんな旅行記になれればって思いながら、自分の思い出の記憶の為にも海外に行ったときのことは詳細に残そうと努めています。
更新が滞りがちですが、そのうち更新しますので、またお暇なときがありましたら見てやってください。
ではでは、失礼いたします。
ダイサク
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