2007/09/01 - 2007/09/02
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SUR SHANGHAIさん
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今年も例年通り、旦那と一緒のドイツ訪問の時期。
それにプラスしてどこかへ行ってみるのがここしばらく続いている恒例行事。
地図を眺めると、ヨーロッパもまだまだ見ていない所があるし、行ったことのある場所でも再訪してみたい所は数限りなし。
さて、今年はどこに白羽の矢を立てようか…。
ドイツでは親戚のいるハンブルク近郊以外に、今回は北部の港町ロストックに寄ることになっているから、なるべくそれに近いほうがいいなあ…。
そういえば、ドイツのすぐお隣のポーランドはまだだった。
一度はこの目で見てみたいと思っているアウシュヴィッツ強制収容所跡は、ポーランド南部のオフィシエンチムの町にあって古都クラクフから日帰りできる。
首都のワルシャワにももちろん行ってみたいし…、と旦那とも協議の上で決まったルート。
バンコク経由でミュンヘン乗り換え、ワルシャワ入りしたところからが今回の旅行記のはじまり。
表紙の画像は、パヴィアク刑務所博物館に向かう途中のヨハネ・パウロ2世通りで見たワルシャワの街角。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
バンコクからミュンヘンに飛んだあとは、ワルシャワ行きの便を待つ。
SUR SHANGHAIもその旦那もスター・アライアンスのゴールド・カードを持っているので、ワルシャワ行きはエコノミーでもビジネス・クラスのラウンジが使えて大助かり。
画像は、そのミュンヘン国際空港のラウンジ内部。
飲み物もノン・アルコールから色々揃っているし、お菓子類も数種類、食事時にはサラダやソーセージなんかのスナックも結構並びます。
ワイヤレスのネット接続が1時間8ユーロなのに30日で19.9ユーロって、すごいお値段設定! -
ミュンヘンからワルシャワまでは1時間半くらい。
ちょっと遅れて飛び立った。
ポーランド行きは初めてなのでLOT(ポーランド航空)も初めて。
EMBRAER 145って言う機種も初めてじゃないかなあ。
飛行時間は短いから機内食はパン2切れにハムと野菜。
可も無く不可も無く。 -
ワルシャワ・オケンチェ国際空港に着いたのは午後9時過ぎ。
ポーランドは90日以内ならビザは必要無いし、出入国カードも無し。
スムーズに到着ロビーに出た後は、車を予約しておいたAVISへ。
AVISは午後10時までということで、運良くまだ開いていたけれど、そのお隣の観光インフォは午前8時〜午後8時まで。
地図とかもらいたかったのに残念。 -
旦那は、「なに、今は地図なんか無くたってこんな文明の利器があるさ。(^○^)」と、ご自慢のカーナビを取り出してご満悦のご様子。
でも、このあとに辿り着いたのは、これも予約して行ったウェスティン・ワルシャワとは全然関係ない住宅街の中だった。(^^ゞ 途中から変だと思っていたけど…。
あのねえ、文明の利器はいいんだけど、住所を間違えて入力したら意味が無いのよね…。(ーー;) -
「すまん、すまん…。(^^ゞ」と旦那が住所を入れ直したあとは、今度はピタリとウェスティン・ワルシャワ前に出た。
使い方を誤らなければ、文明の利器が大いに役に立つことが立証されてよかったね。(*^。^*)
そのホテルのそばにある建物から、SUR SHANGHAIたちを見下ろしていたのは、ジェームス・ボンド5代目のピアース・ブロズナン氏ではありませぬか。
"WELCOME TO WARSAW." とでも言いたげに、暗闇の中からこちらを見るその薄い笑いが意味ありげ…。
ポーランドの歴史から言っても、007ばりのスリルとサスペンスの旅になりそうな予感…。 -
さて、ワルシャワ・オケンチェ国際空港から、道を間違えなければ30分ほどで着いたはずのウェスティン・ワルシャワのお部屋。
