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<<九州縦断2200Kmの車旅>><br /><br />【巡航県経路】<br /> 広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島<br /><br /> 3月9日:早朝5時20分旅立。<br /> 3月12日:深夜11時20分帰宅。<br /> 3泊4日:車中泊2日・Bホテル1泊。<br /> 総走行距離数:車移動2197Km。<br /> 今回の訪問観光地:40箇所くらいでしょうか。<br /> 写真枚数:1207枚。<br /><br />■熊本城 <br /> 日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。<br /> 城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。<br /> なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。<br /> 明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮しました。しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたものです。<br /><br />【手記】<br /> 今日は九州縦断2200Kmの車旅4日目、最終日です。<br /> 昨日は、明るいうちに宮崎市の平和台公園の観光を済ませ、日暮れと同時に宮崎から熊本菊水まで一気に走って行き、道の駅‘きくすい’で車中泊しました。忙しかったですね。(〃´o`)=3)<br /> 最終日、まずは長洲港へ。それから熊本城へと向かいました。<br /> 55歳、かってのように平気で長距離走…って訳にはいかなくなっております。<br /> 1日500キロ走行の運転疲れのみならず、行った先々で歩く歩くの連続、ほんとチカレました。<br /> 古いアルバムを捲って…おもいで探しのひとり旅です。<br /><br />●九州縦断2200Kmの車旅足跡●<br />≪1日目≫<br />広島県廿日市市「廿日市インターON」<br />山口県防府市「佐波川SA」<br />山口県下関市「関門橋」<br />福岡県苅田町「北九州空港インターOFF」<br />福岡県苅田町「サンルート苅田跡地」<br />福岡県京都郡「椎田道路ON OFF」<br />大分県中津市「奥平神社」(中津大神宮)<br />大分県中津市「中津城」<br />大分県中津市「福沢諭吉旧居」<br />大分県中津市「福沢諭吉記念館」<br />大分県中津市「宇佐神宮」<br />大分県宇佐市「貴婦人橋」<br />大分県宇佐市「下市磨崖仏」<br />大分県宇佐市「楢本磨崖仏」<br />大分県宇佐市「東椎屋の滝」<br />大分県宇佐市「熊野神社」<br />大分県宇佐市「アフリカンサファリ」<br />大分県由布市「狭霧台」<br />大分市野津原町「今市の石畳」<br />大分県豊後大野市「水車通り」<br />大分県豊後大野市「原尻の滝」<br />大分県竹田市「岡城址」<br />大分県竹田市「殿町武家屋敷通り」<br />熊本県高森町「月廻り公園」<br />宮崎県高千穂町「道の駅高千穂」<br /><br />≪2日目≫<br />宮崎県高千穂町「高千穂峡」<br />宮崎県高千穂町「高千穂神社」<br />宮崎県高千穂町「天岩戸神社」<br />宮崎県高千穂町「国見ヶ丘」<br />熊本県山都町「通潤橋」<br />熊本県山都町「通潤山荘」<br />熊本県美里町「霊台橋」<br />熊本県宇城市「松橋インターON」<br />熊本県人吉市「人吉インターOFF」<br />熊本県人吉市「人吉城」<br />熊本県人吉市「人吉駅前」<br />熊本県人吉市「永国寺」<br />鹿児島県大口市「曽木の滝」<br />鹿児島県大口市「曽木水力発電所跡」<br />鹿児島県霧島市「横川インターON」<br />鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターOFF」<br />鹿児島県鹿児島市「城山公園」<br />鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターON」<br />鹿児島県霧島市「国分インターOFF」<br />鹿児島県霧島市「上野原遺跡」<br />鹿児島県霧島市「シティーホテルIN国分」<br /><br />≪3日目≫<br />鹿児島県霧島市「鹿児島神宮」<br />鹿児島県垂水市「道の駅たるみず」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島埋没鳥居」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島黒神食品」<br />鹿児島県鹿児島市「有村溶岩展望所」<br />鹿児島県鹿児島市「若宮神社」<br />鹿児島県鹿児島市「愛宕・枚聞神社」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島自然恐竜公園」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島フェリーターミナル」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島烏島展望所」<br />鹿児島県鹿児島市「桜島叫びの像」<br />鹿児島県鹿児島市「林芙美子文学碑」<br />鹿児島県鹿屋市「鹿屋体育大学」<br />鹿児島県鹿屋市「鹿屋航空基地」<br />鹿児島県東串良町「唐仁古墳」<br />宮崎県串間市「都井岬灯台」<br />宮崎県串間市「都井岬ソテツ自生地」<br />宮崎県串間市「幸島」<br />宮崎県日南市「鵜戸神宮」<br />宮崎県日南市「鬼の洗濯板」<br />宮崎県宮崎市「平和台公園」<br />宮崎県宮崎市「はにわ園」<br />宮崎県宮崎市「宮崎西インターON」<br />熊本県玉名郡「菊水インターOFF」<br />熊本県玉名郡「道の駅きくすい」<br /> ★とりあえず3日目までを記録しました。<br /><br />≪4日目≫<br /> 旅行記はまだ続いていきます。<br /><br />

