2008/08/29 - 2008/08/30
6420位(同エリア7494件中)
ちゃおさん
<閑さや岩にしみ入る蝉の声>
「山形領に立石寺と云山寺あり。慈覚大師の開基にして、殊清閑の地也。一見すべきよし、人々のすゝむるに依て、尾花沢よりとつて返し、其間七里ばかり也。日いまだ暮ず。麓の坊に宿かり置て、山上の堂にのぼる。岩に巌を重て山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ。」
これは松尾芭蕉の「奥の細道」の中の「山寺」を訪ねた際の書き出しである。この時芭蕉は46歳(その後51歳で没)。既に祖翁とも呼ばれる俳諧の師匠であった。芭蕉がこの山寺を訪れたのは元禄2年(1689年)5月のことだから、今から320年前の昔のことであった。
が正面の石段、根本中堂、山門、仁王門、開山堂、五大堂等々は昔と変わらない。変わったことと言えば、山門を潜り抜けた先の鬱蒼とした松柏の枝の繁りのみが320年の隔たりを感じさせた位か。
今京都では各寺社への入山料が500円から1000円への値上げ論議でかまびしいが、ここ「山寺」ではまだ320円の安さで、清和天皇下賜印の「立石倉印」の半券をもらい入山する。
このお寺は実に今から1140数年前、清和源氏の祖である清和天皇の頃、時の天台座主自覚大師円仁により開山されたものであり、東北地方随一の由緒を誇っている。
栃木生まれの円仁さんはこの「山寺」以外にも松島の「瑞巌寺」、象潟の「蚶満寺」、等々、今も現存する東北地方の著名なお寺の開山、開祖として名を印しているが、若かりし頃、中国五大山で修業を積み、その時の「入唐求法巡礼行記」はマルコポーロの「東方見聞録」よりも500年近くも前に書かれた書物であり、世界最古の「旅行記」とも言われている。
後年、駐日米国大使となったライシャワー教授がまだコロンビア大学で教職にあった頃、この「入唐求法巡礼行記」の論文で博士号を取ったのは有名な話でもあった。
その円仁さんが開山した「山寺」に今日来ている。320年前、旅に慣れ親しむ芭蕉も同じ様な気持ちで、この1015段の石段を登り、開山堂に向ったに違いない。
< 山寺や 往く夏惜しむ 蝉の声 >
< 山門を 入りて松柏 蝉の声 >
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