スターウッドのポイントで、スイートに泊まってみました。これは旦那のお陰。ありがとう。m(__)m
こう言っては失礼ですが、いくら首都ワルシャワにある五つ星のウェスティンとは言え、ポーランドのホテルに対して一抹の不安があったSUR SHANGHAIとその旦那。
どうしても、一昔前の中国北京の国際五つ星クラスのホテル設備と応対を連想してしまう…。
部屋のドアを開ける時には、ちょっとドキドキ…。
それが開けてびっくり玉手箱。
おお、立派だ〜! (◎o◎)(◎o◎) -
中国でも、近年出来たホテルの設備やサービスは格段によくなった(お値段もぐんとお高くなりましたが…)のと同じように、ポーランドでもそうなんだろうな、と思わせるウェスティン・ワルシャワ。
いただいたスイートは、寝室部分はちょっと小さめだけど、ここは寝るだけだからこれでよし。
ベッドがちょっと高いので、身長160cmのSUR SHANGHAIはどっこいしょと脚を持ち上げて上に乗る感じ。
でも寝心地のいいヘヴンリー・ベッド。
全体が真新しくて清潔。
温かみのある色のインテリアで統一された落ち着いた雰囲気にくつろぎました。
部屋からの高速ネット接続は1時間60ズウォティ、24時間で85ズウォティで高いのが玉に瑕。 -
浴室には、この画像に写っている深めの浴槽のほかに、トイレはもちろん、それにシャワー・スペース付き。
トイレはここ以外にももう一ヶ所ありました。
ちょっとタオルがヨレッとしてるかな?
もう少しふかふかの方がいい感じだけど。
でも、清潔だし、浴室デザインもシンプルで使いやすい点がよし。
ウェスティン・ワルシャワのサイトはこちら。
http://www.starwoodhotels.com/westin/property/overview/index.html?propertyID=1437(日本語版)
地図なども載っています。 -
ポーランドに来たのは初めてのせいか、アメニティに関していつになくもう少し細かくチェックを入れております。
この時のウェスティン・ワルシャワの浴室アメニティは、モルトン・ブラウン。
これは、1973年に自然回帰がテーマのヘア・サロンとしてロンドンに誕生したブランド。
それ以来、天然原料を配合したヘア・ケア、スキン・ケア製品を作り続けているのだそう。
コーヒーはインスタントじゃないのがうれしい。
あ、ドイツのイデー・カフェだ。(*^。^*)
この日はバンコクからミュンヘン経由で夜着いたので、チェックを入れたあとは二人ともすぐにリタイア。
(-_-)zzz (-_-)zzz -
ポーランドで初めての朝が来た。
ウェスティン・ワルシャワの朝食ブッフェは、温かい食事のチョイスが少なめ。
「でも、思っていたよりいいね。」なんて言ってたら、3泊とも内容が全く同じだった…。
スタッフの応対は悪くなかったので、この点は今後に期待します。(*^。^*)
さて、初めての街へ出る時には期待でドキドキ。
今度は "GOOD MORNING. HAVE A NICE DAY." と言ってるようなピアース・ブロズナン氏。
挨拶してくれるのはうれしいけど、その薄笑いが気になるんですが…。(^^ゞ -
イチオシ
ウェスティン・ワルシャワ前を通るヨハネ・パウロ2世通りを北へ向かう。
この日は日曜日で、まだお昼前の時間帯のせいか、大きな交差点に来ても人通りが少ない。
それとも、いつもこうなのかな。
中国在住のSUR SHANGHAIは人が多い眺めの方に慣れているので、ヨーロッパでの1日目はどこでもガラ〜ンとからっぽに見える。 -
ワルシャワの路面電車はレトロ。
乗ってみたい気もするけど、初めての場所だと自分の足で歩いてみたいSUR SHANGHAIとその旦那はパス。 -
ヨハネ・パウロ2世通り(AL. JANA PAWLA ?)には、その名のごとくヨハネ・パウロ2世の額が飾られた小さな露天の祭壇もあった。
ヨハネ・パウロ2世(1920年5月18日生まれ)は、ポーランド南部の古都クラクフに近いヴァドヴィツェ出身で、教皇在位は1978年10月16日〜2005年4月2日。
