2008/07/08 - 2008/07/09
46位(同エリア95件中)
まみさん
2008/07/08火 リラ僧院からメルニックへ
【宿泊:Hotel Bolyarka(メルニック泊)】
ヴィトシャ山からリラ山脈を越えて、ピリン山脈へ
・セパレヴァ・バニャで間欠泉を見る
・リラ僧院(世界遺産)
・ロジェン修道院
・メルニック散策(一人で散策)
コルドプルロフ・ハウス・ミュージーアム見学
本日の私にとってのハイライトは、リラ僧院よりも、思いがけない感動を与えてくれたロージェン修道院です。
こぢんまりとした可愛らしい修道院で、修道院がこんなに可愛らしくていいの!?───という驚きと感動を与えてくれました。
近隣の中では一番大きな修道院とのことでしたけど(笑)。
どうせメルニックに行くなら、近くのロージェン修道院もついでに行きたい───そんな程度に考えていたので、多大な期待を寄せていなかっただけに、余計に感動が大きかったといえます。
修道院の中庭の写真すら撮らせてもらえなかったのが残念です。
後にソフィアで買ったブルガリアのA6判サイズほどの写真集に載っていたので、雰囲気をお伝えすることができるでしょうか。
メルニックとロージェンを見下ろす白い岩肌の絶壁も、絶景でした。
メルニックを知ったのは、2007年11月に放映された「世界不思議発見」がきっかけです。
その頃は、次の旅行先としてブルガリアを漠然と考えていたせいもあり、「おとぎ話に出てきそうな可愛らしい町」というキャッチフレーズが心に残りました。
ただ、どんな町だったか、映像はすっかり忘れてしまったせいで、メルニックは私の頭の中ではいつのまにか、ドイツのグリム童話の舞台になるような中世の街並みに変換されていました。
なので、はじめは「あれっ」と思ったのですが、夕食前に1人で町を散策してみて、「おとぎ話のよう」というキャッチフレーズに納得しました。
そのブルガリア独特の家並みはもちろん、グリムでもペローでもイソップでもなく、ブルガリアのおとぎ話の舞台というべきでしょう。
鉄道駅はもちろん、銀行もないようなメルニック(でもATMはあったかも@)。
車がなければ、限られた旅行期間に組み込むのはとても難しそうでしたが、前半をガイドと車付の旅程にしたことで、気軽に旅程に入れることができました。
でも、どちらかというと1人でゆっくり散策したくなる町です。
チェックインした日の夕食前の約1時間と翌朝の朝食前の30分の散策では、とても足りませんでした。
-
ロージェン修道院
敷地の門を入ってすぐのところ。
ここからなら写真を撮ってもOKといわれました。
この先はダメなんです、残念!
修道院は、まず、重厚な石壁の門をくぐったあとに見えた、ものすごく可愛いらしい中庭に驚きました。
教会は、1階部分は丸い石が埋め込まれた要塞のような壁です。これはメルニックや翌日のバンスコでも、民族復興時代の様式の建物でよく見かけました。これも案外、教会に可愛らしい印象を与えます。
入口の脇の外壁には、最後の審判とヨセフの梯子のフレスコ画がありました。ルーマニアのブコヴィナ地方のヴォロネツ修道院やスチェヴィツァ修道院の外壁のフレスコ画と同じ主題で、絵柄もよく似ていましたが、雰囲気がだいぶ違うのが面白かったです。
教会内部も、天井を除き、とても古そうなフレスコ画でぎっしりでした。資料によると、150以上もの場面が描かれているそうです。小さな教会なのに@
イコノスシスも豪華でした。一番下の層はバラやいろんな花束を挿した花瓶の絵が描かれていて可愛らしかったです。
伝説の聖母子のフレスコ画も見ました。
ヴォロネツ修道院の教会外壁の「最後の審判」のフレスコ画
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13190149/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第13日目(5)ブコヴィナ地方:青のヴォロネツ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10205799/
スチェヴイッツァ修道院の教会外壁の「ヨハネの梯子」のフレスコ画
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13307393/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第14日目(3)ブコヴィナ地方:一番大きい緑のスチェヴィツァ修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/13190149/