ひとり旅 [255] 九州縦断2200Kmの車旅【31】 <熊本城?>熊本県熊本市

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2008/03/09 - 2008/03/12

1008位(同エリア1942件中)

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30

MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

<<九州縦断2200Kmの車旅>>

【巡航県経路】
 広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島

 3月9日:早朝5時20分旅立。
 3月12日:深夜11時20分帰宅。
 3泊4日:車中泊2日・Bホテル1泊。
 総走行距離数:車移動2197Km。
 今回の訪問観光地:40箇所くらいでしょうか。
 写真枚数:1207枚。

■熊本城
 日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
 城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。
 なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。また自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。
 明治10年(1877)の西南の役に際しては、薩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮しました。しかし薩軍総攻撃の2日前、原因不明の出火により天守閣など主要な建物を焼失。現在の天守閣は昭和35年(1960)、熊本市によって再建されたものです。

【手記】
 今日は九州縦断2200Kmの車旅4日目、最終日です。
 昨日は、明るいうちに宮崎市の平和台公園の観光を済ませ、日暮れと同時に宮崎から熊本菊水まで一気に走って行き、道の駅‘きくすい’で車中泊しました。忙しかったですね。(〃´o`)=3)
 最終日、まずは長洲港へ。それから熊本城へと向かいました。
 55歳、かってのように平気で長距離走…って訳にはいかなくなっております。
 1日500キロ走行の運転疲れのみならず、行った先々で歩く歩くの連続、ほんとチカレました。
 古いアルバムを捲って…おもいで探しのひとり旅です。

●九州縦断2200Kmの車旅足跡●
≪1日目≫
広島県廿日市市「廿日市インターON」
山口県防府市「佐波川SA」
山口県下関市「関門橋」
福岡県苅田町「北九州空港インターOFF」
福岡県苅田町「サンルート苅田跡地」
福岡県京都郡「椎田道路ON OFF」
大分県中津市「奥平神社」(中津大神宮)
大分県中津市「中津城」
大分県中津市「福沢諭吉旧居」
大分県中津市「福沢諭吉記念館」
大分県中津市「宇佐神宮」
大分県宇佐市「貴婦人橋」
大分県宇佐市「下市磨崖仏」
大分県宇佐市「楢本磨崖仏」
大分県宇佐市「東椎屋の滝」
大分県宇佐市「熊野神社」
大分県宇佐市「アフリカンサファリ」
大分県由布市「狭霧台」
大分市野津原町「今市の石畳」
大分県豊後大野市「水車通り」
大分県豊後大野市「原尻の滝」
大分県竹田市「岡城址」
大分県竹田市「殿町武家屋敷通り」
熊本県高森町「月廻り公園」
宮崎県高千穂町「道の駅高千穂」

≪2日目≫
宮崎県高千穂町「高千穂峡」
宮崎県高千穂町「高千穂神社」
宮崎県高千穂町「天岩戸神社」
宮崎県高千穂町「国見ヶ丘」
熊本県山都町「通潤橋」
熊本県山都町「通潤山荘」
熊本県美里町「霊台橋」
熊本県宇城市「松橋インターON」
熊本県人吉市「人吉インターOFF」
熊本県人吉市「人吉城」
熊本県人吉市「人吉駅前」
熊本県人吉市「永国寺」
鹿児島県大口市「曽木の滝」
鹿児島県大口市「曽木水力発電所跡」
鹿児島県霧島市「横川インターON」
鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターOFF」
鹿児島県鹿児島市「城山公園」
鹿児島県鹿児島市「鹿児島インターON」
鹿児島県霧島市「国分インターOFF」
鹿児島県霧島市「上野原遺跡」
鹿児島県霧島市「シティーホテルIN国分」

