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アカバにきている。国際的なリゾート都市になったみたいで、隣国はサウジアラビア、イスラエル、エジプトからそしてもちろんヨルダンから家族連れがリフレッシュしに来ている。 今は、23日(木)22時45分。Jordan Flower Hotel に泊まっている。ちょうど週末に近く部屋がなかなか空いていなく、料金も歩き方に書いてある2倍の12JD、日本円で2000円程だ。<br />  ここ、アカバはヨルダンが唯一海に面している場所、紅海というダイビングで世界的にも有名な場所につながるところだ。残念ながら日程上の問題とダイビングライセンスを持っていないことから、明日はシュノーケルをやろうかなと思っている。そうそう、これを書く前まで、ヨルダンに入国するまでは移動の連続だった。疲れたなぁ。家族にまったく連絡してないし。たぶん心配してるんだろうな。近いうちに連絡しよう。<br />  21(火)はパルミラを見てきた。シリアと言えばパルミラは外せないということで、あまり期待はしていなかったものの結構良かった!アレッポからハマへセルビス(乗り合いバス)で行き、そっからバスでパルミラまで約5時間!着いたときは昼の15時を回ってて、パルミラは18時まで開いているようだからさっそく宿を半額の350シリアポンドで値切って荷物を起きパルミラへ。<br />  大統領広場から10分程歩いて広い遺跡群を散策。ここでもアレッポ城同様、上空をシリア軍のヘリコプターが絶え間無く巡回していた。英米の観光客らにシリアの力をアピールしてるのかのようにずっと巡回していた。。だからパルミラ遺跡と一緒にヘリコプターも写真に撮りました〜!これシリア人に見せたら複雑な表情してたけど…。ベル神殿の奥にゲストハウスがあって、誰も泊まってないけど、子供たちが屋根に乗っかって特等席からパルミラを眺めていた。もちろんまぜてもらう。屋根から6メートルくらいの立て掛けてあるだけの木のハシゴを登る。これが少々スリルあります!そっからパルミラを一望。今回の旅は一人だしイスラムで社会主義国というのもありあまり写真を撮っていないが、そこにいた23歳のちょい悪そうなムハマドが勝手に写真を撮ってくれた!ありがとう。 でも一眼レフは嵩張るし、気軽に写真取りづらいところがあるよなぁ。 ムハマドはちょっとヤンキーぽかったが、特にお金も請求されずに、されないように仲良くなって無事にバイバイ。欧米のツアー客がわんさか来ていただけあって、パルミラは生で見れて良かった。あぁこれが1800年間ここに在り続けたんだなって。途方もないけど、そもそもダマスカス自体が世界史の教科書の最初の方のページで記載されるほどの、つまり紀元前2000年前からアラビア半島、メソポタミア、地中海の交易中継地として栄えていた最古の都市の一つなんだなって。その悠久さは中東ならではで、インドとはまた異なった感慨を抱かせる。まあ、なによりもシリアの良さは、『人』にあるんだけど。 <br />  そんなパルミラを見回って17時30くらいに宿へ戻る。生憎天気は悪く、サンセットのパルミラを見れなかったが一泊するほどではないと感じ、さっと荷物をまとめてダマスカス行のバスステーションへ。と、ちょうど18時発のバスが動き出したところで、発車を待ってもらい、チケットをすばやく購入&乗車。乗車した際に乗客みんなにアラビア語でシュクラン(ありがとう)を連呼。みんな笑顔で大丈夫だよ〜って返してくれた。そんなこんなのハードスケジュールでダマスカスへ。そうそう、パルミラには中田英寿さんも泊まったみたいで、宿のノートにはサインがあるらしい。Byアレッポの情報ノート そして宿のムハマド(みんなこの名前だよね。ミドルネームかな。)が中田さんの写真を見せてくれる。たしかに髪を伸ばした中田さんがいたが、ムハマドが『彼はこの宿に泊まったんだ』とぬかすので、居合わせた日本人パッカー三人組と、中田がこんなぼろいとこにとまるわけねーじゃんと言って笑って聞いていた。そしてわずか2時間の滞在でダマスカスへと戻った僕を、ムハマドとそのとりまきシリア人たちは唖然として見つめていたとさ。<br />  バスは砂漠のなかを進む。夜空には星が輝いているが、つまらなそうなアラブ映画を大音量で流しているのであまり綺麗に見えない。じゃあiPodで音楽でも聞くかと、耳にしてから何曲目かにMr.Childrenの『ひびき』が流れてきた。これはSingleB面だったので長年のミスチル好きとしては初めて聞いたのだが、歌詞とメロディが心に響いた!<br />  <見つからなかった探しものはポケットに入っていたと 幸せなんてそんなもんでしょ 幸せなんかそこらへんにいっぱい落ちているから欲張らずにひろっていこう> <br />  そうだよね。今が幸せなんじゃんって。欲張るのはやめようって。ふと一ヶ月前の激務が思い出される。時間がたつのは早いなって改めて感じる。 ダマスカスへ着いたのは夜21時過ぎ。オリエントホテルに荷物を置いて、夜の旧市街へ。<br />  スークも閉まってる店が多く、片付けに励む人たちとともに静かな空気が流れている。ここで夜にライトアップされたウヤマドモスクを眺め、行きたかったAl-Ezzレストランへ。ここは22時過ぎから生バンドの演奏&踊りが始まり、コースのアラビア料理が美味しいため、いつもこの時間には観光客や地元の人で満席になるみたい。あまりバックパッカーの身なりの人はいないみたいでちょいと食べづらそうな雰囲気だったが、この日がシリア最後の夜、次の日からはヨルダンじゃんということで突入。強面マスターが『コース料理は750シリアポンドだ。』と言う。アラブ料理の多さを警戒し『こんばんは。調子はどうですか?500シリアポンドで作ってもらうことはできますか?』とアラビア語で聞く。『だめだ。コースは2つしかない』と言う。腹を指差し、『腹が小さいからそんなには食べれないんだ。お願いします。』と言うと、『君はアラビア語しゃべれるのか?欧米人はいつだって、ハウマッチ、サンキューばかりだ。君は中国人か?日本人か?』『日本です。』と言うと、『ようこそシリアへ。日本はいい。欧米人はこれだ(首をかっきるポーズ)中国人はこれだ(フォークを折るマネ)。ワッハッハ』ということで、アラビア語で話したのと日本人っていうことで(?)マスターに気に入られ500シリアポンドで作ってくれることになった。奥の方でやりとりを見ていたサウジアラビアの大家族のパパが、『日本グッド!!』と満面の笑顔で言ってくる、彼が指差す方を見ると、そこにはサウジアラビアの王室関係者?(もっと高級なとこいくかな?)が来たときの写真が壁に飾ってあった。そのあとは大盛のご飯と対決。食べても食べても減らなく困っていたら、歩き方いわく『アラブ人は食べ切れないほどのご飯をだすのがおもてなしだ』というようなことが書いてあったので残した。その後チャイを3杯飲み、強面マスターとしゃべって23時30分に宿へ戻った。ダマスカスの夜景は非常に綺麗で、深夜でもけっこう人が出歩いていて、雰囲気もいたって平和だ。ちょっとのアラビア語を話すだけで相手の応対は変わってくる。郷に入りては郷に従え、だ。(アカバにて 10.23.2335)

