2008/10/21 - 2008/10/21
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さすらいおじさんさん
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京都で勃発した鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい1868年1月27日)は、倒幕を果たした戊辰戦争(ぼしんせんそう1868−1869年)の火ぶたを切った戦闘だ。新政府はどのように倒幕を成功させたのか、プロセスを追ってみた。
薩摩藩の大久保利通(おおくぼ としみち1830−1878年)や公家の岩倉具視(いわくら ともみ1825−1883年)らの策略で1868年1月3日に発せられた王政復古の大号令により、15代将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ1837−1913年)に対し辞官納地が命ぜられ、旧幕府旗本や会津藩の過激勢力は、いきりたった。このとき徳川慶喜は臣下をおさえ、総裁(首相)の有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや たるひとしんのう1835−1895年)に恭順の意思を示すために京都の二条城から大阪城へ退去したものの「領地返上」には応じなかった。
強硬派・大久保利通らは慶喜の見せかけの恭順を責め即時倒幕を主張したが、松平春嶽(まつだいら しゅんがく1828−1890年)、岩倉具視ら多数は「徳川家の領地を調べ、政府会議をもって確定する」というおだやかな命令案に決定し慶喜の反応を見ようとした。
追い込まれた慶喜は旧幕府軍が官軍であると主張、勝手し放題の賊軍・薩摩征伐を名目に京都制圧をするために出兵、新政府の強硬政策に不満を持つ旧幕府軍主力の幕府歩兵隊、会津藩、桑名藩の藩兵、新選組らも戦闘態勢を取った。
旧幕府軍の動きを反乱と決め付けた政府議定岩倉具視、政府参与の大久保利通らは徳川討伐を決し、にらみあいを経て1868年1月27日に「鳥羽・伏見の戦い」の火ぶたが切られた。
薩摩藩兵中心の新政府軍は5000名、旧幕府軍は15000名と数では旧幕府軍が圧倒していたが指揮官の不在・逃亡など統制されない旧幕府軍は混乱し土方歳三(ひじかた としぞう1835−1869年)率いる新選組さえも新政府軍(薩摩小銃隊)に敗れた。
1月29日には明治天皇(めいじてんのう1852−1912年)が小松宮彰仁親王(こまつのみやあきひとしんのう1846−1903年)に錦旗(にしきのみはた)を与え(岩倉具視・偽造説もある)、新政府軍が官軍、幕府が賊軍となった。まさに「勝てば官軍」だ。旧幕府軍は慶喜の側近の一人で現職の老中でもあった淀藩主・稲葉正邦(いなば まさくに1834−1898年)を頼み淀城入城を計るが淀藩は官軍・新政府と戦う意思がなく、賊軍・旧幕府軍の入城を拒んだ。旧幕府軍はやむなく淀千両松に布陣し新政府軍を迎撃した(「淀の戦い」)が惨敗した。
幕府軍はさらに南に後退し、石清水八幡宮を奉じる男山と男山西側の遊郭がある宿場・橋本に土方歳三率いる新撰組を主力とする幕府軍の本隊が陣を張ったが対岸の大山崎を守備していた津藩が新政府軍側へ寝返り、旧幕府軍は総崩れとなって淀川を下って大坂へと逃れた(「橋本の戦い」)。
慶喜は大坂城に待機していたが、旧幕府軍の敗戦が決定的になると、大阪湾に停泊中の幕府軍艦・開陽丸で江戸に逃げ帰り幕府軍の士気は一気に低下した。一連の戦いで新政府軍が優勢になり多くの藩が旧幕府軍を見限ったことで、旧幕府軍の全面敗北となり1868年4月5日には幕府側を代表する勝海舟(かつ かいしゅう1823−1899年)と新政府代表・西郷 隆盛(さいごう たかもり1828−1877年)が薩摩藩下屋敷で会談し江戸城無血開城を決定し5月13日に新政府への受け渡しが完了した。
江戸城無血開城完了後も新政府軍への服従を固辞する旧幕府軍によって、戊辰戦争は江戸市街での彰義隊(しょうぎたい)による上野戦争(うえのせんそう1868年7月4日)、白虎隊(びゃっこたい)の悲劇で語り継がれる会津戦争(あいづせんそう)、徳川家海軍副総裁・榎本武揚(えのもと たけあき1836−1908年)率いる箱館戦争(はこだてせんそう)などへと続くが1869年6月27日に榎本武揚が五稜郭を開城し戊辰戦争は終結した。
鳥羽・伏見の戦いは数では圧倒的多数ながら徳川260余年の慢心で統率力が弱体化した幕府軍に対し,知略を働かせた岩倉具視、大久保利通らの新政府軍が「勝てば官軍」を知らしめた戦いで、日本の新しい歴史を創った戦いであったといえるだろう。京阪伏見桃山駅近くには鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕が残る料亭があり、激しい戦闘の様子を垣間見ることができる。
(写真は鳥羽・伏見の戦いの弾痕)
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徳川慶喜が1868年1月3日に発せられた「王政復古の大号令」まで居城していた二条城。(2007年4月撮影)
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徳川慶喜が居城していた二条城。(2007年4月撮影)
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徳川慶喜が「王政復古の大号令」の後、総裁(首相)の有栖川宮熾仁親王に恭順の意思を示すために二条城を退去して鳥羽・伏見の戦いに敗戦するまで居城していた大阪城。(2007年4月撮影)
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徳川慶喜が二条城を退去して鳥羽・伏見の戦いに敗戦するまで居城していた大阪城。(2007年4月撮影)
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1868年1月27日に開戦した鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕。
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鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕の説明。
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1868年1月27日に開戦した鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕。
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1868年1月27日に開戦した鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕。
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鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕を残している料亭。
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鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)の弾痕を残している料亭。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった料亭前の街並み。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった料亭前の街並み。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった京阪伏見桃山駅前商店街。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった京阪伏見桃山駅前商店街。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった京阪伏見桃山駅前の街並み。
