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 泣き疲れて、寝てしまった。帰りは4WDでなく、8人乗りの乗り合いバスだった。と言っても、8人以上乗るのは常識だ。TIMBUKTU、DOUENZA間をぎゅうぎゅうに詰め込まれた客と、押し合いへし合いバスに揺られる。何故かその方が、安堵感があって眠りやすい。四駆の旅は快適だったけど、なんか緊張した。隣のお姉さんが、ビスケットを食べる?と渡してくれる。海外旅行中知らない人から食べ物(飴とか、ビスケット)をもらうと、その中に睡眠薬が入っており、眠らせて物を盗む犯罪がある、と昔耳にしたことがある。普通、ただで何かくれることなんて起こらないだろう。起こったとしても、いかがわし過ぎて、絶対に口にしないでしょう。その時はそう思った。でも、アフリカでは日常茶飯事だ。自分だけ食べるなんて、ルール違反。こっちも、食べる前に「食べる?」と聞かなきゃいけない。有り難くビスケットを頂く。ほとんど、寝て、DOUENZAまで着いた。<br /> DOUENZA、MOPTI間も乗り合いバスだった。助手席に乗せられて、超暑い。でも、ガーガー寝る。途中起きると不機嫌で、何だか旅行が面倒くさくなる。どっかで、ごろごろしたい。交渉と日程配分考えて毎日頭を使いすぎた。大体帰りのチケットがあるのが不自由だし、間違えだ。一旦お金を払ってしまえば、後は流れに身を任せるだけのツアーもさっきから悪く言っているが、良いものかもしれない。前のバスで、隣に乗っていたお兄さんが後ろの座席から声を掛けてくる。今度はヤギの炭焼きを貰った。途中で止まった駅で、私も魚が好きだから買う。そして、さぁみんなで食べようと食べる。庶民と一緒に居るのがやっぱり一番いい。目がちゃんと覚めてくると、機嫌も戻る。人々がマリはいい。検問所で時間を食えば、警察官にマリの歌を教えてもらう。「イベタマリナマリカディ(私はマリに行く。マリはいい。)」明け方出た車は、夕方にMOPTIの町に着いた。<br /> 時計を見ると、夕方4時だった。BANDIAGARAまで地図で見たところそう遠くもない。行けるなら行ってしまいたい。MOPTIなんかに居たらまた、ガイドに連れまわされて自由を失う羽目になる。そう思って、バス停を探した。途中ガイドに絡まれる。「もう、BANDIAGARA行きの車はない」なんて言ってくるから、「でも探させて」と振り払う。人伝に歩いた。街中にステーションはあった(表紙の写真がバス停の様子)。そして、最終の車があった。ガイドの嘘吐きめ。2000CFAでチケットを買う。まだ乗客が集まらないらしく、出発しそうにない。チケット売りのお兄さんが、名刺を出してしきりに何かを伝えたがっている。手を引かれて隣の鍛冶屋まで連れて行かれる。ソロモンと呼ばれる男が、流暢な英語で「彼の弟がBANDIAGARAでガイドをしているから、BANDIAGARAに着いたら寄って来る者共を無視して、彼の弟に会え」とお兄さんの言いたいことを変わりに伝えた。お兄さんは弟に電話して、携帯を私に渡すが弟も弟で英語が相当な片言だ。取り合えず、着いたらHOTEL KANSAYEに来るようにと言っていることだけは伝わった。何かの縁だし、お世話になるかと思った。ソロモンがMOPTIに帰ったら、一緒に出かけようという。話を遮って、「ガイドじゃないよね?」と聞くと、怒ったようだった。<br />「ガイドなんかと一緒にしないでくれ。僕は鍛冶屋でここに小さいけど店も構えている。何でそんな事言うんだ」<br />「英語を話すから。英語を話す人はみんなガイドかと思って」<br />「ガイドみたいな奴はクソだ。お金のことしか考えていない。それに人を食い物にしていく職より、手に職をもってコツコツと働いた方がいいと思わない?」