“きなくさい中東”の心優しき人々(4)

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2008/10/18 - 2008/10/28

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ダイサク

ダイサクさん

アカバにきている。国際的なリゾート都市になったみたいで、隣国はサウジアラビア、イスラエル、エジプトからそしてもちろんヨルダンから家族連れがリフレッシュしに来ている。 今は、23日(木)22時45分。Jordan Flower Hotel に泊まっている。ちょうど週末に近く部屋がなかなか空いていなく、料金も歩き方に書いてある2倍の12JD、日本円で2000円程だ。
ここ、アカバはヨルダンが唯一海に面している場所、紅海というダイビングで世界的にも有名な場所につながるところだ。残念ながら日程上の問題とダイビングライセンスを持っていないことから、明日はシュノーケルをやろうかなと思っている。そうそう、これを書く前まで、ヨルダンに入国するまでは移動の連続だった。疲れたなぁ。家族にまったく連絡してないし。たぶん心配してるんだろうな。近いうちに連絡しよう。
21(火)はパルミラを見てきた。シリアと言えばパルミラは外せないということで、あまり期待はしていなかったものの結構良かった!アレッポからハマへセルビス(乗り合いバス)で行き、そっからバスでパルミラまで約5時間!着いたときは昼の15時を回ってて、パルミラは18時まで開いているようだからさっそく宿を半額の350シリアポンドで値切って荷物を起きパルミラへ。
大統領広場から10分程歩いて広い遺跡群を散策。ここでもアレッポ城同様、上空をシリア軍のヘリコプターが絶え間無く巡回していた。英米の観光客らにシリアの力をアピールしてるのかのようにずっと巡回していた。。だからパルミラ遺跡と一緒にヘリコプターも写真に撮りました〜!これシリア人に見せたら複雑な表情してたけど…。ベル神殿の奥にゲストハウスがあって、誰も泊まってないけど、子供たちが屋根に乗っかって特等席からパルミラを眺めていた。もちろんまぜてもらう。屋根から6メートルくらいの立て掛けてあるだけの木のハシゴを登る。これが少々スリルあります!そっからパルミラを一望。今回の旅は一人だしイスラムで社会主義国というのもありあまり写真を撮っていないが、そこにいた23歳のちょい悪そうなムハマドが勝手に写真を撮ってくれた!ありがとう。 でも一眼レフは嵩張るし、気軽に写真取りづらいところがあるよなぁ。 ムハマドはちょっとヤンキーぽかったが、特にお金も請求されずに、されないように仲良くなって無事にバイバイ。欧米のツアー客がわんさか来ていただけあって、パルミラは生で見れて良かった。あぁこれが1800年間ここに在り続けたんだなって。途方もないけど、そもそもダマスカス自体が世界史の教科書の最初の方のページで記載されるほどの、つまり紀元前2000年前からアラビア半島、メソポタミア、地中海の交易中継地として栄えていた最古の都市の一つなんだなって。その悠久さは中東ならではで、インドとはまた異なった感慨を抱かせる。まあ、なによりもシリアの良さは、『人』にあるんだけど。
そんなパルミラを見回って17時30くらいに宿へ戻る。生憎天気は悪く、サンセットのパルミラを見れなかったが一泊するほどではないと感じ、さっと荷物をまとめてダマスカス行のバスステーションへ。と、ちょうど18時発のバスが動き出したところで、発車を待ってもらい、チケットをすばやく購入&乗車。乗車した際に乗客みんなにアラビア語でシュクラン(ありがとう)を連呼。みんな笑顔で大丈夫だよ〜って返してくれた。そんなこんなのハードスケジュールでダマスカスへ。そうそう、パルミラには中田英寿さんも泊まったみたいで、宿のノートにはサインがあるらしい。Byアレッポの情報ノート そして宿のムハマド(みんなこの名前だよね。ミドルネームかな。)が中田さんの写真を見せてくれる。たしかに髪を伸ばした中田さんがいたが、ムハマドが『彼はこの宿に泊まったんだ』とぬかすので、居合わせた日本人パッカー三人組と、中田がこんなぼろいとこにとまるわけねーじゃんと言って笑って聞いていた。そしてわずか2時間の滞在でダマスカスへと戻った僕を、ムハマドとそのとりまきシリア人たちは唖然として見つめていたとさ。
