2008/05/02 - 2008/05/07
5348位(同エリア7879件中)
山菜迷人さん
5月4日(日)
今日は、メコンデルタ体験ツアーに出かけることになっており、6時半にホテルのロビーにSさんが迎えにきた。歩いて、シン・カフェ・ツアーに向かう。途中、大きな通りを渡るたびに、圧倒的なオートバイの群れに驚かされる。Kさんの弁によれば、「去年来たときはヘルメットをかぶっている人はほとんどいなかったけれど今年はみんなヘルメットをかぶっとる!?」らしい。Sさんに聞くと、「半年ほど前法律が変わって、ヘルメットが義務付けられたんですね。でも、実はこの中で免許を持っているのは4割もいないと言われています。」などという。だから、交通法規を守って走っているオートバイが少ないのか!!って、そんなところで納得していいのかなぁ。でも、それが現実らしい。
警察も取り締まっているらしいのだけれど、圧倒的なオートバイ人口の前に、焼け石に水の状態というか、もともとベトナム人には「まぁ。いいじゃないか。」という気分が強いらしく、そんなに目くじら立てて取り締まることはしないらしい。特に、知り合いともなれば、事実上フリーパス。そこに、汚職、袖の下、腐敗という事件を生む温床があるようだ。
何本かの大通りを横断して、いくつかの曲がり角を曲がり、交互通行のそんなに広くない通りに面してシン・カフェ・ツアーはあった。両替商も兼ねており、昨日の夜遅く到着したグループが両替をする間僕は待っているほかなく、すさまじい人の群れに翻弄されながら、物売りの攻撃をかわしつつ時間を稼ぐ。全員の両替が終わったところで、今回のツアーの責任者(?)のIさんがまとめて『メコンデルタ一日体験ツアー』のチケットを買う。
シン・カフェの二階で朝飯。Sさんがフランスパンのサンドイッチを買ってきてくれている。この、フランスパンのサンドイッチがこちらの朝飯としては定着しており、日本のような、食パンのサンドイッチは無いようだ。フランスの植民地時代の名残をこんなところに見つけるなんて・・・っていう感じかな。食事を終え、バスの時間が来るまでやり過ごし、出発地点あたりに移動するのだが、すごい人の波、波、波だ。ワンダーフォーゲルのホーチミン市内の拠点がこの辺りにあり、ヨーロッパ系、アメリカ系、アジア系、様々な人種が観光に訪れ、シン・カフェ・ツアーの企画のような体験ツアーに出発していく。立錐の余地もないくらいに人が集まってい、決して広くない道路を大型観光バスが入ってきて、五〇人くらいずつ人を呑み込んでは、メコンデルタへ、Cu Chi(クチ:南ベトナム解放戦線の地下トンネル)へ、その他あちらこちらのツアーコースに旅立っていくのだ。
8時20分、僕らの行く『ミトー、メコン河ツアー』の出発の時間がきたのだが、直前、青ザイ姿の若々しい二人の女性につかまって、手作りのありがたそうな梵字の書かれた数珠(ブレスレット?)を、1個1ドルで二人から一つづつ購入することになった。家への土産にでもするしかないか。
バスの車中で、Kさんは朝食の時に飲んだビール(僕は甘い温かいコーヒーを飲んだ)が効いたのか、すぐに居眠りを始める。市内を走る間、ただただ、そのオートバイの多さに驚き、道中の埃の舞う軒先に必ず出ている様々な食材や衣料品などを売る、バザールと呼べるのかどうかは別として、現地の人たちのお店の多さに驚き、サプライズの連続なのだ。市内を抜け高速道路に出ると、今度はひたすらまっすぐ走るその潔さに感心する。小一時間はひたすらまっすぐ南西に向かって走った様に思うね。それと、驚くのは、車の車線が3車線あるんだけれど、その隣に、オートバイ専用レーンが作られているってこと。いかにオートバイが大衆の足として定着しているかってことだよね。そういえば、後で調べて分かったことだけど、ベトナムの免許制度の中では、50cc以下のバイクは免許がいらないんだね。つまり日本の原付は無免許で乗れるってこと。Sさんの言っていたことは、それも含めてのことではないのかな。それならばまだ納得できる。
高速道路を下りて突きあたりを左折する。田舎に入ってきたようで、メイン道路は舗装されているが、そこへ流入する道路に未舗装の道路が目立つ。市内よりもさらに埃を巻き上げながらバスは走る。はだしの子供が家から出てきて、隣の煉瓦の塀に向かっておしっこをしたり、埃の舞う中で破れかかったテントの店先のバイクの上で寝ころぶおやじ、わずかなスペースを店にして、手作りの何か、自分で作った果物、ジュースや水ビールなどを売るおかみさん、ホーチミン市内同様、並ぶ家々の前には必ずと言っていいほど出店がしつらえてある。古い壊れかかった様に見える家、裸足の住人、薄汚れた店先、並ぶ商品のみすぼらしさ、どうしようもない『貧困』しかそこにはないように僕の目には映る。
