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<<九州縦断2200Kmの車旅>><br /><br />●福沢諭吉<br /> 慶応義塾を創設した福沢諭吉は豊前中津藩士の子であった。若くして大坂の緒方洪庵の「適塾」に学び、幕末には徳川幕府に用いられ、使節に随行して欧米に渡ること3回。<br /> 醒めた目で時代の推移を眺め、明治維新後は明治政府に仕えず、民間で活動し、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』などの名著を残した。<br /> スピーチを講演と訳し、シビリゼーションを文明と訳したのは福沢諭吉で、「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり」という諭吉の言葉は現代にも通じる名言である。<br /><br />【巡航県経路】<br /> 広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島<br /><br /> 3月9日:早朝5時20分旅立。<br /> 3月12日:深夜11時20分帰宅。<br /> 3泊4日:車中泊2日・Bホテル1泊。<br /> 総走行距離数:車移動2197Km。<br /> 今回の訪問観光地:40箇所くらいでしょうか。<br /> 写真枚数:1207枚。<br /><br />「手記」<br /> 55歳、かってのように平気で長距離走…って訳にはいかなくなっております。<br /> 1日500キロ走行の運転疲れのみならず、行った先々で歩く歩くの連続、ほんとチカレました。<br /> 古いアルバムを捲って…おもいで探しのひとり旅です。<br /><br /> ※旅行記を仕上げるのも相当疲れそうです・・・σ(^_^;)アセアセ... <br />

ひとり旅 [227] 九州縦断2200Kmの車旅【3】 <福沢諭吉旧居>大分県中津市

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2008/03/09 - 2008/03/12

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MechaGodzillaⅢ&703

MechaGodzillaⅢ&703さん

<<九州縦断2200Kmの車旅>>

●福沢諭吉
 慶応義塾を創設した福沢諭吉は豊前中津藩士の子であった。若くして大坂の緒方洪庵の「適塾」に学び、幕末には徳川幕府に用いられ、使節に随行して欧米に渡ること3回。
 醒めた目で時代の推移を眺め、明治維新後は明治政府に仕えず、民間で活動し、『学問のすゝめ』や『文明論之概略』などの名著を残した。
 スピーチを講演と訳し、シビリゼーションを文明と訳したのは福沢諭吉で、「文明とは人の身を安楽にして心を高尚にするを云うなり」という諭吉の言葉は現代にも通じる名言である。

【巡航県経路】
 広島→山口→福岡→大分→宮崎→熊本→鹿児島→宮崎→熊本→大分→福岡→山口→広島

 3月9日:早朝5時20分旅立。
 3月12日:深夜11時20分帰宅。
 3泊4日:車中泊2日・Bホテル1泊。
 総走行距離数:車移動2197Km。
 今回の訪問観光地:40箇所くらいでしょうか。
 写真枚数:1207枚。

「手記」
 55歳、かってのように平気で長距離走…って訳にはいかなくなっております。
 1日500キロ走行の運転疲れのみならず、行った先々で歩く歩くの連続、ほんとチカレました。
 古いアルバムを捲って…おもいで探しのひとり旅です。

 ※旅行記を仕上げるのも相当疲れそうです・・・σ(^_^;)アセアセ...

同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
自家用車
  • <九州縦断2200Kmの車旅?> <br /><br /> 大分県中津市の福沢諭吉旧居。<br /><br /> 『天は人の上に人を造らず  人の下に人を造らず』 <br />

    <九州縦断2200Kmの車旅?>

     大分県中津市の福沢諭吉旧居。

     『天は人の上に人を造らず 人の下に人を造らず』

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 福沢諭吉は、天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下士福沢百助の次男として生まれました。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     福沢諭吉は、天保5年(1835)に大坂の中津藩蔵屋敷で、13石2人扶持の下士福沢百助の次男として生まれました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 貧しながらも信念を持った少年時代を過ごし、14歳になって初めて儒学者白石照山の塾に入りました。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     貧しながらも信念を持った少年時代を過ごし、14歳になって初めて儒学者白石照山の塾に入りました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 安政元年(1854)、19歳の時蘭学を志ざして長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励みました。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     安政元年(1854)、19歳の時蘭学を志ざして長崎に遊学、翌年からは大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励みました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 安政5年(1858)には、中津藩の蘭学教師として江戸に上り、蘭学塾を開きました。これが後の慶應義塾大学のはじまりです。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     安政5年(1858)には、中津藩の蘭学教師として江戸に上り、蘭学塾を開きました。これが後の慶應義塾大学のはじまりです。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 西洋の語学力と知識をたくわえた諭吉は、万延元年(1860)渡米使節の従僕として「咸臨丸」に乗り込み渡米。

    <福沢諭吉旧居>

     西洋の語学力と知識をたくわえた諭吉は、万延元年(1860)渡米使節の従僕として「咸臨丸」に乗り込み渡米。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、議会や郵便制度、銀行、病院、学校など旺盛な好奇心で見聞きを広めました。