<br />ソロモンで2人目だ。一人目はムハメド。自分の職にプライドを持つ人。マリの国の骨格はしっかりしていると感心する。ソロモンは話す言葉がちょっと汚い(ファッキンを連発する)けれど、MOPTIに帰ってきたら会おうかなぁと思う。<br /> そうこうしていると車が出発する。前の座席は少し広いから、特等席扱いだ。お客様として助手席に乗せてもらう。おばちゃんの子供が、私を恐れる。そして興味津々である。後ろの席から、触ってきたり声を掛けたりしてくるから私もかまう。途中、警官を乗せた。助手席に二人である。もう特等席でなくなる。細いお兄さんだから、骨がごつごつあたる。好意的に、会話。日本が島国であることが中々伝わらない。しばらく何語かで一生懸命説明したら「あーアフリカでいうマダガスカルね」と伝わった。「そーそーマダガスカル!」マダガスカルに例えられた日本は、なかなか気に入った。気合さえあれば、何でも伝わる。おばちゃんの子供が、相変わらず前方座席にちょっかいを出してくるので、ドライバーが怒る。ドライバーはハウサが話せるらしい。んー私は、ハウサはかじった事ないやぁ、西アフリカで有名だしやっときゃ良かった!と後悔する。子供はしゅんとして大人しくなる。日も落ちて、いよいよ暗くなっていく。道は流石に世界遺産へ向かう道、状態のいい舗装道路が続いた。おばちゃんが、子守唄を歌い始める。とても美しい曲だ。耳に残る。私も途中から一緒に歌った。振り向くと、子供は眠っていた。そして、いつの間にか客は降りて最後部の席は誰も座っていなかった。警官、そっち移動しないの?それとも私移動する?と思ったけれど、そのままBANDIAGARA市内に入った。おばちゃんが、自分のビーサンが壊れたことを私に訴える。前の窓から捨ててくれと言う。鼻緒の部分が壊れてもう履けなかった。旅も後半、家まで帰るのに裸足も困るでしょうと自分のビーサンをあげる。小さいとおばちゃん文句を言うが、ないよりましでしょう、履いて行けと会話する。ありがとうと笑顔が嬉しい。<br /> BANDIAGARAは大きい町であるのは一発で見て取れた。観光地で潤っているのだろう。さて、ホテルまではどう行くものかと思っていると、町の人がガイドを紹介してくれる。英語が全然私よりうまい。バイクでホテルまで送って行ってくれた。彼にガイドしてもらえると楽だなぁと思い、送ってもらった後で電話番号を聞こうとすると、「もし僕が君をガイドするようなら彼から僕に連絡が来る」と、ホテルのレストランに居るオーナーと思しきラスターの男を指差す。縄張りみたいな力関係があるのかも。兎に角私はバス停の彼の弟には一度会わないといけない。名前はハミドゥ。着いたことを連絡しようとするが、電話のクレジットがなくて買わないと電話が掛けられない。オーナーがクレジットの売り子を呼んでやるというから、ビールを一本頼んで待つことにした。オーナーが彼に電話したのか、ハミデゥも店に入ってきた。<br /> ハミデゥは、若い男の子だった。ペンと紙を出して、私の希望を聞き、いろんな計算をし、交渉をまとめていく。問題は自分のモーターバイクを貸し出していて、自分も借りないと私をDOGONに連れて行けないということ。そのバイク借りるお金を、私が持つのは違うでしょうって中々伝わらない。貸し出している自分のバイクのお金から、今回バイクを借りるお金を払うのが筋じゃない?というのが、向こうは仏語と少しの英語、そしてバンバラで、上手く伝わらない。正直、町にいてもつまんないだろうと思った。ホテルには、フランス人の若い男女がたむろしていた。一緒に旅行してくれる友達の居ない私は、少し寂しい気分になる。町の観光客向けのバーに行って、観光客向けの音楽を聴くのも沢山な気がした。そういうのって、作り物で何だか本物じゃない気がする。