※フォトギャラリーもあるブルガリア修道院のサイトのロージェン修道院のペーシ
http://www.bulgarianmonastery.com/rozhen_monastery.html
※そのページに掲載されたロージェン修道院の歴史と概要の私訳
「ロージェン修道院は、ピリン地方では最大の聖所であり、ブルガリア修道院の中で今日まで中世のときのまま比較的手付かずで残っている数少ない例です。ギリシャのアトスに保存されている記録によると、修道院の起源は少なくとも西暦890年までさかのぼります。それに対し、ブルガリアで最大の修道院であるリラ僧院ですら、信じられている起源は西暦917年です。修道院の聖処女生誕教会にちなんで、後に近くの村はその名の「ロージェン」と呼ばれるようになります(ロージェンとはブルガリア語で誕生を意味する「ロジェニエ(Rozhdenie)」が語源です)。カロヤン皇帝(1197〜1207)とカロヤンの甥の時代にこの地の統治者であった専制君主アレクシー・スラヴ(Aleksii Slav)の治世中、修道院建築群にいくつもの建築物が増築されました。修道院は17世紀はじめに火災で破壊されましたが、18世紀初頭には、国中の裕福なブルガリア人からの経済支援を得て再建されました。再建は1715年に開始され、教会は1732年に全面的に改築されました。修道院は、この地域の精神的中心地として活躍した19世紀に最盛期を迎え、周辺に広大な土地を所有していました。修道院の全盛期は、この地方出身の有名な革命家、ヤネ・サンダンスキ(Yane Sandanski)とその一派が修道院の所有地を占拠したときに終わりを告げました。現在、修道院はよく維持されており、一年中、訪問者に開放されています。修道院の祝日は9月9日です。その日はミサに出席するためにあらゆる地方から人々が集まってきます。(つづく)」
(ブルガリア修道院のサイト(ブルガリア修道院のサイト(http://www.bulgarianmonastery.com/rozhen_monastery.html)より私訳) -
A6サイズのブルガリア写真集よりロージェン修道院の僧房の写真
ロージェン修道院の写真は、ブルガリア観光案内所の公式サイトやブルガリアの修道院を解説しているサイトにも小さくのがありますが、ソフィアで買ったA6サイズくらいのブルガリア写真集にもありました。
一緒に写したのはソフィアで買った木でできた親指サイズのブルガリア人形です。
写真集の表紙のある写真(右の青紫の本)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14421133/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその14(完):ブルガリアでゲットしたもの」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10267157/
「修道院は不規則な六角形をしており、中央に教会が建つ美しい中庭を囲んで僧房があります。修道院の建物はすべて、修道士のダイニングルーム、墓所や最も古いもので17世紀の火災前にさかのぼる周辺の農舎を含め、それぞれの時代において聖別されています。保存状態のよい壁画のほかに、修道院はステンドグラス(最も古いタイプのステンドグラスが今日まで保存されています)、そして独特な木彫りで有名です。他の修道院のように、ロージェンにも奇跡の聖母マリアのイコンがあり、礼拝堂の一角に保存されています。伝説によると、このイコンは、ニケア(ギリシャ)の未亡人が所有していた神聖で稀少なイコンの一枚でした。聖像崇拝迫害で有名なビザンチン皇帝ティオフィロス(Theophilus)時代、未亡人はイコンが破壊されないように海に投げました。イコンは沈むことなく何年も海の上を漂い、999年にギリシャのアヴィロン修道院(Iviron)(アトス山)の門に辿り着きました。」
(ブルガリア修道院のサイト(http://www.bulgarianmonastery.com/rozhen_monastery.html)より私訳) -
A6サイズのブルガリア写真集よりロージェン修道院の壁画や木彫りの細部の写真
写真左上:「空の墓のそばの女たち」の細部、壁画1732年
写真左下:「アブラハムの供物」の細部、木彫りのイコノスタシス、17世紀
写真右:「ヨハネの梯子」、教会の北面ファッサード、17世紀
「聖処女誕生教会のあるロージェン修道院は、メルニックの北西4.5キロ、ピリン山の南西斜面に位置しています。