逝去前後の報道を覚えている方も多いのでは。
ヨハネ・パウロ2世は、共産圏(当時)出身としては初めて教皇の座に就いたのだそう。
外遊に積極的だったヨハネ・パウロ2世は129の国や地域を訪問して、≪空飛ぶ聖座≫とも呼ばれていました。 -
祭壇があったと思うと、その隣の建物にはヨーロッパ各地の街角と同じように、グラフィティもある街並み。
-
ヨハネ・パウロ2世通りを北上して、SUR SHANGHAIとその旦那がまず向かったのはパヴィアク刑務所博物館。
ここは元々は1830〜1835年の間に建てられた刑務所。
1939年にドイツがポーランドに侵攻してからは、反体制活動家たちが収監されることに。
1944年8月1日に始まったワルシャワ蜂起後には、ドイツ軍による報復爆破でそのほとんどが破壊されたとのこと。
今は残された建物部分が、それら一連の歴史を語る場所になっています。
この画像はその敷地に立つニレの木ですが、今あるのは記念碑的ブロンズ像。元々の木は04年まで生きながらえていたそうです。 -
イチオシ
その記念碑的ブロンズ像になったニレの木の幹には、上記の歴史の中で亡くなった人々の名を記したプレートが打ち付けられ、慰霊の花やキャンドルが捧げられていました。
これと同じ風景は、このあとのポーランド各地でも見られました。今のポーランドになるまで、多難だった歴史を偲ばせる眺め。
画像奥に見えているのがパヴィアク刑務所博物館の入口。
所在地:DZIELNA(ダツィエルナ)通りとPAWIAK(パヴィアク)通りの間。
ウェスティン・ワルシャワからだと、ヨハネ・パウロ2世通りを北上して、DZIELNA(ダツィエルナ)通りを右折。1kmちょっとほど。
開館曜日と時間:
水曜日は9:00〜17:00、木・土曜日は9:00〜16:00、金曜日は10:00〜17:00、日曜日は10:00〜16:00とまちまちです。
閉館15分前には入場が締め切られます。
月・火曜日は休館。
入場無料。 内部の撮影は不可です。 -
そのニレの木の影が落ちる先はパヴィアク刑務所博物館の壁。
ここにもまた、慰霊碑の前に花束が並ぶ。
1939年にドイツがポーランドに侵攻してから1944年までの間だけでも、反体制容疑で収監された12万の人々のうち3万人以上がここで殺害され、残る人々は各地の強制収容所へと送り込まれたのだそう。 -
これがパヴィアク刑務所博物館入口。
内部は半地下状になった廊下脇に牢が並んでいたり、この刑務所の歴史に関連ある品々が並んでいたり。
内部の撮影は禁止されているので、画像はありません。
ここには日本とのゆかりのある日本人形が展示されているのが驚き。
これは、オペラ歌手喜波貞子のファンだったカミラという反ドイツ・レジスタンス活動をしていた女性が、喜波をモデルとしてこの獄中で密かに作ったものだそうです。
この話を元に作られたピアノとパントマイムのコラボ『木は全てを見ていた〜パヴィアクの日本人形』という作品もあるようです。
この≪木≫と言うのは、上の方の画像のニレの木の事ではないかと思いましたが、間違っていたらすみません。 -
ワルシャワ蜂起のあとで、ドイツの報復爆撃を受けた刑務所の残された部分を使用しているパヴィアク刑務所博物館は思っていたより小さかった。
小1時間あれば見終わります。
それでも、ワルシャワを含めたポーランドの歴史の一端を見られた場所。
昔は強固な鉄のゲートがあったらしい門の部分から出て、SUR SHANGHAIとその旦那はさらにワルシャワの街を探索してみます。 -
パヴィアク刑務所博物館を出た後は、ワルシャワの南北のメイン・ストリート、マルシャウコフスカ通りを渡って、旧市街地方向へ。
これはクラシンスキ公園脇の、緑が多い歩道。 -
道の脇で見つけた黄色い花。
あたりがパッと明るくなるその色と形。 -
旧市街地が間近くなった場所に、思いがけなくガラス張りのビルがあった。
そこに映る街並みをちょっと観察。 -
ガラス張りのビルに映る街並みにカメラを向けていると、通りかかった人が「ん? 何を撮ってるんだろう?」といぶかしげにそのビルを見る。
その場面もパチリ!