これから村に行くのも無理そうじゃない感触があったので、少しお金を積んで25000CFAでバイクも誰かに借りて出発しようぜって交渉をまとめた。ハミドゥに、バイクを借りに出させ、私はここを逃したら最後とホテルの屋外の水場で顔を洗って、ついでに髪まで洗わせてもらってしまった。洗いざらした髪のまま戻ると、ハミドゥはまだ居なかった。日本人の人に会い、ちょっと話したいなと思ったけれど、ハミドゥが姿を現し用意できたと目で合図したので、ばたばたと出発した。<br /> 走り出すと、直ぐにラフロードに入った。「ちょっと、無理しちゃったな、夜道危ないな。でも町にいてもしょうがなかったしな、こんな時間(夜10時)なんかに行って、そういえば迷惑だろうな。電気もないし、みんな寝ているだろうし、あー全然村の人のこと考えてなかった!」そう思って、反省しながらバイクの後ろで夜風を浴びなる。ハミドゥとは交渉だけして、ほとんどお互いのことを話していなかったので、軽くパーソナルデータを交換する。交渉以外のことになると、てんで英語で意思疎通できなかった。まぁ、英語喋る人を雇って、どうでもいい話に付き合わされるよりいいかと思った。カーブを曲がると、頭に物を乗せた人影があって目を凝らす。15,6歳くらいの少女たちが列を作って歩いている。「何しているの?」とハミドゥに聞くと、「隣の町まで行って、自分の村に帰る」みたいなことを言った。他にも、ぞくぞくとロバを引いた農夫や、物を運ぶおばちゃんたちに出くわす。ここでも、「あぁマリの人は夜型だった」と思わずを得ないのだった。<br /> 村に着くと、おしゃれなドリンクスポットに、泊まれる小屋が2,3間並ぶ場所でバイクを降りた。正直また原始的なところで、一夜を明かせるだろうと期待していたので、拍子抜けした。村の住人に迷惑掛けなくて良かったが。店番をする少年たちに、「ビール飲む?」って聞かれる。「うん、じゃぁ」と言って、一本頼む。しかし、近代的だ。ビールとか無いと思っていた。ハミドゥに、ドゴンの言葉とお祭りのことを教えてもらう。多分、バンバラとフレンチと英語が入り乱れた会話だった。ドゴン族のお面をつけたお祭りは、年に1度か2度、ちゃんとオーガナイズされて行われるようだった。村の奥に行くと、派手なお面をつけた部族出くわすのかと誤解していた。さすが観光地、ちゃんと事前に宣伝もし、ポスターも張り、人を集めた上で行われるお祭りなのだ。<br /> 最近、夜ちゃんと寝てなかったし、今日は結構寝とこうと、早々に寝ることにする。折角だから、また「この小屋の上で寝たい」というと少年たちがマットを運ぶのが面倒らしく「えーここで寝とけよ」って態度をとる。私は笑って「でも、お願いね」と頼む。どうやら、他の旅行者が既に小屋の上で寝ているようだった。違う屋上にマットが運ばれる。ハミドゥが「僕は何処で寝よう?」と聞いてくるので、「好きなとこで寝ればいいじゃん、私は外で寝て寒くなったらこの小屋に戻る」と言う。「一緒に、屋上行ってもいい?」と聞くので、セキュリティーにもなるし「君がそうしたいなら、ガルシエ(ガードマン)ね」と応えてしまう。ここで「違うところに当然寝るんでしょ?」と言わなかったのは、大きな判断ミスだった。<br /> 「星が綺麗だ」と星空の下仰向けになり、砂漠で教えてもらった星座を探した。疲れていたので、ウトウトしながら星を見ている横で、ハミデゥが何やら色々話している。「日本の友達が2人居る。ヒロキとアキコという。彼らはフランス語を話した」「恋人が居たが、セネガルに行ってしまった。だから今は恋人が居ない」とかそういったことだ。「寝ちゃうの?」みたいなことを言われて、意識が戻った。マッサージしてくれると言う。ここでも?マリ人の間ではマッサージは普通の文化なのだ。今回は断った。