僧院は9〜12世紀にはすでに存在していたという証拠があります。活発な文筆活動の中心であった僧院は、14世紀の写本所(calligraphic school)で有名でした。その比類ない芸術的価値をもつ作品の一つが、117の空色のミニチュア画で装飾された、フリグリー(金銀線細工)による「ヨブの解釈」です。残念なことに、これは1847年にエルサレムに持ち去されてしまいました。
ロージェン修道院の中でもっとも興味深いのは、1600年に建てられ、1732年に修復され壁画に覆われた聖処女生誕教会、独特な木彫りのイコノスタシス(17〜18世紀)、デブール(Debur)からの木彫りの作品、1715年のオリジナルのステンドグラス5枚、1662年の修道院の納骨堂、すばらしい屋根のバルコニーと階段のある僧房、そして鐘楼です。」
(ブルガリア観光案内所の公式サイト(英語版)(http://www.bulgariatravel.org/eng/index.php)より私訳) -
ロージェン修道院の門の前から見たピリン山脈の白い砂岩の絶壁
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ロージェン修道院の門の前から見た白い砂岩の絶壁のある景色(望遠で)
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ロージェン修道院の門の前の景色
ちなみに、「地球の歩き方」にはロージェンからメルニックが見下ろせるとあったのですが……さっぱりでした。
修道院の周辺をあちこち歩き回ったわけではないですが。
「ロージェン修道院
メルニックから東へ約6km、山間にひっそりと建つロージェン修道院。見晴らしは最高で、眼下にはメルニックの町が見下ろせる。修道院は12世紀に建立されたが、幾度となく火事で焼け落ち、現在の形に修復されたのは1732年。オスマン朝の治世に修復が完成した修道院のなかで現在も残っているのは、国内でここだけである。
ロージェンとは「聖誕」の意味をもつ。中庭に建つ聖処女教会の門には、キリストと12人の使徒たちや150の聖書の場面が描かれていて、聖書に詳しくなくても感心してしまう。礼拝堂のイコン(聖人の図像)も見事。その2階には、かつて僧たちが暮らした寝室や、食堂、台所などが、当時のまま保存され、中世に迷い込んだような気分が味わえる。」
(「地球の歩き方 07〜08年版」より) -
「マルテニッツァ」が結ばれた木
話には聞いていたマルテニッツァを見つけました@
マルテニッッアは3月1日のブルガリアの伝統的なお祭りのときのラッキーチャームの紐です。
春を告げるお祭りですが、主役は女性のようで@
そのときに女性はこのような赤と白の毛糸を編んだ紐を作って、ミサンガみたいに手首につけたりして身につけます。
そしてその後で、豊穣を願って、身近な木にくくりつけるそうです。
くくりつけるのは、常緑樹ではなく、冬に葉が落ちる木なら、どの木でもOKだそうです。 -
ロージェンを見下ろす白い岩
メルニックへ戻る途中 -
ロージェンを見下ろす白い岩のある絶景
メルニックへ戻る途中
この時点ではまだ、ロージェン村まで戻っていません。
村は、もう少し山道を下りたところにありました。
村から修道院へは、がっつりとハイキングになるでしょう。いや、巡礼かな。
実際、歩いて向かう人の姿も見かけました。 -
ホテルの部屋から眺めたメルニックの町
窓からの景色もなかなかです。
ただ、夕方、あの白い岩肌の絶壁が逆光なのは残念でした。
もちろん、翌朝、リベンジです@
同じアングルからではありせんでしたが。
メルニックで泊ったホテル(ホテル・ボリャルカ(Hotel Bolyarka))は、メルニックのイメージぴったりの可愛らしいところでした。
部屋の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420737/
建物の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420739/
ロビーやレセプションの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420728/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420729/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその12:ブルガリアで泊ったところ・その1:」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10267143/ -
ホテルの部屋の窓から眺めたメルニックの町
あんなところにあんな出っ張った建物が建っていること自体、メルヘンです!