日本が第二次世界大戦の敗戦を迎え、平和憲法ができ、高度経済成長に向かい始めた時期にも、ベトナムは戦火の中にあった。1975年のベトナム戦争の勝利まで、超大国のアメリカと戦い続けたベトナム。その代償はあまりにも大きかったのではないか。枯れ葉剤に汚染された大地は疲弊し、戦争に明け暮れる中で祖国を守ることが第一義で義務教育も受けることができない文盲の国民大衆が戦争が終わって手にしたものは、戦争による直接的な国土の被害と健康の破壊、そして貧困なのだ。
同時に僕が驚くのは、貧困の底にありながら彼らが失望していないということだ。小さなスペースであろうと貪欲に店を出し、壊れれば自らの手でそれを直し、汚れれば拭いて、古ぼけていても大切に使い続けて、そうやって生きているってことだ。家の前で難しそうな顔をしている親父も、こちらから「シン チャオ!」と声をかければ、たちまち相好を崩して「シン チャオ!」と挨拶を返してくる。その笑顔に失望の色は見えなかった。
メコンデルタに到着しバスを降り、船に乗り換える。ここに、大きな吊り橋がかかっているのが見える、全長2.5キロって言ってたように思うけれど、このつり橋工事を請け負っているのが日本のK建設だってことは触れられなかった。ベトナムの社会資本の整備はこれからどんどん進められていくのだろうな。そのつけを貧困の底にいるこの国の国民は負担することができるのだろうか。それとも、政府は、社会資本整備のための費用を別に調達する術があるのだろうか。私が心配してもどうなるものでもないかもしれないが、気になるところだ。そしてその社会資本整備に便乗して利益を上げようと日本の大手ゼネコンが進出してきている。どう評価するのが正しいのか、僕には今、答えを出すだけの知識も情報もない。しかし、この国の将来に日本の資本が関与している事実はしっかり認識しておかなければならないのだ。
最初の島(タイソン島だったっけ??)に渡り昼食、ビールとエレファントイアフィッシュの丸焼きを春巻きの皮に包んで食べる。昼飯を済ませた店のすぐ脇が船着き場になっており、そこに、さっきのってきた船が停泊していた。再び船に乗り込み、細い流れに入っていく。降りたすぐ先に、蜂の巣箱がたくさん並べられており、そこは、果樹園と養蜂場になっているらしい。島で採れた果物と蜂蜜入りのお茶をごちそうになり、ベトナムの歌声にしばし休息。ここでアクシデント発生。僕を入れて10人で行動していたのだが、他の9人の姿が見えない。みんな迷子になってしまったようだ。さて、困ったものだと思いながら、ガイドに従って果樹園を抜けると、馬車が待ってい、6人づつ馬車に乗り込む。僕も、韓国人のグループといっしょに馬車に乗り、小舟に乗ってメコンデルタの密林を抜けるという、冒険心をくすぐるツアーの出発地へと向かうのだ。馬車に揺られながら両側に広がる畑とそこに点在する民家、そしてその民家での暮らしぶりを観察する。
小さな家、家具などもほとんど見えない。笑い転げて遊ぶ子供、寝っ転がって怖そうな顔で外を睨むお父さん、試みに「シン チャオ!!」と笑顔で声をかけると、先ほどと同様、目じりを下げながら「チャオ! ユー コリアン?」などと返事を返す。声をかければ人懐っこそうな表情になるが、こちらが怖々と見つめるとその表情は硬いままだ。一歩こちらから踏み込めば認めてくれるおおらかさを持っているのだ。ただし、意外とちゃっかりもしており、家の軒先で売っている物についてはこちらの足元を見てふっかけてくる。でも、「Mac qua!(マックァー・語尾をあげる) Bot di(ブッディ・語尾を上げる)(「高いよ。安くして」の意らしい。良くわからないが、そのように聞いたと思う・・・。)」とジェスチャーを交えて笑顔で交渉すれば、すんなり安くしてくれたりする。よき隣人になれそうな雰囲気はあるけれど、もっと良く付き合ってみなければ本心はわからないのかもしれないけどね。
