2008/05/25 - 2008/05/25
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しんちゃんさん
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お丸山公園は喜連川(きつれがわ)の中心部にある小高い山にある公園です。公園の南東部には喜連川で最初に築城された場所があります。写真は公園内の孔雀、オスが尾羽を広げてメスに求愛していました。「お丸山公園」と町内で有名なお寺「龍光寺」「光院」を紹介します。
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城跡はお丸山公園として利用されています。お城の代わりに、温泉施設「喜連川城」大人300円があります。しんちゃんお気に入り、お勧め温泉です。内湯のみ、かざりっけなし。熱いですよ。以前内緒で温度を低くしたら、地元のおじいさん方々が騒ぎだした事があります。お子様連れは「もとゆ」をお勧めします。
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展望台「スカイタワー」ここに似合わない施設ですが議会にて承認されたようです。高さ49mの展望塔で、展望フロアは約40mの高さです。最近は頂上の一部分が某携帯電話会社のアンテナにレンタルされたようです。良かったね収入源があって!ほとんど利用者が無いようでしたから・・・
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駐車場の真ん中に、足湯もあります。無料です。
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スカイタワー入場料金
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お丸山公園地図
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駐車場から東側「大蔵崎橋」を渡ると孔雀の巣と公園施設、遊歩道があります。「大蔵崎橋」は三の堀に掛けられた橋です。
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なぜか「孔雀」が狭い檻のなかで、十数匹飼われていました。交尾時期にオスが羽を広げてメスに求愛します。夏には羽は抜け落ち、来春までには又綺麗に伸びてくるそうです。
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止まり木で休憩中
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羽が折れている鳥もいました。求愛大丈夫かな?
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彼女に求愛しています。オスはメスの歩く方向に向いています。
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本邦初、孔雀のお尻です。失礼します!結構うしろも綺麗でしょ!
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「シャトルエレベータ」運賃片道150円。走行距離168.5m、高低差55.5m、最急勾配約440‰、定員12名、速度45m/sだそうです。
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ニの堀にかかる「背山橋」立て札からです【「背山橋」本名高塩正庸、背山はその号である。背山は明治十五年喜連川横町に生れる。高塩家は永禄六年(1563年)より喜連川神社に奉仕する由緒ある神職の家である。長じて群馬県立前橋中学校に入学したが同校五年病にて止むなくて退学郷里に引きこもり生涯を殆んどこの町で過ごした二十四歳頃より歌の創作を手がけられ投稿によって才能ある多くの青年歌人を知った。若山牧水もその一人である。高塩家は八人の子供を抱え恵まれない家庭経済の中にあって良く忍従短歌を詠むことに生甲斐を求めたのである。“貧しとて飯に替ふべき歌ならね歌はでをれば死ぬるここちす”歌人背山の面目躍如たる一詩である。先達の偉業を賛えると共にその行跡を永久に残すべくこの橋を「背山橋」と名付けたのである。
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一の堀にかかる橋。名前は見当たらなかった。うしろは喜連川の町東側部分。真中上の建物はハートピアきつれ川
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二の堀と三の堀の間の遊具施設。
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一の堀とニの堀の間に城の概要と喜連川歴代城主の名前が載っていました。
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堀の概要。
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山ですから“堀”と言っても空掘りです。一の堀部分。
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お丸山と町を、うろうろしていると、記念碑発見!すかさず違法駐車して碑文を読みにいきました。何か特別な記念碑かな?碑文内容です。【時の流れは吾々生活の分野に急速なる革新をもたらし特に通信情報界における敏速性と頻度性とはひやく的に上昇し一刻も早く之が施設の増加拡充の要を訴うるに至れり。かくて本町に於ても農集電話架設の声は澎湃(ほうはい)として起る。茲に於て本町一体となりその実現を期し昭和四十五年九月完成を目途として今年三月着工に決定幸いにして電々公社町当局農協等の格別なる理解援助の下に工事は順調に進捗今年九月二十五日午後三時開通の運びとなり十月九日竣功の祝典を挙(あ)ぐるに至る。・・・続く
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・・・碑文続きです・・・この間日夜を分たぬ係員努力町民の惜しみなき協力工事関係者の優秀なる技術と相俟って此の完成をみたるは洵(まこと)に感謝に堪へず。本町将来の発展に寄与する所少なからざるを信じ真に慶加措く能はす。茲に記念碑を建て永く後世に伝へんとするものなり。昭和四十八年十月卅日 撰文並揮毫 花塚武之助】NTT喜連川電話交換局前に立派な大谷石に大理石に書かれた物でした。35年前に電話が開通したんですね!関係者の皆様ご苦労様でした。
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「龍光寺」山門。さくら市喜連川支所の東側にあります。
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本堂。寺と院は何が違うか?疑問に思い調べて見ると・・・教えてgooに答えがありました。「なるほど!」です。http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2842040.htmlに詳しく載っています。
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龍光寺、本堂の鰐口と綱
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扁額
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本堂、扁額わきの彫刻(戸の飾り?)
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境内の芍薬(しゃくやく)と思う!牡丹と似ている!
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檻に入った仏陀、石塔の窓でした。
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境内の北側に林に囲まれた、足利家のお墓がありました。
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しおり戸風な立派な門があります。しかし、土手は低く、他の場所から入ることもできます。
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歴代のお墓が、ずらり並んでいます。
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野仏に似ている石碑発見
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もう少しで、フランネルソウ和名、酔仙翁(スイセンノウ)が今にも咲きそうでした。
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境内の北東にひっそりと倉庫があり、秘蔵の木像があるらしい!いつ蔵出ししてくれるのだろうか?
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秘蔵の木像がこの中に・・・
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「曹洞宗 光院」お丸山の南側にあります。「光寺」ではないんですね!
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山門
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扁額、法常山、光院・・・寺の名前は付かないのだろうか?
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さくら市、パンフレットからです、【恵心僧都の開基とされており、初代喜連川国朝公は、ここに葬られています。国朝の母、法名を光院といい、これにより光院と呼ばれております。また、禅宗寺ゆえに、ダルマと縁があり、先祖代々住職は、石物ダルマを製作。その数は、千体有余にのぼります】
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本堂内部。あまりにもさっぱりとした、お寺でした。ダルマは何処にあるのだろう?
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本堂前から、内部を盗撮!
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本堂前の梵鐘
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最近の製作でした。・・・昭和30年4月30日 法常山光禅院・・・の文字が見えます。
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賽銭を抱きかかえる子坊主さん
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参道南側の阿弥陀如来
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参道北側の阿弥陀如来、「重要文化財、銅陀阿弥陀如来坐像」の石碑。足利昭氏公が姉と甥の菩提のために建てたそうです。製作年代を見たら、貞享(じょうきょう)年代(1684年代)こんな貴重なものを、雨ざらしで良いのかな?
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お寺は祭事のようであり、境内の花の写真を撮るだけにしました。綺麗にさいていたナスタチウム。達磨は次回にしましょう・・・
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光院から眺める、荒川河川敷で行われている、ポピー祭り会場。
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