バスは砂漠のなかを進む。夜空には星が輝いているが、つまらなそうなアラブ映画を大音量で流しているのであまり綺麗に見えない。じゃあiPodで音楽でも聞くかと、耳にしてから何曲目かにMr.Childrenの『ひびき』が流れてきた。これはSingleB面だったので長年のミスチル好きとしては初めて聞いたのだが、歌詞とメロディが心に響いた!
<見つからなかった探しものはポケットに入っていたと 幸せなんてそんなもんでしょ 幸せなんかそこらへんにいっぱい落ちているから欲張らずにひろっていこう>
そうだよね。今が幸せなんじゃんって。欲張るのはやめようって。ふと一ヶ月前の激務が思い出される。時間がたつのは早いなって改めて感じる。 ダマスカスへ着いたのは夜21時過ぎ。オリエントホテルに荷物を置いて、夜の旧市街へ。
スークも閉まってる店が多く、片付けに励む人たちとともに静かな空気が流れている。ここで夜にライトアップされたウヤマドモスクを眺め、行きたかったAl-Ezzレストランへ。ここは22時過ぎから生バンドの演奏&踊りが始まり、コースのアラビア料理が美味しいため、いつもこの時間には観光客や地元の人で満席になるみたい。あまりバックパッカーの身なりの人はいないみたいでちょいと食べづらそうな雰囲気だったが、この日がシリア最後の夜、次の日からはヨルダンじゃんということで突入。強面マスターが『コース料理は750シリアポンドだ。』と言う。アラブ料理の多さを警戒し『こんばんは。調子はどうですか?500シリアポンドで作ってもらうことはできますか?』とアラビア語で聞く。『だめだ。コースは2つしかない』と言う。腹を指差し、『腹が小さいからそんなには食べれないんだ。お願いします。』と言うと、『君はアラビア語しゃべれるのか?欧米人はいつだって、ハウマッチ、サンキューばかりだ。君は中国人か?日本人か?』『日本です。』と言うと、『ようこそシリアへ。日本はいい。欧米人はこれだ(首をかっきるポーズ)中国人はこれだ(フォークを折るマネ)。ワッハッハ』ということで、アラビア語で話したのと日本人っていうことで(?)マスターに気に入られ500シリアポンドで作ってくれることになった。奥の方でやりとりを見ていたサウジアラビアの大家族のパパが、『日本グッド!!』と満面の笑顔で言ってくる、彼が指差す方を見ると、そこにはサウジアラビアの王室関係者?(もっと高級なとこいくかな?)が来たときの写真が壁に飾ってあった。そのあとは大盛のご飯と対決。食べても食べても減らなく困っていたら、歩き方いわく『アラブ人は食べ切れないほどのご飯をだすのがおもてなしだ』というようなことが書いてあったので残した。その後チャイを3杯飲み、強面マスターとしゃべって23時30分に宿へ戻った。ダマスカスの夜景は非常に綺麗で、深夜でもけっこう人が出歩いていて、雰囲気もいたって平和だ。ちょっとのアラビア語を話すだけで相手の応対は変わってくる。郷に入りては郷に従え、だ。(アカバにて 10.23.2335)

同行者
一人旅
航空会社
エミレーツ航空
  • 22日。朝起きてORIENT HOTELの屋上へ出てタバコを吸う。朝8時過ぎだったか。 タバコを吸っているとドミトリーから日本人が。ヒゲが柔和な顔を引き締めた目元が優しい男の人だ。このお方、ぺトラで再会することになる。彼は世界一周中のプロカメラマン。もう半年ほど旅をしながら写真を収めているという。彼がナイフでプラムをむき始める。 「一ついかがですか?」「いいんですか?ありがとうございます!」<br />おいしい!お互い相手に気を配りすぎず、気ままに話をしていると、日本人カップルがドミトリーから出てくる。 二人で世界一周中だという。彼らと、そして途中から加わった韓国の女の子とでゆったりとくつろぐ、シリアはダマスカスの朝。 いいよね。うんうん。旅にはこういった出会いがそれこそ無限にあるわけで。この広い世界の中で、こうして出会って語って、別れて、でもどこかで繋がっていたりして。<br /> 良い朝のスタートをきってから荷物をまとめチェックアウト。おうおう、今日はクネイトラに行こうと思っていたのだ。クネイトラーそこはイスラエルとの戦争を経てイスラエルに爆撃された町。1974年に爆撃されたまま修復することなくシリア側が公開している場所だ。(シリアはダマスカスにて)