「ギリシア国境にほど近いメルニックは、ワインの産地として世界的に有名な小さな町。ソフィアから186km、サンダンスキからは20kmほどの南の山間にある。山岳地方ならではの雄大な自然景観と、おとぎ話に出てくるようなかわいらしい街並みが、不思議と調和している。
町の歴史は古く、トラキア時代に始まる。その後、ローマ、スラヴの支配下で発展し、第二王国の時代には、王国の南西部を治めていたアレクスィ・スラヴのもとで、この地方の中心になった。長い間のオスマン朝支配を経て、ブルガリア領になったのはバルカン戦争(1912〜13年)のあと。往時には、人口2万人、教会の数も75あったともいわれているが、今では数えるほどしか残っていない。」
(「地球の歩き方 07〜08年版」より) -
夕食前の1人散策開始!
2階がせり出した家々の並ぶ通り
ホテルの目の前の通りを、ただ山の方にむかって進んだだけです@
「この町はまさにミュージーアム・タウンです。絵のような立地、赤みがかった砂岩に囲まれたブルガリア独特な民族復興時代様式の家屋、メルニックの名前を世界中に広めたワインが醸造されている洞窟のワイン貯蔵庫が、ブルガリアで最も魅力的な観光地の名声を長年にわたって高めてきました。メルニックはサンダンスキの南東約20キロ、ブラゴエフグラッドの南約95キロにある小さな町です。ブルガリアで最も小さな町でもあります。(後略)」
(ブルガリア観光案内所の公式サイト(英語版)(http://www.bulgariatravel.org/eng/index.php)より私訳) -
1階が石壁で、2階がせり出した家々と灯り
どこの国だったか、中世に、家屋の敷地面積で税金額が決まるため、少しでも税金を少なく、でも少しでも広い部屋を得るためにこのような造りの家屋がたくさん建てられたところがありました。
ブルガリアでもそうだったのかしら。 -
狭い階段路地と積み木のように2階がせり出した家
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石垣のステキなメハナ(=昔のレストラン)
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2階がせり出したメハナ兼ホテル
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せり出した木のベランダと壁に伸びるツタが風情のある家
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前庭にアラゲハンゴンソウが咲いていた石壁の家
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白い絶壁を背景に
「メルニックは、公式上、ブルガリアで最も小さな「町」です。実際に、メルニックは印象的ですが小さな村にすぎず、観光業と昔からのワイン産業のおかげで破綻せずにいます。メルニックは、ギリシャとの国境約20キロ、砂岩の峡谷に詰め込まれたような、とても独特なところです。外国人もブルガリア人も群をなしてやって来て、民族復興時代の家や教会の遺跡を歩き回り、そして地方の名産メルニック・ワインを試飲し、買っていきます。他にも注目されるのは、村を囲む奇妙な、黄白色の粘土と砂混じりの、いわゆる「砂のピラミッド」です。雨や風、日差しによる何世紀もの侵食により、見事な自然の造形ができあがりました。ピラミッドおよび巨大なキノコにたとえられるこれらの岩は、このあたりの景観にどこか画家ダリ風の特徴を添えています。(後略)」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳) -
夕日に染まる白い絶壁
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ステキな木の看板と白い絶壁の山
ワイン醸造所を中心とした総合施設みたいです。
レストランも兼ねているでしょう。
プールもありました。 -
昔のハチの巣を使った民芸品!?