≪3日目≫
鹿児島県霧島市「鹿児島神宮」
鹿児島県垂水市「道の駅たるみず」
鹿児島県鹿児島市「桜島埋没鳥居」
鹿児島県鹿児島市「桜島黒神食品」
鹿児島県鹿児島市「有村溶岩展望所」
鹿児島県鹿児島市「若宮神社」
鹿児島県鹿児島市「愛宕・枚聞神社」
鹿児島県鹿児島市「桜島自然恐竜公園」
鹿児島県鹿児島市「桜島フェリーターミナル」
鹿児島県鹿児島市「桜島烏島展望所」
鹿児島県鹿児島市「桜島叫びの像」
鹿児島県鹿児島市「林芙美子文学碑」
鹿児島県鹿屋市「鹿屋体育大学」
鹿児島県鹿屋市「鹿屋航空基地」
鹿児島県東串良町「唐仁古墳」
宮崎県串間市「都井岬灯台」
宮崎県串間市「都井岬ソテツ自生地」
宮崎県串間市「幸島」
宮崎県日南市「鵜戸神宮」
宮崎県日南市「鬼の洗濯板」
宮崎県宮崎市「平和台公園」
宮崎県宮崎市「はにわ園」
宮崎県宮崎市「宮崎西インターON」
熊本県玉名郡「菊水インターOFF」
熊本県玉名郡「道の駅きくすい」
 ★とりあえず3日目までを記録しました。

≪4日目≫
 旅行記はまだ続いていきます。

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自家用車

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  • 宮崎市<宮崎自動車道><br /><br />■宮崎平和台公園をあとにして<br /> 今日3日目は、鹿児島国分市のビジネスホテルを出発。<br /> 桜島・鹿屋航空基地・都井岬・鵜戸神宮・平和台公園などを観光したのち、宮崎から一気に熊本菊水まで約250KMを北上しました。

    宮崎市<宮崎自動車道>

    ■宮崎平和台公園をあとにして
     今日3日目は、鹿児島国分市のビジネスホテルを出発。
     桜島・鹿屋航空基地・都井岬・鵜戸神宮・平和台公園などを観光したのち、宮崎から一気に熊本菊水まで約250KMを北上しました。

  • 宮崎市<宮崎自動車道><br /><br />■宮崎平和台公園をあとにして<br /> 明るいうちに宮崎市の平和台公園の観光を済ませて、日暮れと同時に宮崎から一気に熊本菊水まで約250KM!延々と走って行きました。<br /><br />

    宮崎市<宮崎自動車道>

    ■宮崎平和台公園をあとにして
     明るいうちに宮崎市の平和台公園の観光を済ませて、日暮れと同時に宮崎から一気に熊本菊水まで約250KM!延々と走って行きました。

  • 熊本県玉名郡和水町<道の駅きくすい><br /><br />■道の駅「きくすい」<br /> 道の駅‘きくすい’で車中泊です。

    熊本県玉名郡和水町<道の駅きくすい>

    ■道の駅「きくすい」
     道の駅‘きくすい’で車中泊です。

  • 熊本県玉名郡長洲町<長洲港><br /><br />■長洲港フェリー発着場<br /> 熊本城へ向かう前に、遠い昔の想い出がある長洲港フェリー発着場へ寄ってみました。

    熊本県玉名郡長洲町<長洲港>

    ■長洲港フェリー発着場
     熊本城へ向かう前に、遠い昔の想い出がある長洲港フェリー発着場へ寄ってみました。

  • 熊本県玉名郡長洲町<長洲港><br /><br />■長洲港フェリー発着場<br /> ちょうど31年前、妻と北九州を車で一周したときに、長崎県多比良港からこの長洲港までフェリーに乗ったことがありました。<br /> 当時このフェリー発着場で降りたのかな。

    熊本県玉名郡長洲町<長洲港>

    ■長洲港フェリー発着場
     ちょうど31年前、妻と北九州を車で一周したときに、長崎県多比良港からこの長洲港までフェリーに乗ったことがありました。
     当時このフェリー発着場で降りたのかな。

  • 熊本県玉名郡長洲町<長洲港><br /><br />■長洲港フェリー発着場<br /> 長洲港へは、当時の写真が残っていたので、無性に訪れたくなり来てみたわけですが、現地に来てもなかなか思い出せません。<br /> 31年前と言うと、まだまだ全国的に道路事情が悪く、車も快適性がある訳ではなかったと思います。そんな環境でよくぞ北九州を一周して来たと思います。<br /> おもいで探しのひとり旅です。

    熊本県玉名郡長洲町<長洲港>

    ■長洲港フェリー発着場
     長洲港へは、当時の写真が残っていたので、無性に訪れたくなり来てみたわけですが、現地に来てもなかなか思い出せません。
     31年前と言うと、まだまだ全国的に道路事情が悪く、車も快適性がある訳ではなかったと思います。そんな環境でよくぞ北九州を一周して来たと思います。
     おもいで探しのひとり旅です。