    22日。朝起きてORIENT HOTELの屋上へ出てタバコを吸う。朝8時過ぎだったか。 タバコを吸っているとドミトリーから日本人が。ヒゲが柔和な顔を引き締めた目元が優しい男の人だ。このお方、ぺトラで再会することになる。彼は世界一周中のプロカメラマン。もう半年ほど旅をしながら写真を収めているという。彼がナイフでプラムをむき始める。 「一ついかがですか?」「いいんですか?ありがとうございます!」
    おいしい!お互い相手に気を配りすぎず、気ままに話をしていると、日本人カップルがドミトリーから出てくる。 二人で世界一周中だという。彼らと、そして途中から加わった韓国の女の子とでゆったりとくつろぐ、シリアはダマスカスの朝。 いいよね。うんうん。旅にはこういった出会いがそれこそ無限にあるわけで。この広い世界の中で、こうして出会って語って、別れて、でもどこかで繋がっていたりして。
     良い朝のスタートをきってから荷物をまとめチェックアウト。おうおう、今日はクネイトラに行こうと思っていたのだ。クネイトラーそこはイスラエルとの戦争を経てイスラエルに爆撃された町。1974年に爆撃されたまま修復することなくシリア側が公開している場所だ。(シリアはダマスカスにて)

  • ここシリア、そしてクネイトラへ行こうと思ったきっかけの遠因とも言うべきものか。それは、うちの会社の技術系同期と入社半年後の研修で話していたことがあるのかなって今ふと思った。彼は卒業旅行でシリアに行ったみたいで、僕は南米に行ってきたわけで話が盛り上がったのだ。それは研修の間のほんのちょっとの休憩時間だったけれど。「シリアの戦車に乗ってきたよ。本当にシリアは良かった。何よりも人々がとても親切で。戦争の跡地に行ったときの衝撃は忘れられないね。」<br /> それから2年後。彼が埋め込んだ時限爆弾が僕の心で破裂したのだろうか。そういったものがあったにせよ、なかったにせよ僕はクネイトラの紹介ページを「歩き方」で見て絶対に行ってこようと思った。テレビやニュースで時々目に、耳にするゴラン高原。そこは1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われた土地だ。それから40年のときを経て、今なお戦略上、資源上重要なこの土地を巡るイスラエルとシリアの確執は消えない。<br /> クネイトラは国連管理下におかれており、シリアの内務省の係員が無料で同行してくれるという。これは行かずにはいられない。生で見て、感じること。それが大事だと思う。同じ世界で生きている人間として、これからの時代を生き、いつの日か父親になるだろう自分にとって。(シリアはダマスカスにて)

    ここシリア、そしてクネイトラへ行こうと思ったきっかけの遠因とも言うべきものか。それは、うちの会社の技術系同期と入社半年後の研修で話していたことがあるのかなって今ふと思った。彼は卒業旅行でシリアに行ったみたいで、僕は南米に行ってきたわけで話が盛り上がったのだ。それは研修の間のほんのちょっとの休憩時間だったけれど。「シリアの戦車に乗ってきたよ。本当にシリアは良かった。何よりも人々がとても親切で。戦争の跡地に行ったときの衝撃は忘れられないね。」
     それから2年後。彼が埋め込んだ時限爆弾が僕の心で破裂したのだろうか。そういったものがあったにせよ、なかったにせよ僕はクネイトラの紹介ページを「歩き方」で見て絶対に行ってこようと思った。テレビやニュースで時々目に、耳にするゴラン高原。そこは1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われた土地だ。それから40年のときを経て、今なお戦略上、資源上重要なこの土地を巡るイスラエルとシリアの確執は消えない。
     クネイトラは国連管理下におかれており、シリアの内務省の係員が無料で同行してくれるという。これは行かずにはいられない。生で見て、感じること。それが大事だと思う。同じ世界で生きている人間として、これからの時代を生き、いつの日か父親になるだろう自分にとって。(シリアはダマスカスにて)

  •  宿を出て早速シリアの内務省へ。門の前では戦闘服に銃を抱えた若い兵士が立っている。挨拶をしてクネイトラに行きたい旨を話すと、「おうこっちに来い」と案内してくれる。そこは内務省から斜め先にある、入国管理局。中には人がいっぱいで、ここでパスポートを見せて少しして許可証発行。ってわけにはいかず・・・メモを書いてもらい「ここへ行けば許可証が手に入る」って言われてそこにタクシーで行く。そこへ行くと、「ここはシリア人専用で外国人の許可証は発行していない。外国人はここへ行けば大丈夫だ」ってメモを再び書かれる。もっちろんアラビア語。どう見ても読めない。地図を描いてもらうが道を迷う。おうおうおう、もう1時間くらい経っちゃってるぜ。うろうろ歩いていると、スーツを決めたかっこよいシリア人達が「どうした?困っているのか?」と寄ってくる。みんなとっても親切。彼らに教えられた道を行くと軍の施設みたいなところへ。そこに行くと暇をもてあましていたのか軍人達がわんさか寄ってくる。そのうちの1人に教えてもらい、高級住宅街っぽいところまで再びタクシーで。そこでようやく許可証ゲット!発行までは20、30分。<br /> その後再びスークへ。クネイトラの帰りはヨルダンに夜行で突破することに決めていたのだ。時間は有効に使おうって。ということで、お買い物タイム。友達に、家族に、自分に贈るお土産を物色。でも、あまり時間がなかったのもあり、シリアの国旗カラーの置時計と絵を買ってお腹を満たすことに。<br /> そして昼の14時過ぎ。バスステーションへ行き、そこからセルビスに乗って南下。一回バスターミナルで休憩した後、クネイトラに到着した。(ダマスカスはスークにて)