小舟ツアーの船着き場につくとみんなそろっており、ビールなどを飲んでいる。「みんな一緒に迷子になっちゃうんだから心配したよ。」と声をかけると、「迷子になったのは君の方だ。」と逆襲に合った。そう言われてみればそうだ。僕だけが乗り遅れていたのだから・・・。小舟に揺られながら細い流れを進む。船の舳先に若い娘さんが座り小ぶりのオールで水をかく。4人の乗客が乗り、一番後ろに和舟の呂のようなものをおそらく舳先の娘さんのお母さんと思われる妙齢のご婦人が操る。そうやって、密林のような、農園のような、よくわからない景色の中を小舟は進んでいく。流れは相変わらず濁ってい、川魚の影も見えない。20分ほどで川幅が広がり、メコンの流れを渡ってきた船が待っていた。
小舟から船に移り、次々と小舟で渡ってくる乗客を眺めがら、のんびりとした船で移動する時間感覚がこのデルタ地帯に生きる人たちの時間感覚なのだろうなという考えが浮かんできた。だから、店先で暇そうに寝転がっている親父だってそれで十分仕事になっているのだ。今日一日、飯を食うための糧がそこにあれば、彼らは困ったとは思わないのだ。「立って半畳、寝て一畳。」日本にだって良い教訓があるのだけれど、エコノミックアニマルの時代にそんなことはすっかり忘れてしまった感覚かもしれないが、それがここベトナムにはあるのだ。そんなことに思いつた僕は、一人、悦に入って思わず笑いがこぼれた。それを見ていたガイドの青年が、「何か、良いことあたか?」と日本語で聞いてきた。僕は「I meet you., and I am happy now. ! 」と英語で答えてやったら、「I'm happy too !」と返してきた。なんだかおかしくて二人で顔を見合わせて大いに笑ったが、他の乗客からの「何が可笑しいんだか??」という不思議そうな視線を背中に感じていた。
メコンデルタツアーの最後は、果汁を使って飴を作っているキャンディー工場だ。工場といっても柱と屋根だけで壁があるわけではなく、そこで、原始的な方法で飴玉が作られている。Mさん(元の上司で定年退職後悠々自適な暮らしをしている)とT会長(息子の社長の出来が悪くて引退できない零細印刷会社の老会長)のために飴を二袋買った。
これで、メコンデルタツアーも終わり、中洲の島からミト―に戻りバスでホーチミンまで帰る。しかし、ドラマはそれだけでは終わらない。バス乗りこんだらKさんがビールを買ってきて1本くれたので、トイレのことが頭をよぎりながら、そのまま勢いで飲んだのはいいけれど、しばらくしたら尿意を催してきて、さあ大変。でも、来るときは途中休憩があったので、一時間もすれば・・・と高をくくっていたが、止まる気配がない。だんだん切迫してくるし、どうしたものか・・・やきもき感の高揚の中で、「止まってもらうにしてもトイレがないと・・・いざとなったら立ちションするか・・・いやいや、それはまずいだろう。これだけオートバイが通っているし・・・。」と逡巡することしばし。すると、そんな僕の気分を察してくれたのかどうか、バスが右により、やがて止まるではないか。僕の願いが通じたのかと思ったら、そうではなく、ファンベルトが切れたようで、エンジンがオーバーヒートしそうになったようだ。
何人かが車外に出て、運転手が修理する様子を眺めたりしてい、K下さんが立ちションに行くというので、もっけの幸いと僕もK下さんと連れション。同行のK田さんがバスの後方で手招きするので近づいていくと、修理の様子を見ながら煙草を吸っており、道路わきの土木工事会社らしい会社の庭を指差して「あそこで餌をつついている小さいのはチャボみたいだけど大きいほうの鳥は何かねぇ?」と聞いてきた。よく見ると確かにユンボ、ユンボというのは、もともとは、フランス・シカム(現・ユンボ)の製品で、同社と技術提携した新三菱重工(現・三菱重工業) が、1961年に代表機種の Y35 を初めて国産化した際に「ユンボ」の名称で発売したものである。同商品の性能のよさもあり、その名称が油圧ショベルの代名詞として浸透した。このため、早くから油圧ショベルを利用してきた土木建設業界では「ユンボ」の名称が「油圧ショベル」の代名詞として使われている場合が多いのだが、そのユンボの周りで10羽ほどの鳥がえさをついばんでいる様子が見える。K田さんの言うとおり、チャボと雁鴨系の鳥がいるので、「大きい方はアヒルかなんかではないですか。」と答えた。「へぇー、そうなんだ。」と何かに感心しながら煙草を吸うサングラスをかけたヤンキーおばさんという感じのK田さんだった。