ハミドゥが話していることに、適当に相槌を打っていると、「アモーレ」という、言葉が頻発する。どうやら、アモーレは男と女が愛し合うらしいことが分かってくる。「はぁ?何で?ノーアモーレ」って言い拒否すると、「日本人女性がガイドと○○ホテルでアモーレした」とか「ドゴンの村の中で、日本人女性が村の人とアモーレした」などといった、事例検証が始まる。そんなこと言われても、私はその人とは違うと伝えたいが上手く伝わらない。<br />「アキコとはしたの?」<br />「してない。彼女はグループで来ていていつも寝るところが違った」<br />「私も貴方と友達になりたい」<br />と言っても、「でも」となる。明らかにもういい友達にはなれない。何で日本人だって理由だけで、アモーレしなきゃいけないんだと、うんざりしてくる。ここは小さい社会だから、小さなことでも伝説のように伝えられていく。結婚していないのに、そういうことになるのは娼婦でない限り稀なのだろう。「日本人の女の子とは簡単に出来る」というのが、アメリカとかアジアで有名なのは国交も盛んだから分かるけど、アフリカでも?と、相当その噂は筋金入りなのだと納得する。多分本当なんだろう、私たち宗教持っていないし。他の国の旅行者より多いのかな。しかし、本当男の気持ちはさっぱり、分からない。さっき会ったばかりの、好きでもない、タイプかどうかも定かでない女と寝れるものなら寝たいものなのか。何でこっちは、金まで払って、体まで提供しなければいけないんだ。「みんな寝静まって、アモーレしても誰も知らないからいいじゃないか」そんなことが問題ではない。フランス語を捲くし立てて食い下がってくる彼に、そんな男娼みたいな、みっともない真似は止めてくれと、段々腹が立って来た。ガバっと起き上がって<br />「I am a client. You are a professional guide. THAT’S ALL!!」<br />と、英語でいきり立つとハミドゥは押し黙った。長い沈黙が続く。私は頭を抱えた。凄くまずい状況にあるんじゃないかと認識した。襲われたらどうしよう。怖い。逃げ道の梯子は駆け下りるには不安定すぎる、怪我しかねない。声を上げれば、必ず誰かに届く。逃げて徹夜で身を隠して夜明けを待って、明日の朝バンディアガラに帰っても、もうしょうがない。前金がもったいないけど、それどころではない。こんな事態でも、お金のことを考える自分が情けない。マリ旅行に、慣れが出てきて注意を怠った私のミスだ。しかし、しばらくするとハミドゥはそのまま黙って、梯子を降りていった。<br /> 一人になって寝ようとしたが、寝たら危ない気がして気が気でない。もう、星どころではない。私も私だ、ハミドゥの「若い男子」であるという、人格を完全に無視していた。全く失礼なことをした。男の気が知れないなんて、さっきは思ったけれど、私ももういい年だし、理解できなくても、そういうものだということぐらい、知っていなきゃいけない。かまととぶってもいられない。誰だって、100%勘違いするだろう。ハミドゥが凄く若かったから安心して、軽んじてしまった。そんなことする年じゃないと思った。それから、マリの人は優しくて、純粋な人が多いと浮かれて、同じ人間であるという尊重を出来ていなかった。自己嫌悪が自己嫌悪を呼ぶ。<br /> 近くの小屋の他の屋上で、人影が動くのが見えた。懐中電灯を持って、トイレに行くようだった。遠めで見ても明らかに、欧米人の体格だった。ここで、唯一人のよそ者ではないことにすこし安心して、まどろんだ。風が強く、寒かったけれど戻れなかった。戻っても、ハミデゥとどんな顔をして会えばいいか分からない。

バンディアガラ(BANDIAGARA)、ドゴン(DOGON):世界の娼婦ジャパニーズ[5日目]