    宿を出て早速シリアの内務省へ。門の前では戦闘服に銃を抱えた若い兵士が立っている。挨拶をしてクネイトラに行きたい旨を話すと、「おうこっちに来い」と案内してくれる。そこは内務省から斜め先にある、入国管理局。中には人がいっぱいで、ここでパスポートを見せて少しして許可証発行。ってわけにはいかず・・・メモを書いてもらい「ここへ行けば許可証が手に入る」って言われてそこにタクシーで行く。そこへ行くと、「ここはシリア人専用で外国人の許可証は発行していない。外国人はここへ行けば大丈夫だ」ってメモを再び書かれる。もっちろんアラビア語。どう見ても読めない。地図を描いてもらうが道を迷う。おうおうおう、もう1時間くらい経っちゃってるぜ。うろうろ歩いていると、スーツを決めたかっこよいシリア人達が「どうした?困っているのか?」と寄ってくる。みんなとっても親切。彼らに教えられた道を行くと軍の施設みたいなところへ。そこに行くと暇をもてあましていたのか軍人達がわんさか寄ってくる。そのうちの1人に教えてもらい、高級住宅街っぽいところまで再びタクシーで。そこでようやく許可証ゲット!発行までは20、30分。
     その後再びスークへ。クネイトラの帰りはヨルダンに夜行で突破することに決めていたのだ。時間は有効に使おうって。ということで、お買い物タイム。友達に、家族に、自分に贈るお土産を物色。でも、あまり時間がなかったのもあり、シリアの国旗カラーの置時計と絵を買ってお腹を満たすことに。
     そして昼の14時過ぎ。バスステーションへ行き、そこからセルビスに乗って南下。一回バスターミナルで休憩した後、クネイトラに到着した。(ダマスカスはスークにて)

  • イスラエルに爆撃された町、クネイトラ。「UN」の文字を描いた車、そして文字が描かれたお馴染みブルーのベレー帽を被った人たちが目に入る。初めて目の当たりにする国連管理下の空気。それこそ今世界には多くの紛争地域があって、そこでも「UN」の活動が行われていることだろう。「UN」の活動自体は素晴らしい面もありながら、それも常任理事国の米英仏露中の拒否権でその活動が左右されるという面が示すとおりとても政治性の高いものでもあって、昔抱いていた万能機能を果たすイメージも今は少なからず低下している。だいたい、この五々国が常任理事国ってところがおかしいしね。でも、こうして現地で活動している人たちの重要性は否定できないものだと思った。<br /> というような話はおいておいて、クネイトラの町から再びセルビスに乗り換える。そして走る。人気がなくなってくる。時刻は夕方に差し迫ろうとしている。<br />ゲートらしきところにつく頃にはセルビス内は僕独りになっていた。そしてゲートのところにいる兵士。彼がセルビスに入ってくる。運転手と話している。何かしら二人で悪巧みをしている様子が直感でわかる。でも、いくら社会主義とはいえ政府機関でパスポートを照会して許可証をもらっていることもあり、ここで恐ろしい目にあったり、大金を奪い取られることもだいだろうとも瞬間思う。すると案の定、兵士は言った。「なんでこんな遅くに着たんだ。もうクネイトラの見学は終わっている!」許可証を差出し「この許可証は今日は有効って書いてありますが。」と言う。「もう見学時間は終わっている。見学したいなら500シリアポンドだ。」想定内ではあったが、悲しいセリフを聞き、やっぱり悲しくなってくる。こうした爆撃の惨状を伝える国連管理下でもこうしたやりとりがあるってことに。でもそういうのは現実少なくない、むしろ多いだろうとも思う。う〜ん。<br />「わかった。50でどうだ?」 <br /> 交渉はまとまり、僕の横には銃を持った軍人が乗り込んでくる。3人を載せたセルビスはクネイトラの爆撃跡地へ向けて走る。(クネイトラは爆撃された教会)