そうこうしている間にも、ひっきりなしにオートバイがバスの脇を通り抜けていく。常に数十台のバイクが流れていく様はまさに圧巻としか言いようがない。まるで川の流れのように、淀んだり、曲がったりしながら、しかも絶えることがない。そのバイクの流れをボーっと眺めていると、「修理が終わったからバスに乗れ。」と(言ったのだと思う。)運転手。バスに乗り込み、川の流れを妨げる障害物のようにバイクの流れに割り込んで、バスはホーチミン市内を目指すのだった。
シン・カフェの前でバスを降り、ホテルまで歩く。バスの故障があり、予定時間よりだいぶ遅れ19時にホテルに着く。いったん解散し、19時半にS藤さんと合流し食事に行くことになった。部屋に戻り、カメラなどの荷物を置いて、ロビーに降りる。ここ
で、I井さんグループとK下さんの間にギクシャク感が・・・。それは、どこに飯を食いに行くかということでの意見の食い違いだった。
I井さんと一緒に来たグループの中に、ベトナムの食事が自由に食べられない人が参加しているということにK下さんが少し腹を立てたようだ。I井さんが、
「日本食の店に行こう!」
と言い。K下さんが、
「日本食は日本に帰ったらいやになるほど食えるやないか。ベトナムに来て何でわざわざ高い日本食を食わなあかんのや。」
と言う。僕は、K下さんと同意見だが、せっかくの10人グループがばらばらになるのもいかがなものかとも思う。できれば、K下さんが折れて、一緒に日本食でも良いやないかと思うのだが、K下さんは自説を曲げる気配はなく。
「ビアホイという、自家製ビールを飲ませるような店が良い。」
と言い出す。S藤さんがきて、他のみんなも降りてきたので、I井さんが、
「日本食を食べに行くグループとベトナムの屋台に行くグループに分けたいと思います。」
と提案。女性陣の中で一番の年長のN村さんが、
「K下さん、いいやないの。一緒に日本食食べに行きましょうよ。」
と声をかけたが、K下さんは、
「ベトナムに来てまで日本食を食わんでもよろしい。日本食は帰って食べてください。今日は、ベトナムらしく屋台で食べましょう。」
と自説を再度披露。S藤さんが
「どんなところが良いですか。」と聞いたのにK下さんは
「ビアホイに行ってみたい。」
と即答した。
「ビアホイはメーカーがやっているのもあるけれど、自家製ビールで、簡単なつまみで飲ませるところがあちこちにあるんだけど、このホテルの近くにあるかどうか。」
と言いながら、ホテルの職員に確認すると、なんとすぐ隣にビアホイがあるという。行ってみると何もない暗がりに、ランプの光に浮かぶ数人の影。この場所がビアホイになるのだという。今から、椅子を並べ机を出して、即席屋台が出来上がるようだ。そしてバロット(Balot)という卵の中で雛が育ち始め、孵化前の状態でゆで卵にしたものなどを肴にビールを飲むのだという。ここで僕に拒否反応が出た。
「『卵の中で雛が育ち孵化前の状態を茹で卵にした』というバロットだって!んなもん食えるかいな!無理、無理。」
と心の声が聞こえた。で、K下さんに、
「それは、ちょっと厳しいですね。」
と言ったら、
「仕方ないな。そんなら、屋台に行くか。」
ということで、結局今日もK下さんと二人で屋台に行くことになった。
ベンタン市場のテントを張った屋台の一角に陣取って、川海老のチリソース、鰻のぶつ切りの炒め物、生春巻きなどを肴に、サイゴンビールを飲む。しこたま飲んで千鳥足、他の屋台を冷やかしながらホテルに戻って爆睡。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー
- 航空会社
- エバー航空
-
メコンデルタに架かる橋
-
メコン川をゆく
-
ガイドの青年
-
この小舟で小さな流れを越えてクルーズ(?)
-
果樹園で蜂蜜入りのお茶の接待を受けました。
-
一緒にツアーに参加した韓国(かな?)の女性。
-
果実をディスプレイに使っている。雰囲気でてますよね。
-
果樹園の中の売店
-
水辺を越える橋。竹でできている独特な橋。これもメコン河っていう感じの小景だね。
-
果樹園から馬車で移動
-
果樹園に咲く花
-
同じ種類の花かなぁ?
-
ココナツを絞ってその澱粉を蒸し、春巻きの皮を作っているのかな?
-
売店の少女
こういう若い美人に弱いのは万国共通らしく、大変賑わっていましたね。 -
彼女のアップ写真です。
-
船の後ろで物思いにふけり流れていく景色を眺める。こういう雰囲気のある写真が良いでしょ!
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
16