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2008/02/07 - 2008/02/14

39位(同エリア42件中)

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美野里さん

 泣き疲れて、寝てしまった。帰りは4WDでなく、8人乗りの乗り合いバスだった。と言っても、8人以上乗るのは常識だ。TIMBUKTU、DOUENZA間をぎゅうぎゅうに詰め込まれた客と、押し合いへし合いバスに揺られる。何故かその方が、安堵感があって眠りやすい。四駆の旅は快適だったけど、なんか緊張した。隣のお姉さんが、ビスケットを食べる?と渡してくれる。海外旅行中知らない人から食べ物(飴とか、ビスケット)をもらうと、その中に睡眠薬が入っており、眠らせて物を盗む犯罪がある、と昔耳にしたことがある。普通、ただで何かくれることなんて起こらないだろう。起こったとしても、いかがわし過ぎて、絶対に口にしないでしょう。その時はそう思った。でも、アフリカでは日常茶飯事だ。自分だけ食べるなんて、ルール違反。こっちも、食べる前に「食べる?」と聞かなきゃいけない。有り難くビスケットを頂く。ほとんど、寝て、DOUENZAまで着いた。
 DOUENZA、MOPTI間も乗り合いバスだった。助手席に乗せられて、超暑い。でも、ガーガー寝る。途中起きると不機嫌で、何だか旅行が面倒くさくなる。どっかで、ごろごろしたい。交渉と日程配分考えて毎日頭を使いすぎた。大体帰りのチケットがあるのが不自由だし、間違えだ。一旦お金を払ってしまえば、後は流れに身を任せるだけのツアーもさっきから悪く言っているが、良いものかもしれない。前のバスで、隣に乗っていたお兄さんが後ろの座席から声を掛けてくる。今度はヤギの炭焼きを貰った。途中で止まった駅で、私も魚が好きだから買う。そして、さぁみんなで食べようと食べる。庶民と一緒に居るのがやっぱり一番いい。目がちゃんと覚めてくると、機嫌も戻る。人々がマリはいい。検問所で時間を食えば、警察官にマリの歌を教えてもらう。「イベタマリナマリカディ(私はマリに行く。マリはいい。)」明け方出た車は、夕方にMOPTIの町に着いた。
 時計を見ると、夕方4時だった。BANDIAGARAまで地図で見たところそう遠くもない。行けるなら行ってしまいたい。MOPTIなんかに居たらまた、ガイドに連れまわされて自由を失う羽目になる。そう思って、バス停を探した。途中ガイドに絡まれる。「もう、BANDIAGARA行きの車はない」なんて言ってくるから、「でも探させて」と振り払う。人伝に歩いた。街中にステーションはあった(表紙の写真がバス停の様子)。そして、最終の車があった。ガイドの嘘吐きめ。2000CFAでチケットを買う。まだ乗客が集まらないらしく、出発しそうにない。チケット売りのお兄さんが、名刺を出してしきりに何かを伝えたがっている。手を引かれて隣の鍛冶屋まで連れて行かれる。ソロモンと呼ばれる男が、流暢な英語で「彼の弟がBANDIAGARAでガイドをしているから、BANDIAGARAに着いたら寄って来る者共を無視して、彼の弟に会え」とお兄さんの言いたいことを変わりに伝えた。お兄さんは弟に電話して、携帯を私に渡すが弟も弟で英語が相当な片言だ。取り合えず、着いたらHOTEL KANSAYEに来るようにと言っていることだけは伝わった。何かの縁だし、お世話になるかと思った。ソロモンがMOPTIに帰ったら、一緒に出かけようという。話を遮って、「ガイドじゃないよね?」と聞くと、怒ったようだった。
「ガイドなんかと一緒にしないでくれ。僕は鍛冶屋でここに小さいけど店も構えている。何でそんな事言うんだ」
「英語を話すから。英語を話す人はみんなガイドかと思って」
