2008/03/09 - 2008/03/12
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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<<九州縦断2200Kmの車旅★最終回★>>
■【手記】
九州縦断2200Kmの車旅、最終回になりました。旅行記が合計38冊になりました。
車旅2200Kmより、旅行記作成のほうが長かったよーナ(^^;)。作成、丸1ケ月、チカレマシタ− ∠(;´_`;)ゝ フーッ=33
●●九州縦断2200Kmの車旅足跡●●
2008年3月9日〜3月12日
≪1日目≫
広島県廿日市市「廿日市インターON」
山口県防府市「佐波川SA」
山口県下関市「関門橋」
福岡県苅田町「北九州空港インターOFF」
福岡県苅田町「サンルート苅田跡地」
福岡県京都郡「椎田道路ON OFF」
大分県中津市「奥平神社」(中津大神宮)
大分県中津市「中津城」
大分県中津市「福沢諭吉旧居」
大分県中津市「福沢諭吉記念館」
大分県中津市「宇佐神宮」
大分県宇佐市「貴婦人橋」
大分県宇佐市「下市磨崖仏」
大分県宇佐市「楢本磨崖仏」
大分県宇佐市「東椎屋の滝」
大分県宇佐市「熊野神社」
大分県宇佐市「アフリカンサファリ」
大分県由布市「狭霧台」
大分市野津原町「今市の石畳」
大分県豊後大野市「水車通り」
大分県豊後大野市「原尻の滝」
大分県竹田市「岡城址」
大分県竹田市「殿町武家屋敷通り」
熊本県高森町「月廻り公園」
宮崎県高千穂町「道の駅高千穂」
≪2日目≫
宮崎県高千穂町「高千穂峡」
宮崎県高千穂町「高千穂神社」
宮崎県高千穂町「天岩戸神社」
宮崎県高千穂町「国見ヶ丘」
熊本県山都町「通潤橋」
熊本県山都町「通潤山荘」
熊本県美里町「霊台橋」
熊本県宇城市「松橋インターON」
熊本県人吉市「人吉インターOFF」
熊本県人吉市「人吉城」
熊本県人吉市「人吉駅前」
熊本県人吉市「永国寺」
鹿児島県大口市「曽木の滝」
鹿児島県大口市「曽木水力発電所跡」
鹿児島県霧島市「横川インターON」
鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターOFF」
鹿児島県鹿児島市「城山公園」
鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターON」
鹿児島県霧島市「国分インターOFF」
鹿児島県霧島市「上野原遺跡」
鹿児島県霧島市「シティーホテルIN国分」
≪3日目≫
鹿児島県霧島市「鹿児島神宮」
鹿児島県垂水市「道の駅たるみず」
鹿児島県鹿児島市「桜島埋没鳥居」
鹿児島県鹿児島市「桜島黒神食品」
鹿児島県鹿児島市「有村溶岩展望所」
鹿児島県鹿児島市「若宮神社」
鹿児島県鹿児島市「愛宕・枚聞神社」
鹿児島県鹿児島市「桜島自然恐竜公園」
鹿児島県鹿児島市「桜島フェリーターミナル」
鹿児島県鹿児島市「桜島烏島展望所」
鹿児島県鹿児島市「桜島叫びの像」
鹿児島県鹿児島市「林芙美子文学碑」
鹿児島県鹿屋市「鹿屋体育大学」
鹿児島県鹿屋市「鹿屋航空基地」
鹿児島県東串良町「唐仁古墳」
宮崎県串間市「都井岬灯台」
宮崎県串間市「都井岬ソテツ自生地」
宮崎県串間市「幸島」
宮崎県日南市「鵜戸神宮」
宮崎県日南市「鬼の洗濯板」
宮崎県宮崎市「平和台公園」
宮崎県宮崎市「はにわ園」
宮崎県宮崎市「宮崎西インターON」
熊本県玉名郡「菊水インターOFF」
熊本県玉名郡「道の駅きくすい」
≪4日目≫
熊本県玉名郡長洲町「長洲港」
熊本県熊本市「熊本城」
福岡県大牟田市「道の駅おおむた」
熊本県熊本市「加藤神社」
熊本県阿蘇郡「阿蘇観光ホテル跡」
熊本県阿蘇郡「風の丘大野勝彦美術館」
熊本県阿蘇郡「米塚」
熊本県阿蘇郡「草千里展望所」
熊本県阿蘇郡「阿蘇山ロープウェー乗り場」
熊本県阿蘇市「カドリードミニオン」
熊本県阿蘇市「はな阿蘇美」
熊本県阿蘇市「阿蘇神社」
熊本県阿蘇市「阿蘇一の宮門前街」
熊本県阿蘇市「阿蘇地方?城山展望所」
熊本県阿蘇市「大観峰」
熊本県阿蘇郡小国町「道の駅小国」
熊本県阿蘇郡小国町「杖立温泉」
大分県日田市「日田駅」
大分県中津市本耶馬渓町「青の洞門」
福岡県北九州市「めかりPA」
山口県下松市「下松SA」
広島県廿日市市「廿日市インターOFF」
広島市自宅着
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車
-
大分県日田市
■日田駅前
日田市内も、妻とのいろいろな想い出があり、懐かしいですね。
日田は深い想い出がある地なのですが、この2年何度も訪れていますので通過します。青の洞門へ向かいました。 -