  • 熊本県玉名郡長洲町<長洲港><br /><br />■長洲港<br /> 長洲町の金魚生産は日本三大産地の一つとして、昔から有名です。

    熊本県玉名郡長洲町<長洲港>

    ■長洲港
     長洲町の金魚生産は日本三大産地の一つとして、昔から有名です。

  • 熊本県玉名郡長洲町<長洲港><br /><br />■長洲港<br /> 金魚は私の趣味のひとつ。是非、観光したかったのですが、旅の道程上、長洲港通過が早朝。・・・あきらめました。<br />

    熊本県玉名郡長洲町<長洲港>

    ■長洲港
     金魚は私の趣味のひとつ。是非、観光したかったのですが、旅の道程上、長洲港通過が早朝。・・・あきらめました。

  • 福岡県大牟田市<道の駅おおむた><br /><br />■南関インターへ<br /> 九州自動車道の南関インターへ約1キロの地点、南関インターと大牟田市内を結ぶ「主要地方道南関大牟田北線」沿いにある「道の駅おおむた」へ立ち寄りました。<br /> 一応、福岡県も通過。

    福岡県大牟田市<道の駅おおむた>

    ■南関インターへ
     九州自動車道の南関インターへ約1キロの地点、南関インターと大牟田市内を結ぶ「主要地方道南関大牟田北線」沿いにある「道の駅おおむた」へ立ち寄りました。
     一応、福岡県も通過。

  • 熊本県玉名郡南関町<br /><br />■南関インターへ<br /> ボロボロになっている南関町観光案内板。記念にとりあえず写。

    熊本県玉名郡南関町

    ■南関インターへ
     ボロボロになっている南関町観光案内板。記念にとりあえず写。

  • 熊本県熊本市<熊本IC><br /><br />■熊本IC<br /> 少し遠回りになりましたが、熊本IC到着です。熊本城へ向かって行きます。

    熊本県熊本市<熊本IC>

    ■熊本IC
     少し遠回りになりましたが、熊本IC到着です。熊本城へ向かって行きます。

  • 熊本県熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 大変な渋滞に遭いました。お城駐車場までもう少しなのですが・・・(^^;)。<br /> お城までの道筋をナビに頼っているためか、残り1kmが30分以上!駐車場は空いていました。<br />

    熊本県熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     大変な渋滞に遭いました。お城駐車場までもう少しなのですが・・・(^^;)。
     お城までの道筋をナビに頼っているためか、残り1kmが30分以上!駐車場は空いていました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br /> やっと到着です。駐車場はウィークデイなので比較的空いていました。愛車を停めてお城入場口へ。<br /><br />■熊本城<br /> 日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。

    熊本市<熊本城?>

     やっと到着です。駐車場はウィークデイなので比較的空いていました。愛車を停めてお城入場口へ。

    ■熊本城
     日本三名城の一つに数えられる熊本城は、天正16年(1588)、肥後半国の領主として熊本に本拠を置いた加藤清正によって築かれました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。<br /> 城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     築城は慶長6年(1601)に始まり、同12年(1607)に完成したといわれています。
     城郭は周囲9Km(築城当時)、広さ約98万平方メートルで、その中に天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えです。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> また、自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     また、自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術がみられます。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     なかでも「武者返し」と呼ばれる美しい曲線を描く石垣は有名です。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> ぽかぽか陽気の日本晴れ、お花さんたちも元気に綺麗に咲いています。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     ぽかぽか陽気の日本晴れ、お花さんたちも元気に綺麗に咲いています。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。<br />

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     この城は以後、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となりました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 熊本市民の誇りであり、また、シンボルともなっている熊本城。<br /> 戦国武将の加藤清正が築城したこの城は、規模の大きさ・縄張りの確さ・石垣の見事さなど近世城郭のなかでも屈指の城とされています。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     熊本市民の誇りであり、また、シンボルともなっている熊本城。
     戦国武将の加藤清正が築城したこの城は、規模の大きさ・縄張りの確さ・石垣の見事さなど近世城郭のなかでも屈指の城とされています。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 清正は城下町の整備だけでなく各河川の治水事業や干拓などを行い、人々には神様としても信仰されているほどです。<br />