「ガイドみたいな奴はクソだ。お金のことしか考えていない。それに人を食い物にしていく職より、手に職をもってコツコツと働いた方がいいと思わない?」
ソロモンで2人目だ。一人目はムハメド。自分の職にプライドを持つ人。マリの国の骨格はしっかりしていると感心する。ソロモンは話す言葉がちょっと汚い(ファッキンを連発する)けれど、MOPTIに帰ってきたら会おうかなぁと思う。
 そうこうしていると車が出発する。前の座席は少し広いから、特等席扱いだ。お客様として助手席に乗せてもらう。おばちゃんの子供が、私を恐れる。そして興味津々である。後ろの席から、触ってきたり声を掛けたりしてくるから私もかまう。途中、警官を乗せた。助手席に二人である。もう特等席でなくなる。細いお兄さんだから、骨がごつごつあたる。好意的に、会話。日本が島国であることが中々伝わらない。しばらく何語かで一生懸命説明したら「あーアフリカでいうマダガスカルね」と伝わった。「そーそーマダガスカル!」マダガスカルに例えられた日本は、なかなか気に入った。気合さえあれば、何でも伝わる。おばちゃんの子供が、相変わらず前方座席にちょっかいを出してくるので、ドライバーが怒る。ドライバーはハウサが話せるらしい。んー私は、ハウサはかじった事ないやぁ、西アフリカで有名だしやっときゃ良かった!と後悔する。子供はしゅんとして大人しくなる。日も落ちて、いよいよ暗くなっていく。道は流石に世界遺産へ向かう道、状態のいい舗装道路が続いた。おばちゃんが、子守唄を歌い始める。とても美しい曲だ。耳に残る。私も途中から一緒に歌った。振り向くと、子供は眠っていた。そして、いつの間にか客は降りて最後部の席は誰も座っていなかった。警官、そっち移動しないの?それとも私移動する?と思ったけれど、そのままBANDIAGARA市内に入った。おばちゃんが、自分のビーサンが壊れたことを私に訴える。前の窓から捨ててくれと言う。鼻緒の部分が壊れてもう履けなかった。旅も後半、家まで帰るのに裸足も困るでしょうと自分のビーサンをあげる。小さいとおばちゃん文句を言うが、ないよりましでしょう、履いて行けと会話する。ありがとうと笑顔が嬉しい。
 BANDIAGARAは大きい町であるのは一発で見て取れた。観光地で潤っているのだろう。さて、ホテルまではどう行くものかと思っていると、町の人がガイドを紹介してくれる。英語が全然私よりうまい。バイクでホテルまで送って行ってくれた。彼にガイドしてもらえると楽だなぁと思い、送ってもらった後で電話番号を聞こうとすると、「もし僕が君をガイドするようなら彼から僕に連絡が来る」と、ホテルのレストランに居るオーナーと思しきラスターの男を指差す。縄張りみたいな力関係があるのかも。兎に角私はバス停の彼の弟には一度会わないといけない。名前はハミドゥ。着いたことを連絡しようとするが、電話のクレジットがなくて買わないと電話が掛けられない。オーナーがクレジットの売り子を呼んでやるというから、ビールを一本頼んで待つことにした。オーナーが彼に電話したのか、ハミデゥも店に入ってきた。
 ハミデゥは、若い男の子だった。ペンと紙を出して、私の希望を聞き、いろんな計算をし、交渉をまとめていく。問題は自分のモーターバイクを貸し出していて、自分も借りないと私をDOGONに連れて行けないということ。そのバイク借りるお金を、私が持つのは違うでしょうって中々伝わらない。貸し出している自分のバイクのお金から、今回バイクを借りるお金を払うのが筋じゃない?というのが、向こうは仏語と少しの英語、そしてバンバラで、上手く伝わらない。正直、町にいてもつまんないだろうと思った。ホテルには、フランス人の若い男女がたむろしていた。一緒に旅行してくれる友達の居ない私は、少し寂しい気分になる。町の観光客向けのバーに行って、観光客向けの音楽を聴くのも沢山な気がした。