2008/08/31 - 2008/08/31
792位(同エリア852件中)
早島 潮さん
厳美渓を後にして一般道路の342号線を走行し、次なる訪問地の角館を目指した。窓外には小雨がぱらついている。高速道路と異なり速度は減殺され田圃の稲田を眺めながらののんびり走行である。米所だけに稲田が多い。既に穂が出ており生育も順調のように見える。然し田圃は黄金色一色ではない。
国の減反政策により野菜や大豆などを栽培する農家もあり、田圃が黄金色一色でなく緑色が点在しているのも時代の農業政策を反映している。
生憎の曇り空で栗駒岳の山影を見ることは出来なかった。やがて13号線と交差しこの13号線を横手、大曲を経由して角館へ至ることになる。
もう20年も昔になるであろうか、横手、大曲は農閑期にあたる冬場の出稼ぎ労働者の募集のため職業安定所を訪ね歩いたことを思い出す。今でも出稼ぎ労働をこの地域の人達はしているのだろうか。
ガイドは有名な大曲の花火大会のことを説明してくれた。明治43年から始まった大曲の花火は日本一に格付けられており今では世界一のレベルに進化発展しているという。
全国から一流の花火師が集まり大会で腕を競うのだという。雄物川の河川敷で大会は開催されるのだが見物に訪れるマイカーで道路は渋滞し駐車場に車を止めてから河川敷まで歩くのにも時間がかかり大変だといっていた。車窓から本年8月23日(土)に開催された花火大会の見物席跡を目撃できたが田舎の河川敷でなら何処にでもみられる平凡な光景に過ぎない。
「大曲の花火」というサイトから大曲の花火の由来を引用すると次のように説明されている。
大曲で花火を打ち上げた歴史は古く、文献上では大曲に花火らしきものが初見されるのは、菅江真澄著の「月の出羽路」の大曲の項に描かれている民俗行事「大曲の郷の民流」の挿し絵にあります。「月の出羽路」は文化・文政期に書かれた地誌ですが、その挿絵に丸子橋の上を行く眠り流しの灯篭の群とともに後方の川原で打ち上げられている狼煙(初期の花火)が描かれています。
資料はありませんが、伝えによると当時、大曲は米産の中心であり、雄物川を利用した米・日用品・海産物などを満載した船便の発着する川港としても栄えていました。それにより、有力な地主・商人の繁栄も見え始めました。船の発着場周辺には豪商が軒を連ね、歓楽街・繁華街が形成され、商人の接待、また行事や祭などで、連日のように花火が打ち上げられるようになりました。
これには、常盤から秋田藩へくら替えとなった佐竹の殿様に随行していた花火師が雄物川の氾濫で六郷に足留めされた際、地元の美人娘と恋におちこの地に住み着いたため、この大曲・仙北を中心に花火の技法が伝わったと言われており需要に応える下地となっていったようです。 引用終り。
いよいよ今回の旅行の目玉である角館の武家屋敷街へ到着した。生憎小糠雨が降っていたが生い茂る巨木に潤いを与えていて風情がある。
みちのくの小京都と呼ばれる角館は、元和6年(1620)芦名義勝によって作られ、秋田藩の中では最も大きな城下町として発展してきた。武家町と町人町に区分けされた町並みは390年近く経った今でも、殆ど変わらない姿で歴史の息づいている町と巷間に言われている。
期待しながら町に入ってみると、先日訪問した大内宿の雰囲気とは異なった趣である。先ず驚いたのは各屋敷の敷地の広大なことと大木が屋敷内に生い茂る佇まいである。これだけの巨木が生い茂る屋敷町を見たのは初めてである。
武家屋敷通り(表町、東勝楽丁)は江戸時代から続く景観が維持されていて、国の重要伝統的建造物保存地区に選定されている。黒板塀が続き年経た大きな樹木の生い茂る通り沿いに6軒の武家屋敷が公開されている。
国道46号線の入り口から奥の方へ順に石黒家、青柳家、松本家、岩橋家、河原田家、小田野家である。その中代表的な石黒家と青柳家について「角館観光プレス2008わかば号」から引用すると
角館石黒氏は、明暦2年(1656)に佐竹家に召抱えられ富山より移住し、藩政期は財政面の役職を担っていました。秋田で初めて種痘法を取り入れた高橋久三郎など学者の出た家として知られています。現存の母屋は築200年ほどで、角館の武家屋敷の中では最も古いといわれており、角館の武家屋敷の中では唯一、末裔家族を始めとする案内人の説明を聞きながら屋敷内を観覧することが出来ます。見所として天然記念物の枝垂れ桜や推定樹齢300年の樅の巨木などの庭の木立、意匠を凝らした欄間などの建具、武具甲冑類「大日本史」や「解体新書の挿絵の写真パネル」、その他、貴重な古文書など多数です。
角館武家屋敷の中で最も代表的な青柳家には、角館にまつわる数々の貴重な品々が収蔵されています。例えば、武田流兜と呼ばれる「六十二間小星兜」があります。武田信玄の武田流ですが、青柳家が武田家の家臣だったことはなく、平安末期から鎌倉初期にかけて青柳家の主君・佐竹氏と武田氏が遠い親戚にあったため、武具が伝わったと考えられます。その後、芦名氏に仕えた青柳家ですが、芦名氏が世継ぎを失って断絶した後は、佐竹義隣が角館を引き継ぎました。義隣は京都生まれの公家であったこと、息子・義明の嫁が嫁いだ際に枝垂れ桜を持ち込んだことから、角館が「小京都」と呼ばれるようになったといわれています。青柳家は、納戸役を多く勤め、実録は104石で、高い格式を誇っていました。他にも初版の「解体新書」や「赤水の日本地図」など、貴重な所蔵品を数多く所有しており、それらの所蔵品からも幅広い交流関係や家柄が偲ばれます。 以上引用終り
青柳家に焦点を絞って見学した。個々の建物はさほど大きなものとは思えないが、用途別に幾つもの建家が広い敷地内に配置されている。
青柳家には「青柳家・武器蔵」、秋田郷土館、武器道具館、ハイカラ館などがあって、江戸時代〜幕末を経て昭和初期頃までの展示物は一見の価値がある。その一つの建物の中では桜皮細工や籠細工の実演もしていた。
団体旅行の時間的な制約がなければ気にいった場所で心置きなく素晴らしいひと時を過せるであろうにとの思いが強い。時間をかけて再訪して見たいところである。
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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大曲周辺の田圃、減反政策の影響で黄金色一色ではなく、緑色の野菜畠も混在する
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大曲花火大会の行われる雄物川の光景
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角館の佐竹歴史文化博物館
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武家屋敷通り
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武家屋敷入り口
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武家屋敷通り
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生い茂る巨木
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武家屋敷通りの土産物屋