大分県本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
今回のひとり旅、青の洞門は最後の訪問地になります。ここ耶馬溪は、私たち夫婦にとって大変想い出深い土地です。
2002年3月は妻とともに、2006年4月と2007年9月は私ひとりで訪れました。今回が4度目になりました。 -
大分県本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
青の洞門は、大分県中津市本耶馬渓町にある耶馬渓の山国川に面してそそり立つ競秀峰の裾にある洞門(トンネル)である。
大分県指定史跡。 -
大分県本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
まさに岩をも通す!固い意志に驚かさる。全長は約342m。1763年4月完成といわれている。 -
大分県本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
1950年(昭和25年)に耶馬日田英彦山国定公園に指定。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
諸国遍歴の旅の途中ここに立ち寄った禅海和尚は、断崖絶壁に鎖のみで結ばれた難所で通行人が命を落とすのを見て、ここにトンネルを掘り安全な道を作ろうと、托鉢勧進によって掘削の資金を集め、石工たちを雇って「ノミと槌だけで30年かけて掘り抜いた」といわれている。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
この逸話を元にして書かれたのが菊池寛の『恩讐の彼方に』であり、「青の洞門」はこの小説の中で命名されたものである。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
現在は、自動車を通過させるため(旧国道212号)、完成当時よりかなり変形しているが一部にノミの跡が残っている。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
地形の関係上車幅が狭く、信号を使った交通整理(片側交互通行)が行われている。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門
開通後、禅海が通行人から通行料を徴収したという話が伝わっており、この洞門は日本最古の有料道路とも言われている。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
〜大分県の民話より〜
むかし、樋田から青(いずれも今は本耶馬渓町)へ行くには、岩かべにつくられた(鎖渡し)の道をわたらなければならなかった。
この道は、山国川の上にそそり立つ岩かべにそってつくられた道で、ここをとおるときは、岩かべにはられた鎖を命づなにしてわたっていた。それで、村人たちは、 この難所を(鎖渡し)とよんでいた。
鎖渡しで、足をすべらせて、下の山周川におちて死ぬ人があとをたたず、だれもがこまっていた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
享保19年(1734年)のことであった。この鎖渡しのある岩かべに、ひとりの旅の僧が、衣のそでを背にむすんで、のみをふるいはじめた。僧の名まえは、禅海といった。
禅海は、もと越後(今の新潟県)高田藩の武士の子で、小さいころの名まえを福原市九郎といった。市九郎は10歳のときに父をなくし、母とふたり、江戸(今の東京)にでてくらしていた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
だが、父のいない市九郎親子のくらしは、みじめなものであった。母はやがて病気になってしまった。
市九郎は病気の母のことはにも耳をかさないで、悪いなかまにはいり、けんかをしたり物をぬすんだりして、ついにはもののはずみから中川四郎兵衛という人を殺してしまった。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
母は心配のあまり、とうとう、市九郎をのこして死んでしまった。
母の死で目がさめ、悪いなかまからぬけだした市九郎はこれまでの罪をつぐなうため、僧となって、国じゅうをめぐりはじめた。
そして、この耶馬渓まできたとき、多くの人たちがこまっている(鎖渡し)のことをきいて、そのままとおりすぎられなくなったのだった。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
カッツン、カッツン……。
禅海のふるうのみの音が、耶馬渓の谷間にまい日ひびくようになった。