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     清正は城下町の整備だけでなく各河川の治水事業や干拓などを行い、人々には神様としても信仰されているほどです。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br />「加藤清正」 <br /> 加藤清正の父である清忠の家は美濃齋藤氏に仕える武士でした。<br /> 清正は、永禄5年(1562)尾張国愛智郡中村(現在名古屋市)に生まれ、同郷で親戚ともいわれる豊臣秀吉に仕えました。<br />

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
    「加藤清正」
     加藤清正の父である清忠の家は美濃齋藤氏に仕える武士でした。
     清正は、永禄5年(1562)尾張国愛智郡中村(現在名古屋市)に生まれ、同郷で親戚ともいわれる豊臣秀吉に仕えました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br />「加藤清正」 <br /> 最初の戦功は天正9年(1581)の鳥取城攻めのときとされています。<br /> その後各地の戦いに武功をあげ、とくに賤ヶ岳の戦いでは「七本櫓」の一人として武勇を馳せました。 <br /> 加藤家2代忠広が改易になり、代わって細川家が熊本の領主になり、3代忠利が入国しました。<br /> この後、明治時代になるまで徳川幕府と緊密さを保って熊本を統治しました。<br /><br />

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
    「加藤清正」
     最初の戦功は天正9年(1581)の鳥取城攻めのときとされています。
     その後各地の戦いに武功をあげ、とくに賤ヶ岳の戦いでは「七本櫓」の一人として武勇を馳せました。
     加藤家2代忠広が改易になり、代わって細川家が熊本の領主になり、3代忠利が入国しました。
     この後、明治時代になるまで徳川幕府と緊密さを保って熊本を統治しました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■頬当御門(ほほあてごもん)<br /> 天守閣へ向かう正面入口です。この門はお城を顔に見立てたとき、ちょうど顔の前に当てる甲冑(かっちゅう)の部品の頬当てに見えることから、頬当御門と呼ばれるようになったと言われています。<br />

    熊本市<熊本城?>

    ■頬当御門(ほほあてごもん)
     天守閣へ向かう正面入口です。この門はお城を顔に見立てたとき、ちょうど顔の前に当てる甲冑(かっちゅう)の部品の頬当てに見えることから、頬当御門と呼ばれるようになったと言われています。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■頬当御門(ほほあてごもん)<br /> さすがに全国的に有名なお城です。頬当御門には鎧を着た門衛がふたり、槍を持って立っています。これだけでも随分と城郭ムードが出ていいですね。<br /> そこで、記念写真をば1枚お願いしました。

    熊本市<熊本城?>

    ■頬当御門(ほほあてごもん)
     さすがに全国的に有名なお城です。頬当御門には鎧を着た門衛がふたり、槍を持って立っています。これだけでも随分と城郭ムードが出ていいですね。
     そこで、記念写真をば1枚お願いしました。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> お城入園券を買って、いざ入場。<br /> なんと!熊本城入場は小学校の修学旅行以来、43年ぶりです。<br /> 

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     お城入園券を買って、いざ入場。
     なんと!熊本城入場は小学校の修学旅行以来、43年ぶりです。
     

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br />「宇土櫓」(国指定重要文化財)<br /> 加藤清正によって1607年に完成。唯一の多層櫓で「三の天守」とも呼ばれています。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
    「宇土櫓」(国指定重要文化財)
     加藤清正によって1607年に完成。唯一の多層櫓で「三の天守」とも呼ばれています。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br />「宇土櫓と入場口」<br /> 本丸を全焼させた西南戦争の火の手を逃れ、建立当時の姿を残す貴重な木造の櫓です。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
    「宇土櫓と入場口」
     本丸を全焼させた西南戦争の火の手を逃れ、建立当時の姿を残す貴重な木造の櫓です。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 正面に熊本城の天守閣が見えます。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元されたものです。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     正面に熊本城の天守閣が見えます。現在の天守閣は、古い写真や絵地図などを基に、昭和35年(1960年)に復元されたものです。

  • 熊本市<熊本城?><br /><br />■熊本城<br /> 場内に咲いていた梅の花。

    熊本市<熊本城?>

    ■熊本城
     場内に咲いていた梅の花。

  • 熊本市<熊本城><br /><br />■熊本城<br /> 大天守は高さ16間2尺(約32m)、3層6階の建物で、2層の千鳥破風(ちどりはふ)の上に唐破風(からはふ)を備えています。<br /><br />●熊本城?天守閣へ続きます。

    熊本市<熊本城>

    ■熊本城
     大天守は高さ16間2尺(約32m)、3層6階の建物で、2層の千鳥破風(ちどりはふ)の上に唐破風(からはふ)を備えています。

    ●熊本城?天守閣へ続きます。

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