ランプシェードに使われているようです@ -
シルエットの遺跡と空
薄暗いのは空に露出を合わせたせい。
まだまだ明るい夜7時でした。
ちなみに、約1時間の散歩のあとで、ホテルに着いたとたん、いきなり土砂降り雨になりました。
ニアミスでした@
おかげで夕食時はとても涼しくなりました。
大雨のあとで夕食時に撮った写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14420738/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその12:ブルガリアで泊ったところ・その1
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10267143/ -
翌朝の散策
石造りの建物と教会
朝食をとったらメルニックを去ります。
メルニック観光は昨晩の1人散策のみです。
それではあまりにもったいなかったので、朝食タイムが8時と遅かったのを幸い、また時間を捻出して散策に出かけました。
今度はホテルの目の前の通りを下ろうと思ったのですが……ホテルの前にある教会と遺跡にふらふらと引かれて、上り下りで30分。
あっという間に時間になってしまいました。 -
町のブルガリア正教会
いかにも古そうです。
教会の中も、ルーマニアのマラムレシュ地方の小さな木造教会を思わせるアットホームなかんじでした。
床には絨毯が敷き詰められ、イコノスタシスで祭壇と分割され、壁にイコンがたくさん飾られていましたが……どなたか熱心な信者のお宅のリビングと言われても、さほど違和感がないくらい@ -
教会の屋根と朝日を受けて輝く絶壁
昨日の夕方はあの絶壁が逆光でした。 -
教会の裏の家と白い絶壁
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城跡のような遺跡の上から
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城跡のような白い絶壁
手前に少しだけ遺跡を入れました。 -
遺跡の一番上から
見晴らし良し@
でも、視覚的にさわやかな朝なのに反して、もうすでにかなり蒸し暑かったです。
ちょっと上っただけでも、汗だくだくでした。 -
遺跡に上る足場はぼこぼこの石畳
実はビーチサンダルで歩き回ってました。
いやぁ、すべるの何のって! -
薪のある家と小路
青い花はチコリかな。 -
ホテルのとなりのレストラン・オギ
夕食と朝食をとったところ
ここでとった夕食の写真(とっても美味でした!)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288279/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288280/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288281/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288282/
そして朝食の写真(脂っこいけど、気に入りました@)
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/14288283/
関連の旅行記
「2008年ブルガリア・ハイライトその4:ブルガリアで食べたもの・その1」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10261053/
★メルニックの歴史
「メルニック周辺には、トラキア・メディ族が最初に居住しました。伝説のスパルタクスはこの一族の一員でした。その後、ローマ人が居住し、それから7〜9世紀にスラヴ人が住み着きました。メルニックの名前はおそらく、周辺の崖に見られる砂まじりの石灰を意味するスラヴ語の言葉メル(mel)からきています。
メルニックは13世紀初頭に、しばしば専制君主と呼ばれるアレクセイ・スラヴ王の居住都市として脚光を浴びました。彼は町を彼の領土の首都とし、いくつかの僧院と大規模な要塞を建てました(その遺跡は現在も見られます)。メルニックは教育および文化の中心地となり、地元の伝統職人たちが生産するたくさんの宝飾品、木彫りおよび陶器は人気がありました。また、町では赤ワインの生産も盛んで、今日のクロアチアやウィーンでも取り引きされました。
メルニックはオスマン支配時代に衰退しましたが、18〜19世紀のブルガリアの民族復興時代に再び繁栄しました。この時期、多くの伝統的な家屋が、しばしばローマとスラヴの家の遺跡の上に建てられました。20世紀はじめ、メルニックは、人口2万(大半はギリシャ人)の商業の中心地として繁栄しましたが、バルカン戦争(1912〜1913年)の間に火災により大部分が破壊され、町にかつてのような重要性が戻ることはありませんでした。メルニックは、その後、大幅に復旧および再建されました。」
(Lonely Planet(2nd edition 2005年刊)より私訳)
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