とおりがかりの村人が、「お坊さん、どうなさるんで……。」と、きいた。
「この岩をけずって、青にぬける道をつくるのです。」
このことばをきいて、村人たちは、耳をうたがい、顔をよせあった。
禅海ほそうした村人たちにかまわず、雨の日も風の日も、やすむことなく力をこめて、のみをふるった。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
しずかに念仏をとなえながら、じぶんが殺してしまった、中川四郎兵衛への、罪のつぐないをしょうと、いっしんにほりつづけていった。
日ましに着ものは破れ、かみもひげも、伸びほうだいに伸びていった。
3ケ月、6ケ月と月日がたっていった。村の子どもたちがあつまってきては、あざけて石をなげたりしても、禅海はあいかわらず、手をやすめることもなく、じっと念仏をとなえながら、のみをふるった。
はじめは、わずかな岩穴であったのが、だんだんとふかく大きくなっていった。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
それからまた、1年、2年、3年と月日がたった。花がさき、雨がふり、風がふき、雪がふりつもっても、禅海はいっしんにのみをふるいつづけた。
じっとひとりすわって、のみをふるう禅海に、いつしか、村人たちも心うたれ、
「あの坊さまは、えらい坊さまじゃ。」
「やあ、お坊さま、わしらもかせいさせてもらいます。」 といって、手伝う者がでてきた。
石をなげつけたりしていた村の子どもたちまでも、「お坊さま、てつだいましょう。」と、岩くず運びをてつだうようになった。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
やがて、26年の年月がながれた。光もまったくとどかなくなった岩穴のおくで禅海は、なおも、かすかな灯をたよりに岩かべをほりすすめていた。
そんなある日のこと、ひとりの武士がこの岩あなにやってきた。岩くずをはこんでいる村人に、「ちょっとものをたずねるが、岩かべをほっている僧は、福原禅海というものではないか。」と、たずねた。
村人から武士のことをきいた禅海は、暗い穴の中からでてきた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
年も60歳をこえているうえ、ひたすら岩かべをほりつづけたため、すっかり体がよわりきっている禅海にむかって、
「禅海、わすれたか。わしは、お前に殺された中川四郎兵衛の子、実之助だ。父のかたき討ちにきた。かくごしろ。」と、武士がさけんだ。
このことばをきいた禅海は、
「なんで忘れましょう。この四十年間、あなたの父上をころした罪に、いつも苦しんできました。」
「その罪ほろばしのために、穴をほりつづけているのです。」 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
「もうすこしです今、あなたの手にかかって死ぬのが本当ですが、あと三年、命をかしてください。」
「この洞道ができましたら、いつでもあなたに討たれます。どうかおねがいします。」
と、手をついてたのんだ。
しかし武士は、「いや、ならぬ。かくごしろー」と、刀に手をかけた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
そばでようすを見ていた、跡田村の庄家喜作さんは、けんめいにふたりの中にはいると、実之助に、禅海の三年の命ごいをして、工事をつづけることにした。
実之助は、樋田村の庄屋小川家にとまって、禅海を見はることにした。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
禅海は、このことがあってから、いっそうのみをふるう腕に、カをいれていった。まい日まい日、いっしんに穴をほりつづけた。村人たちも、禅海といっしょになって、けんめいに工事のかせいをした。
禅海を見はっていた実之助も、早くかたきを討ちたいいっしんから、たすきがけで、てつだいはじめた。
実之助は岩穴をほることをてつだってみてはじめて、この洞道をつくることが、どんなにたいへんな仕事かということを、ひしひしとかんじるのであった。
カツーン、カッ、カッ、カツーン……。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
いっしょにのみをふるううち、禅海の真心が実之助のむねにひびき、身にこたえ、心のおくふかくまでしみこんできた。
実之助のふるうのみのひとふりごとに、禅海へのにくしみがうすらぎ、禅海とともに洞道をほりあげることだけに、力がそそがれていった。
こうして、ついに宝暦13年(1763年) の秋の夜ふけ、実之助がきてから3年めのことであった。