    イスラエルに爆撃された町、クネイトラ。「UN」の文字を描いた車、そして文字が描かれたお馴染みブルーのベレー帽を被った人たちが目に入る。初めて目の当たりにする国連管理下の空気。それこそ今世界には多くの紛争地域があって、そこでも「UN」の活動が行われていることだろう。「UN」の活動自体は素晴らしい面もありながら、それも常任理事国の米英仏露中の拒否権でその活動が左右されるという面が示すとおりとても政治性の高いものでもあって、昔抱いていた万能機能を果たすイメージも今は少なからず低下している。だいたい、この五々国が常任理事国ってところがおかしいしね。でも、こうして現地で活動している人たちの重要性は否定できないものだと思った。
     というような話はおいておいて、クネイトラの町から再びセルビスに乗り換える。そして走る。人気がなくなってくる。時刻は夕方に差し迫ろうとしている。
    ゲートらしきところにつく頃にはセルビス内は僕独りになっていた。そしてゲートのところにいる兵士。彼がセルビスに入ってくる。運転手と話している。何かしら二人で悪巧みをしている様子が直感でわかる。でも、いくら社会主義とはいえ政府機関でパスポートを照会して許可証をもらっていることもあり、ここで恐ろしい目にあったり、大金を奪い取られることもだいだろうとも瞬間思う。すると案の定、兵士は言った。「なんでこんな遅くに着たんだ。もうクネイトラの見学は終わっている!」許可証を差出し「この許可証は今日は有効って書いてありますが。」と言う。「もう見学時間は終わっている。見学したいなら500シリアポンドだ。」想定内ではあったが、悲しいセリフを聞き、やっぱり悲しくなってくる。こうした爆撃の惨状を伝える国連管理下でもこうしたやりとりがあるってことに。でもそういうのは現実少なくない、むしろ多いだろうとも思う。う〜ん。
    「わかった。50でどうだ?」 
     交渉はまとまり、僕の横には銃を持った軍人が乗り込んでくる。3人を載せたセルビスはクネイトラの爆撃跡地へ向けて走る。(クネイトラは爆撃された教会)

  • 爆撃された教会内部。時刻は夕刻。辺りには誰もいない。同行している兵士への少しの警戒感を感じながらもしーんとした教会内部に入り、あっけにとられてみて回る。(クネイトラは爆撃された教会内部)<br />

    爆撃された教会内部。時刻は夕刻。辺りには誰もいない。同行している兵士への少しの警戒感を感じながらもしーんとした教会内部に入り、あっけにとられてみて回る。(クネイトラは爆撃された教会内部)

  • 修復されずに残された壊滅した家々。ここで暮らしていた人の生活が一瞬にして奪われる。多くの生命も奪われたのだろうか。自然と涙が溢れてくる。<br />(クネイトラは爆撃された家々)

    修復されずに残された壊滅した家々。ここで暮らしていた人の生活が一瞬にして奪われる。多くの生命も奪われたのだろうか。自然と涙が溢れてくる。
    (クネイトラは爆撃された家々)

  • 人間って怖い生き物なんだなって思ったのを覚えている。(クネイトラは爆撃されたモスク)

    人間って怖い生き物なんだなって思ったのを覚えている。(クネイトラは爆撃されたモスク)

  • テレビや新聞などで伝わる遠い国での戦争。テロ。それは決して遠い国の出来事ではなく、日本でもほんの65年前には戦争をしていたんだよね。その戦争も日本だけでなく各地でやっていて。それは第一次世界大戦が起きてから戦争に対する悲惨を欧州が痛感した数十年後であって。歴史は繰り返されるもの、とはよく言われる言葉。だからこそ、僕らは目の前の出来事を見て一期一会的に嘆いたり、悲しんだりするだけではなく、過去の歴史を勉強し、そこから未来への教訓を学んでいかなければならないと思う。(クネイトラは爆撃されたモスク)<br />

    テレビや新聞などで伝わる遠い国での戦争。テロ。それは決して遠い国の出来事ではなく、日本でもほんの65年前には戦争をしていたんだよね。その戦争も日本だけでなく各地でやっていて。それは第一次世界大戦が起きてから戦争に対する悲惨を欧州が痛感した数十年後であって。歴史は繰り返されるもの、とはよく言われる言葉。だからこそ、僕らは目の前の出来事を見て一期一会的に嘆いたり、悲しんだりするだけではなく、過去の歴史を勉強し、そこから未来への教訓を学んでいかなければならないと思う。(クネイトラは爆撃されたモスク)

  • ある歴史的動きを作り出すのは、偉大な政治家であったり、最悪な政治家だったりするわけだけど、僕が生きている日本という国は、その偉大な政治家や最悪な政治家になり得る政治家を選挙という形で選ぶことができる。そういった意識を一人ひとりがもって、政治家はそれに応えるという政治的環境がある。だからこそ、One For All,All For Oneとはラクビーの言葉だけど、それを日々の暮らしに直結する国づくりにも活かしていかなければならないと思う。(クネイトラは馬具激された建物)<br />

    ある歴史的動きを作り出すのは、偉大な政治家であったり、最悪な政治家だったりするわけだけど、僕が生きている日本という国は、その偉大な政治家や最悪な政治家になり得る政治家を選挙という形で選ぶことができる。そういった意識を一人ひとりがもって、政治家はそれに応えるという政治的環境がある。だからこそ、One For All,All For Oneとはラクビーの言葉だけど、それを日々の暮らしに直結する国づくりにも活かしていかなければならないと思う。(クネイトラは馬具激された建物)

  • まずは、国民1人1人がOne For Allの精神を発揮する為にも、歴史を学び、世界の日本の社会情勢・経済情勢、政治家・政党の言動などを見据えて選挙に行って<br />国民の責務を果たさなければならないと思う。それらは現状の政治に嘆く、批判する者が最低限行ってべき然る行為だと思う。<br /><br />民主主義は世界最高の制度、それはその制度を有効に反映させ得る国民がいるという前提で。<br />(クネイトラのあるゴラン高原にて)