この後は、先に旧市街地に行ってから →ツィタデラ(要塞)敷地内にある10号棟博物館 →再び旧市街地、と回りましたが、旧市街地の様子は次編で一つにまとめることにします。 -
ツィタデラ(要塞)の中にある10号棟博物館は、新市街地や旧市街地から遠くない場所にあります。
新市街地の新市街広場からだと1kmくらい。
ヴィスワ川に沿って歩いて行けますよ。
まず、新市街地や旧市街から、ヴィスワ川沿いのWYBRZEZE GDYNSKIE通りに出たら、路面電車も通るグダンスク橋方向へ行きます。(上の画像)
グダンスク橋を通る路面電車の線路を渡って直進して行きます。
この辺は人通りが少ないのでご用心。(上から2番目の画像)
次に見えてくるのは、赤いツィタデラ(要塞)の壁と、それに沿って続く遊歩道。
10号棟博物館に行く時は、画像の中のおじさんと同じ方向へ行きます。(上から3番目の画像)
遊歩道を直進していくと、道が枝分かれしているので、緩い坂を上って行く左手の道を行きます。(下の画像) -
10号棟博物館へ向かう遊歩道脇には、ツィタデラ(要塞)の赤い壁がずっとついて来る。
これはまだツィタデラの外側。
このワルシャワのツィタデラは、元々は1830年の11月に帝政ロシアの圧制に対する11月蜂起の後で、ロシアが1832年からたった2年で造った要塞だそうです。
つまりはワルシャワににらみをきかせる要塞だった場所。
その壁のあちこちに出ているのは…、 -
…≪軍用地 立ち入り禁止≫の文句が、ポーランド語、英語、ドイツ語、ロシア語で書かれた黄色い標識。
ツィタデラ(要塞)内部は現在も軍用地なので、不審に思われる行為は慎みましょう。 -
木立が多い緩い坂道を上って行くと、途中にはこんなゲートが。
死刑囚たちがくぐったと言われる死の門は、この画像で見えている道の奥にあります。
画像には写っていませんが、このゲートの付近には十字架が列を成して立っていました。 -
これが、ツィタデラ(要塞)の一角にある死の門と呼ばれる大きな門。
死刑囚たちがくぐった門で、上の画像のゲート付近に並んでいた十字架もその死刑囚たちの墓なのだそう。
この中に入ると…、 -
…右手にこんな鉄柵付き扉があります。
ここが10号棟博物館を見に行くための入口。
ただ、全然その標識が出ていないので、戸惑ってしまったSUR SHANGHAIとその旦那。
「博物館の入口なら表示が出てるはずじゃないの?」
「軍用地・立ち入り禁止の標識ならいくつも見たけどなあ。」
間違って入ったら大変かもと思い、ここからは入りませんでしたが、あとで見学が終わって出て来た扉はここでした。
じゃあ、SUR SHANGHAIたちは、ツィタデラの中に入る時にはどうやって行ったかと申しますと…、 -
イチオシ
…道を聞くにも誰もいないので、仕方なく死の門を出て、さらにツィタデラ(要塞)の壁に沿って続く遊歩道を数百m前進。
すると…、 -
…今度は遊歩道からちょっと引っ込んだ所にこんな門が。
ここにも10号棟博物館への標識が無いんですが…。
(・・? (・・?