禅海が岩かべにむかってのみをふるいはじめてからでは、およそ30年の月日がすぎていた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
やせおとろえた禅海のうったのみのさきに、ぽっかりと小さな穴があいた。その穴のむこうに、月あかりの中から、山国川のしずかなながれが、禅海の目にはっきりとうつった。
「うううう………。」
30年間の苦しみと喜びが、心の底からわきでるような声となって、禅海の口からしぼりだされた。
禅海は、30年間という月日をじっとかみしめるかのように、しずかに目をとじた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
やがて、目をひらいた禅海は、「中川さま、見てください。やっとほりぬくことができました。」と、いいおわると、実之助の手をしっかりとにぎりしめた。実之助も、禅海の手をにぎりしめた。 -
日田市本耶馬渓町<青の洞門>
■青の洞門「伝説」
にぎりしめたふたりの手から、憎しみも、苦しみも、悲しみも、すべてが山国川のながれの中に、ながれさっていった。
こうして、30年にわたる禅海の血のにじむような努力によって、青の洞門は開通した。
それからのち、ここをとおる旅人も村人も、あのけわしい鎖渡しをわたることもなく、行き来できるようになった。 〜大分県の民話より〜 -
日田市本耶馬渓町<耶馬溪橋>
■耶馬溪橋
青の洞門より200〜300メートル下流に位置する耶馬溪橋は、山国川周辺地区の観光・生活道路整備の一環として、大正9年(1920年)から12年(1923年)にかけて、村人らの寄付により架橋された。 -
日田市本耶馬渓町<耶馬溪橋>
■耶馬溪橋
形式はわが国唯一の8連石造りアーチ橋。
当時、長崎県で多く見られた平行布積み方式の工法を採用したこともあり、オランダ橋とも呼ばれている。 -
日田市本耶馬渓町<耶馬溪橋>
■耶馬溪橋
美しい弧を描く8連アーチ橋の全長は116m、幅員は3・5m。アーチ数と橋長の規模はともに日本一。
あたりが暗い。でも記念に。シャッターS1/1手持ちで無理があった(^^;) -
日田市本耶馬渓町<耶馬溪橋>
■耶馬溪橋
よってWEBサイトより1枚拝借。
規則正しく並ぶ輪石や壁石にかつての精緻な石工技術がうかがえる。
昭和56年(1979年)には県指定有形文化財に指定された。 -
福岡県北九州市<めかりPA>
■めかりPA
めかりパーキングエリアは、福岡県北九州市門司区門司の関門橋上にあるパーキングエリア。上り線(下関方面)のみに設置されている。
関門橋や、対岸の下関市や壇ノ浦を展望できる位置にあり、SA並みの設備を持つ。ただし、ガソリンスタンドはないので注意。 -
山口県下松市<下松SA>
さあ、あと1時間。もう少しで自宅です。
■下松SA
下松は「今からおよそ1300年前、青柳浦の松の木の上に、大きな星がおりて、七日七夜の間、目もくらむばかりに光り輝いた。」という伝説があり、星が松の木に降ったというので、青柳浦を降松と改め、その後、今の下松(くだまつ)と書くようになった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- たぬち庵さん 2008/04/13 12:41:39
- 感動の完結編
- T&Nさん、大変な「九州横断シリーズ」の完成、御苦労さまでした。
長い々ひとり旅と記録の編集、青の洞門の禅海和尚の苦行とが重なりあい、感動の完結を迎えましたね。これは数ある旅行記のうちでも「名作」のひとつでしょうな。いや感動しましたよ。ほんとうに。良かったです。
ひだり上にある写真など、秘めたる背景があってさらに「何か」を感じさせる、深みのある男っぽい、いい旅行記ですな。
また、新たにいいものが期待できるんでしょうね。期待しております。
ひとまず、御苦労さまでした。 たぬち庵。
- MechaGodzillaⅢ&703さん からの返信 2008/04/14 13:46:12
- RE: 感動の完結編
- たぬち庵さんへ
はじめまして、田中と申します。広島市安芸区矢野に居を構えております。
大変なお褒めの言葉をいただき恐縮いたしております。
2年前から古いアルバムを捲っては想い出の場所を巡り、旅の記録にしています。
わたくしの場合は、昔から公共の乗り物がとんとだめでして、旅行地も自家用車(16年と7ヶ月乗ってます。ちょっと不安)での訪問、西日本限定になりがちです。
たぬち庵さんは山陰の方ですか。ゴールデンウィークに山陰海岸経由で京都天橋立方面へでも想い出さがしの旅に行こうかと考えています。
それでは今後とも宜しくお願いします。
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