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鳥羽・伏見の戦いでは戦場だった京阪伏見桃山駅前の街並み。
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鳥羽伏見の戦いでは伏見町内における官軍(薩摩藩)の本営となった御香宮神社の伏見の戦跡の碑。
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1868年1月29日、「淀の戦い」の舞台となった淀城跡。旧幕府軍は慶喜の側近の一人で現職の老中でもあった淀藩主稲葉正邦を頼って、淀城に入ろうとするが淀藩は新政府と戦う意思がなく、旧幕府軍の入城を拒んだ。旧幕府軍はやむなく淀千両松に布陣し新政府軍を迎撃したが惨敗した。(2007年5月撮影)
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「淀の戦い」の舞台となった淀城跡の碑。
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「淀の戦い」の舞台となった淀城跡。
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発掘作業中の樟葉砲台(台場)跡。(2008年11月撮影)
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発掘作業中の樟葉砲台(台場)跡。(2008年11月撮影)
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発掘作業中の樟葉砲台(台場)跡。(2008年11月撮影)
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発掘作業中の樟葉砲台(台場)跡。(2008年11月撮影)
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京阪電鉄の線路をはさんで淀川を越えた先が大山崎。大山崎に高浜砲台があるのだが、1868年の戊辰戦争で使用された大砲の性能で2−3キロ先の大山崎・高浜砲台を狙うことができたのだろうか。(2008年11月撮影)
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戊辰戦争「橋本の戦い」で没した樟葉砲台(台場)跡の碑。(2008年11月撮影)
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戊辰戦争「橋本の戦い」で没した樟葉砲台(台場)跡の碑。(2008年11月撮影)
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樟葉砲台(台場)跡の説明板。1864年に幕府は大阪湾から淀川をさかのぼって侵入することが予測された外国船に対抗するために大砲を淀川の両岸に設置した。「橋本の戦い」では対岸の大山崎を高浜砲台で守備していた津藩が新政府軍側へ寝返ったため、樟葉砲台(台場)から対岸に砲弾を撃って対抗したが砲弾が尽きてしまったので自ら破壊したことが説明されている。(2008年11月撮影)
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「淀の戦い」に敗れ南下、「橋本の戦い」で土方歳三率いる新撰組の主力を擁する幕府軍の本隊が陣を張った橋本遊郭跡。(2007年5月撮影)
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「淀の戦い」に敗れ南下、「橋本の戦い」で土方歳三率いる新撰組の主力を擁する幕府軍の本隊が陣を張った橋本遊郭跡。(2007年5月撮影)
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「橋本の戦い」があった橋本近くの淀川。
対岸の大山崎を守備していた津藩が新政府軍側へ寝返り、旧幕府軍は総崩れとなり、旧幕府軍は淀川を下って大坂へと逃れた。(2007年5月撮影) -
「橋本の戦い」で旧幕府軍が布陣した男山の石清水八幡宮。(2008年4月撮影)
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「橋本の戦い」で旧幕府軍が布陣した男山の石清水八幡宮。(2008年4月撮影)
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江戸城無血開城を行った皇居前の堀。(2007年11月撮影)
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1868年4月5日に幕府側を代表する勝海舟(かつ かいしゅう1823−1899年)と西郷隆盛西郷 隆盛(さいごう たかもり1828−1877年)が薩摩藩下屋敷で会談し江戸城無血開城を決定した。江戸城無血開城を行った本丸庭園の天主台跡。(2007年11月撮影)
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上野公園にある戊辰戦争の上野戦争(1868年7月4日)で戦った彰義隊の墓。(2007年11月撮影)
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江戸城無血開城の主役の一人、上野公園にある西郷隆盛像。(2007年11月撮影)
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この旅行記へのコメント (2)
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- トモとアックさん 2008/10/29 22:31:06
- 戊辰戦争
- さすらいおじさん、ご無沙汰してます。
今回の旅行記は、戊辰戦争をテーマとして、
今まで行かれたところから写真をピックupして
作成されたのでしょうか。
とても面白く、興味深く拝見しました。
また次号?も楽しみにしています。
追伸)
先日比叡山坂本に行きました。
さすらいおじさんの旅行記を読んだのが
訪れたきっかけでした。
非常に味わいある風情で、良かったです。
ありがとうございました。
トモとアック
- さすらいおじさんさん からの返信 2008/10/30 11:03:54
- RE: 戊辰戦争
- トモとアックさん
戊辰戦争の旅行記をごらんいただきコメントをありがとうございます。
戊辰戦争は300年近くも権力をほしいままにしてきた徳川幕府を倒したたたかいで、今年は「篤姫」の放映もされていますが、徳川が崩壊するプロセスを追ってみたいと思っていました。
私が思うに、戦力では有利だった徳川敗北の最大の要因はリーダー・慶喜に対する配下の不信感から、ひとつにまとまらなかったことだと思います。野球、サッカーなどチームプレーも同じでしょうが、監督への信頼のもとチームがひとつになることが勝利には必須だと思いました。過去歩いた戊辰戦争に関係したところの写真をピックアップしてみましたが幕府、新政府両軍の動きが身近に感じられました。
比叡山坂本を楽しまれたとのこと、良かったですね。関西には観光地として有名でなくてもすばらしいところがたくさんあると思います。私も知らない関西をこれからも歩いてみたいと思っています。
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