そういうのって、作り物で何だか本物じゃない気がする。これから村に行くのも無理そうじゃない感触があったので、少しお金を積んで25000CFAでバイクも誰かに借りて出発しようぜって交渉をまとめた。ハミドゥに、バイクを借りに出させ、私はここを逃したら最後とホテルの屋外の水場で顔を洗って、ついでに髪まで洗わせてもらってしまった。洗いざらした髪のまま戻ると、ハミドゥはまだ居なかった。日本人の人に会い、ちょっと話したいなと思ったけれど、ハミドゥが姿を現し用意できたと目で合図したので、ばたばたと出発した。
 走り出すと、直ぐにラフロードに入った。「ちょっと、無理しちゃったな、夜道危ないな。でも町にいてもしょうがなかったしな、こんな時間(夜10時)なんかに行って、そういえば迷惑だろうな。電気もないし、みんな寝ているだろうし、あー全然村の人のこと考えてなかった!」そう思って、反省しながらバイクの後ろで夜風を浴びなる。ハミドゥとは交渉だけして、ほとんどお互いのことを話していなかったので、軽くパーソナルデータを交換する。交渉以外のことになると、てんで英語で意思疎通できなかった。まぁ、英語喋る人を雇って、どうでもいい話に付き合わされるよりいいかと思った。カーブを曲がると、頭に物を乗せた人影があって目を凝らす。15,6歳くらいの少女たちが列を作って歩いている。「何しているの?」とハミドゥに聞くと、「隣の町まで行って、自分の村に帰る」みたいなことを言った。他にも、ぞくぞくとロバを引いた農夫や、物を運ぶおばちゃんたちに出くわす。ここでも、「あぁマリの人は夜型だった」と思わずを得ないのだった。
 村に着くと、おしゃれなドリンクスポットに、泊まれる小屋が2,3間並ぶ場所でバイクを降りた。正直また原始的なところで、一夜を明かせるだろうと期待していたので、拍子抜けした。村の住人に迷惑掛けなくて良かったが。店番をする少年たちに、「ビール飲む?」って聞かれる。「うん、じゃぁ」と言って、一本頼む。しかし、近代的だ。ビールとか無いと思っていた。ハミドゥに、ドゴンの言葉とお祭りのことを教えてもらう。多分、バンバラとフレンチと英語が入り乱れた会話だった。ドゴン族のお面をつけたお祭りは、年に1度か2度、ちゃんとオーガナイズされて行われるようだった。村の奥に行くと、派手なお面をつけた部族出くわすのかと誤解していた。さすが観光地、ちゃんと事前に宣伝もし、ポスターも張り、人を集めた上で行われるお祭りなのだ。
 最近、夜ちゃんと寝てなかったし、今日は結構寝とこうと、早々に寝ることにする。折角だから、また「この小屋の上で寝たい」というと少年たちがマットを運ぶのが面倒らしく「えーここで寝とけよ」って態度をとる。私は笑って「でも、お願いね」と頼む。どうやら、他の旅行者が既に小屋の上で寝ているようだった。違う屋上にマットが運ばれる。ハミドゥが「僕は何処で寝よう?」と聞いてくるので、「好きなとこで寝ればいいじゃん、私は外で寝て寒くなったらこの小屋に戻る」と言う。「一緒に、屋上行ってもいい?」と聞くので、セキュリティーにもなるし「君がそうしたいなら、ガルシエ(ガードマン)ね」と応えてしまう。ここで「違うところに当然寝るんでしょ?」と言わなかったのは、大きな判断ミスだった。
 「星が綺麗だ」と星空の下仰向けになり、砂漠で教えてもらった星座を探した。疲れていたので、ウトウトしながら星を見ている横で、ハミデゥが何やら色々話している。「日本の友達が2人居る。ヒロキとアキコという。彼らはフランス語を話した」「恋人が居たが、セネガルに行ってしまった。だから今は恋人が居ない」とかそういったことだ。「寝ちゃうの?」みたいなことを言われて、意識が戻った。マッサージしてくれると言う。ここでも?マリ人の間ではマッサージは普通の文化なのだ。今回は断った。ハミドゥが話していることに、適当に相槌を打っていると、「アモーレ」という、言葉が頻発する。どうやら、アモーレは男と女が愛し合うらしいことが分かってくる。「はぁ?何で?ノーアモーレ」って言い拒否すると、「日本人女性がガイドと○○ホテルでアモーレした」とか「ドゴンの村の中で、日本人女性が村の人とアモーレした」などといった、事例検証が始まる。そんなこと言われても、私はその人とは違うと伝えたいが上手く伝わらない。