    <福沢諭吉旧居>

     以後、ヨーロッパ諸国も歴訪し、議会や郵便制度、銀行、病院、学校など旺盛な好奇心で見聞きを広めました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> その後『西洋事情』『文明論之概略』『学問のすゝめ』などを続々と著し、世界と隔絶されていた当時の日本人を啓蒙していったのでした。

    <福沢諭吉旧居>

     その後『西洋事情』『文明論之概略』『学問のすゝめ』などを続々と著し、世界と隔絶されていた当時の日本人を啓蒙していったのでした。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 昭和59年から一万円札の肖像に登場し、その顔は日本の顔として、世界を舞台として広く知られるところです。

    <福沢諭吉旧居>

     昭和59年から一万円札の肖像に登場し、その顔は日本の顔として、世界を舞台として広く知られるところです。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 著者『西洋事情』『学問のすすめ』『文化論之概略』ほか多数を執筆し自伝に『福翁自伝』があります。<br /> なかでも教科書のバイブルとして学問ノススメはあまりにも有名です。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     著者『西洋事情』『学問のすすめ』『文化論之概略』ほか多数を執筆し自伝に『福翁自伝』があります。
     なかでも教科書のバイブルとして学問ノススメはあまりにも有名です。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 福澤諭吉旧居は、福澤諭吉が幼少年期を過ごした大分県中津市にある旧居です。<br /><br />

    <福沢諭吉旧居>

     福澤諭吉旧居は、福澤諭吉が幼少年期を過ごした大分県中津市にある旧居です。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 1835年1月10日大阪堂島にあった中津藩蔵屋敷で、中津藩士福沢百助の2男3女の末子として生まれました。

    <福沢諭吉旧居>

     1835年1月10日大阪堂島にあった中津藩蔵屋敷で、中津藩士福沢百助の2男3女の末子として生まれました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 1歳6ヶ月のとき父が死去した ため、兄姉とともに母に伴われて一家6人郷里の中津に帰り、少年時代を過ごしました。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     1歳6ヶ月のとき父が死去した ため、兄姉とともに母に伴われて一家6人郷里の中津に帰り、少年時代を過ごしました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 日本中が開国か鎖国かで大騒ぎしている時,諭吉はひとりでオランダ語の勉強をしていました。

    <福沢諭吉旧居>

     日本中が開国か鎖国かで大騒ぎしている時,諭吉はひとりでオランダ語の勉強をしていました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> ところが西洋の学問を学ぶにはオランダ語よりも英語の方が重要であることを知った諭吉は,それからは辞書を頼りに英語を学びました。<br />

    <福沢諭吉旧居>

     ところが西洋の学問を学ぶにはオランダ語よりも英語の方が重要であることを知った諭吉は,それからは辞書を頼りに英語を学びました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 茅葺きも新しく、リニューアルされた旧居です。

    <福沢諭吉旧居>

     茅葺きも新しく、リニューアルされた旧居です。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 写真の右端の土蔵の2階は諭吉が自らの手で改造して勉強部屋にしていました。<br /> 窓は1つしかありませんが、ここで一生懸命勉強していたようです。

    <福沢諭吉旧居>

     写真の右端の土蔵の2階は諭吉が自らの手で改造して勉強部屋にしていました。
     窓は1つしかありませんが、ここで一生懸命勉強していたようです。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> その後,諭吉はアメリカや西洋に渡り近代文明を知りその時のことを「西洋事情」という本にまとめました。

    <福沢諭吉旧居>

     その後,諭吉はアメリカや西洋に渡り近代文明を知りその時のことを「西洋事情」という本にまとめました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> やがて「慶応義塾」という塾をつくり英語などを若い人たちに教えたのです。<br /> 明治時代になると諭吉は日本人の心に独立心と自由の考えがなければならないと考えるようになりました。 <br /><br />

    <福沢諭吉旧居>

     やがて「慶応義塾」という塾をつくり英語などを若い人たちに教えたのです。
     明治時代になると諭吉は日本人の心に独立心と自由の考えがなければならないと考えるようになりました。

  • <福沢諭吉旧居傍の白鷺神社><br /><br /> そこで明治五年,「学問ノススメ」という本を著したのです。<br /> 「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」という有名な言葉はこの「学問ノススメ」という本の真っ先に出ています。<br /> この本は多くの人達に影響を与えました。

    <福沢諭吉旧居傍の白鷺神社>

     そこで明治五年,「学問ノススメ」という本を著したのです。
     「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」という有名な言葉はこの「学問ノススメ」という本の真っ先に出ています。
     この本は多くの人達に影響を与えました。

  • <福沢諭吉旧居><br /><br /> 次のファイルは旧居隣の「福沢諭吉記念館」です。館内には諭吉の遺品が展示されています。

    <福沢諭吉旧居>

     次のファイルは旧居隣の「福沢諭吉記念館」です。館内には諭吉の遺品が展示されています。

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