    まずは、国民1人1人がOne For Allの精神を発揮する為にも、歴史を学び、世界の日本の社会情勢・経済情勢、政治家・政党の言動などを見据えて選挙に行って
    国民の責務を果たさなければならないと思う。それらは現状の政治に嘆く、批判する者が最低限行ってべき然る行為だと思う。

    民主主義は世界最高の制度、それはその制度を有効に反映させ得る国民がいるという前提で。
    (クネイトラのあるゴラン高原にて)

  • クネイトラの爆撃跡を見て回って、一旦ダマスカスへセルビスで戻る。なんだかんだいって、案内してくれた兵士もいい人だった。携帯写メで他の爆撃跡地やそれらの新聞記事をいろいろ見せてくれたし。<br /> ダマスカスへ戻ってからは、バスステーションへ行き、ヨルダンへの出国バスを探す。色々探してみると、クネイトラの町へ繋がる前のバスステーション「ソマリア」というようなところから出るという(歩き方情報は古くて参考にならなかった!)。ということでソマリアへ。そこはクネイトラへ行く前に経由した場所だ。セルビスの助手席に乗せてもらい運ちゃんが「このオンボロTOYOTAを長年運転してるけど全く壊れないんだ。日本の技術力はすごいよ。」って言っていた。 ソマリアに着いたのは18時過ぎ。ヨルダンへの国境越えバスは夜の22時出発という。これは乗り合いタクシーでしょ!ってことで近寄ってきた客引き(クネイトラ行く際にクネイトラ行セルビスを教えてもらっていたのでちょっと信頼あった)に仲間を募集してもらう。30分程たってドイツ人が合流。バックパックを背負った旅行者っぽい人だ。すぐに仲良くなり、彼が言う。「ドイツと日本は仲間だ。今夜は第三次世界大戦だ!」 <br /> どうやら彼は本当はアルメニア人で、ヨルダンに住んでいるようだが、あまり好ましくないのかドイツ人と言っているらしい。彼とおいらと、運転手、そして運転手が連れてきたもう1人のイケメンと一緒にプレイベートタクシーで出発。車内でちょこっと後悔。やっぱ怖ぇ。ってのは、彼らがグルでどこか人気のないところでパスポートとか奪われるかもって思っちゃって。だってアルメニア人の彼はアラビア語流暢に話せるしさ。<br /> でも杞憂は全くの杞憂に終わる。シリアを出国して、ヨルダンに入国。陸地での入国で兵士が寄ってくるその瞬間、運転手が左手で兵士の手に何かを渡す。<br />その後でアルメニア人が教えてくれる。「あれはタバコだよ。いわゆる賄賂だね。」出国ゲートでは車内の荷物を全て出して、通常車の下から隅々までチェックするので30分くらいかかるのだが、その賄賂のお陰でうちらは10秒ほどで終わったのだ笑<br /> 日本人はVISA無料のヨルダン。入国管理局でビザのチェック・ビザ代を払うアルメニア人の横で「自分が日本人であること」を実感する。そして入国。心優しき多くのシリア人たちに出会ったシリアを離れ、次はヨルダンだ。<br /> ヨルダンの首都アンマンに夜22時前後に到着。アルメニア人の彼はおいらの一歳下だったが本当にしっかりしていた。おれも頑張らなきゃ。ハグをして別れる。<br /> ダマスカスのORIENT HOTELで話した日本人から聞いていたサーメルがいるホテルへ向かう。ジョルダン・リバーだ。サーメル、この人はバックパッカーの間では超有名人。詳細はまた記すが、イラクで殺された香田さんがイラクに行く際に引き止めたりした心優しきパレチナ人だ。

    クネイトラの爆撃跡を見て回って、一旦ダマスカスへセルビスで戻る。なんだかんだいって、案内してくれた兵士もいい人だった。携帯写メで他の爆撃跡地やそれらの新聞記事をいろいろ見せてくれたし。
     ダマスカスへ戻ってからは、バスステーションへ行き、ヨルダンへの出国バスを探す。色々探してみると、クネイトラの町へ繋がる前のバスステーション「ソマリア」というようなところから出るという(歩き方情報は古くて参考にならなかった!)。ということでソマリアへ。そこはクネイトラへ行く前に経由した場所だ。セルビスの助手席に乗せてもらい運ちゃんが「このオンボロTOYOTAを長年運転してるけど全く壊れないんだ。日本の技術力はすごいよ。」って言っていた。 ソマリアに着いたのは18時過ぎ。ヨルダンへの国境越えバスは夜の22時出発という。これは乗り合いタクシーでしょ!ってことで近寄ってきた客引き(クネイトラ行く際にクネイトラ行セルビスを教えてもらっていたのでちょっと信頼あった)に仲間を募集してもらう。30分程たってドイツ人が合流。バックパックを背負った旅行者っぽい人だ。すぐに仲良くなり、彼が言う。「ドイツと日本は仲間だ。今夜は第三次世界大戦だ!」 
     どうやら彼は本当はアルメニア人で、ヨルダンに住んでいるようだが、あまり好ましくないのかドイツ人と言っているらしい。彼とおいらと、運転手、そして運転手が連れてきたもう1人のイケメンと一緒にプレイベートタクシーで出発。車内でちょこっと後悔。やっぱ怖ぇ。ってのは、彼らがグルでどこか人気のないところでパスポートとか奪われるかもって思っちゃって。だってアルメニア人の彼はアラビア語流暢に話せるしさ。
     でも杞憂は全くの杞憂に終わる。シリアを出国して、ヨルダンに入国。陸地での入国で兵士が寄ってくるその瞬間、運転手が左手で兵士の手に何かを渡す。
    その後でアルメニア人が教えてくれる。「あれはタバコだよ。いわゆる賄賂だね。」出国ゲートでは車内の荷物を全て出して、通常車の下から隅々までチェックするので30分くらいかかるのだが、その賄賂のお陰でうちらは10秒ほどで終わったのだ笑
     日本人はVISA無料のヨルダン。入国管理局でビザのチェック・ビザ代を払うアルメニア人の横で「自分が日本人であること」を実感する。そして入国。心優しき多くのシリア人たちに出会ったシリアを離れ、次はヨルダンだ。
     ヨルダンの首都アンマンに夜22時前後に到着。アルメニア人の彼はおいらの一歳下だったが本当にしっかりしていた。おれも頑張らなきゃ。ハグをして別れる。
     ダマスカスのORIENT HOTELで話した日本人から聞いていたサーメルがいるホテルへ向かう。ジョルダン・リバーだ。サーメル、この人はバックパッカーの間では超有名人。詳細はまた記すが、イラクで殺された香田さんがイラクに行く際に引き止めたりした心優しきパレチナ人だ。

