2008/08/31 - 2008/09/01
939位(同エリア958件中)
早島 潮さん
平成20年8月31日(日)
夕闇が迫る頃宿泊地の田沢湖ホテルに到着した。本日のバス走行距離は約407kmであった。
田沢湖ホテルに到着したら早速温泉で汗を流そうと期待していたのだが、生憎ポンプの故障で夕食後までお預けをくってしまった。
夕食の箸袋に印刷されていた生保内節(おぼないぶし)とその説明を書きとめておく。
吹けや宝風 農民の願いを込めて
生保内東風(おぼねだし)は奥羽山脈仙岩峠から吹き下りる東風、春には二メートル以上の雪を溶かし、夏には慈雨をもたらし、秋には晴天を呼んで稲を稔らせる宝風となる。海抜二百二十メートルの高地にある生保内地区(仙北郡田沢湖町)の農業は厳しく、自然との闘い。神の加護と自然の恵みだけが頼りとなる。
生保内節(おぼないぶし)はこうした農民達の願いを込めて、約四百年前に誕生した、秋田の代表的な民謡の一つである。
吹けや生保内東風(おぼねだし)
七日も八日も
吹けば宝風稲稔る
吹けや生保内東風(おぼねだし)
秋吹くならば
黄金波打つ 前田圃
生保内東風(おぼねだし)なら
日方の風よ
そろりそろりと湯のかおり
とろりとろりと
沖行く舟は
十七招けば岸に寄る
平成20年9月1日(月)
朝7時50分に宿を出発して男鹿半島の入道岬へ向かった。空は曇っている。20分程走行して田沢湖の見える場所にある土産物店で小休止した。
店の裏庭に辰子姫明神という説明書きがあり巨木の根が岩石に巻きついている。その傍にはガラスケースに龍の細工物が格納されていた。
この湖には辰子伝説と言う物語があり、この伝説と繋がりのある辰子姫明神だろうと理解した。
湖畔に出てみたがこれが最大深度423.4mで 日本一深い湖なのかという感慨を覚えただけで特記すべき感想もない。辰子の記念像が湖畔に建てられていると聞いたが時間の制約があり目撃することは出きなかった。
ウイキペデイアによれば辰子伝説は次のように説明されている。
辰子伝説
田沢湖のほとり神成村に辰子という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。
辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたがその実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマス(国鱒)の始まりという。
北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。引用終り。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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