「でも、もうここから入って行くしかないんじゃないの?」とツィタデラ(要塞)の中に入って行った…。
するとそこには車道沿いに現代のポーランド軍の宿舎があって、若い軍人さんたちの注目の的になってしまったSUR SHANGHAIとその旦那…。(^^ゞ (^^ゞ
でも、10号棟博物館へ行くんだと察してくれたようでお咎めはありませんでした。(^^ゞ
ありがたや、ありがたや〜。 -
上の画像の門からツィタデラ(要塞)の敷地に入り込んだあとは、道の分岐点にポーランド語でただ一言ぶっきらぼうに≪MUZEUM≫と書いた小さい標識があった。
その標識も古くなっていたけど、英語のMUSEUMとは、綴りがSとZの違いだけなので分かりやすい。
これが全然別の単語だったら、気付かずに通り過ぎていたかも。
で、その標識の先には、またもやそっけなく壁に≪10≫と数字の出ている建物が。画像に出ている窓の上にその数字が見えています。
これが10号棟博物館。
この画像だと、左奥の馬車と木の向こうに、その入口があります。 -
10号棟博物館入口近くに置いてあった馬車らしき車。
元は政治犯を収容していたこの場所に囚人を護送するための車だったんだろうか…。 -
その車の先、踏み固められた小道が行き着く先が10号棟博物館入口のドア。
すでに陰鬱な雰囲気が漂うその建物。
見学無料。内部は撮影禁止。
開館は水・金・土・日曜日9:00〜16:00。
現在のこの10号棟博物館は、1830年の11月の11月蜂起後にツィタデラが造られた後、その蜂起に関連した政治犯を収容する監獄として造られのが始まりで、その後も延べ4万人以上がここに収容されていたその内部を公開しています。
監獄として使われていた部屋のほか、11月蜂起以降ここに収監されていた囚人の遺留品、武器、写真などの資料が数多く展示されていました。
見学には1時間はかかると思って行くのがよし。
監獄をそのまま博物館にしたという内部は照明も薄暗く重苦しい雰囲気なので、一人で行くとちょっと怖いと思う人がいるかも。
http://www.muzeumniepodleglosci.art.pl/index.php?lang=en 英語版 -
パヴィアク刑務所博物館も10号棟博物館も内部の撮影禁止なので、旅行記では詳しく説明できないのが残念。
今のポーランドになるまで、この国が味わってきた他国による支配、そしてそこから抜け出ようとした人々の苦しみが伝わってくる場所だった。
10号棟博物館の見学を終え、今度は死の門脇の扉を通って、元来た遊歩道へと下りて行く緩い坂道。
ここを上って来た時にもこのゲート脇で見た十字架の列にはカメラを向ける勇気の無いSUR SHANGHAI。 -
ヴィスワ川に架かるグダンスク橋まで戻って来た。
路面電車も通るこの橋の壁には、グラフィティが多数。 -
そのグダンスク橋から垣間見えたヴィスワ川の流れ。
ゴーーーーッと電車が橋に差し掛かる音が響いてくる方向を見ると…、 -
…路面電車が通っていくグダンスク橋の上に立つウェディング・ドレスの花嫁さん。
シュールな光景! -
イチオシ
どうやら新婚さんがここで結婚記念撮影をしているらしい。
ここで一旦停車する路面電車のお客さんも、窓の中から興味津々。
カメラマンさんに誘導された二人が静々と歩いていくグダンスク橋。
う〜ん、絵になるなあ。
これからのポーランドを担って行く世代のいいお父さん・お母さんになってね。(*^。^*) -
グダンスク橋で結婚記念撮影をする二人を見たあとは心も晴れやかになったねえ。(*^。^*)(*^。^*)
次編では、ワルシャワの別の顔を見に、旧市街地方向へ行ってみます。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- カヌ太郎さん 2008/03/11 22:41:42
- 素敵です♪♪
- 東欧らしい
雰囲気が漂っていますね。
出発する列車が
2人の人生の旅立ちを
象徴しているようです。
ワルシャワで思い出した事が。
昨夏、SDGでワルシャワに行きたい
迷子で半べそかいていた日本人のために
インフォでお助け通訳したのですが
フランス娘から『山葵?わさび?』と聞かれました。
ワルシャワって、仏語で(ヴァサヴィ)
と発音するらしいです。
笑ってしまいました。
ちなみに英語ではワーソー(war saw:戦争を見た!)
これはなかなか意味深です。
カヌ太郎
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2008/03/13 16:30:00
- RE: 素敵です♪♪
- そうなんです! 固有名詞であるはずの国の名前、都市の名前の呼び方やつづりが、国によってあれこれ違うのは面白いと私も思っておりました。
早い話、私が目下在住の中国も中国語読みだとヂョングオです。(^○^)
日本だって英語だとジャパンだし…。
そういう風に、その国の国民の呼び方、日本語、英語、フランス語…では、とリストを作ってみるのもいいですね。(*^。^*)
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