  • ジョルダン・リバーで、慌しい移動で疲れきった僕を迎え入れてくれた質素な服の頭も半ば剥げたおじさん。彼がサーメルだった。彼に会いたくて、最終日もこのホテルに泊まることになる。その後、談話室で情報ノートを見たり、世界一週中の日本人カップルや社会人旅行者と話し、明日一緒に死海へ行こうと誘われるが、悩んだ末断る。死海は最終日前日に行きたかったのだ。そしてヨルダン南部のアカバへ行きたかった。紅海を目の前で眺めたかった。海っていいよね。今年サーフィンを始めたのもあるけど、海のある町、そこで暮らす人々の雰囲気など、本当にいい。心も体も癒される。ちなみに、談話室で話した日本人カップル、ダマスカスで一緒の宿に泊まっていた日本人カップルだった!(朝一緒に話したカップルとは別だが、すれ違ったりしていたからびっくりした!)<br /> 23日、朝食にファーストフードをとり、バスでアカバへ。<br />(アンマンのクイック・サンドイッチにて) 

    ジョルダン・リバーで、慌しい移動で疲れきった僕を迎え入れてくれた質素な服の頭も半ば剥げたおじさん。彼がサーメルだった。彼に会いたくて、最終日もこのホテルに泊まることになる。その後、談話室で情報ノートを見たり、世界一週中の日本人カップルや社会人旅行者と話し、明日一緒に死海へ行こうと誘われるが、悩んだ末断る。死海は最終日前日に行きたかったのだ。そしてヨルダン南部のアカバへ行きたかった。紅海を目の前で眺めたかった。海っていいよね。今年サーフィンを始めたのもあるけど、海のある町、そこで暮らす人々の雰囲気など、本当にいい。心も体も癒される。ちなみに、談話室で話した日本人カップル、ダマスカスで一緒の宿に泊まっていた日本人カップルだった!(朝一緒に話したカップルとは別だが、すれ違ったりしていたからびっくりした!)
     23日、朝食にファーストフードをとり、バスでアカバへ。
    (アンマンのクイック・サンドイッチにて) 

  • アカバへ着いたのは夜の20時過ぎだった。宿を決めてから中華料理屋へ。外が急にうるさくなる。店員と一緒に窓を開けると、クラッカーの音などが聞こえてくる。結婚式のパレードだと言う。<br />(アカバは中華料理屋にて)

    アカバへ着いたのは夜の20時過ぎだった。宿を決めてから中華料理屋へ。外が急にうるさくなる。店員と一緒に窓を開けると、クラッカーの音などが聞こえてくる。結婚式のパレードだと言う。
    (アカバは中華料理屋にて)

  • 移動の疲れをビールで。<br />エジプトから出稼ぎに来ている従業員といろいろ話す。日本での仕事、ここでの仕事。彼は僕の給料を聞いてびっくりしていた。物価の高さも説明はしたが、彼の給料の数倍にはなる。彼は1人の子どもいて、数ヵ月後には2人目が生まれるのでそのときエジプトに帰れるのを楽しみにしていた。色々と感じたりしながらも、良い出会いに心が温まる。<br />(アカバは中華料理屋にて)

    移動の疲れをビールで。
    エジプトから出稼ぎに来ている従業員といろいろ話す。日本での仕事、ここでの仕事。彼は僕の給料を聞いてびっくりしていた。物価の高さも説明はしたが、彼の給料の数倍にはなる。彼は1人の子どもいて、数ヵ月後には2人目が生まれるのでそのときエジプトに帰れるのを楽しみにしていた。色々と感じたりしながらも、良い出会いに心が温まる。
    (アカバは中華料理屋にて)

  • 翌日、紅海に繋がるビューティフル・シーを見て、ノリで人生初スキューバダイビング。<br />(アカバはジョルダン・フラワーホテルにて)

    翌日、紅海に繋がるビューティフル・シーを見て、ノリで人生初スキューバダイビング。
    (アカバはジョルダン・フラワーホテルにて)

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