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青柳家の説明
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青柳家の邸内配置図
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青柳家
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青柳家
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青柳家の武具蔵の甲冑
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青柳家の武具蔵の甲冑
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青柳家の武具蔵の鉄砲
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青柳家所蔵の巻物
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青柳家邸内の建物
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小野田直武の説明
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小野田直武の胸像
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青柳家所蔵の籾取り機
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青柳家所蔵の暖房器
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青柳家所蔵の農具
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青柳家所蔵の農具
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青柳家内で制作され販売されている桜皮細工
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青柳家所蔵の勲章、上段中央は金鵄勲章
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青柳家内の民芸品販売所に掲示されているイタヤ細工の説明
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青柳家内の民芸品販売所でイタヤ細工をする職人
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青柳家内の民芸品販売所のイタヤ細工
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青柳家邸内の郷土菓子販売所
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青柳家邸内の建物
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青柳家邸内の緑
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青柳家邸内の消防ポンプ
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青柳家邸内所蔵品の写真、入浴する女達、本邦初の女人裸体写真
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江戸時代の火消し達、出初式の模様
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青柳家邸宅内の建物
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青柳家邸内ハイカラ館の展示品の蓄音機
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青柳家邸内ハイカラ館の展示品の写真機
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青柳家邸内に保存されている祭りの山車
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角館の祭りの説明
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青柳家邸内社の説明
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青柳家邸内の御祭神の社
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青柳家の説明
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青柳家邸内の一点景
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青柳家邸内の古巨木
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武家屋敷の門
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角館名物の菓子・もろこしの説明
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武家屋敷・石黒家
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石黒家の説明
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石黒家
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石黒家
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石黒家の巨木
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石黒家の巨木
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石黒家の巨木
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武家屋敷の風格
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土産の菓子類
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武家屋敷通り
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生もろこし屋の水車
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