「アキコとはしたの?」
「してない。彼女はグループで来ていていつも寝るところが違った」
「私も貴方と友達になりたい」
と言っても、「でも」となる。明らかにもういい友達にはなれない。何で日本人だって理由だけで、アモーレしなきゃいけないんだと、うんざりしてくる。ここは小さい社会だから、小さなことでも伝説のように伝えられていく。結婚していないのに、そういうことになるのは娼婦でない限り稀なのだろう。「日本人の女の子とは簡単に出来る」というのが、アメリカとかアジアで有名なのは国交も盛んだから分かるけど、アフリカでも?と、相当その噂は筋金入りなのだと納得する。多分本当なんだろう、私たち宗教持っていないし。他の国の旅行者より多いのかな。しかし、本当男の気持ちはさっぱり、分からない。さっき会ったばかりの、好きでもない、タイプかどうかも定かでない女と寝れるものなら寝たいものなのか。何でこっちは、金まで払って、体まで提供しなければいけないんだ。「みんな寝静まって、アモーレしても誰も知らないからいいじゃないか」そんなことが問題ではない。フランス語を捲くし立てて食い下がってくる彼に、そんな男娼みたいな、みっともない真似は止めてくれと、段々腹が立って来た。ガバっと起き上がって
「I am a client. You are a professional guide. THAT’S ALL!!」
と、英語でいきり立つとハミドゥは押し黙った。長い沈黙が続く。私は頭を抱えた。凄くまずい状況にあるんじゃないかと認識した。襲われたらどうしよう。怖い。逃げ道の梯子は駆け下りるには不安定すぎる、怪我しかねない。声を上げれば、必ず誰かに届く。逃げて徹夜で身を隠して夜明けを待って、明日の朝バンディアガラに帰っても、もうしょうがない。前金がもったいないけど、それどころではない。こんな事態でも、お金のことを考える自分が情けない。マリ旅行に、慣れが出てきて注意を怠った私のミスだ。しかし、しばらくするとハミドゥはそのまま黙って、梯子を降りていった。
 一人になって寝ようとしたが、寝たら危ない気がして気が気でない。もう、星どころではない。私も私だ、ハミドゥの「若い男子」であるという、人格を完全に無視していた。全く失礼なことをした。男の気が知れないなんて、さっきは思ったけれど、私ももういい年だし、理解できなくても、そういうものだということぐらい、知っていなきゃいけない。かまととぶってもいられない。誰だって、100%勘違いするだろう。ハミドゥが凄く若かったから安心して、軽んじてしまった。そんなことする年じゃないと思った。それから、マリの人は優しくて、純粋な人が多いと浮かれて、同じ人間であるという尊重を出来ていなかった。自己嫌悪が自己嫌悪を呼ぶ。
 近くの小屋の他の屋上で、人影が動くのが見えた。懐中電灯を持って、トイレに行くようだった。遠めで見ても明らかに、欧米人の体格だった。ここで、唯一人のよそ者ではないことにすこし安心して、まどろんだ。風が強く、寒かったけれど戻れなかった。戻っても、ハミデゥとどんな顔をして会えばいいか分からない。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス

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