2007/06/16 - 2007/06/17
671位(同エリア898件中)
松村博司さん
萩に行く事を決めた段階で、絶対にはずせない場所として位置づけられていた松陰神社。
楽しみにしていたのですが、実際に来てみると期待以上に楽しめました。
歴史館、松下村塾、幽囚の旧宅など見所満載。
時間を忘れて魅入ってしまいました。
そして萩、最後の訪問地である東光寺。
黄檗宗と言うことで中国様式のお寺となっています。
いつもと違う雰囲気に少々感動。
そして毛利家墓所その2。
こちらは送り火がたかれる場所。
維新胎動の地。
本日はこれにて終了です!
挫折禁止(松村博司の貧乏旅日記)
「水月の長州、蛍と歴史の旅」
http://bonkuraii.blog56.fc2.com/blog-category-42.html
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
まつしたむら塾?
てか松下村と呼ばれる地域だったのかこの辺りは・・・
なんてボケを山口に来る前にかました記憶がかすかにありますw
いや、そんな記憶封印だ><
「しょうかそん塾」ですね。
名の由来は知りません。
誰か教えてくださいませw
もとは松陰先生の叔父が開いた私塾です。 -
松陰先生は自宅謹慎中の一年という短い間、その塾を引き継ぎ優秀な人材を輩出していきました。
とにかく対外思想の強かった人物のようです。 -
蝋人形の館でパッと見ただけでも2回密航を企てて失敗しています。
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そういった思想が真っ直ぐに教え子達に受け継がれていったのでしょうね。
藩内でクーデターを起こし、薩長同盟から倒幕、新政府に至るまで、当時の松陰先生の教え子である正義派の人々に寄って成し遂げられているのですからすごいですよね。 -
しかもこうやって見ていると、当時松下村塾生というのは長州志士の中では一種のステータスでもあったのでしょうか?
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「山県有朋とは誰ぞや?」
なんて松陰先生からつっこみを食らった自称?塾生みたいな方もいるようですし。 -
明治維新胎動之地とはなるほど。
うまいこと言いますね。 -
次は先生幽因の旧宅。
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密航を企て失敗した後、自首します。
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江戸からこの地にある野山獄に移されます。
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その後、許され実家へのお預けとなるのですがその間、幽因されていたのがこの家です。
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松下村塾へ移るまでの間、この家で講義を行っていたそうで、入門者が増えたことにより松下村塾へ移ったそうです。
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49石、って広いですね。
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ちなみにこの後、老中間部詮勝の暗殺を企てたとして再び野山獄へ投獄。
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暗殺を企てた理由は米国との不平等条約が原因との事。
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安政の大獄で江戸に送られ斬首されました。
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切腹じゃなくて斬首なんですね^^;
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でもこういうの、塾生達にはちゃんと通じていましたよね。
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特に高杉晋作の彦島の租借の拒否などは受け継がれる意思のような物を感じます。
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実際には高杉晋作はこの前にアヘン戦争で敗れて植民地となっていた上海に行って色々見てきているわけですし、実は彦島の租借自体記録にないとか伊藤博文の裏での行動があったとか色々言われていますが。
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そしてここが幽囚の間。
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三畳半、ここで一年半過ごしていたそうです。
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松陰先生、松下村塾の原点というわけですね。
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時間は4時前になっています。
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少々ゆっくりしすぎですね。
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てなわけで今度は本殿の方へ行ってみましょう。
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・・・工事中だよ^^;
まあ、昭和30年の新しい建物だから別にいいんですが・・・別にいいもん;; -
で、現在はこちらにお参りしてくださいとの事で松門神社社殿。
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実はこちらが本来の松陰神社の社殿で明治40年の創建当時の社殿だったそうです。
昭和30年に先ほど修理中だった社殿に移動、現在こちらは松下村塾の門人42人を祀っているそうです。 -
本殿は屋根の銅板の張り替え中との事。
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10月10日までの予定だったのですでに完成しているはずです。
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百周年記念にあわせた工事だったそうです。
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てな訳でお参りも済ませたし、次の場所へ向かいましょうか。
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そのまえに・・・
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おやつおやつ〜、てなわけで松陰だんご、320円です!
高千穂で食べたやつはタレを付けて焼いていましたが、こちらはじっくり焼いた後注文を聞いてからタレを付けていました。
もろみっぽい味でとても美味しかったです。 -
さらば松陰神社。
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それでは本日最後の訪問先へ向かいましょう!
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維新ロードを通って約5分。
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時間があれば松陰先生の生誕地や伊藤博文の旧家をからめて歩いて回れる場所ですね。
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で到着、東光寺です。
駐車場は正面入り口斜め前、未舗装です^^; -
しかも有料です><
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あげくに無人です^^;
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駐車場からチラリと見えているのは三門。
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で、正面入り口の総門です。
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中国ぽいと思ったら中国の明時代の末から清時代初めの黄檗伽藍様式ということでこんな形だそうです。
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その総門をくぐると正面に三門、右に料金所で拝観料は200円です。
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黄檗宗としては国内屈指、確かに日本らしくないですが逆に新鮮です。
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そして全体的に広々感じます。
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さっぱりしていて小ぎれいですw
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いや、どこと比べてなんて言いません、もちろん><
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で、本堂といわずに大雄宝殿と名付けられた建物が見えてきました。
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今まで見たこともない不思議な形の鐘楼。
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そしてこれが大雄宝殿です。
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山口の旅で一番スケールの大きい建物のような気がします。
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ここは三代藩主吉就の建立です。
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最初、大照院が嫌だからわざわざこちらにお寺を建てたのかと思いましたが、まあそんな単純な理由であるはずがないですね^^;
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吉就は若い頃、黄檗宗に帰依し萩出身の高僧を迎えて開山したそうです。
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そんな事情から吉就はここを墓所としたようです。
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その後、奇数の5代、7代、9代、11代と並んでいるとのことで、大照院とこの東光寺で偶数奇数分かれている理由が何となくわかった気がしました。
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ここまでの建物がすべて国重に指定されています。
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こちらは大方丈書院。
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とりあえず墓所の方へ行ってみましょう。
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まず迎えてくれたのがお墓の数々。
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元治甲子殉難烈士墓所です。
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禁門の変など幕末の動乱の中で殉死していった藩士達のお墓が並んでいます。
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そしてその奥。
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毛利家墓所、その二。
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ん〜、読めない^^;
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基本的に造りは大照院と同じようです。
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ただ、元は萩天樹院だったのを改修した大照院はどうしても後から色々増設してるようで、造雑然としてました。。
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それに比べて東光寺は最初からきちんと設計して作っているのでしょう、総門から大雄宝殿まで一直線、墓所も整然と並んでいました。
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人によっては綺麗すぎておもしろみがないように感じるかもしれませんが・・・
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石灯籠は500基。
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大照院が迎え火なのに対してこちらは送り火として8月15日、石灯籠に火が灯されます。
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そして再び戻ってきました。
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ちなみに大雄宝殿にあるこの鬼瓦。
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大河ドラマ「太閤記」のタイトルバックに使われていたそうです。
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さて、時間はそろそろ5時。
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チェックインの時間もあります。
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名残惜しいですがそろそろ萩を脱出しましょう!
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てなわけで、いざ! 長門湯本温泉へ!
つづく〜
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